2006年1・2月号(通巻412号):目次


《V時評》
「依存力」ということ
 ~ドラッカー氏逝去の報にふれて

早瀬昇

《特集》
「セルフヘルプグループ」を考える
 ~当事者だからできるヒューマンサービス

1.仲間がいるから、今日を生きていける
 ~アルコホーリクス・アノニマス(AA)
2.リカバリー(回復)の文化を創り出す
 ~元統合失調症の精神科医・ダニエル・フィッシャーさんの講演より
3.「男らしさ」の呪縛からの解放に取り組む
 ~メンズサポートルーム
4.人生の「危機」は、潜在する可能性をひき出すチャンス
 ~中田智恵海さん(佛教大学社会福祉学部助教授、
  ひょうごセルフヘルプ支援センター 代表)

若生麻衣・影浦弘司・牧口明

《私のボランティア初体験》
菅野真弓
(特定非営利活動法人「W・I・N・G-路をはこぶ」代表理事) 

《むだちしき》
高齢者雇用鑑定法

《語り下ろし市民活動》 
琵琶湖に向き合う市民活動から持続可能な地域社会づくりへ(3)
藤井絢子さん(滋賀県環境生活協同組合理事長)
阿部 圭宏

《VOICE NPO推進センターの現場から》
“遠隔操作型”NPOの尽きない悩み
水谷綾(大阪ボランティア協会 NPO推進センター)

《ゆき@》
“デンマーク ユーザーデモクラシー です(*^^*)
大熊由紀子(福祉と医療、現場と政策をつなぐ「えにし」ネット)

《この人に》
梶田真章さん(法然院 第31代貫主)
 「人間と自然の共生」? 私が嫌いな言葉です
村岡正司

《コーディネートの現場から ~現場は語る》
「市民参加」ということ ~その後
  愛・地球博におけるボランティア活動をふりかえって
栗木梨衣(前 愛・地球博ボランティアセンター 国際・研修グループマネージャー)

《私の市民論》
行政と市民
岩川徹(「鷹巣福祉塾」代表)

《まちを歩けば ~大阪の社会事業の史跡》
光徳寺善隣館と佐伯祐正
小笠原慶彰

《トピックス・協働環境》
NPOと行政の「協働」を進める「環境」は整備されたか
中島清孝(大阪ボランティア協会NPO推進センター)

《ウォロが選ぶ3つ星なお店》
食育ステーションまきの(大阪府枚方市)
岡村こず恵

《わたしのライブラリー》
『市民としてのスタイル―大阪ボランティア協会40年史』
吐山継彦

《レポート》
募金箱―その向こうに見えるもの
 ~「芸術的募金箱大募集」より

《リレーエッセイ 昼の月》
久しぶりのラッシュ時で

《ウォロ・ニュース》
緊急学習会「「ホワイトバンド現象」から学ぶ
 ―市民活動とメディアの関わり方を考える」(大阪) ほか

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2006年1・2月号(通巻412号):V時評

「依存力」ということ
~ドラッカー氏逝去の報にふれて


早瀬 昇


●「第2の顧客」という視点

 昨年11月11日、経営学の父と言われ、またその哲学的思索で世界中の人びとに大きな影響を与え続けてきたピーター・ドラッカー氏が亡くなった(享年95歳)。

 彼の業績は幅広く、奥深いが、その一つに約50年前から非営利組織にも営利組織と同様に「経営」という発想が必要だと主張し、その具体的なあり方を研究したことがある。その成果は91年に日本語版が発行された『非営利組織の経営』(ダイヤモンド社、上田惇生・田代正美訳)にまとめられているが、そこには「目からウロコ」的なメッセージがあふれている。同書では「顧客」「商品」「市場」「交換」など、それまで企業経営の世界特有の用語と思われていた言葉を非営利活動の世界に応用し、私たちに組織運営の革新をうながしている。

 その中でも、「顧客」に対する考察は秀逸だ。非営利活動で「顧客」と言えば、それぞれの活動でサービスを提供する対象者を想定するのが一般的だろう。しかしドラッカー氏は、私たちはボランティアや寄付者などの支援者に対しても提供できるものを持っており、そこで支援者を「第二の顧客」ととらえ、それぞれが求めているものを意識しながら、支援者集めとその維持に努めるべきだと主張した。

 たとえばボランティアの応援を求める場合、応援を求める立場から応援する立場に提供できるものがある…といわれてもピンとこないかもしれない。これは、「自分をいかせる場がほしい」というボランティア志願者にとって、その人の能力が生きるプログラムを紹介できれば、これは応援を受ける側が生きがいの場を提供していることになる、ということだ。 

 私たちが活動の対象とする人たちに対して抱くのは「共感」だが、上記の見方を踏まえれば、支援者には活動に共感してもらう関係だけでなく、一種の「交換」も意識するべきだということにもなる。

●市民活動をどこまでするか?

 市民活動などの自発的取り組みでは「ここまですれば良い」という基準がない。企業なら損が出ない範囲、行政なら全体(議会)が合意した範囲といった基準があり、その範囲で取り組まれる。しかし市民活動などには、こうした基準はなく、「どこまでするか」はそれぞれが自由に決められる。しかし、これは「どこまでするか」を自ら決めねばならないことをも意味する。

 そこで相手のつらさなどに気づき見て見ぬふりができないと、「放ってはおけない」となりやすい。しかしそれは結局、活動に無理を生じさせやすく、この無理が重なれば、疲れてしまう。そこで、やむなく休んだりペースを落とすと「だからボランティアは当てにならない」などといって批判されることもある。特にその批判が現実と格闘する当事者からの訴えであったりすると「もっと頑張らねば」と思い直すことにもなる。するとさらに無理を重ね、最終的に疲れ果て、燃え尽きてしまう。活動に真剣に取り組み、責任感の強い人ほど、こうした事態に自らを追い込みやすい。

 このような事態を招かないためには、問題を自分だけで抱え込まず、仲間・支援者を広く募ることが大切だ。「第2の顧客」を確保するとは、懸命に活動に取り組んだ結果、燃え尽きてしまったといった事態を避け、活動を個人の善意から社会的な広がりのあるものに高めることでもあるのだ。

●同志と顧客のあいだで

 もっとも、ボランティアスタッフや会員とは仲間、同志でもあるだけに、「顧客」という形で突き放してとらえることに違和感を感じる人もいるだろう。実際、それはそれで大切な視点だ。大阪ボランティア協会では、ボランティアを「ボランティアさん」と「さん」づけで呼んでいないが、これも協会を支える仲間同士の間で主客の関係を作るのはおかしいという考えからだ。

 ただし、逆に「仲間なのだから」という感覚が強すぎることで身内感覚が強い閉鎖的な関係になり、支援者を広げにくくなることも事実だ。また、なんでも「仲間だから」で片付けてしまうと、立場の違いがあいまいになり、たとえば情報が得にくいボランティアの立場をふまえず事務局主導で物事を決めてしまう、といった事態をまねくこともある。「顧客」として意識することは、こうした問題を回避しやすくする。

 そして、もう一つ。支援者を「顧客」ととらえることで、支援を受けること、依存することを過度に臆さない姿勢がとれるという点も重要だ。

 元来、支援を受けることは、そう楽しいことではない。それどころか、避けたいと考える場合も多い。しかし、支援を受ける立場からも何か提供できることがあるのではないかと考えることで、この抵抗感を越え、幅広く支援者を募ることができるようになるのだ。

●依存する力をもつ

 このように考えると、うまく支援を受け、他者に頼るには、一種の「力」が必要なことに気づく。人に頼るわずらわしさを避け、何でも自分(たち)だけで片付けてしまおうとするのではなく、自分(たち)だけでは無理だと思ったら、臆せず周囲にSOSを出せる力、いわば「依存力」だ。支援者が気持ちよく支援できる体制を整備すること、そして多様な支援者が関わっても組織や事業がぶれない「心棒」のある組織となること。そのためには中核的な価値観やルールをしっかりと確立することも大切だ。その結果、とてもオープンで、様々な人が関わりやすい雰囲気をかもしだすことになるだろう。

 そしてこの「依存力」は、組織運営だけでなく、個人の生き方においても大切だ。一人で問題を抱え込み、周囲に頼れないままでは、誰も分かってくれないと孤独を呪うばかりの暮らしとなってしまう。私たちにも「ここからは周囲に頼ろう」と思える「力」が必要だ。個人の場合、組織との対比で言えば、他者の世話になりつつも、「私は私」というある種の居直りが大切だということになろうか。

 多少とも支援者に依存するのが非営利活動だし、私たちも一人の力だけで暮らせるものではない。そこで、周りに支援者を得ることを積極的にとらえ、「依存力」を磨くとともに、依存し合いやすい、助け合いやすい社会を築くこと。これを今年の目標にするのは、いかがだろうか。

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2006年1月号(通巻412号):この人に



梶田真章さん(法然院 貫主)


インタビュアー・執筆
編集委員 村岡正司

観光客の往来が絶えない京都市左京区の「哲学の道」。ここより少し山手に入った鹿ケ谷の閑静な森に建つ浄土宗の古刹法然院には、参拝、観光はもとより四季を通じて開かれる催しを目当てに多彩な人びとが集い、語らう。これらの仕掛け人は、”法然院ファンのゆるやかなネットワーク“である「法然院サンガ(註1)」を20年来主宰してきた貫主、梶田真章さんだ。宗教者として、一市民として、次世代へ伝えたい人と人とのつながりの意味を、「寺」を舞台に具現化し続ける。


■市民への環境学習の場としてお寺を開放した最初の試みが、1985年からの「法然院森の教室」ですね。これをスタートさせるについては何かきっかけがあったのですか。

 先代である父の後を継ぎ、貫主として寺を預かるようになったのは84年3月のことですが、それ以前から環境問題には関心がありました。高度成長期を過ぎバブル期に向かう途上、京都にも開発の波が押し寄せてきていた頃です。大文字山のゴルフ場建設計画など、私の住んでいる地域でもそういう動きがありましたし…。また当時、寺を訪れる方たちから「いい場所ですね」という感想を聞くことが多く、最初は単に喜んでいたのですが、後で考えると「他の地域はだんだん悪くなっていることの表れではないか、今のうちによい環境を取り戻さなければ…」と思い至るようになりました。また時を同じくして境内で野鳥の観察をしていた久山さんという方と出会い、話をするうちに、市中に近い場所ながらムササビやフクロウ、モリアオガエルなど、野生の生き物が数多く生息する豊かなこの森を生かし、市民向けに一緒に何かを発信していけないかということになったのです。

■いわばお寺と市民の協働プロジェクトですね。今でこそ環境を考える催しは各地で開かれるようになりましたが、それらの草分け的存在ともいうべきでしょうか。

 いえ、身構えて何かをやってやろう、という先駆者的な自負は全くなく、今でもそれは変わりません。私の普段からの思い、久山さんとの出会い、76年からこの法然院の森に居を移したこと…すべての偶然が積み重なって始まったのです。森の生き物たちと出会う境内のフィールドワークや写真展、アマゾンの熱帯雨林を保護する方の講演まで、子どももおとなも楽しめるさまざまな催しを久山さんたちと考え、実践してきました。現在は2〜3か月に一度の開催ですが、環境学習という言葉さえまだ耳新しかった最初の10年くらいは月例で行っていましたね。
 今のようにインターネットがない頃はDMを送ったりクチコミに頼って広報していましたが、じわじわとリピーターが増え、89年には「森の教室」を母体とした子ども向けの環境学習サークル「森の子クラブ」が誕生しました。また93年、情報発信と学びの場を兼ねた施設「法然院森のセンター(共生き堂)」を山門の下に作り、同時に久山さんたちは「フィールドソサイエティー」というNPOを発足させました。以来、「森のセンター」の委託運営をお願いし、生き物の観察会や体験プログラムなど、環境学習の輪を広げていっていただいています。

■法然院は市民活動だけではなく、音楽、演劇、美術などさまざまなアーティストたちの表現の場としても開放され、人気を呼んでいます。利用されるみなさんはどこに魅力を感じているのでしょう。

 境内を開放し「森の教室」をスタートさせたことは、「法然院はこういう形で寺を運営していきたい」という看板を上げ、お披露目をしているとみなさまに映ったようです。そういうわけでコンサートなり環境保全のシンポジウムなり、ここで何かやりたいと思っていらっしゃる方からの求めがあれば誰彼問わず場を提供するようになりました。お寺を訪れる方々との出会いを重ねる中で始まったものですが、歳月を経てひとつのスタイルになっていきました。
 今日のように紅葉を見に来る観光客のほとんどは2、30分程度ここに留まり、あわただしく次の目的地へと去って行きますね。でも紅葉の美しい色合いを見るだけならテレビや写真の方がいい場合もあります。せっかく法然院にお越しになったのですから、肉眼では見えないものに心の眼を向けていただきたい。見た目のきれいさだけでなく紅葉のいのちの内面を見つめてほしいと思います。観光とは文字通り「光を心に観る」ということですから。
 ここで開かれるさまざまな催しに参加する方々は、鳥の声、葉のそよぐ音などを聴きながらおよそ1、2時間をゆっくりと過ごすことになります。日常とは違った時間が流れるこの場で、多様な「いのち」の営みの存在を感じ取り、生きていることは絶えず他の「いのち」に支えられているのだという思いを抱く。この法然院という場を大事に思ってくださる方は、そこに何らかの安らぎを求めておられるのではないでしょうか。何百年もの間、数限りない人のいろいろな思いが積もり積もったこの場にこそ、人と人との、そして人と周りの生き物との出会いをなし、信仰、学び、安らぎを見出せる拠りどころがあるのかも知れません。

■お寺にゆっくり滞在する時間を提供することには、人と自然との関係についての梶田さんの「思い」を伝えるという仕掛けがなされているわけですか。

 そうですね。でもよく言われる「人間と自然の共生」などは、私が嫌いな言葉です。ヨーロッパ人の思想が明治以降に伝わって以来、そう思わされてきた影響もあるのでしょうが「人間」と「自然」とを区別する限り、「自然は人間の外、周囲にあるもの」、つまり人は自然とは別物だと言っていることになります。私の考えでは「自然」とは眼に見える対象ではなく、「生き物同士が生かしあうしくみ」という「心」の部分だと思っています。先ほどの例でいえば、「紅葉自体」が自然ではなく、「それぞれの『いのち』を預かる、紅葉と自分との関係」が自然であるわけです。しかしながら人それぞれイメージするものは違うわけですから、事あるごとに「あなたの言っている『自然』とは何ですか」と問い、具体的に意味を説明してもらわなければなりません。「森の教室」を始めた頃はそんなに気にならなかったのですが、最近はなるべく自然という言葉を使わないようにしています。

■貫主としての大変ご多忙な毎日のなかにありながら、「法然院サンガ」でお寺を利用する方のスケジュール調整などもほとんどお一人でされているとお聞きしましたが…。
 
 あまりそれらを大変だとは思ったことがありません。もともと人と出会って話をするのが好きですし、この法然院を使っていただいた方が喜んで下さるのを見るのはもっと好きですから…。寺を預かる私がみなさまとお話をすることで、寺に何を求めておられるのかが分かりますし、またかかわっている各市民団体の会合などにも努めて顔を出し、お話をする機会をもつなど、できるだけ外にも出ていくようにしています。
 一方で600ほどある檀家との付き合いは、寺として一番大事なものです。すなわち法事や葬式を行い、できるだけ檀家とのつながりを密接にすることで、寺を維持する基盤も強固なものになっていくわけです。うちでは春秋の特別拝観以外は無料で境内を開放し、また「法然院サンガ」についても運営組織を別個につくっているわけではありませんので、いろいろな経費などは寺の収入のなかから支出しています。これらは檀家からの応援や相互の信頼関係がなければ成り立たないでしょう。
 もとより多くの日本の寺は、核家族化が進み、親・子・孫がバラバラに住むようになった高度成長期までの長い時代、お盆や墓参りに象徴されるように先祖とのつながりに関する儀式をとりおこなう場として檀家との関係を維持しながら、かつ寺を訪れる方々との出会い、すなわち「縁」をも培ってきたのです。さまざまな方が訪れ、またさまざまな方に開かれた場が寺であったわけです。
 法然院はその考えを継ぎ、かつ現代に合った寺のあり方を目指してきた結果、今の姿になりました。
 人間は生かされている存在に過ぎなく、むしろ与えられた環境のなかでどう生きるべきかを考える場、周りの「いのち」と私たち人間とのつきあいを学ぶ場になればいいと思っています。それが寺本来の機能といえるのかも知れません。


●プロフィール●
1956年京都市生まれ。大阪外国語大学卒業。84年より京都市左京区の法然院(註2)第31代貫主(註3)に就任、現在に至る。アーティストの発表の場やシンポジウムの会場として寺を開放するなど、現代における寺の可能性を追求。一方で環境問題に強い関心を持ち多くの市民団体に参加する。現在、フィールドソサイエティー顧問、京都芸術センター運営委員、京都市景観・まちづくりセンター評議員、きょうとNPOセンター副理事長などを兼任。


(註1)サンガ サンスクリット語で「共同体」を意味する言葉。漢字では「僧伽」と書き、これを略したのが「僧」。僧とは元来、出家者個人を表わす言葉ではなく、仏教を信じる人々の集団を意味した。「法然院サンガ」という名称は、「寺は開かれた共同体でなければならない」という梶田氏の考えをもとに名づけられている。
(註2)法然院 正しくは善気山法然院萬無教寺。江戸時代初期に開かれた念佛道場が基となる浄土宗内の独立した一本山であったが、1953年に浄土宗より独立し、単立宗教法人となり現在に至っている。(参考:法然院パンフレット)
(註3)貫主 寺院における僧職の長に対する呼称。宗派によって異なるが一般的には「住職」ということが多い。
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2006年1・2月号(通巻412号):わたしのライブラリー

市民としてのスタイル ~大阪ボランティア協会40年史
編集委員 吐山継彦

■右からは座談会、左からは資料編

 本書は、昨年11月14日の大阪ボランティア協会40周年記念式典&パーティで参加者に配られたものである。ちょっと変わった造りになっている。B5判で、左から開くと、横書きで年表や資料中心の40年史、右からページをめくると、縦書きの座談会集『市民としてのスタイル』となっている。ボリュームは、資料編が86頁、座談会197頁で、トータル283頁である。
 座談会は全部で11本あり、それぞれが次のような章立てになっている。

第1章「協会創設のあとさき」
第2章「ボランティア運動の拠点づくり」
第3章「ボランティア支援を支援」
第4章「学習支援活動と主体形成」
第5章「ボランティアによる参加システム」
第6章「全国へ発信=出版・広報活動」
第7章「V・コーディネーション事業の展開」
第8章「ボランタリーな運動を支援する」
第9章「若者の自由な活動と社会貢献」
第10章「IT化、震災発災、NPO登場」
第11章「協働、CB、CSR、そして未来」

 各章の座談者数は3人から6人で、司会進行役は第1章から第8章までが岡本榮一理事長、残りの9章~11章は早瀬昇事務局長である。
 筆者も、企画の段階から編集委員として末席を汚したので、「よくまあ、ここまで出来たものだ」という感慨を覚えている。いくつかの座談会にも、録音及び写真担当として参加の機会を得た。
 「本書を通して読んだ感想は?」と訊かれたら、「ボラ協が言う”ボランティア“は、世間でふつうに使われているボランティアという言葉とかなりイメージが異なる」と答えるだろう。世間一般では、ボランティアというともっぱら、震災などの際、救援に駆けつける善意の人たち、病院や各種施設で定期的に奉仕活動をする人といったイメージだろう。つまり、一般的には、奉仕活動、慈善活動のイメージが今でもいちばん強いと思うのだが、どうだろう?

■「思想としての大阪ボランティア協会」の趣

 しかし、ボラ協40年の歴史のなかでは、民主主義や市民自治、社会変革など、ボランティアという言葉は奉仕や慈善を超えた諸概念と深く結びついている。例えば、第6章の座談会のところ(p90)に載っている『月刊ボランティア』の創刊号(昭和41年7月1日発行)には、タイトルの右横に次のような言葉が読み取れる。
 「もしも一つの社会立法をつくったがために、ボランティアを失わねばならないとすれば、わたくしは最善の法律よりも百人のボランティアを選ぶ。」
 これは、「ケースワーク」という考え方を初めて科学的に系統立てた、といわれるメリー・E・リッチモンドというアメリカの社会福祉活動家の言葉である。ここには、ボランティアを便宜主義で捉えがちな行政的思考は微塵もなく、社会的課題を解決し世界を変えていく市民的主体として考察されていることが覗われる。
 また、巻頭を飾る当事の柴田善守理事長の記事には、すでに「協働」という最近流行りの言葉が使われ、そのことの重要性を説くとともに、「ボランティア活動はついに社会を動かする力ともなるのである」との一文で締めくくられている(拡大鏡で読んでみて下さい)。
 座談会編は、「思想としての大阪ボランティア協会」という趣が色濃く出ている。それは、ボラ協関係者なら誰でも耳にしたことがある「参加システム」や「アクション型ボランティア」という言葉の頻出や、第7章「V・コーディネーション事業の展開」における筒井のり子さん(本誌編集委員)の発言、「私は、寝屋川で7年間、ボランティアコーディネーションをやって、そのときに『21世紀は、ボランティアコーディネーターの役割が市民社会を創るためのカギになる』とすごく思っていた」というようなところによく表れている。
 筆者は、第8章「ボランタリーな運動を支援する」の座談会にも録音係兼カメラ係として参加させてもらったが、このときの牧口一二さん、山本孝史さん、岡本榮一理事長による鼎談も大変興味深く示唆に富むものだった。牧口、山本両氏はもちろん知る人ぞ知る存在で、牧口さんは「夢・かぜ10億円基金」の代表、山本さんは民主党の参議院議員である。かつては、それぞれ「地下鉄にエレベーターを設置する運動」と「交通遺児を励ます会」のリーダーをされていた。この鼎談を読むと、これら2つの運動のアクション性が、ボラ協に大きな影響を与えたことが分かる。
 例えば、「地下鉄」運動は、後に「おおさか行動する障害者応援センター」を生んでいるし、「交通遺児」運動は、現在のボラ協の早瀬事務局長や名賀次長、西江常任運営委員長などを輩出している。また、組織や人の面ばかりでなく、これらの運動のアクション性がボラ協的思想形成に与えた影響も大きかったようだ。
 ボラ協は今、自らをインターミディアリー(中間支援組織)と定義づけることによって、ともすれば他組織(NPO)支援や需給調整が中心になりすぎてはいないか? また最近、岡本理事長がよく口にされる「課題の海へ船を漕ぎ出そう」という言葉の意味を改めてぼくらに突きつけている鼎談であった。

■市民活動に関心のある人必携の書

 紙幅の関係もあり、すべての章について言及することはできないが、どの章をとっても、筆者にとって触発されることが大変多かった本である。座談会だけではなく、各ページの上欄に掲げられているいろんな人の150字前後のメッセージや、各章の最後に付いている解題がおもしろい。
 また、左開きからの年表と、震災以降の事業についての9つのコラムも大変役に立つ。年表の【前史】のところに、概況として、ボラ協創設以前にすでに、1948年から51年にかけて「社会事業ボランティア協会」、また57年から61年ごろまで「学生ボランティア協会」、そして63年ごろから始まった「社会福祉協議会・善意銀行」があったことや、協会誕生の背景には、30ほどのボランティアグループがあったことなどがさり気なく記されている。これらの事実は、NPOや市民活動研究が大学や大学院で盛んになるにつれ、これからいくつも書かれるだろうボランティア活動研究や市民活動史における重要な基礎データとなるだろう。
 企業や団体の「年史」にありがちな、無味乾燥の記録性だけの40年史ではない。ボラ協関係者ばかりではなく、全国の社会福祉協議会、図書館、NPO・市民活動関係者、また関心のある学生・研究者にもぜひ手許において欲しい一冊である。
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2006年1月号(通巻412号):レポート

募金箱—その向こうに見えるもの
       ~「芸術的募金箱大募集」より

せんだいメディアテーク 企画・活動支援室 笹木一義


 毎年師走が近づくと募金活動を目にする機会が多くなる。小雪がちらつく仙台の街中では、ケヤキ並木に100万個の電球を灯す「SENDAI光のページェント」の募金などがよく目に入る。ほかにも、歳末助け合いや、コンビニのレジ脇の義援金募金など、思い返してみればごく身近なところに募金が用意されていることに気がつくだろう。
 募金には「募金箱」がつきものだ。その募金「箱」自体のデザインを募集するという風変わりなコンペが、せんだい・みやぎNPOセンターの主催で行われた。
 「芸術的募金箱大募集」と銘打たれたこのコンペは、市民活動やNPOの資金支援を行う市民基金「みんみんファンド」のPRの一環として行われた。また、募金箱のコンペを通じて、募金を身近に感じてもらうことを目的としているため、ただ賞を決めるのではなく、審査を通過した作品を実際に募金箱として使用し、また審査結果をNPOへの寄付を交流とともに行うイベント(「ドネーションパーティー」以下「ドネパ」)の中で発表するなど工夫されている。]

 応募総数は全18点。11点が一次書類審査を通過し、市内のカフェに2週間ほど設置された(実際の設置は10個)。選ばれた「募金箱」たちは、不思議な形状のものや、おみくじがついたものなど、趣向を凝らした作品が集まった。内蔵された光源や仕掛けとともに薄暗いカフェの店内で強く自己主張するものもあれば、静かにレジの横にたたずんでいるものもあった。
 最終審査結果は05年12月9日に行われた「ドネパ」で発表された。審査員はプロデューサー・演出家の吉川由美氏、ジャポンネット代表のルナ・ビセンテ氏、紙コップアーティストのLOCO氏の3名で、いずれも仙台の文化事業に縁が深い。「募金する人とのコミュニケーションを大切にしているか」、「自分の団体のためにお金を下さい、ではなく、募金者に対しておもしろい活動を行っていきますよ、というメッセージが感じられるか」などの視点から受賞作が選ばれた。

 発表ののち、参加したNPO7団体からそれぞれの活動が紹介され、交流を兼ねた「投票タイム」で参加者は共感した団体に募金した。いわゆる「顔の見える寄付」だ。会場では「募金箱」、「NPO」、「お金(ドネパのチケット)」、「参加者(100名ほどの市民)」の4つの要素が同席することになり、「募金」とその「受取先」について考えるきっかけを与えてくれた。
 普段、募金箱にお金を投じる際、「なんとなく○○に対してお金を入れる」とは意識しても、その先にある人びとを明確にイメージすることは難しい。しかし、この会場では、「私たちの活動の○○の部分に必要なので、ご協力をお願いします」と寄付をよびかけるNPOのメンバーが眼前にいる。募金箱たちの使命は、お金を投じようという人の目前にはいないNPOの人びと、活動やその意義を効果的にイメージさせ「募金」につなげていくことだろう。募金箱たちの今後の活躍に期待したい。
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Volo(ウォロ)とは

『ウォロ』とは

1966年創刊(2002年12月号までの誌名は『月刊ボランティア』)。2003年に『Volo(ウォロ)』と誌名を変更し、新創刊。 2004年11月号で通巻400号、2006年7月には創刊40周年を迎えました。 『Volo(ウォロ)』は、一貫して「市民が主体的に関わることの大切さ」を伝えてきました。分野・セクターを越えた社会的課題に市民がいかに関わるかを独自のアプローチでタイムリーに発信しています。

購読料は、定期購読の場合、1年間5,000円、2年間9,000円(送料込み)。バックナンバーは、1冊500円(送料込み)です。2009年3月号以前のバックナンバーは、1冊400円。

【volo(ウォロ)】とは古典ラテン語で「喜んで~する」「~したい」を意味する。英語will(意志)の語源。volunteer(ボランティア)の語源voluntas(ウォルンタース)は、【volo(ウォロ)】に由来する。古典ラテン語にはVとUの区別がなく【ウォロ】と発音。ちなみに【volo(ウォロ)】に命令法はない。
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