2009年3月号(通巻443号):目次

《V時評》
「隔離されたテーマパーク」で 
 ・・・磯辺康子

《特集》
「批判」と「共感」@市民創出メディア
 ・・・吐山継彦、増田宏幸、早瀬昇、牧口明
   播磨靖夫(財団法人 たんぽぽの家 理事長)

《だから私はこれを買う・選りすぐりソーシャルビジネス商品》
ライバルは、まちの洋菓子店
マドレーヌ(洋菓子のブリス)
 ・・・石田信隆

《うぉろ君の気にな~る☆ゼミナ~ル》
隣人祭り(Fete des voisins)
 ・・・ラッキー植松&村岡正司

《語り下ろし市民活動》
サロンは“知縁社会”へのエントランス(1)
山村雅治さん(山村サロン 代表、
市民=議員立法実現推進本部 事務局長)
 ・・・村岡正司

《VOICE・NPO推進センターの現場から》
潜在層に働きかける
 ・・・塚本真美(大阪ボランティア協会)

《私のボランティア初体験》
私にもできること
 ・・・須藤美智子(地球環境パートナーシッププラザ)

《ゆき@》
大津、まちでの暮らしもとめる2つのフォーラムで(*^^*)。
 ・・・大熊由紀子(福祉と医療、現場と政策をつなぐ「えにし」ネット)

《この人に》
雨宮処凛さん(作家、プレカリアート活動家)
 ・・・牧口明

《ウォロ・バルーン》
 ・・・吉田泉、堀井隆弥

《コーディネートの現場から・現場は語る》
大学と地域の協働・共創による地域づくりを育む
 ・・・福島明美(松本大学 地域づくり考房『ゆめ』 地域づくりプランナー)

《どーなる?どーする!裁判員制度》
“民主主義の学校”or“官製市民参加”
 ・・・大門秀幸

《リレーエッセイ 昼の月》
かおるちゃん

《トピックス・NPO助成》
助成機関は、どんな情報を市民活動に求めているのか?
 ・・・北川真理子

《わたしのライブラリー》
小学生のための減災マニュアル
 ・・・杉浦健

《共感シネマ館》
『ハダカの城~西宮冷蔵・水谷洋一』

《まちを歩けば・大阪の社会事業の史跡》
財團法人弘濟会とその源流
 ・・・小笠原慶彰

《ニュース》
「寄付文化の革新」めざそう! 日本ファンドレイジング協会発足
ほか
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2009年3月号(通巻443号):V時評

「隔離されたテーマパーク」で



編集委員 磯辺康子

■市民から遠い場所
 東京に転勤になり、官庁街の霞が関、国会周辺の永田町を仕事でうろうろするようになった。ここは市民からとても遠い場所だとあらためて痛感する。
 まず、各省庁の建物に気軽に入れない。ほとんどの入り口に駅の改札のようなゲートがあり、通行証が必要となる。通行証がない場合は、玄関で自分の名前や訪問先をいちいち書類に記入しなければならない。昨年、厚生労働省の元事務次官らが殺害される事件があったとはいえ、私たちの税金で維持されている建物に入るために、なぜこれほどの手間が必要なのかとても不思議に思う。
 私は県庁や府庁、市役所などの近くで用事があるとき、よく庁舎の中を“探検”する。昼時ならば、間違いなく食堂を利用する。外で食べるより安くて量が多い。売店で地元特産品を販売しているところもある。書店があったり、喫茶店があったりもする。トイレもよく利用させてもらう。何より、その役所の雰囲気や職員の仕事ぶりの一端が見えて興味深い。
 国の役所ではそんな気軽な探検は難しいが、仕事で各省庁に行ったとき、時間があれば庁舎内を歩いてみる。マクドナルド、ドトールコーヒー、ローソンなど、街の中と同じような店がいろいろあるのには驚く。霞が関からは少し離れているが、防衛省にはスターバックスがある。「役所というのはやっぱり福利厚生がしっかりしてるのね」と、嫌みの一つも言いたくなる。
 財務省では、廊下の目立つ場所に堂々とたばこの自動販売機があり、庁内の喫煙室もなかなか立派だ。全国的に庁舎内禁煙が増えつつある中、さすがたばこ事業を仕切る財務省―と少々あきれる。
 一方、日本の政治の中心である永田町。ここにある国会議事堂も、私たちの生活に直結する大事なことを決めている場所なのに、そう気軽に入れない。衆議院の本会議は現在、議員の紹介がなければ傍聴できない(参議院は紹介議員がいなくても可能)。しかし、国会議員の知人がいる市民など、どれほどいるだろうか。アメリカ・同時多発テロ以降の措置らしいが、国会の傍聴にこれほどの高いハードルを設けるのはどう考えてもおかしい。
 本会議はテレビでも中継されているが、画面ではどうも会議全体の雰囲気が伝わりにくい。実際に傍聴してみると、ひどいヤジで答弁が聞こえないこともあるし、居眠りをしていたり、週刊誌のコピーを見ていたりする議員の姿もよく見える。後ろのほうの席で、何やらへらへらと笑いながら話をしている議員たちもいる。そんな光景を見ていると、「百年に一度の危機」にある国とはとても思えない。

■空虚に聞こえる国会の議論
 麻生太郎首相をはじめ、今の政界には二代、三代にわたって政治家という家系の人が少なくない。そういう人は、市民から隔絶された永田町という空間の雰囲気を、若いころから違和感なく受け止めているのだろう。そして、自分たちがいかに多くの特権を有しているかということにあまり気づいていない。
 一時、麻生首相が毎日のようにホテルのバーに通っていることがマスコミで話題になったが、個人的にはその行動自体が大きな問題とは思わない。気になったのは、そういう生活を“普通の人”がどう見るか、という点にまるで無頓着な首相の感性だった。
 清貧を装えとは言わないが、記者の質問に「ホテルのバーは安い」などと気色ばんで反論してしまうのはどうだろうか。確かに、その人の立場に見合った飲食の場所というものがあるし、ホテルよりずっと高いバーもある。しかし、日々の食事さえ切り詰めている高齢者や仕事を失った人たちにとっては、ホテルのバーはやはり高い。無縁の場所だ。どういう背景があっても、それを「安い」と開き直られては、永田町との溝をますます感じてしまう。
 そんな感覚の政治家たちが、国会で雇用問題や不況対策などを議論していても、どこか空虚に聞こえる。政治家として、全身全霊をかけ、この国難に立ち向かおうという気概が感じられない。麻生政権の支持率が低いのは、政策の中身というより、そのあたりに理由があるのではないかと思う。

■東京発の情報のゆがみ認識を
 東京という大都会では、そこに住んでいる人々も地方にはない利益を得ることができる。さまざまなハードルがあるにせよ、国会を傍聴することも比較的容易だし、その気になれば国政に関する生の情報も得やすい。小学生が社会見学で国会議事堂を訪れている様子を見ると、「東京から遠く離れた地域の子どもは、気軽にこんな経験ができないなあ」と思う。
 日本の人口の九割は東京都以外に住んでいる。東京への一極集中が進んでも、地方という基盤なくして日本という国は成り立たない。
 最近、テレビのニュースを見て感じるのは、東京で少し大雨が降ったというような内容を、全国ニュースで延々と流すという馬鹿げたことが増えている点だ。仕事や観光で東京へ行く人々が影響を受けるのかもしれないが、大多数の視聴者にとっては関係ない。快晴の関西でそんなニュースを見せられると、「そんなの、関東のローカルニュースでしょ」と思ってしまう。
 地方で災害や事故などが起きた場合も、東京の視点でニュースが流されているように思う。山間部の人々の日常を知らない記者が、災害の状況をピントはずれの感じで伝え、「ここにはコンビニもなく…」などと言ったりする。その記者にとっては、バスも電車も商店もない山奥の集落自体が、日常からかけ離れた存在なのだろう。
 東京という「隔離されたテーマパーク」での議論や、そこから発信される情報には、かなりのゆがみがあることを、私たちはもっと認識すべきだと思う。人口減少や高齢化、雇用の崩壊など、日本が向き合う課題は地方のほうがより深刻で、すでに対応を迫られている。いわば“先進地”なのだ。
 地方の現状を知らなければ、日本の本当の姿は見えない。東京からの発信をただ受けているだけでは問題は解決できない。同じ課題に向き合う地方同士が連携し、解決策を見いだす努力をもっとすべきだと思うが、どうだろうか。
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2009年3月号(通巻443号):特集

《特集》「批判」と「共感」@市民創出メディア

(1)「共感」による市民メディア考・・・吐山継彦
(2)マスメディアも同じ 伝えたい「思い」・・・増田宏幸
(3)「V時評」の作り方・・・早瀬 昇
(4)市民の役割を問い続けて・・・牧口 明
(5)オピニオンは批判・批評の公共空間から生まれる・・・播磨靖夫(財団法人 たんぽぽの家 理事長)

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2009年3月号(通巻443号):この人に

たくさんの派遣会社が入って、
気が付いたらイラクやアフガニスタンに
連れて行かれていたというようなことが
起こるでしょう。

作家・プレカリアート活動家
 雨宮処凛さん

 本誌08年12月号で採り上げたように、バブル崩壊後の就職氷河期を経て、近年、パートタイマー、アルバイト、派遣労働者、契約社員、フリーター、等々、不安定雇用に身を委ねざるを得ない若者が増えている。今や全労働者の3人に1人は不安定雇用労働者であり、特に、15~24歳の若年層では2人に1人がそうした労働者だ。
 そして彼らの労働条件は、労働基準法など有ってなきがごとくに切り下げられ、賃金は、幾つもの仕事を掛け持ちして長
時間働いても生活保護基準に満たないほどに買いたたかれている。彼らは「ワーキングプア」(注1)とか「プレカリアート」(注2)と呼ばれ、一部は、住む家もなく難民化している。
 そうした不条理な現状に対して、いま全国各地で、当事者やそれを支援する市民の権利獲得(回復)運動が広がり始め
ている。自身、かつてはフリーターであり、不安定雇用労働者として不安な生活を強いられた経験を持つ作家の雨宮処凛さんは、そんな運動を象徴する人であり、「プレカリアート運動のマドンナ」と呼ばれている。

取材日2008年11月17日

■雨宮さんは北海道のご出身で、高校を卒業して東京に出られて、受験浪人をされたあとしばらくフリーターをされていた、ということなんですが、まずはそのあたりのお話からお伺いできますでしょうか。

 1993年に高校を卒業して、2浪したあと19歳でフリーターになり、24歳まで5年間フリーターでした。
 その頃はバブル崩壊後の不況期で、時給900円くらいだとフルで働いても月に15万円までいかないような状態で、自分
の収入だけでは生活費がぜんぜん賄えなくて親に頼るとかしていたので、そのままフリーターを続けていればなかなかそこから脱出できないし、ゆくゆくはホームレスになっちゃうんじゃないかというようなことをフリーター仲間で話していました。

■その後、ある時期に右翼団体に入られたということなんですが、それはどういうきっかけだったんですか?

 96年に初めて右翼団体の集会に行って、97年に右翼団体に入ったんですけれど、それ以前に、95年に阪神・淡路大震災とオウム事件が起こって、それがちょうど戦後50年の年だったわけです。
 私自身はオウム事件にすごいショックを受けたんですが、あの事件を受けて心の時代だとか心の教育だとかということ
が言われて、「戦後日本の価値観や教育が間違っていたからああいう事件が起こった」というような議論が起こったときに、
自分自身がフリーターとして生きづらい思いをしていて、手首を切るようなことをしていることと戦後日本のあり方とがなんか関係しているんではないかと思い始めていたんです。
 そういう形で戦後日本とはなんだったのか、ということが問われる中で、「じゃあ、戦争とはいったい何だったのか」ということを考えたときに、戦争について何も知らない自分にすごい罪悪感を感じたんです。
 それで、戦争について知るためには右翼か左翼に聞きに行けばいいんじゃないかと思って、最初左翼に行ったんですが
まったく言葉の意味が分からなくて、右翼に行ったら、「モノとカネだけの価値観しかない今の日本で若者が生きづらいの
は当たり前だ。戦後の物質主義、拝金主義、魂なき繁栄が悪かったんじゃないか」というような話でものすごく分かりやすく
て、右翼に入ったんです。

■でも2年ほどで右翼をやめられて、そのあと最初の本(注3)を出されたわけですね?

 そうです。2000年に。

■その頃はでも、フリーターの労働問題とか雇用問題についてはまだ明確な視点はお持ちじゃなかった?

 そうですね。その頃はまだ、いじめとかリストカットとか自殺の問題について考えようと思って、どちらかというと心の問題寄りでしたね。
 でも、自殺の問題なんかを心の問題として考えていてもぜんぜん出口が見えなくて、取材を通してとか、自分が当事者
として関わっていた10年くらいの間にも十数人の人が自殺で亡くなって、「これはもう、個人の問題ではないんではないか」
と思うようになったんです。
 ちょうどそういう時期に「プレカリアート」という言葉を知って、06年の4月にフリーターのメーデー(注4)に参加して、そこで新自由主義だとかグローバリゼーションだとかという話を聞いて、自分が考えていた自殺の問題とかがすごく整理されて、眼を開かれましたね。

■その辺で、よく本などにお書きになっている日経連の「新時代の日本的経営」(注5)というレポートの話になるわけですね?

 そうですね。あのレポートの存在を知ったのは非常に大きかったですね。 
 あのレポートが出た95年には私自身フリーターでしたので、その時に露骨に、自分たちは「死ぬまで不安定雇用で、使
い捨てにされる労働力」というふうに分類され、見捨てられたんだというふうに思いましたね。
 私自身、フリーターであることを親とか周りの人からすごく責められていましたし、友人の中にも、フリーターであることやなかなか正社員になれないことを周りからも責められ、自分自身でも自分を責めて、「自分が悪いんだ」と思っている人が多かったので、こういうふうに外的な要因で、財界がそういうふうに望んだことであるということはすごく衝撃でしたね。

■ご本にもお書きになっていることですが、若い人たちの間でもやはりその自己責任論というのは根強くあるようですね?

 はい。ある意味、自由競争というか、何をするのも自由であるみたいな世界で、努力の次第によっては何にでもなれるという幻想があって、そこから滑り落ちてしまった人はとことん駄目な人間であるという見方が当事者にも刷り込まれてしまっているんですよね。だから、自己責任ということを本人が進んで言ってしまうというようなことがありますね。

■私が「若者の貧困化」という問題に気づかされて、非常にショックを受けたのは、堤未果さんの『貧困大国アメリカ』(岩波新書)という本なんです。あれを読んで、若者を徹底的に貧困に追い込んでおいて、そこからの脱出口として兵隊に志願させるというような手口に慄然とさせられたんです。日本の自衛隊もやっているようですが。

 そうですね。本当にアメリカと同じだと思います。実際、自衛隊の勧誘を聞くと、こんなに良い職場はないですよね。直接雇用ですし、いろいろな資格も取れるし、お金もそこそこ貯められるし。フリーターの若者たちにとって自衛隊が非常に魅力的な職場になってしまっているという現状は確実にありますね。
 この問題を突き詰めていくと戦争に行き当たるし、戦争こそが究極の貧困ビジネスであるというような構造になってきていますね。

■いま、医療崩壊、教育崩壊、介護崩壊と合わせて雇用崩壊が進んでいて、10年、20年前には考えられなかったような雇用条件がまかり通っています。  その直接的な要因としては、労働者派遣法の改悪を始めとする雇用面での規制緩和があるわけですが、その背景には経済のグローバル化ということがあって、企業の側でも人件費削減のためにやむを得ないという面がなくもない。  でも、同じような条件にある国ぐにはみなそうかと言うと、必ずしもそうとは言えないのではないかと思うんですが。

 そうですね。短時間雇用の労働者が増えているというのはヨーロッパなんかでも同じですよね。でも、フランスやドイツなんかだと非正規雇用の人と正社員を差別的に取り扱ってはいけないということが法律化されていて、同一労働同一賃金ということが徹底していますよね。でも日本の場合は、そうした法律が作られないままこういう状態になってしまったので、ワーキングプアが増えるのは当然ですよね。

■ここ2年ほど、フリーター労組(注6)とか反貧困ネットワークだとか、当事者の組織やそれを支援する市民組織が生まれてきているようなんですが、その辺の事情についてお聞かせいただけますか。

 そうですね、いま労働/生存組合みたいな、労働だけではなくて生存に関わる組織があちこちにできてきていて、反貧
困ネットワークという組織が07年10月に誕生しました。これは、労働とか福祉とか多重債務問題とかをバラバラにしない
というのが一つの大きなテーマで、労働組合とか、多重債務問題に詳しい弁護士さんだとか、福祉問題に詳しい人だとか、
障害者団体だとか、貧困問題に関わるありとあらゆる団体や個人が大同団結しているので、分けられていないというのが
一つの特徴ですね。

■それは心強い動きですね。最後に、この『ウォロ』の読者の人たちにぜひ伝えたいメッセージとかがおありでしたらお聞かせください。

 いまプレカリアートの運動に取り組んでいる人たちはまさにボランティアで取り組んでいるんですね。フリーター労組という組合なんかは貧しい人同士の助け合いなんですけれど、労働相談なんか全部無償でやって、自分の睡眠時間も削りながら団体交渉なんかに走り回っている状態です。
 でもそれにはやはり限界があると思いますので、そういう中で頑張っている若い人たちがいるということを、まず知ってほしいです。
 それから、いま反貧困たすけあいネットワークという互助組織があって、どうしても困ったときに1万円とか2万円とかを貸し付けるといったことをしているんですが、そういうボランティア組織の運営のノウハウを交換していくとか、あとやっぱり、各地に、そういうフリーターの人たちの居場所とか、労働や生活相談の窓口をつくっていく手助けをしていただけたらと思います。

■今日はお忙しいなか貴重なお話をありがとうございました。

インタビュー・執筆 編集委員 牧口 明

(注1)ワーキングプア 
まともに働いていても生活保護基準すれすれかそれ以下の収入しか得られない労働者のこと。
(注2)プレカリアート 
不安定雇用労働者・失業者の総称。「不安定な」という意味のイタリア語「プレカリオ(precario)」と賃金労働者を意味する「プロレタリアート(proletariato)」を組み合わせた造語。
(注3)最初の本 
雨宮さんの作家デビュー作『生き地獄天国』2000年、太田出版刊
(注4)フリーターのメーデー 
2004年から始まったフリーターのメーデー。「自由と生存のメーデー」と命名されている。雨宮さんが初参加された06年のメーデーは「自由と生存のメーデー06―プレカリアートの企みのために」と銘打っておこなわれた。
(注5)「新時代の日本的経営」 
日本経営者団体連盟( 日経連・2002年に経団連と統合して日本経団連に名称変更) が1995年に出したレポート。労働者を「長期蓄積能力活用型」「高度専門能力活用型」「雇用柔軟型」の3つに分け、一部の幹部候補生と特別な技術・能力を持ったスペシャリスト以外は何時でも使い捨てにできる雇用柔軟型として位置づけ、その積極的な「活用」を提言した。
(注6)フリーター労組 
フリーター全般労働組合のこと。2004年8月に結成。

プロフィール
1975年北海道生まれ。高校卒業後上京。大学受験浪人後フリーター生活に入る。一時精神的に追いつめられてリストカットや自殺未遂を繰り返した時期を持つ。1999 年にドキュメンタリー映画『新しい神様』(土屋豊監督)に主演。2000年に『生き地獄天国』(太田出版刊)で作家デビュー。以後『自殺のコスト』(太田出版) 、『暴力恋愛』(講談社)、『バンギャル ア ゴーゴー(上下)』(講談社)、『生きさせろ!難民化する若者たち』(太田出版・日本ジャーナリスト会議賞受賞)など話題作を次々と発表。現在は取材・執筆・運動を通してプレカリアートの問題に精力的に取り組んでいる。心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、「週刊金曜日」編集委員、反貧困ネットワーク副代表など。
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2009年3月号(通巻443号):わたしのライブラリー

小学生のための減災マニュアル
編集委員 杉浦 健

■地震イツモプロジェクト:編、渥美公秀:監修、寄藤文平:絵
『地震イツモノート―阪神・淡路大震災の被災者167 人にきいたキモチの防災マニュアル』、木楽舎(2007/04)、1,500 円(税込)

■メモリアルコンファレンスイン神戸:編、土岐憲三、林春男、河田恵昭:監修
『12 歳からの被災者学―阪神・淡路大震災に学ぶ78 の知恵』
日本放送出版協会(2005/01)、1,260 円(税込)

■古屋兎丸 著、『彼女を守る51 の方法』(全5 巻)
新潮社(2006/09-2007/09)、各530 円(税込)


 「皆さん、今日は何の日か知ってますか?」
 今年の1月16日に兵庫県内のとある小学校において全児童を集めた一斉防災訓練が行われ、筆者は「震災体験講話」の講師を務めた。その際、冒頭で参加者にこう投げかけた。
 翌日は阪神・淡路大震災から14年目の日。だから防災訓練。それくらいは誰でも分かる。
 で、答えは、「今日は、僕の誕生日です!」一同、大爆笑。だが、別にここで笑いを取ろうとしたわけではない。
 95年1月16日、この日は筆者にとって輝かしき30代のスタートの日だった。そしてその翌日に震災が起きた。当時、筆者は大阪に住んでいたが、昔から親しんだ神戸の惨状は、今でも目に焼き付いている。だから特にこの年の誕生日のことは忘れない。この日がそういう特別な日であることを、震災後に生まれた「震災を知らない子どもたち」にも知ってほしかった。同時に、過去形から未来形に話を展開する中で、このような体験に根ざした減災への取り組みが大切であることを伝えたかった。

■「自分たち」という意識

 今回講演用に用意したテキストのうちの一冊は昨年夏に『ウォロ』でも紹介された『地震イツモノート』。これは徹底的にビジュアライズされた(挿し絵というよりも絵本に近いような)内容の、“減災マニュアル”だ。大人向けだが、絵を見れば中身は大方理解できるので、小学生でもパラパラめくって必要な部分は頭に入れてくれるだろう。あとは実際に防災訓練の機会などを利用し、大人から口頭で補足説明をしてあげればいい。監修は大阪大学准教授の渥美公秀氏。「自分の身は自分で守る」という意識ではなく、「自分たちの身は自分たちで守る」という意識の大切さと、「一人ひとりのかけがえのない命を、みんなで支えあうことができるような社会」の実現を提唱している。
 当書は、「イザ!カエルキャバン!」で、防災訓練プログラムに新しい風を吹き込んだNPO法人プラス・アーツの永田宏和氏の好企画だ。

■子どもという目線

 もう一冊。子どもたちに話をするには、子どもたちの目線も必要だ。『12歳からの被災者学』は、まさに子どもたちの素朴な疑問に、ダイレクトに答えてくれる。例えば「揺れているときはどうしたらいいの?」「電気はどうなったの?」というような基本情報から、「学校はどのくらい休みになったの?」(子どもたちには重要な話だ)だとか、いざ直面した場合に自分たちで乗り越えなければいけない「お父さん・お母さんが死んでしまったら、どうなるの?」といったことまで網羅されている。更に、地域コミュニティやボランティアに関する記述もあり、子どもたち、特に小学校高学年から中学生の減災意識を高める工夫もされている。個人がやるべきこと、家族、学校、町内、自治体のそれぞれの役割、そしてボランティア活動を実際に行うために、何が必要で何が不要なのか。「被災地に送ってほしい物は?困る物は?」「新しいまちづくりのために子どもたちが考えておきたいことは?」といった、実際に地震が起きたときの子どもたちの可能性を示唆している。それを、大人よりも低い位置の目線で解説し、これだったらみんなでできるよね、といった様々なアイデアを提示する。いかにも画一的なマニュアル本が多い中、シンプルな話題からスタートしているのがよかった。それが防災グッズをそろえるだけそろえても、結局活用もできずにいる大人たちに、一石を投じることになる。しかも、投じるのは、著者の目を通した、震災未体験の子どもたちなのだ。

■いったい何を守るのか

 昨年の12月、千代田区社会福祉協議会主催の「ちよだボランティアウィーク」において「災害ボランティア学習会・災害から大切な人を守るには」に参加した。講師は防災・危機管理ジャーナリストの渡辺実氏。一貫して「災害時に生き残る方法」を提唱する。そして、阪神・淡路大震災の関係者は、早く震災の後遺症から卒業し、新しい防災都市の構築と危機管理に、考えの方向性を切り替えるべきだ、とも。実際の被災者にとってはどうにも割り切れない話ではあるのだが。
 その渡辺氏が、実験的な“減災マニュアル”を製作した。タイトルは『彼女を守る51の方法都会で︱地震が起こった日』。当初「防災本史上初のグラビア型災害マニュアル」として製作され、それを原案として古屋兎丸氏によって漫画化(『彼女を守る51の方法』)された。
 ある2月23日午後7時35分、突然首都を襲ったM8の直下型大地震に対し、絶望や悲しみを体験しながらも、生き残ろうと必死になる主人公たち。彼らの長かった8日間を描いている。
場面は足取りに合わせてお台場から新宿へと移り、その中で、実際こんな場面に遭遇したら、このように対処しよう、といったようなエピソードが51例紹介されていく。
 惜しむらくは、主人公のみに焦点を当てているため、他人の動きが見えてこないこと。筆者は震災の翌日、音信不通になった友人を助け出すために神戸に入ったし、発生後1週間もたてば、周辺エリアからの援助や
様々な自発的なコミュニティも現れた。そういう動きが全く描かれていない。ストーリー構成上の脆弱さのために、本来あるべき“減災マニュアル”としての奥行きや広がりを欠いてしまっているのは残念だ。これでは自分や“彼女”は守れても家族は守れないし、まちも守れない。
 阪神・淡路大震災から14年、あの未曾有の地震を体験した人も、これから別の地震を体験するかも知れない人も、もう一度減災について直視するべきだ。特別な日のためではない。本当に大切なものを守るために。
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