2008年1・2月号発行

2008年1・2月号


■編集担当のオススメ■
特集「共感シネマ~銀幕に集う市民たち」。ポレポレ東中野、ジャック&ベティ、京都シネマ、第七藝術劇場、シネ・ヌーヴォ、横川シネマ。映画好きならピンッ!と来る「市民の銀幕」に映画好き編集委員が突撃取材を敢行!ウォロ的映画特集。

■目次■
02《この人に》池田節夫さん(「風の本屋」名誉店長)
  大道寺 峰子

06《特集》 「共感シネマ~銀幕に集う市民たち」
  村岡 正司、杉浦 健、山中 大輔、川井田 祥子、久保 友美、大谷 隆
  <寄稿>小山 伸二(詩人)、大田 雅一(コリアキネマ倶楽部)、柴田 誠(記録映画『ハダカの城』監督)

19《ボランティア初体験》 「島人ぬ宝」は沖縄人だけのものじゃない、そして…
  玉城 直美(沖縄NGO活動推進協議会事務局長)

20《V時評》 「労働」があぶない ~人並の生活があってこその市民活動
  岡本 榮一(大阪ボランティア協会理事長)

22《ゆき@》長崎、愛する人と故郷の町で(*^^*)
  大熊 由紀子(福祉と医療、現場と政策をつなぐ「えにし」ネット)

24《私の市民論》 映画を通して市民の力を知る
  寺脇 研(京都造形芸術大学教授)

26《コーディネートの現場から~現場は語る》
   ボランティアの原点に立ち戻りたい
   ~高等学校ボランティア・コーディネーションの現状と課題
  山方 元(愛知県蒲郡高等学校ボランティア部顧問)

30《うぉろ君の気にな~る☆ゼミナ~ル》 「コンプライアンス」って?

31《VOICE NPO推進センターの現場から》
   「理解を求める」のではなく「関心を引き出す」
  塚本 真美(大阪ボランティア協会 NPO推進センター)

32《語り下ろし市民活動》
   嵯峨野から、平和を拓いて三十余年2 長尾 憲彰さん(常寂光寺前住職)
  村岡 正司

37《リレーエッセイ 昼の月》 学習を学習した『瞬間』

38《トピックス・CSR》
   「組織の社会的責任」規格ガイドライン(ISO26000)作りとは
   ~ISO-SR第五回ウィーン総会に参加して
  水谷 綾(大阪ボランティア協会、ISO-SR第五回ウィーン総会・NGOオブザーバー)

40《ライブラリー》 イランの子供たちに会えば、平和を望まないではいられなくなる
  近藤 鞠子

42《ウォロニュース》
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

2008年1・2月号(通巻432号):V時評

「労働」があぶない
~人並の生活があってこその市民活動


大阪ボランティア協会理事長 岡本 榮一


 「格差社会」などという。年ごとに働くこと、労働(Labor)そのものが危なくなりつつある。みなさん、そう思いませんか。働くこと、収入が安定すること、働き甲斐があることは、人間にとって大変大事なことなのに――と。そのことがしっかりしてこそ、市民活動、ボランティア活動なのではありませんか。そこでまず、「労働」に関わる事例を2つ挙げて見たい。

■管理職が増え、福祉職が敬遠されて来た話

 <その1>勤めから帰るなり30代後半の夫は妻にこういう。「オレ、来月から支店長だ」。妻がいう。「おめでとう。長い間、残業もいとわずによく頑張ったからね」――。

 あるTVを見ていて「うーん」とうなった。「おめでとう」、どころではないのである。最近、スーパーなどの業界では、支店長とか副支店長、次長などと名の付く「管理職化」が進んで、管理職に就く人の数が倍増しているそうである。なぜなのか? 

 管理職にすれば、夜中まで働いても、残業手当不要。人件費の削減になるからだという。「管理職になったといえば見栄えはいい。が、かえって収入が減った。残業が多くなって、子供との会話もなくなった。病気になる一歩寸前だ――」などと、影の人が告白していた。

 <その2>こちらは福祉の世界だ。「職員が足りない」「給料が低すぎる」。ここ数年前から次第に増えている福祉関係者の嘆きだ。

 「人の役に立ちたい、そう思って介護の仕事を選んだ。しかし、同僚だったAさんなど、時給1000円。介護福祉士という資格があっても手当もつかない。月15~16万円。人並の給料がほしい、と言って辞めていった。その分、残された者に負担がかかって大変。残業も増えた。わたしも、いつまで続けられるか――」。月額16~7万円というのは、大卒の初任給の20万円程度を大きく下回り、高卒の初任給に近い。

■“人手不足”だから外国人、Vではない

 この2つの事例から何が浮かびあがるか。最近までよく言われたのは、ワーキング・プアーなど増加だ。低賃金と不安定な就労形態におかれた人びとの大量の出現である。それが社会的な問題となったのは、正規の雇用者との「格差」だった。ところが同じ「格差」問題でも、一般職と福祉職は背景が違うということである。その違いは何か? それは、福祉には、介護保険のような、制度的な「支援」とともに制度的な「しばり」があるということだ。

 ところが、今、日本の福祉現場では、先の「人手不足」に見るように、喜びをもって働ける条件が弱りつつある。「労働条件」が崩壊しかかっているのだ。背景に高齢化による「福祉ニード」の増大がある。そのため、行政サイドからは、可能な限り支出を押さえようとする。この「しばり」が、ことを悪循環させているのだ。

 介護従事者が不足することで、解決しようと模索される方向が2つ見られる。1つは安い労働力を海外の発展途上国から得ようとすること。もう一つは“有償ボランティア”を導入しようとすることである。前者については、発展途上国の看護・介護従事者の受け入れが決まった。後者については、前年5月号の『ウォロ』のV時評で述べているように、“有償ボランティア”の広がりと関係している。

 問題は、人材を海外から確保しようとしたり、ボランティアでそれを補完したりして解決するほど簡単ではない。福祉現場の「労働」環境を改善せず、今のままで進めようとするなら、それは逆転した論理だ。

■市民活動の側から「労働」を考える

 「労働」をボランティア活動や市民活動のサイドから考えてみる。

 (1)「労働」問題は、労働権の問題であり、つとめて政治の問題である。最近のこの「労働」の問題はグローバルな関係の中で生じている。日本だけではない。しかし、「望まないで貧しくなる」ということは、構造的・政治的な問題なのである。労働する権利は、憲法で保障される「生活権」「教育権」と並んで重要な「社会権」の1つだからだ。

 その人の生活の豊かさ、家族の福祉、老後の保障などを規定するのが「賃金」である。加えて、8時間労働という「労働時間」の抑制、労働からの解放は、明日のための労働力の再生産と、市民的自由の行使になくてはならないものである。ボランティア活動や市民活動と関わるのがこの市民的自由である。「奴隷」というのは、この市民的自由を剥奪された者のことだ。

 (2)生活の豊かさは「労働」と「市民活動」の分離に象徴される。人間の生活には3つの「働き=Action」がある。「労働=Labor」(成長・準備期は「学び」)と「家族結接=Work」と「余暇・市民活動=Activities」である。家族結接とは聞きなれない言葉であるが、「家事」という言葉より広い意味を持たせている。この3つを主体的に分離し再統合することによって、人は豊さや生きがいを獲得するのだ。

 余暇・市民活動や家族結接は、労働の確立と労働からの分離・解放によって可能となり、自己のみならず、地域社会を豊かにする。この分離・解放を邪魔しているのが「労働部門」の貧しさである。一方で、退職しても働きたい、死ぬまで働きたいという日本人が多い。日本人は、労働からの「解放・分離」の経験欠如、学習欠如民族だ。市民活動の面白さ、豊さを知らない人が多いのである。

 (3)ボランティアが「労働」と関わる意味は3つある。長い間、ボランティアの性格は、「自発性」「無償性」「公共性」などといった言葉や理念で説明されてきた。ところが、このうちの“有償ボランティア”をめぐって「無償性」の理念だけが“ゆらぎ”続けている。なぜゆらぐのか。それは「労働」と深く関わっているからだ。

 その意味するところを再整理してみたい。ボランティア活動は、1.賃労働者=生活のための報酬を得る活動ではない。そのこととは異なる働きや役割――自由な発意の故に価値を持つ活動である。2.活動によって賃労働者の経済生活を脅かしてはならない。言いかえれば、「労働」の低下を促進したり、温存させてはならない。そういう倫理規範をより一層必要とする時代になった。3.賃労働そのものから自由な立場でする活動である。すなわち、それから分離・解放されることによって、その活動が、その人の人生を豊かにする。それのみならず、政治的・社会的・地域的な豊かさを担保する――。このように整理してみたがどうであろうか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )