2009年1・2月号(通巻442号):目次

《V時評》
ワーク・ライフ・バランスを考える
 労働オンリーから、多様な生き方へ
 ・・・岡本榮一(大阪ボランティア協会 理事長)

《特集》
神戸 あの日から14年
 文化・アートのバトンを継ぐ人たち
 ・・・磯辺康子、影浦弘司、久保友美、杉浦健、村岡正司

《語り下ろし市民活動》 
「カマやん」とともに歩んだ30年
大阪・釜ヶ崎~日雇い労働者の街、そして「まちづくり」へ(3)
ありむら潜さん(釜ヶ崎のまち再生フォーラム事務局長、漫画家)
 ・・・早瀬昇

《うぉろ君の気にな~る☆ゼミナ~ル》
ミレニアム開発目標(MDGS)
 ・・・ラッキー植松&水谷綾

《ゆき@》
兵庫、千葉、東京 お医者さんをつつむボランティアたち(*^^*)
 ・・・大熊由紀子(福祉と医療、現場と政策をつなぐ「えにし」ネット)

《この人に》
永田宏和(iop都市文化創造研究所、プラス・アーツ)
 ・・・久保友美

《ウォロ・バルーン・スペシャル》
ボランティア経験って就職活動でアピールできるものなの?
 ・・・久保友美、吉田泉

《だから私はこれを買う・選りすぐりソーシャルビジネス商品》
キッシュ(ズーセス・ヴェゲトゥス)
 ・・・村岡正司

《コーディネートの現場から・現場は語る》
共に育ち、共によりよい社会づくりをめざす
 長期実践型NPO・NGOインターンシッププログラムの実践から
 ・・・桑田真理子(特定非営利活動法人ユースビジョン事務局スタッフ)

《私のボランティア初体験》
よーわからんけどやってみようかぁ
 ・・・井上小太郎(住友生命保険相互会社 調査広報部)

《リレーエッセイ 昼の月》
エンディングノート

《わたしのライブラリー》
あなたは死刑賛成派?反対派?
 ・・・青木千帆子

《3つ星》
ナラクデサカバありがとな(尼崎市)
 ・・・杉浦健

《市民活動で知っておきたい労務》
就業規則はつくる必要があるの?
 ・・・石田信隆

《VOICE・NPO推進センターの現場から》
ピアスーパービジョンのすすめ
 ・・・永井美佳(大阪ボランティア協会 NPO推進センター)

《レポートR》
母なる大地から “おいしく、クリーンで、正しい”食を
 食のコミュニティ世界大会「Terra Madre」に参加して
 ・・・久保友美

《ニュース》
認定NPO法人の増加に期待
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

2009年1・2月号(通巻442号):V時評

ワーク・ライフ・バランスを考える


 労働オンリーから、多様な生き方へ

岡本榮一(大阪ボランティア協会 理事長)

 こんな厳しい新年を迎えようとは誰が想像できたであろうか。昨年秋、世界金融恐慌が発生した。今、大企業でさえ人員削減にのりだしはじめている。こういう時世にあって、何ゆえに「ワーク・ライフ・バランス」か、と言われそうであるが、新しい労働とか生活のありかた― 健康で文化的な生活を営む権利―を考える意味で、あえてこの問題をとりあげたい。

■灰色の時間泥棒と「モモ」の出現
 『モモ』という童話がある。これは、ミヒャル・エンデという人の作で、灰色の男たち(時間泥棒)と主人公の「モモ」のやりとりを主題にしている。灰色の男たちの影響を受けた勤労者は、「時間は貴重だ、時は金だ、時間がない、時間がない」と日ごとにイライラし、怒りっぽくなっていく。そのような勤労者たちが住んでいる町に、自由人の「モモ」がやってくる。そうして、この町の人びとの盗まれた自由時間(の価値)を取り戻そうと灰色の「時間泥棒」に戦いを挑む―そういった物語である。
 日本女子大学の大沢真知子さんの説によれば(※)、日本は仕事中心の「長時間労働文化」の国だそうである。朝早くから夜遅くまで、働きに働いて一生を終える。そういった労働慣行を指している。そういわれれば、われわれは、仕事・仕事で、朝早くから夜遅くまで働き、そのことに何ら疑問も抱かなかった。「モモ」もやってこなかった。その結果、特に団塊世代以上では、家事や子育ては全て妻任せ、その上、地域とのつながりやボランティア活動などとは無縁、趣味にも乏しい人が多いのではなかろうか。
 最近、あちこちで「ワーク・ライフ・バランス」という言葉を聞くようになった。この言葉は、ワーク(労働)とライフ(生活)のバランスをとって多様な生き方のできる社会を目指そう―という意味である。「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」が、07年の12月、政府の肝いりで制定され、「行動指針」もつくられた。

■ワーク・ライフ・バランスとは何か
 このワーク・ライフ・バランスの登場は、日本人のこれまでの労働(ワーク)オンリーの生き方の是正にある。個人が、仕事と生活をバランスよく充実させることによって、企業だけでなく、家庭や地域社会をも活性化しようとするものだ。こうした取り組みにより、企業にとっても有能な人材の確保や育成や定着につながり、結果的に「明日への投資」になるとする。
 「行動指針」では、①就労による経済的自立が可能な社会、②健康で豊かな生活時間が確保できる社会、③多様な働き方、生き方が選択できる社会、の三つを目指すこととし、これらの実現に官民、労使の協力を呼びかけている。細かくは、有給休暇の取得、労働時間の短縮、年金保障などの拡充、フリーターの数の減少、働く女性の出産後の支援のための保育サービスなどの充実、男子の育児休業の推進など、数値目標が設定されている。内閣府に、ワーク・ライフ・バランスのための「推進室」も設置された。

■ワーク・ライフ・バランスの意義とは
 これらのワーク・ライフ・バランス導入の背景には、二つのインセンティヴ(誘因)がある。その一つは、高度経済成長期以来、価値観が大きく変わってきたことがある。「モモ」がいうような時間に追われた労働一本やりの生き方を見直そうということだ。ストレスの問題やうつ病患者の問題、年3万人を超える自殺者の増大なども、多かれ少なかれそれと絡んでいる。
 もう一つは、勤労者の生活の場、すなわち、少子化問題やジエンダ―問題と結びつく「家事(育児など)」の見直しや、障害者や高齢者の孤立などを含む「地域社会のつながりの回復」といった課題との関わりである。そこに、家庭人、地域人となった勤労者の、もう一つの自己実現の場を用意しようとするものだ。
 このようなワーク・ライフ・バランスの考え方は、先にふれた「長時間労働文化」の日本的弊害を是正し、家族や地域社会の世界に勤労者自身を誘い、その場でも新たな価値実現を生み出そうとするものだ。それは、単に企業や勤労者の問題にとどまらず、家庭の再生、地域連帯の再創造につながる、との考えに立つ。
 家庭にも地域にも、やるべき課題はたくさんある。そこには、地域活動、市民活動の器としてのNPOも待っている。そこは、市民として、またボランティアとしての活動の場であり、もう一つの多様な自己実現の場でもある。
 このように見てくると、ワーク・ライフ・バランス施策は、21世紀に向けた素晴らしい提言であるが、これまで日本の政府のやって来た一連の施策は、どれも何か中途半端なように思えてならない。

■ワーク・ライフ・バランスをとりまく課題
 たとえば、このテーマと関係の深いのが「育児・介護休業法」。ところが実際の男性利用者は約1・6%。問題は30%の低い給付金にある。ドイツなどに習って「パパ・クオーター制」(※※)を政府が検討しているが、どれほど本腰を入れるのか。
 スウェーデンやノルウェーなどでは、1年間育児に携わっても、100%から80%給付される保障制度が10年も前から施行されている。日本では、保育所に預けると公的な補助金が支出されているが、専業主婦で子育てをした場合には「在宅育児手当」がない。「労働政策」が「福祉政策」と連動しているようで中途半端なのだ。
 さらに、このワーク・ライフ・バランスと関係する問題に、昨年末から話題が浮上している「非正規労働者」の問題がある。日本では全労働者の3割を非正規労働者が占めている。それにも関わらず、その人たちの多くが雇用保険、年金保険などの保障から除外されている。そんな馬鹿なことがあるか、と思うが本当だ。
 政府も企業も労働組合も何を考えているのか、といいたいところだが、オランダの「フレキシビリティ&セキュリティ法」のような、正規・非正規労働者を対等に扱うような国に早くしたいものだ。分かち合いと支え合いの「経済負担」から逃げてはならない。
 働けるすべての人が、制度的セーフティネットに支えられて、労働市場に参加するだけでなく、ワーク・ライフ・バランスの理念のもと、家庭にも地域にも参加する。そんな多様な生き方が可能な社会こそ、強い社会であり、また希望社会だと思う。

※<「ワーク・ライフ・バランス」について、お勧めする参考図書>
①山口一男他著『論争:日本のワーク・ライフ・バランス』(2008 年:日本経済新聞社)
②大沢真知子著『ワークライフシナジー』(2008 年:岩波書店)、他。
③湯浅誠『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』(2008 年・岩波新書)ほか

※※「パパ・クオーター制度」=「クオーター」は「割り当てる」という意味。ドイツやノルウエーで「父親に、育児への参加を一定期間割り当てよう」と取り組んでいる制度。54 週取って給料の80%が支給される。制度導入前は4%だったが、導入後90%になったといわれる。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

2009年1・2月号(通巻442号):特集

《特集》神戸 あの日から14年
 文化・アートのバトンを継ぐ人たち


磯辺康子
影浦弘司
久保友美
杉浦健
村岡正司

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

2009年1・2月号(通巻442号):この人に

防災にとって一番重要なのは、
2つの“ソウゾウリョク”。
細かい技よりも一番重要なんです。

iop 都市文化創造研究所、プラス・アーツ
  永田 宏和さん

永田宏和さんには、2つの顔がある。株式会社iop 都市文化創造研究所代表取締役、NPO法人プラス・アーツ理事長。株式会社ではまちづくりや店舗建築のプロデュース、NPOでは防災、教育、子育て…など、社会的課題と密接に関係あるテーマに携わっている。幅広い活動をされている永田さんだが、今回はその中でも永田さんを語る上で特に欠かせない“防災”を中心にお話を伺った。


■防災に関するイベントをたくさんされていますが、防災に関心を持たれるようになったのはなぜですか。

 めぐり合わせです。もし就職が1年遅かったら、僕は阪神・淡路大震災のとき、激震地区のど真ん中の寮に入っていました。1年後輩はみんなその寮にいて、死体を瓦礫から引っ張りだしたり、救援活動を3日3晩したり、大変な思いをしたのですね。恩師の鳴海邦碩先生は、当時、大阪大学の教授で被災地調査や復興をやっていたわけですから、すごく手伝いたかったのです。当時、勤務していた竹中工務店でも志願したのですが、結局叶いませんでした。僕には僕の他の業務があるので「誰が代わりをするの」という話になるんですよね。
 また、自分の母親が昔住んでいた西宮の家が全壊したので、その建替えもしなくてはいけないということでそちらも忙しくなり、自分が職能としてやってきたことを社会に対して活かすことができませんでした。やりたかったのにできなかった。後ろめたさがずっと残っていましたね。

■そのときの思いが現在の防災イベントにつながっているのですね。

 震災から5年目の00年に、神戸市の子どもを対象にした事業、“六甲摩耶復興祭”の一環で神戸市立自然の家を会場に“ネイチャーアートキャンプ”という事業を企画、実施しました。プログラムとしては面白くて話題になったのですが、防災には直接関係なかったのです。
 その後独立して、iop 都市文化創造研究所を設立し、05年、子どもを対象にしたプログラムの依頼が再び神戸市から来ました。震災10年、神戸にとっては一つの節目でしたが、実は、防災向けのイベントを頼まれたんじゃないんです。知り合いの美術家・藤浩志さんが考案した“かえっこバザール”というおもちゃをリサイクルするお店屋さんごっこのようなイベントを神戸市内何か所かで実施して、元気な子どもの姿を発信して欲しいという依頼でした。ただ、僕らは10年前のことをもう一度振り返らないといけないと思ったのです。「振り返らなくてもいいですよ」と市との会議では言われましたが、僕らとしては振り返って未来について言えることはあるだろうと考えました。ただ、「かえっこバザールをやって欲しい」と言われていたので、かえっこに防災を組み合わせたプログラムを僕らは思いついたのです。それが “神戸カエルキャラバン2005”です。今は名称を変更して“イザ!カエルキャラバン”と呼んでいます。
 かえっこは、子どもがいらなくなったおもちゃを会場に持ってきてカエルポイントに換え、そのポイントで他のおもちゃと交換(かえっこ)できるシステムです。どの子も欲しがるような人気の高いおもちゃを持ってくる子どももいるので、それはオークション形式になっています。ただ、持ってきたおもちゃの数だけで持ち点が決まっても面白くないから、ポイントが足りなくなったら体験コーナーで肩たたきや似顔絵を描くとポイントがもらえます。僕らはその体験コーナーに注目し、防災訓練をしたらポイントがもらえることにしたのです。
 一般的な防災訓練って、地域で防災活動をやっているおじいちゃん、おばあちゃんが来るくらいなのです。けれど、カエルキャラバンは楽しいから告知をセーブしないといけないくらい親子連れが大勢来ますよ。子どもはおもちゃを換えにいこう、大人にしたらおもちゃを処理できるぞ、とこの仕組みが全てです。
 神戸市のOKをもらってから半年間、被災者の声をヒアリングしたり、ミュージアムや手記を読み漁ったり、僕らができ得る阪神・淡路大震災に関する勉強をしました。被災者の声からこういうことが重要だ、こういう技で助かった、というのを基に防災プログラムを作ったのです。他にも伝えたい体験手記がいっぱいあったので、アニメーションや絵本、ゲームなど、子どもに防災を知らせるためのメディアを開発しました。楽しいプログラムだけに、表層だけだと遊びになってしまいます。消防局に行ったときにも「命の大切さを本当に伝えているのか。遊びではないぞ」と怒られました。最初は、理解してくれなかったのですが、2、3回と説明に行くもんだからとりあえず手伝おうか、という話になったようです。しかし、今、消防局では僕らのプログラムを使っています。なぜかというと、子どもが興味を持って積極的に取り組んでくれるのを目の当たりにしたのと、被災者の声をベースにプログラムを組み立てているからです。その後もリサーチしていますけれど、それが僕らにとっての財産です。
 今や神戸では、年3回は必ずカエルキャラバンが実施されています。僕らは、神戸の話は予算の条件などが合わなくても絶対に断りません。必ず行きますね。
 カエルキャラバンは現在、横浜、新潟をはじめとして全国各地で広がっていて、昨年の10月にはインドネシアのジョグジャカルタでも実施しました。2、3回と継続しているところもあり、地域で定着していくのは嬉しいことです。

■防災のイベントでは多くの子どもたちの姿が見られますよね。

 防災にとって一番重要なのは、二つの“ソウゾウリョク”。イメージする想像力、創り出す創造力。周りの状況を見て、想像力を働かせながら臨機応変な対応を創り出す力です。これが防災の細かい技よりも一番重要なんですよ。防災イベントの目的はそこにあって、子どもたちのそういう能力を育てるためにやっているのが本当のところです。
 カエルキャラバンのプログラムは9種類あって、水消火器的当てゲームや防災ジャンボカルタなど、消火・救出・救護をゲーム感覚で楽しめるものばかり。体験している子どもたちの目は輝いています。楽しいから何度もするんですよ。防災も教育も繰り返しが大事。3、4回やったら消火器の使い方もキマってきます。だから“楽しさ”って重要です。
 なぜ僕がこんなにモチベーションを持ってやっているかというと、きれいごとかもしれないですけれど、こういう活動を広げることで何人か救える命があるかもしれないし、子どもたちが大きくなってから身につけた技を使える日が来るだろう、と思うからです。もう一つは、ソウゾウリョク。今はイベントだけじゃなくて教育現場でのプログラムの普及やゲーム開発とその流通なども意識しながら、より多くの人に伝えていきたいと考えています。

■防災イベントをされているのは、NPO法人プラス・アーツですが、株式会社との関係性はどのようなものなのですか。

 個人事務所のときは、アートとまちづくりと建築のプロデュースを一緒にやっていましたが、カエルキャラバンを全国展開しようという話になったときに、これは社会的なミッションを背負っているし、地域の人たち、社会のためにという意識があったのでNPO法人を立ち上げました。その際、他の事業も社会性という視点で見ると、全てプラスアーツだったんですよ。教育プラスアーツ、防災プラスアーツ、子育て支援プラスアーツ。全部、それをNPOに移管してしまおうということで、防災だけでなく教育なども含めた形で一本化させたのがNPO法人プラス・アーツです。残りのまちづくりと店舗建築のプロデュースを株式会社がやっています。

■“プラスアーツ”とは、具体的にどういうことなのですか。

 アートを防災や教育にプラスすることで、何か新しい風が吹き込めないかと考えています。アートって言うと、芸術、美術をイメージしますけれど、“アーツ”はデザインも含めたもの、もっと言うと二つのソウゾウリョクが僕らの言っているところのアーツなのですね。
 僕らが付き合うアーティストは、どちらかというとコミュニケーションアートの方が多いです。自分が場をつくることで、人と人がつながり、コミュニケーションを促進させるツールとして自分の表現を位置づけている。コミュニケーションアートが今、面白くなっているのは、社会がそれだけ危機的状況にあるからでしょう。僕の持論として、アートは一側面ですけれど、時代の鏡である気がしますね。

■「防災」というと、“非日常”“災害を防ぐためだけ”のものというイメージがありましたが、教育やまちづくり、アートなど私たちの“日常”とも深い繋がりがあるものなのですね。防災への認識が変わったように思います。ありがとうございました。

インタビュー・執筆 
編集委員 久保 友美

●プロフィール●
1968 年兵庫県西宮市生まれ。93 年、株式会社竹中工務店入社。同社では、都市開発、土地利用計画の企画を中心に、建築設計、まちづくりに関する調査・研究業務、テナント誘致など幅広い業務を経験。2001 年、まちづくり、アート、イベント、商業開発の企画・プロデュース等を業務とする個人事務所「iop都市文化創造研究所」を設立。2005 年、阪神・淡路大震災10 年事業で、楽しみながら学ぶ新しい形の防災訓練「イザ!カエルキャラバン!」を美術家・藤 浩志さんと開発。2006 年7 月、NPO 法人プラス・アーツを設立。理事長に就任。同年11 月、個人事務
所を株式会社化。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

2009年1・2月号(通巻442号):わたしのライブラリー

あなたは、死刑賛成派? 反対派?

編集委員 青木 千帆子

『モリのアサガオ―新人刑務官と或る死刑囚の物語』(全7 巻)
郷田マモラ、双葉社、2004-2007
07 年度文化庁メディア芸術祭 マンガ部門大賞

『ぼくんち』(全3 巻、普及版の1 巻本もあり)
西原 理恵子、小学館、1996-1998
第43 回文藝春秋漫画賞。

 この数年来、死刑確定囚が増え、死刑執行数も増えている。このことから、死刑に関する議論が盛んになっているという実感は、誰もが持っていることだろう。
 そんな昨今、死刑囚、そして囚人を監視し死刑を執行する側である刑務官のマンガが登場した。『モリのアサガオ』というタイトルの郷田マモラ氏による作品で、04年4月から07年4月まで漫画アクションに連載されていた。現在映画化も進んでいる。
 物語は、刑務官の主人公が無二の友となった死刑囚に対し、死刑を執行する場面から始まる。そして時間を巻き戻し、主人公が刑務官になった当初から冒頭の死刑執行までの経験が、主人公のモノローグによってつづられていく。
 主人公を取り巻く死刑囚や同僚の刑務官だけでなく、家族、恋人、被害者との関わりから、いくつもの死刑制度への観点、つながりが描かれる。その一つ一つの立場や見方を直接経験することによって、主人公は死刑制度に関する考察を深めていき、最終的に死刑制度を肯定する。死刑という現実があるからこそ、どれほどのっぴきならない状況に人が追い込まれた上での犯罪であっても、他者を殺(あや)めることは罪なのだ、と伝えることができるからだ。しかし、最終巻のあとがきには、作者はまだ死刑制度に対する意見をまとめきれずにいると記されている。
 死刑制度は、遠い存在だ。刑務官にでもならない限り、死刑囚に直接かかわる機会はほとんど無い。それだけに、死刑判決が下される犯罪、そしてその犯罪の被害者や犯罪者は遠い存在になってしまう。テレビや新聞で伝え聞く話に沈痛な気持ちにはなっても、経験を共有するほど深く考えることはない。『モリのアサガオ』という作品は、死刑制度という重いテーマをマンガで取り扱うことによって、死刑制度に関してより深く考える機会を私たちに与えてくれた。

■構造的暴力という視点
 しかし、だ。本書を評価し、紹介しておきながら、私にはこの作品に対する違和感が残っている。
 まず気になるのは、死刑囚、中でも脇役の死刑囚が犯行(『モリのアサガオ』では殺人)に及んだ際の背景や心理描写の不十分さである。描写が不十分なのか、それほど容易に人が犯行に臨むものであると作者が理解しているのかは判別がつかない。そしてもう一点、何かが描き切れていないと感じる。それは、被害者・犯罪者双方が経験し、私たちも日常的に経験している生活における「何か」だと思うのだが。
 ガルトゥングという平和学の専門家が考えた言葉に「構造的暴力」という言葉がある。これは、犯罪行為に代表される、人を傷つけたり、ものを破壊したりするような直接的な暴力のことではない。暴力の主体が誰であるのかが明らかでなく、いつどこでふるわれたのかも明らかではない。にもかかわらず、人を困窮した状態から逃れられなくするような、そんな漠然とした暴力のことである。たとえば、本誌12月号の特集で取り上げた貧困も、構造的暴力によって作り出される面があると指摘されている。
 『モリのアサガオ』という作品で描き切れていないと感じられるものの一つは、この構造的暴力なのではないかと思う。それがいかに凶暴で耐え難いものであるか、そしてそれがいかに回避不可能なものであるか。
 たとえどんなに構造的暴力によって打ちのめされていようとも、犯罪は犯罪である。しかし、犯罪という分かりやすい暴力に対する罰則は明確に規定されているのに、構造的暴力というわかりにくい暴力に対する罰則は一つもない。そもそも構造的暴力の主体が特定できないのであるから、罰則を誰にも科すことができない。けれども構造的暴力が、私たちが差異に意味をつける行為?他者の行為や所有物を、ある時は羨み、ある時は蔑む、そういった日々の行為から生まれていることは、いろんな書物(例えば、市野川容考氏の『社会』など)で指摘されている。

■意味をつけるということ
 底抜けに暗い『モリのアサガオ』の後、私は思わず、底抜けに明るい『ぼくんち』を手にする( 西原理恵子氏03年ビッグコミックス)。『ぼくんち』というマンガは、この構造的暴力とやらを可視化する作品だ。
 まちの一番貧しい地区に暮らす主人公の1人である一太が、空き地に住んでいる子どもたちに自らを重ねて思う。
 「ああ、あのガキたちの半分はたぶん悪さをする人間になって、もう半分は悪さをする前に死ぬか殺されるんだろうなあ。ここで生まれて育っただけの理由で」
 つぶやく一太も、一太の家族である二太、神子も、「ここで生まれて育った」現実を変えることはできない。一太からの音信が途絶え、二太が遠い親戚にもらわれていく一家離散の場面で、物語は終わる。それでも、同じ地区に暮らす鉄じいは言う。寝泊りしている小屋が、増水した川に流される様を見ながら。
 「なくすもんがありすぎると人もやっておれん。両手でもてるもんだけで、よしとしとかんとな。」
 そうなんだ。『モリのアサガオ』を読んで救われた気持ちにならないもう一つの理由は、人を犯罪へと駆り立てる仕組みに対して、なすすべがない無力感が放置されているからではないだろうか。
 「犯罪は、人がそれを犯罪であると呼ぶから犯罪になる」とある人が言った。貧困も、それを暴力であると呼べば暴力になるし、つらいものと呼べばつらい現実になる。しかし、私たちは、自らと人との差異に対し、あまりに不注意に意味づけをし過ぎているのではないだろうか。
 すべての人々が鉄じいのように「両手でもてるもんだけで、よし」と考えられるわけでもないが、私たちはどうすればよいのかを知らないわけではない。ただ、意味づけるという行為そのものはあまり目にとまらなかったり、誤解されたり、簡単に忘れられてしまったりするのである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

2009年1・2月号(通巻442号):レポートR

母なる大地から
“おいしく、クリーンで、正しい”食を
 食のコミュニティ世界大会「Terra Madre」に参加して

編集委員 久保友美

 イタリアというと何を思い浮かべるだろう。ファッション、歴史的建築物、明るい人柄…。何といっても欠かせないのが「食」である。イタリアで食を語る際に、よく耳にするのが「スローフード」。スローフードとは、ゆっくりと時間をかけて“スローに”食事をとるという意味ではない。食生活や食文化を根本から考えていこうという活動で、86年にイタリア北部ピエモンテ州のブラの町で始まり、89年にはスローフード協会が設立された。
 そのスローフード協会による食のコミュニティ世界大会Terra  Madre(テッラ・マードレ)が08年10月23日~27日、イタリアのトリノで開催された。04年から隔年で開催され、今回で第3回目となる。テッラ・マードレは、イタリア語で「母なる大地」。母なる大地からスローフードの哲学でもある「おいしく、クリーンで、正しい(*)」食の実現を可能にしていくために、生産者、料理人、学識経験者など食のコミュニティにかかわるさまざまな人々が130か国以上から7千人以上が集まった。また、開会式で「母なる大地と和解できるのは若い人たちしかいない」と語られたように、1千500人近くの若い世代の参加があったのも今回の特徴の一つである。
 開催中は、食や農業に関するワークショップやミーティングが数多く開かれた。ここでテーマを一部紹介しよう。「若者、食、農業」「守護聖人なる羊飼い」「エコ農業―コンクリートの普及に歯止めをかけよう」「天然繊維の促進」。このテーマがスローフードの視点の広さを示している。
 テッラ・マードレの会場の隣では、サローネ・デル・グストという味覚の祭典も開かれた。世界中の「おいしく、クリーンで、正しい」食べ物が東京ドーム1個分あろうかという会場で販売され、ほとんどのお店がなんと試食自由。食べ物がどのようなプロセスで作られたのかを詳細に説明してくれ、安心して口にできる。
 スローフードな食べ物を“見て”、世界中の人々の食や農業への思いを“耳にし”、生産者の顔が見える食べ物を“味わい”、「スローフードとは何たるか」を五感で学ぶ絶好の機会となった。
 食というと、おいしさばかりに目がいってしまう。しかし、口にする前にその食べ物がどの地域で作られ、どのような生産プロセスを辿ってきたのか、それはクリーンで正しいものであるのか、思いを馳せてみる必要がある。「おいしく、クリーンで、正しい」ものを消費者が購入することで、生産者を支えることができる。「経済は飛び交う紙の中で行われているのではなく、生産する人々から成り立っているのです。だから農業の重要性に注目しなくてはならない」これは、スローフード協会会長カルロ・ペトリーニ氏の言葉だ。日本においてもこの意識をもっと持たなくてはならないだろう。


*おいしく(Buono)は、食の感覚的で感情的な価値から来る意識、記憶、アイデンティティ。クリーン(Pulito)はさまざまな生態系や自然環境を考慮しつつ生産をすること。正しい(Giusto)は、労働や販売過程における社会的公正性を意味する。この3 つはスローフードの精神を表現する言葉としてよく使われる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )