2006年5月号(通巻415号):目次



《V時評》
寄付とは参加である
早瀬昇

《特集》
子どもと共に生きる。未来を創る。

 1.地域ぐるみで通学路チェック ~課題発見に成果
 2.子どもをめぐる暴力を防ぐために ~聞き書き「CAPプログラム」レポート
 3.子どもとおとなのパートナーシップ社会をめざして
   (子ども情報研究センター 所長 田中文子さん)
 4.エンパワーメントに支えられた安心、安全を
   (聖和大学、子どもの人権ファシリテーター 浜田進士さん)
 5.未来を語り合う一助に

 磯辺康子 ちょんせいこ 影浦弘司

《ミーティングファシリテーション工房》
ゴールを決めて時間通りに始めよう!
 ちょんせいこ

《語り下ろし市民活動》 
まちづくり、仲間づくりの力はタウン誌から
 路地から路地を駆け巡って25年③ 生涯探訪編
南野佳代子さん(タウン誌『ザ・淀川』『ザ・おおさか』編集長)
 錺栄美子(大阪ボランティア協会 常任運営委員)

《むだちしき》
ボランチ・コード

《ゆき@》
“内部告発”という名のボランティアです(*^^*)。
 大熊由紀子(福祉と医療、現場と政策をつなぐ「えにし」ネット

《この人に》
佐古和枝さん(考古学者)
「今の日本人」には東アジアのいろんな地域と通じる
DNAが受け継がれているのです
 村岡正司

《コーディネートの現場から ~現場は語る》
コーディネーターよ! その「魂」を「形」にしよう
 後藤麻理子(日本ボランティアコーディネーター協会)

《レポート L&R》
ドキュメンタリー映画『スティーヴィー』 ~子どもと大人の境界について
 影浦弘司

「私のだいじな場所 公共施設の市民運営を考える」
 北川真理子

《まちを歩けば ~大阪の社会事業の史跡》
小林授産場と浪華の侠客
 小笠原慶彰

《私のボランティア初体験》
ボランティアと主体性
 田村太郎(IIHOE研究主幹)

《リレーエッセイ 昼の月》
嵐と桜

《ウォロが選ぶ3つ星》
道後いっぺんさん(松山市道後)
 影浦弘司

《わたしのライブラリー》
子どもと子育てについて再考するための本
 小笠原慶彰

《VOICE NPO推進センターの現場から》
NPOと企業の協働を「ガバナンス」の視点で考える
 梶英樹(大阪ボランティア協会 NPO推進センター)

《ウォロ・ニュース》
統一自治体選挙を来年にひかえ「む・しネット」が連続イベント ほか

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2006年5月号(通巻415号):V時評

寄付とは参加である


編集委員 早瀬昇


●「寄付の文化」の差?

 「日本には『寄付の文化』がない」と、よく言われる。いろいろ努力しても、なかなか寄付や会費が集まらない。そこで、その理由を日本の「文化」に求めるわけだ。
 確かに日本人の寄付は少ない。寄付大国と言われる米国の個人寄付は、2077億ドル(04年)。この年の平均為替レートで換算すると、22兆4711億円に達する。一方、日本では所得税の寄付金控除を申告した寄付が252億円(03年度)。人口はアメリカが約2倍だから、一人当たりの寄付額には約450倍もの差があることになる。
 もっとも日本では、昨年まで1万円以下の寄付が申告対象とならなかったこともあり、実態はもっと多いとの見方もある。実際、「家計調査」による試算では2189億円(02年)という推計もある。ただし、この場合でも約50倍の差となる。
 これほどまでに差があると、確かに「文化」のせいにもしたくなる。
 そして寄付。特に特典がない点で、実質的に定期寄付者ともいえる会員を求めて努力しても、結局、十分な成果が得られない。それならば、サービスを提供して対価を得る「事業収入」中心で活動を組み立てよう。コミュニティビジネスといった言葉も普及する中、こうした形態で事業を拡大し成果をあげる団体も増えてきた。

●NPOの4財源

 山岡義典さん(日本NPOセンター・副代表理事)は、市民活動の財源を図のように整理した。政府の財源は税収、企業は売り上げと、比較的単純な構造だが、市民活動は、会費・寄付金、補助金・助成金、自主事業収入、受託事業収入など、実に多様な財源を持っている。これを山岡さんは、横軸を支援系か対価系か、縦軸を内発的か外発的かで分け、図の4形態に整理した。
 補助金や受託事業収入は比較的高額だが、相手の事情で変動する要素が大きい。これに対して会費や寄付金、事業収入は、一件一件は比較的少額な場合が多いが、活動を地道に続けていれば急に変動することは少ない。
 そして、活動の対価として収入を得る場合、その質の向上と安定的な遂行が重視されるのに対し、支援系の財源では取り組みへの共感が鍵。その共感は団体のスタッフに現状改善などへの思いが強いほど広がりやすい。
 もちろん、これは理念的な対比であり、現実には事業収入中心だが運動性も高い団体もある。しかし、「対価的なサービスはないが、活動に共感するから」と提供される寄付や会費が多いと、運動が進めやすいのは確かだろう。

●寄付者志向、その鍵は?

 このように寄付や会費は市民活動を支える大切な財源だが、この寄付について考えるシンポジウムが、3月20日、東京で開かれた。「シーズ=市民活動を支える制度をつくる会」が主催した「寄付者志向のNPOを目指して」と題する集会だ。
 寄付が増えないのを「文化」のせいにしても何も変わらない。実際、多額の寄付を得、多くの会員が支えている団体もある。では、なぜ寄付が集まらないのか。それは寄付をする側の問題ではなく、寄付を求める団体が寄付者の方を向いた取り組みをしていないからではないか。こんな問題意識から開かれたのが、このシンポジウムだ。
 私もシンポジストの一人となったため、大阪ボランティア協会は、なぜ寄付や会費を重視しているのか、あらためて考えた。
 寄付や会費は使途の制約が少ない。事業収入に依存しすぎると、対価を出せる相手を重視しがちになってしまう。しかし、それ以上に重要なこだわりがある。協会は市民に開かれ、市民が運営する、市民主体の組織でありたい。だから、その財源も市民の支えを基礎におきたい。
 そう考えていて気がついた。協会は市民主体という理念の具体化として、事業の企画や運営に多くの市民が参加する「参加システム」を導入している。要は本誌も含め、協会のあらゆる事業の推進に、多くのボランティアが参加している。ならば、「寄付や会費も参加」なのではないか、と。

●参加を実感できる寄付へ

 ボランティアとして時間や労力を提供するだけでなく、寄付や会費という形でも社会を良くする取り組みに参加できる。寄付とは参加だ。
 つまり、寄付を増やす鍵は、自らの寄付を通じて事態を変えられる、世の中を良くできる、という実感をもってもらえることだ。寄付の成果を示すのはもちろんのこと、寄付の使途を選べるようにして寄付者が意志を示せたり、寄付者からの提案を受け付けるなど、”寄付が寄付だけにとどまらない“工夫が必要だ。
 これから総会の季節が始まる。定期寄付者とも言える会員が、団体の運営に参加できる貴重な機会だ。大阪ボランティア協会では、従来から総会の際に会員が小グループに分かれ質問や意見を出しやすくしてきたが、今年から欠席される場合も意見書を出せるようにした。これは一例だが、多くの団体が「寄付という参加」を進め、寄付の付加価値を高めることができれば、結果として「寄付の文化」も広がるだろう。
 先のシンポジウムで、シーズの轟木洋子氏から「あなたは無力じゃない」と寄付者に伝えることが必要だとの指摘があった。寄付が社会で活かされるだけでなく、寄付者自身も、社会を変えられる自らの力に気づき、元気になる。そんな社会を作りたいと思う。
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2006年5月号(通巻415号):特集

《特集》子どもと共に生きる。未来を創る。

1.地域ぐるみで通学路チェック ・・・磯辺康子
2.子どもをめぐる暴力を防ぐために
   ~聞き書き「CAPプログラム」レポート ・・・影浦弘司
3.子どもとおとなのパートナーシップ社会をめざして
   ~子ども情報研究センター 所長 田中文子さん ・・・ちょんせいこ
4.エンパワーメントに支えられた安心、安全を
   ~聖和大学・子どもの人権ファシリテーター 浜田進士さん ・・・ちょんせいこ



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2006年5月号(通巻415号):この人に



佐古和枝さん(考古学者)

インタビュアー・執筆
編集委員 村岡正司


「人間のことを知りたい」。そんな素朴な興味から選んだ日本史専攻。故郷の存在感の薄さに劣等感を持っていた学生時代、偶然発見された古墳の彩色壁画(注2)との出合いに「こんなすばらしい文化があったのか」と再認識し、この道へ。
97年、地元鳥取で発見された日本最大級の弥生遺跡、『妻木晩田遺跡(注3)』がゴルフ場開発のため存亡の危機にあると知るや、斯界はもとより全国の市民を巻き込んだ画期的な保存運動を2年がかりで展開。全面保存を勝ち取る。
「来て!見て!感じて!」。いつも熱い語り口で考古学の魅力を説き続ける佐古さんにお話を伺った。

■吉野ヶ里(注4)や三内丸山(注5)など、近年注目すべき遺跡が発掘されるたび、市民の注目度も増す一方ですね。でも「考古学とは何ぞや」と考えると、一般の人たちにはまだまだ触れることの少ない世界のようにも思います。

 大昔のことをやるから恐竜の化石とか掘ってると思っている人もいるのですが(笑)、そうじゃなく「人間の歴史を復元する学問」です。大地に残されたモノから当時の人たちの暮らしぶりを研究するのが考古学の仕事です。あまり馴染みのない世界だから「考古学って難しい」って思っている人も多いようですが、たとえば「これが5千年前の土器です」って目の当たりにすると、なんとなくわくわくしませんか。さらにその土器に作り手の指の跡などが残っていたら「5千年前の人と触れられた!」みたいで嬉しくなる。モノがあるから、難しいことを知らなくても楽しいんですよ。
 今の私たちは便利さに囲まれて暮らしていますよね。スイッチひとつで灯りがつくし、蛇口をひねれば水が出るのが当たり前だと思っている。でも、時々は、そういうものがなく自分たちの肉体と知恵を使って苦労して食べ物を得、自然をうまく利用して生きていた古代人に思いを馳せてみてほしい。モノを目の前にして「どうやって作ったの? どうやって暮らしてたの?」って自由に想像してみてください。その想像が正しいか間違っているかは、興味があれば後で調べてみればいい。とにかく自由に想像しているうちに「今は恵まれてるなぁ」とか「昔の人は賢かったなぁ」「私たちの生活ってこんなことでいいのかなあ」など、いろんなことに自然と気がつくと思う。考古学は、遠い古代のロマンの世界に浸って遊んでいるイメージもあるかも知れませんけど、遺跡は私たちの今の姿を映す鏡のような存在で、私たちがこれからどう生きていけばいいのかについて、大切なヒントがいっぱい埋もれていると思うんです。

■大学で森浩一先生(注6)と出会う前、あるいはもっと小さい頃から考古学への憧れはあったのでしょうか。

 いえいえ、全然!(笑)。よく聞かれて困るんですけど、まったくありませんでした。大学2年になって「全国的に有名な考古学者がうちの大学にいる」と聞き、「話のネタに」と受講登録をしたんですね。森先生の教えを請うために入学する学生もたくさんいたというのに…。その年の夏休み、実家でテレビを見ていたら見覚えのある人がニュースに出てきまして。梶山古墳の彩色壁画について「古代の鳥取には高度で豊かな文化があった。日本海を隔てて直接大陸と交流していて…」と話していたんです。それが森先生でした。
 大学に入って友だちから出身地を聞かれ、「鳥取県だ」と答えると「島根のどっち側?」「市が4つしかないんやろ」とか散々言われ、「私の故郷って印象の薄いつまんないところだ」と思っていたので、たぶん嬉しかったのでしょうね。考古学という窓からどんなすばらしい私の故郷が見えるんだろう、私も覗いてみたいなって。で、森先生の研究室を訪ねて…今日に至ります。だから考古学を始めた動機はちょっと毛色が変わっていますが、でもそんな私だったから、妻木晩田遺跡の保存運動ができたのかも知れませんね。

■佐古さんは鳥取県大山町・淀江町(当時)(注7)の丘陵地に発見された2千年前の集落跡、「妻木晩田遺跡」を後世に残すため、日夜奔走して市民主体の保存運動を引っ張って来られました。

 県が誘致した民間企業によるゴルフ場建設のための発掘、つまり、遺跡を壊すことを前提にした調査で明らかになったのですが、97年3月、すごい遺跡が発見されたと連絡を受け、初めて現地を訪れ、そのスケールに圧倒されました。発掘されたのは全体の1割ですが、それでも朝から夕方まで早足で歩いて、やっとおおよそを見ることができる。900軒もの建物跡と墳墓が30数基、とても良好な状態で残っていました。日本の弥生遺跡ってだいたい平野部にありますから、後の時代に住居や道路ができてズタズタなのです。妻木晩田は丘陵上にあったおかげで、2千年間ほとんど破壊を受けずにそのまま埋もれていました。今の日本では稀有なことです。89年に日本最大の弥生遺跡と騒がれた時の吉野ヶ里が30ヘクタール。妻木晩田は156ヘクタールです。
 それと遺跡からの景観です。間近に日本海が迫ってその先に弓ケ浜半島、島根半島、天気がよければ隠岐の島までが一望できます。この雄大な景観があったから弥生人たちもここを選んだって理屈抜きで共感できる。遺跡からあの景色を見た時、初めて「鳥取県民でよかった!」と思いました(笑)。  
 97年春に報道公開されてからは地元紙にもしばしば出ましたが、地元での関心は低く大半の人は知らないままでした。日本では毎年約7千箇所の発掘調査がありますが、あくまで開発、つまり遺跡の破壊が前提で、一部でも保存された遺跡は0・1パーセント以下です。妻木晩田は大規模すぎ、遺跡の保存などとても無理だと思いました。でもこんな素晴らしい遺跡が存在すら知られないまま壊されるのは、地元出身の考古学徒として黙って見過ごせない。遺跡は残せないかもしれないけど「この遺跡を壊さないでくれ」という運動があったという歴史は残せる。それなら私にもできるだろうと思いました。
 だから保存運動も、思いつく限りのことをした型破りな運動でした。「賛否抜きでとにかく一度来て見て! 残すか壊すか自分で見てから判断してほしい」という姿勢でコンサート、新年会、親子見学会など、さまざまな”遺跡に来てもらう“仕掛けを作りました。実際、「付き合いで嫌々来たけど、こんなところは壊しちゃイケン」と。人びとにそう言わせる魅力が遺跡にありました。それらごく普通の一般市民の人たちが、地元だけじゃなく北海道から鹿児島まで知り合いに声かけて声かけて、草の根的にぐんぐん広げていったんです。署名も6万人集まりました。大々的なマスコミ報道のおかげで全国から人が集まって保存が決まった吉野ヶ里や三内丸山遺跡とは対照的でした。

■故郷鳥取で見つかった遺跡。それが思いがけない交流の場をもたらしてくれたのですね。

 そうですね。私の方が「ありがとう むきばんだ!」って叫びたいくらい、素敵な出会い、感動、発見、教訓など、数え切れないほどの宝物をもらいました。特に日韓交流ですね。
 ちょうど日本海を挟んで向こうは朝鮮半島。そこで作られた鉄器も出土していて朝鮮半島との繋がりがうかがえます。「2千年前にもここで故郷を思った同胞がいたと思うと、他人事ではなくなった」と在日二世の歌手、李政美さん(注8)は、現地でのコンサートがきっかけで多くのファンや在日韓国・朝鮮の人たちにも遺跡の危機を伝え、現地へ誘ってくれました。
 それと相前後し、韓国の著名な考古学者で釜山大学校教授の申敬 先生(注9)が島根県松江市を訪問すると知り「できれば見に来てください」との手紙を書いたんです。ちょうど韓国南部で山陰の弥生土器が出て注目され始めたところでした。遺跡に立った申先生は「この遺跡は韓国の古代史にとっても貴重な遺跡」と報道陣に訴え、「私にはあれだけのことを言った責任がある。今後、手伝えることがあれば言って」と固く握手して帰国されました。その半年後の97年秋、保存運動の先行きも見えず泥沼状態に陥った時、何とかしたくて申先生に「日韓合同考古学研究者署名」をお願いしました。そしたら700人もの賛同者を集めてくださって…。日本側の1280人と合わせると約2千人。人数もさることながら、前代未聞の”日韓合同保存運動“になりました。
 だから、よく遺跡のことを「日本の宝」とか「国民の財産」と言いますが、妻木晩田遺跡はそんなふうに言いたくない。韓国や在日の人たちが一緒に守ってくれた遺跡ですから「みんなの宝」です。そしてここで2千年前の日韓交流を復活させたいと、今もいろんなイベントをやっています。

■苦難の連続でしたが99年4月、奇跡の全面保存が実現。そして今は未来に向けたアジアの市民交流の舞台としても、楽しみな場になりましたね。

 実は保存が決まる少し前、泥沼状態になんとか風穴をあけたくて、全国の考古学者、市民からなる「むきばんだ応援団」を立ち上げました。「残せ、残せ」と言うだけでなく、自分たちも痛みを引き受けようということで、1口千円の募金を集め始めたんです。財政難というのが保存できない理由になっていましたから。募金をスタートさせたところに、「まさか」の全面保存のニュースでした。
 しかし、暢気に喜ぶ余裕はなかったですね。「残してほしい」と訴えた以上、本当に遺跡が残ってよかったとみなさんが納得してくれる形になるまでは責任がある。「えらいこっちゃ」です(笑)。それで「むきばんだ応援団」は、遺跡の活用をめざす市民団体として、月1回のボランティアガイド養成講座「むきばんだやよい塾」をはじめ、自然観察の「むきばんだを歩く会」、一般公開のシンポジウムや講演会、コンサート、韓国修学旅行などを行なっています。「やよい塾」の卒業生さん約30人で「妻木晩田遺跡ボランティアガイドの会」も誕生し、毎日見学者の案内をしてくれています。
 今のように国境や国籍もなかった2千年前、人々は大陸から自由に海を渡って往来していた。それ以前だってもともと日本列島には、大陸のいろんなところから来た人たちが住みついていたわけで、そういう人たちがまじりあいながら、だんだん”日本列島に定住する人“つまり「日本人」ができた。だから「今の日本人」には東アジアのいろんな地域と通じるDNA、まさにインターナショナルなDNAが受け継がれているのです。
 「現代人はもっとも進歩した人類だ」とか「スイッチ押せば灯りがつく」とか「日本人だ」とか、当たり前に思っていたことが実はそうでもないということに、考古学は気づかせてくれる。現代的な価値観から解放され、心がもっと自由になり、もっと人に優しい気持になれる。遺跡はそういう「発見の場」なのです。だから遺跡は私たち一人ひとりにとって大切だし、地域にとって必要だし、子孫にも残しておいてあげなきゃいけないものだと思っています。

●プロフィール●
1957年生まれ。鳥取県米子市出身。同志社大学大学院修士課程修了。現在関西外国語大学教授。研究生活の傍ら市民講座、執筆などを精力的に行なう。専門研究者や愛好家だけの世界にとどまらず、考古学の成果をひろく一般市民に発信する活動が実を結び、04年、女性初の「日本考古学協会(注1)」理事に。著書に『吉野ヶ里~繁栄した弥生都市』『考古学はたのしい・全3巻〈絵・早川和子〉』『ようこそ考古学の世界へ』など多数。ホームページ:『みんなで考古学』


(注1)日本考古学協会:1948年に結成されたわが国最大の考古学の学会。会員数約4000人。
(注2)彩色壁画:7世紀頃の築造とされる切石作り横穴式の梶山古墳(鳥取市国府町)で、1978年発見された。魚をモチーフにしたもので全国的にも珍しい。
(注3)妻木晩田遺跡:弥生後期(1世紀~3世紀)の遺跡で、鳥取県大山町・米子市(旧淀江町)にまたがる。
(注4)吉野ヶ里(遺跡):弥生時代(紀元前6 世紀~3 世紀)全般にわたる遺跡で、佐賀県神埼町・三田川町・東脊振村の 3 つの町村にまたがる。
(注5)三内丸山(遺跡):縄文時代中期の遺跡で、青森市三内字丸山に位置する。(注6)森浩一:1928年生まれ。考古学研究の第一人者、同志社大学名誉教授。作家の松本清張・司馬遼太郎・黒岩重吾とも交流があり、“同志社の顔”とも呼ばれる名物教授だった。
(注7)淀江町(当時):05年3月31日、米子市と合併。
(注8)李政美:歌手。東京生まれ。妻木晩田遺跡のテーマソングを作曲。
(注9)申敬 :韓国遺跡保存保護委員会委員長(当時)。韓国考古学界の重鎮の1人。
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2006年5月号(通巻415号):わたしのライブラリー

子どもと子育てについて再考するための本
編集委員 小笠原慶彰


今月号の特集は「子どもと共に生きる。未来を創る。」である。昨今、子どもが犯罪に巻き込まれる事件だけではなく、彼らが引き起こす事件の報道が頻繁に目につく。そうした報道の結果として、多くの子どもたちが「犯罪」に直面しているように感じる。そのことが少子化なのに子育ての難しい時代だと思わせてしまう一因にもなっているのだろう。現代社会で子どもとともに楽しく暮らすというのは、どういうことなのだろうか。今月は「子どもと子育て」について再考させてくれる文庫・新書を3冊。

1冊目は、河原和枝さんの『子ども観の近代~『赤い鳥』と「童心」の理想』(1998年、中公新書)である。


 著者は大学卒業後に編集者として10年働いた後、大学院で知識社会学を学んで大学教員になったという。知識社会学とは、「知っていること」あるいは「知っていると思っていること」を「知識」とみなして、それがどういうふうにして社会的に自明のことになり、その結果どんな役割を演じているかを考察する学問であるという。本書で著者は、「子ども」を対象として、知識社会学的な考察をしたのである。一読すると確かに今まで私たちが「子ども」に対して持っていたイメージが、近代以降のある種の社会的要請によって形成され、次第に自明になった過程がよく理解できる。富国強兵・殖産興業の国家的目標と、それとバランスを取る役割を担った無垢なる存在。しかし、そのような存在としての子どもは、実際の姿だったのではなく、童心もまた、子どもにとっての自然の心の有り様などではなかったのではないか、と確かに思えてくる。と同時に、では私たちは今、子どもをどのような存在として見ており、それはどんな社会的要請を背景としているのだろうかと考えさせられる。



 2冊目は、武田信子さんの『社会で子どもを育てる~子育て支援都市トロントの発想』(2002年、平凡社新書)である。

 著者は、教育学が専門の大学教員で、臨床心理士として学生相談室のコーディネーターも兼ねている。本書は、勤務先の研修制度を利用し、子連れで13か月間暮らしたトロントでの体験を中心にまとめられた。残念ながら日本ではソーシャルワーカーは、社会福祉士という中途半端な形で専門職養成が行われているといってよいだろう。だが本書ではソーシャルワーク的視点について、その本家本元の北米なるカナダ・トロントの実生活で支援を受けた体験も踏まえて書かれている。子育てが家庭だけの問題ではなく、社会的な支援の整備が急務のそれであり、そのために個人や社会ができることとは何かを子育て支援先進都市に学ぼうとする姿勢が強く感じられる。国際都市トロントの多民族共生主義に基づく鋭い人権思想が文化的背景となっている子育て環境。その背景こそが今後の日本の子育て環境の変革にとって少なくない示唆を提供してくれるのは、言を待たない。少子化・男女共同参画大臣にあえて話題性のある母親政治学者を登用しなければならない後進国日本の現状が逆照射されているようだ。





 3冊目は上笙一郎・山崎朋子さんの『光ほのかなれども~二葉保育園と徳永恕』(1995年、現代教養文庫)である。

 著者たちは、それぞれ児童文学、アジア底辺女性史の研究者として夙に知られた存在だ。蛇足になるが二人は夫妻であり、共著『日本の幼稚園』で66年の毎日出版文化賞を受賞しているだけではなく、それぞれの著作も評価が高い。とりわけ山崎さんの『サンダカン八番娼館』は、大宅壮一ノンフィクション賞を受け、74年に東宝で映画化もされたので、記憶されている方が多いと思う。本書も80年に朝日新聞社から単行本として刊行され、翌年の日本保育学会賞を受賞した後、86年に光文社文庫に入り、95年に社会思想社現代教養文庫のベスト・ノンフィクションシリーズになったが、残念ながら現在は新刊では入手できないようだ。内容は、簡単に言ってしまえば、1900(明治33)年当時、東京の代表的なスラム街であった新宿四谷に開設された一保育園の生い立ちから高度成長期直後までの変遷と、その保育園の維持、発展に生涯を捧げ、期せずしてその人生が日本近代幼児教育史の証となった一人の女性の生き様とを重ね合わせて描き出したものということになる。一次資料の丹念な発掘、生前の徳永恕との細やかな情感漂う交流に基づいた聞き書き、関係者を訪ね歩いて蓄積した確かな証言、まずそれだけで感銘する。だがしかし、そうした裏づけの基に再構築された物語こそが、まさにそれが歴史的事実に裏付けられているという一点で圧倒的な迫力を持つ。今、子育てとは何か、個人の努力でできることとは、社会が支援してできることとは、そういったことを再考する前に本書を一読しなければなるまい。

 いつの時代にも子どもをめぐる環境がすべての子どもにとって最良だったのでもなく、子育てがすべての人にとって楽しいことでもなかったのは確からしい。しかし、だからといって子どもをめぐる現在の状況は、いつの時代にもあったことなのだと諦念するつもりもない。未来から回顧した時、どれだけの人がその時の問題を解決しようと真摯に取り組んでいたかが問われるのだろうと思う。
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2006年5月号(通巻415号):レポートR

『スティーヴィー』 ——子どもと大人の境界について
編集委員 影浦弘司

 子どもたちが被害を受け、また加害の立場になる事件を知るとき「周りの大人が愛情をしっかり注いでいれば」という、ひとつの理想が語られる。ただしそれには子どもと向き合える「責任ある大人」であること、という条件がつく。いま大人は本当に、子どもと共に生き、育て、学びあう責任ある大人なのだろうか。
 ひげを伸ばし、ずいぶん薄くなった頭を帽子で覆ったスティーヴィー・フィールディングは、たしかに20代後半の「大人」だ。しかし、ポケットにねじ込んだカエルを餌にして釣りに出掛けるとき、口のまわりをチーズでベトベトにしながらピザをほお張るとき、ソニーのコンポで流行の音楽を楽しむとき、そして、その姿を見つめる大人たちのまなざし、そんな大人の愛情を求めてやまないスティーヴィーは20代後半の「大きな子ども」だ。
 彼は非嫡出子(私生児)として生まれた。母から虐待を受けた少年時代、施設や里親を転々として多くの問題を起こす。アメリカ社会のひとつの日常になった子どもたちの過酷な現実…当時、ボランティアとして彼の更生を助ける「ビッグ・ブラザー(兄役の制度)」であったスティーヴ・ジェイムスが映画監督として10年ぶりに訪ね、スティーヴィー、母、妹、婚約者、義理の祖母にカメラを向け、彼の現在に寄り添っていく。
 ステーヴィーは、8歳の姪に性的虐待をした罪に問われている。供述調書の信憑性など真実は分からないが、おそらく事実だろう。被害者の母(つまりスティービーの叔母)は、彼を罵ると同時に「いいお兄さんであった」とも語る。「かわいそうな子どもなの」だと。
 このようにスティーヴィーの当事者たちは、彼を忌避しているわけではない。娘が被害を受けた叔母のほか、同様の被害にさらされた経験を語る妹、虐待をしていた母、とても問題児スティーヴィーとは、かかわりを持ち得ないような家族たちが、いま、それぞれの関係の距離を測りながら、スティーヴィーと話しあい、祝福しあい、抱きあう日常が映し出される。それは失われた関係を少しでも恢復するように、それぞれの落ち着くべき愛のかたちを探りあうように。
 子どもという人格は、「近代」によって形作られた概念だ。近代以前、子どもは「小さな大人」であった。大きな時代変化の中、社会の要請から「子ども」に仕立て上げられた(アリエス『〈子供〉の誕生』)。子どもと大人の関係が再び変化に直面しているいま、つまり「大きな子ども」としての大人が社会の多くを占めていくとき、スティーヴィーだけでなく、彼を取り巻く大人たちも、自分たちの「子ども」の部分に受けた傷を癒していく中から、子どもと向き合う大人に成長していくのかも知れない。
 スティーヴィーは有罪を宣告され10年の刑期が言い渡される。その前夜、妹に生まれた新しい命を抱く彼の姿は愛情に満ちあふれている。子どもと大人が傷つけあうことのない絆を結ぶために必要なこと、それは愛の応酬、それも愚直なまでの。もはや成人式が子どもと大人の境界を引いてくれる時代ではない。子どもと大人の関係を考えるのは、わたしたち一人ひとりだ。

『スティーヴィー』(原題:STEVIE)
2002年アメリカ、145分 
監督:スティーヴ・ジェイムス
山形国際ドキュメンタリー映画祭2003最優秀賞 
ほか
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2006年5月号(通巻415号):レポートL

私のだいじな場所 ~公共施設の市民運営を考える
編集委員 北川真理子


 今まさに、公共施設を市民運営している市民の皆さんは、「あなたの団体が運営する施設の課題をレポートしてください。内容はひろく社会に公表されます」と言われたら、ありのままの事を忌憚なく書く事ができるだろうか。おそらく大半の方々は、関係者への配慮や今後のことを心配し、しり込みされるに違いない。
 そして、公共施設の市民運営のあり方について、「官か民か」といったありきたりな視点ではなく、あくまで現場として、実践者たちの視点で率直に語るということは、非常に繊細な配慮の求められる作業のはずで、とても簡単にできるものではないものと想像される。普通なら、この本でふんだんに取り上げられている様々な「当事者でなければ知りえない情報」は、オフィシャルな場所で語れない類の情報として、まことしやかな噂のようにして、じわじわと関係者の間でだけ共有されている…そんな場合が多いはずである。
 しかし、この本の中では、公共施設が市民運営方式へと移行される経緯での出来事や、施設で起こった問題、市民と委託者(自治体の担当部署など)との間のやり取りなどについて、おどろくほど率直に、そしてかつ客観的視点に立ち論じられている。施設運営や活動の中での喜び、楽しさ、社会の矛盾へのいらだち、自治体の対応への怒り、同じ市民への怒りも。まさかこんなことが、と驚かされたり、ここまで赤裸々に書いていてくださって執筆者の方は大丈夫だろうかと心配になったりと、13の貴重な現場からの実践報告からは、現場の臨場感をひしひしと感じさせられる。また、実践者ならではの市民の凄烈な思いが、このように論理性とウイットとを備えた文章で表現されている書籍も稀ではないだろうか。
 「この本は結論を示すものではありません。私たちが目指したのは、良い施設とは何か、そのためには何が必要かについて、多くの市民が考えるための素材の提供です。…お役所仕事でもなく、市民万能のサービス産業でもない、もうひとつの公共のありかたを模索したものです…」
 公共施設の市民運営について、担い手がどうあるべきかを論じるのではなく、場の運営に市民が参画することで、そこにどんな公共を発生させ、魅力的な場にすることができるのか。公共施設をNPOが受託すれば協働か否か、といった貧しい議論へ警鐘を鳴らしつつ、様々な立場の市民の物語を重ねることを通して、公共について考え、公共をつくることの大切さを訴える一冊となっている。
 盛りだくさんの内容と素敵な紙面と装丁で千円という頒価にも驚かされる。指定管理者制度についてを考えたい市民だけでなく、市民への事業委託を予定している自治体職員の方々も、ぜひ目を通してほしい内容となっている。


『私のだいじな場所~公共施設の市民運営を考える』
編集:協働→参加のまちづくり市民研究会
発行:市民活動情報センター・ハンズオン埼玉
頒価:1000円
申し込み:ハンズオン埼玉事務局 
office@hands-on-s.org
TEL/FAX :048-834-2052
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