2006年3月号(通巻413号):目次


《V時評》
ネットにおける市民創出メディア(CGM)のチカラ
吐山継彦

《特集》
躍進せよ! 大学ボランティアセンター
川口謙造(神戸学院大学ボランティアセンター)

《語り下ろし市民活動》 
まちづくり、仲間づくりの力はタウン誌から
 路地から路地を駆け巡って25年① 世界探訪編
南野佳代子さん(タウン誌『ザ・淀川』『ザ・おおさか』編集長)
錺栄美子(大阪ボランティア協会 常任運営委員)

《私のボランティア初体験》
”変えよう”という思い
後藤麻理子(日本ボランティアコーディネーター協会 事務局長) 

《ゆき@》
ゆき@「ふわり現象」です(*^^*)
大熊由紀子(福祉と医療、現場と政策をつなぐ「えにし」ネット)

《この人に&むだちしき》
朝井翔二さん(イラストレーター)
美しい花を描くより、何を描くより、
私は子どもたちの何か楽しんでいる姿を
描くのがいちばん好きです。
影浦弘司

《コーディネートの現場から ~現場は語る》
「メール」
 ~この唐突な文字情報からコーディネーションを考える
佐久間陽子(大阪ボランティア協会 市民エンパワメントセンター)

《最終回・フィランソロピーレビュー》
アシスタントドッグ育成支援事業
 ~「介護と医療のスミセイ」として
平田聖子(住友生命保険相互会社 大阪広報センター)

《VOICE NPO推進センターの現場から》
信頼が育む「協働」のゆくえ
 ~NPO推進センターでの2年間の研修を終えるにあたって

中島清孝(大阪ボランティア協会 NPO推進センター)

《リレーエッセイ 昼の月》
取材

《ウォロが選ぶ3つ星なお店》
班家食工房(大阪市生野区)
岸桂子

《わたしのライブラリー》
『もっこす元気な愛』
 ~「存在の個性」輝く恋愛ドキュメンタリー

影浦弘司

《ウォロ・ニュース》
非営利組織が企画・運営する美術展 ほか

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2006年3月号(通巻413号):V時評

ネットにおける市民創出メディア(CGM)のチカラ


編集委員 吐山継彦

●ブログ登場—「日記」スタイルの情報発信

 最近、新聞・雑誌やテレビの報道を見ていると、インターネットの負の部分についてのニュースがやたらに多い。
 父親殺しをインターネットで他人に依頼した男の話とか、自殺サイトを通じての集団自殺とか、ポルノサイト、死体サイトやネット依存症の存在など、「とにかく、インターネットのような碌でもないものは健全な市民社会の敵である」という印象を与えるものだ。
 今、ネットの世界は、善も悪も功も拙も大も小も、あらゆることが渦巻きのように起こり、まさに情報の坩堝と化している。それゆえに、インターネットとあまりかかわりを持たない人びとにとっては、魑魅魍魎の跋扈する世界のように映るのだろう。しかし、もちろん、どの世界にも悪いこともあれば良いこともある。
 ぼくは編集者、ライターという仕事柄、Eメールの使用やサイトの検索が不可欠なので、よくインターネットを利用するほうだと思うが、それでも最近のネットの変化、進化にはついていけないほど、新しいコンセプトやサービスが出てきている。
 ここ2年ほどのもっとも大きな変化は、なんといってもブログ(web log)の出現と普及だろう。
 ブログは、かっこいいホームページをつくりたいという願望はあっても、技術的に、また時間的にとても無理なので自分には到底できないと考えていた多くの人びとを中心に、またたく間にネットの世界を席巻してしまった。HP作成ソフトさえ必要としない簡易サイトは、自分の意見や感情、日々の出来事などを開陳する「日記」スタイルを中心に、多くの人びとを魅了した。ワープロソフトさえ使えたら、フツーの市民でも社会へ向かって情報発信が可能となったことの意義はいくら強調してもしすぎることはないだろう。
 ガリ版(謄写版印刷)でチラシをつくったり、通信を発行していた昔人間にはちょっと大げさに言えば驚天動地の大変動だった。しかも、制作コスト、配信コストがほとんどタダというのが最大の特長である。だから、今多いのは、購読の登録をしてくれた読者にメールマガジンという形式で情報発信し、その情報をブログに上げて、不特定多数の人に読んでもらう、というスタイルである。
 養成講座の修了生と一緒に発行している「市民プロデューサー通信」と「市民ライター通信」もそのスタイルをとっており、メールマガジンに掲載した記事(作品)を順次ブログに上げている。記事はみんなで書いているが、ブログはどちらも修了生のボランタリーな意志で始められたものである。後者などは、メルマガの定期購読者数はまだ300人ほどに過ぎないが、毎日ブログを覗いてくれる人たちが80人ぐらいおられるから、月にするとのべ2400人の読者に読んでもらっていることになる。
 インターネットの進化のスピードは本当にものすごく、次々と新しいサービスが登場している。それらのうち今盛んに勢力を伸ばしているのがSNSとRSSである。
 前者はソーシャル・ネットワーキング・サービス(システム)と言い、従来型の掲示板ではなく、セミ・クローズドで、同じ興味や関心をもつ人たちの社交サイトのようなものだ。そして、RSSというのは、自分がよく訪れるサイトの更新情報等を、デスクトップなどに表示してくれるサービスで、わざわざこちらから見に行かなくても情報を向こうからもってきてくれる。

●個人が発信する情報の重要性

 さて、このような個人(市民)が発信するさまざまな形の情報メディアは、総称的にCGM(Consumer Generated Media)、つまり「消費者作成メディア」と呼ばれている。「情報消費者である個人が作り出しているメディア」という意味で、ネット業界やマーケティング業界が今これらに注目している。なぜなら、彼(彼女)らが発信する情報の中に、ビジネスにとって価値のあるものが多数存在するからである。
 一つ例を出すと、購読者数1万人を超える人気メールマガジンの書き手が、記事の中である商品、例えばカップラーメンの新商品をひどくけなしたとしよう。即席ラーメン会社の損失は相当なものになるかもしれない。反対に、有名なブログの書き手が、自分の日記で最近観たある映画を絶賛したとしたら、その影響もまたはかり知れないだろう。
 ことほど左様に、今個人が発信するメディアの重要性、影響力が増大している。ある個人発のブログが、今回の耐震偽装マンション事件の発覚に際して大きな影響があったといわれているが、確かにそのブログを読んでいると、マスコミが政治家やスポンサーに遠慮して書けない情報や裏情報を教えてくれている。
 そんな状況の中で、ぼくは勝手に、「Consumer=消費者」を「Citizen=市民」と読み替え、CGMのことを市民創出メディア(Citizen Generated Media)と呼んでいる。そしてこのメディアは、デジタルばかりではなく、アナログにも当てはまるのではないかと考えている。つまり、デジタルなメディアばかりではなく、本誌『Volo』のような市民が創り出しているアナログな紙媒体もすべて「市民創出メディア」と呼ぶことができると思うのだ。
 前出のブログは「きっこのブログ」というのだが、2月9日にサイトを覗いてみて驚いた。例のライブドア事件において、沖縄で自殺した野口さんの身内の方がきっこさんにメールでアクセスして来られたようなのだ。そして、自殺したとはとうてい思えないので、真相究明に尽力して欲しい、ということらしく、沖縄県警やマスコミの対応に不信感を募らせている様子が、メール発信者の許可を得て公開されている。また、10日の記事では、ヒューザーの物件「グランドステージ川崎大師」の元住民のメールが掲載されている。内容は、ある引越し業者とヒューザーのセコイ癒着疑惑についてである。
 ここに見られるのは、警察や行政、マスコミなど、権力・権威を信頼できないフツーの市民が、CGMを通してフツーの市民に助力を求めるという図式である。これはとても新しいトレンドではないかと思われる。「きっこのブログ」の武器は、当事者からの貴重な情報と、それを発信できるメディアと何万(何十万?)という読者だけである。
 しかし実は、「きっこのブログ」についてはインターネットでキナ臭い噂も流れている。同ブログは、反小泉陣営の複数のマスコミ関係者「チームきっこ」によって運営されているというのである。ぼくには真偽のほどは分からないが、今確実に問われているのは市民のインターネット・リテラシーであり、情報リテラシーであろう。
 とは言うものの、これからはますます、従来の新聞やテレビといったマスメディアと市民創出メディアとの格差が縮まっていくだろう。相対的にマスコミの影響力は減じる方向に向かい、CGMは影響力を増すはずだ。その流れを促進しているのが、現在の驚異的なインターネットの技術革新のスピードなのである。
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2006年3月号(通巻413号):この人に



朝井翔二さん(イラストレーター)

インタビュアー・執筆
編集委員 影浦弘司

 1986(昭和61)年6月号(当時は『月刊ボランティア』)での連載スタートから19年と9カ月……。ことば担当のムーパパ氏と、イラスト担当の浅石ようじ氏こと朝井翔二さんの最強タッグで、幾多のアフォリズム(箴言警句)を生み出し、日本の世相、世界の動向をぶった斬ってきた「ボランティアむだちしき」
 現在、函館近郊、名峰駒ケ岳を望む茅部郡鹿部町に居を構え、奥様と愛犬の六太夫と北海道の自然に包まれて暮らす朝井さんを訪ねました。

■200回の大台ですね。

 ムーパパさんの言葉の単なる解説や絵解きにならないように心がけています。言葉の解説のような絵がいいかな、と思ったりもしますが、それでは描くほうはつまらないですから、受け取った言葉とは別に楽しんでやろう、という気持ちですね。お題をもとに発想を広げて勝手な絵を描いています。
 しかし、最近のムーパパさんの言葉は、いったいどういう意味、背景をもつものか、よく分からないことが多いですね。情報の少ない北海道の田舎に、すっこんでいるからでしょうが、毎回「???」から始めています。インターネットなどで情報を得て、なんとか仕上げておりますが、そうですね、最近は「電車男」(05年6月号「電車ボラ」)なんて苦労しました。あと、「エヴァンゲリオン」(97年6月「ボランゲリオン」)。なんのことやらさっぱり分からなくて本屋で資料を買い込みましたよ。絵は具体的なので想像では描けませんからね。毎回、ハラハラドキドキです。
 実は、ムーパパさんとは連載スタート後、何年か経って1度か2度、お会いしただけです。とてももの静かな方でしたね。毎月、イラストを描くのが楽しいというより「来た!」という感じです。ですから「今度はこんな言葉で勝負!?」と、まるでムーパパさんと対決しているような感じです。

■ボランティア、市民活動へのきっかけといいますと?

 「象の会」というボランティアグループが始まりです。1959(昭和34)年、兵庫の伊丹高校に通っていた頃、同級の女学生から「地域に障害児の施設があるから出かけてみよう」と。親父さんが神戸新聞の記者だったようです。それで、宝塚市の「武庫之丘学園」という知的障害の児童施設に出かけました。そこでは絵本の読み聞かせや折り紙で遊んだり、運動会のお手伝いをしたり、人形劇を作って持っていったり、子どもたちと遊ぶのです。
 「象の会」と名乗り始めたのは卒業後で「解散するのもなんだし……」ということで。名前は、卒業の頃校長先生が寄せて下さった一文「小さな善意を巨象のように」から名付けたのではないかと思います。今となってはちょっと時代がかった言い方かもしれませんが、小さな善意を大きな象のように膨らませていこう、という思いです。
 当時、日本で最初のボランティアグループなんて呼ばれたりもしました。実は、妻もそのときのメンバーでして。後輩たちも参加して50~60人はいましたね。そのうち障害児学級の子どもたちとキャンプの企画・運営や、いろいろ活動が広がっていきました。
 あの頃は、ボランティアという言葉なんて知られていませんでした。わたしたちも「訪問活動」と呼んでいました。知的障害のことは世間に情報として流れていないわけです。最初は、ものめずらしさと、おっかなびっくりの両方です。でも、すぐに子どもたちの魅力に引き込まれていきました。わたしたちが訪問して帰るとき、いつまでも子どもたちが手を振ってくれた。それを見て「よし、また来よう」という気持ちになってね。
 活動を進めていく中で、大阪ボランティア協会との出合いがあるわけです。協会が開催した「ボランティアスクール」。とにかく驚きでした。「自分たちがやっていること、これからの展開は、これか!」と思いました。自分たちの活動ってなんだろう、こんなに楽しくて意味ある活動を、どのように受け止め、理解していくのか、とあれこれ考えていたときに、ボランティアスクールが理論的な背景を与えてくれたわけです。
 その中で「ボランティアは民主主義の学校だ」というメッセージがあって、衝撃でしたよ。まさに「これだ!」と思いました。
 当時は、組織が中心の時代です。労働組合や政党や学生運動。そんな時代に一人ひとりが意見をもち判断して、今の世の中にどうあるべきかを考えることの大切さ。組織に乗っかってではなく、自分の判断で意思決定することの新鮮さ。……なーんて、まあ、所詮は遊んでいたんですがね。その頃、協会の事務所は病院の中にあって、集まっていたわたしたちが騒がしくて顰蹙をかっていたようです。しかし協会が、これほど大きな組織になるとは、誰もその当時、思っていませんでしたよ。協会には、その頃から「官」に飲み込まれまいとする魅力がありましたがね。
 一度、ある社会福祉協議会の冊子にひとコマ漫画を頼まれましてね。連載を始めることになりました。最初に描いたものが「バアさん、こんどはこんなのをもらたぞ」って、「民生委員になった」ことを勲章にからめた絵を描いたら、1回も掲載されずにクビになりました。ある種、痛快な体験でしたが、いま考えると、ちょっと非常識だったかな、とも思います。そのイラスト、協会では掲載OKでしたけどね。

■北海道での暮らしについて

 鹿部は北海道の自然が豊かなところです。ときどき浜辺に流れ着いた昆布を拾いに行ったりします。漁師たちは太っ腹です。海は無尽蔵の恵みがあって、いろいろな催しのときなど、魚や貝類を「どんどん、もってけ」って感じです。
 ここから眺められる駒ケ岳は、ちょうどゴリラのような姿をしていて、なだらかな稜線がとてもきれいです。でも活火山で、いつ噴火するか分からないのですが、おかげで温泉を吹き出してくれます。今回、表紙に自画像を描かせていただきましたが、そこに描いたキタキツネやエゾリス、そしてキツツキの一種アカゲラは、家のすぐ近くでコンコン樹をつついたり、巣を作ったりする姿を見せてくれます。
 こんな豊かな自然の中で、釣りをしたりキノコ狩りをしたり、山菜を採ったり、イラストを描いたり、読書をしたり……。ゆっくりと静かな時間を過ごすつもりが、それが結構忙しい毎日になってしまうんですよね。
 人生は1回きり。この1回限りの人生の中で、これまでとまったく違う生活を送ってみたい。そう思って北海道での暮らしを始めました。兵庫の養護学校で教師をしていましたが、定年を機に自分の仕事を後進に譲って、これまでとは違う人生、生活を送っていくことに決めたのです。
 もうすぐフキノトウが山ほど採れる季節になります。夏から秋にかけ、ヤマブドウやコクワ、ナツハゼ、イチイ、コケモモ、シラタマなど、これまであまり名前を聞いたことがない木の実や、桑の実、ナナカマド、アキグミなどたくさんの実が採れるので、それを果実酒やジャムに仕込むつもりです。でも去年は、ほとんど木の実がなりませんでした。どうやら、植物や動物や、北海道の自然界全体の生命の大きなバランスの中で、木の実が少なくなったようなのです。こうした調整、自然の営みには、「神」の存在を感じます。北海道の自然のふところに抱かれていると、俗世の神とはまた違った、自然を統べる本当の神様がいるのでは、と思えてきます。
 これまで仕事一辺倒で生きてきて、「こんなにのんびりでいいのだろうか?」なんて自問自答してみたり、もちろん多少の戸惑いはあります。でも、そのときはひたすら「これでいいのだ、これでいいのだ」って、自分に言い聞かせています。

■最近、『おもちゃがいっぱい』を出されましたが、子どもたちの遊ぶ様子が、たくさん描かれていますね。

 象の会は、約10年の活動で解散しましたが、当時からの仲間、内藤(壽)と松永(榮一)とわたしの3人は、知的障害の子どもたちの就学前施設や養護学校に勤務しながら活動を続けました。子どもの遊びや教材開発の学習会を続けて、学校での指導の中から「この子にこんなものがあればいいなあ」という思いを寄せあい、一人ひとりの子どもに応じた教材を作ってきたのです。そんなアイデアや作り方などを紹介しています。
 養護学校に勤務した当初は、障害児教育といっても、今ほど理論や実践が整理されていませんでした。とにかく日々の実践を積み重ね、それを寄せ集め、みんなで議論して進めていく、そんな時代です。教科書もないわけで、目の前の子どもたちの小さな変化、それを受け止めて、じゃあ、明日の授業は何をするか、じゃあ、こんな教材はどうか、それを考え、形にしていくことが楽しかったですね。今、文部科学省による整理と「指導」が進むにつれ、授業を自分なりに作り上げる面白みが少なくなっていき、形が重視されるようになったという感じがありますね。
 美しい花を描くより、何を描くより、私は子どもたちの何か楽しんでいる姿を描くのがいちばん好きです。現職時代、「教室に笑顔を」をモットーに、子どもたちの笑顔を引き出すことに力を注いできた、その後遺症かもしれません。子どもたちが今を楽しんでいる姿って、まさに「絵にも描けない美しさ」ですよ。


●プロフィール●
1944年生まれ。元兵庫県立こやの里養護学校教諭、同阪神養護学校教諭。大阪ボランティア協会発行『月刊ボランティア』『Volo』にて「ボランティアむだちしき」のコーナーで、長年イラストを担当。「象の会」のメンバー、内藤壽氏、松永榮一氏との共著に『おもちゃがいっぱい』(日本文化科学社、2006年)、『遊ぶのだいすき! 発達に遅れをもつ子と楽しむ』(日本文化科学社、1993年)、『FAX版 子ども生き生きゲーム&遊び BEST50』(明治図書出版、1999年)、」『続・FAX版 子ども生き生きゲーム&遊び BEST50』(明治図書出版、2003年)などがある。
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2006年3月号(通巻413号):わたしのライブラリー

『もっこす元気な愛』 ~「存在の個性」輝く恋愛ドキュメンタリー
編集委員 影浦弘司


2005年、日本、85分、監督 寺田靖範

■恋愛ドキュメンタリーの誕生

 愛する人への愛しさをかきたててやまない完全無欠の恋愛ドキュメンタリーだ。物語のエッセンスを強引なのは承知で抜き出してみると…。
 「男と女がいる。ふたりは愛しあい仲間にも祝福され結婚を考える。しかし、女の母は男を気に入らず、男は母に会うことさえできない。母の承認を得るため男は試練をくぐり、いくたの困難を乗り越え、世界を駆け巡る力を得る。ふたりの行動は、まわりの仲間を勇気づける。母親の許しを得ないまま、ふたりは結婚をする。…」
 なんだか説話集のような物語展開だが、三角関係、恋路を邪魔する困難と克服、一途な愛の崇高さと愚かさ…、誰にだって多少は身に覚えある道具立てが揃い、これはもう恋愛にかかわる不変のお約束事だ。こうしたエッセンスを固めて作る流行の恋愛映画なんて案外シンプルなもの。見目麗しい俳優が演じるからこそ成り立っているわけだ。
 本作はドキュメンタリーだから、当然ご本人たちが登場する。普通、恋愛ドキュメンタリーといえばテレビ番組、例えば『キスだけじゃイヤッ!』など思い浮かぶが、赤面を禁じえない「のろけ話」か、お互いをののしりあう修羅場か、お茶の間で消費されてしまうものが多い。なぜなら、どんな困難に挑戦していても、やっぱりそれは個人的で親密な話、つまり、余所の家庭の話なのだ。

■3人の「もっこす」たち

 男の名前は、倉田哲也さん(37)。「くまもと『労働者』障害センター」の代表だ。彼は脳性マヒが原因で言葉と両腕が不自由。足を使うことでおよその日常生活を送っている。恋人の美穂さん(32)は、小学校の先生。そして、ふたりの結婚に反対する美穂さんのお母さん。それぞれ自分の信念に対して真摯で、とびっきりの頑固者。まさに「もっこす」(熊本方言)というタイトルとおりの3人だ。
 冒頭で「世界を駆け巡る力」ともったいぶって紹介した力とは、自動車免許のこと。哲也さんは、美穂さんのお母さんに自分の存在を認めてもらうきっかけのひとつとして免許の取得を目指す。もちろん行動範囲が限りなく広がるという楽しさもあるから、その動機は個人的で親密なものだ。
 哲也さんの身体にあわせて自動車を改造、運転免許センター、議員との話し合いなどを通じて、見事、免許を手にし「これで前例になれます」の一言には、哲也さんが見すえる二つの幸せが見えてくる。自分たちの幸せと、自分たちが生きる周りの社会の幸せと。

■ふたつの障害者映画 

 舞台は熊本。障害があって足を使って…といえば国際障害者年に封切られた『典子は、今』(1981年)を思い出す。白井のり子さん(当時、辻さん)は両腕に障害を持って生まれた。80年、サリドマイド被害者として全国で初めて公務員(熊本市)に。白井さん本人が出演したセミドキュメンタリー映画だ。
 哲也さんは、封切り当時この映画を見て「足を使って生活していいんだ」と勇気づけられた。筆者も小学2年のとき全校児童いっしょになって体育館で鑑賞した思い出がある。とても印象的だったのは、映画のラストで典子さんが船で釣りに出かけ、大海原を泳ぐというシーンだ。
 哲也さんも海を渡る。彼は自分の足で運転する車で熊本から北九州へ、そこからカーフェリーで瀬戸内海を渡って大阪へ。さらに高速道に乗って東京までドライブする。六本木ヒルズ近く、大型トラックとニアミスギリギリで首都高バトルする姿は爽快だ。
 海を泳いで渡るか、フェリーで渡るか。ここには個人への挑戦か、制度への挑戦かというスタンスの違いがある。きっと当時、字を書いたり食事をしたり、なんでも両脚で器用にこなしてしまう典子さんの姿から「障害者でも健常者と同じように、頑張れば何だってできるんだ」という感想をもったんだと思う。「でも…同じように」という感想は、当時の時代状況に拘束されていた感は否めないが、『典子は、今』から『もっこす元気な愛』までの四半世紀の間に、障害者をめぐる社会状況が大きく変わった証拠でもあるだろう。

■存在の個性 

 冒頭、「恋愛ドキュメンタリーだ」と言い切った。障害者をテーマにすると世間は「障害者映画」というジャンルをあてはめる。しかし、この作品をとおして知った哲也さんたちの真剣で誠実な姿にふれるとき、障害とは、手かせ足かせではなく、個々人の違い、そういう当たり前の違いであって、それを「存在の個性」として受け止めたい思いが湧き上がる。この世界には、尊敬される人間もいれば、まったくのダメ人間もいるだろう。それは障害者にもあてはまるし、外国人にだって、高齢者にだって同じことだろう。だって、みんな同じ人間であると同時に、みんなそれぞれ違う個性を生きているから。映画のジャンルなんて、恋愛映画か、それ以外くらいの大雑把なわけ方で、あとは観る者の魂を揺さぶるかどうかだ。そんなことを思わせる印象的なシーンをいくつか。
 哲也さんが悩むシーン。何かものを考えるとき頭だけが働くのではない。アゴや頬をなで回したり、つねったり。解きほぐせぬ悩みをもみほぐしていくのは手のひらの役割だ。哲也さんの場合は、左足。彼の悩みのまわりには左足があって、しかつめらしくアゴをなで回し、足の指が耳や頭をかきかきして、足の掌は忙しい。
 亮司さんは小児ポリオで左足が不自由。哲也さんと亮司さんは長年の友人。共同生活をしている。ちょっと中島らも風の無頼な彼が語る「残飯」の話。「この左足の障害は、残飯みたいなものだ。普通、月曜か水曜か、残飯は捨てられるでしょ。でも、この左足は捨てられない。週明けてもずっと捨てられずに持ち続けているような、そんな残飯。臭うんだよね。でも、お酒を飲んだり、女の人と話したりするときだけは、この残飯のこと忘れられるんだよね」…ふたりは励ましあう。ふたりの友情は厚い。
 哲也さんと美穂さんが、ひとつのシーツにくるまって眠るシーン。限りなく親密な場面にして、ふたりがお互いを愛しみ、支えあう、その温かさ…。

■墓前の花束 

 本作の最後、哲也さんと美穂さんは、亮司さんや仲間に祝福されて結婚。しかし、美穂さんのお母さんは、哲也さんに会わない。見事な「もっこす」ぶりだ。ふたりは、美穂さんの父の墓に結婚の報告に行く。直前に母がお参りした様子で、そこには花が生けてある。
 父の墓に供えられた花束は、ふたりを祝福する母のメッセージなのか? それは分からない。ここからはきっと、彼らの親密な話、つまり、余所の家庭の話なのだ。花束の意味する物語は、わたしたちには閉じられている。そして新たに、日ごとの生活、社会とのかかわりを誠実に過ごしていくことの大切さが、この恋愛ドキュメンタリーに接した人びとに開かれていく。
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