市民メディアの今、そして未来とは?
編集委員 久保友美
「市民メディア」…市民が発信するメディアのことを意味する。『ウォロ』7・8月号の特集でも取り上げ、現在注目を浴びつつある分野だ。その市民メディアについて考える「soboro DIALOGUE『市民メディアって何?~市民がつくるメディアの今と未来』」が9月12日、京都文化博物館別館ホールにて開催された。soboro DIALOGUEとは、環境をはじめとする市民活動に携わる人びとの拠点である「Social Design Cafe soboro」が定期的に開催するシンポジウムのことである。会場には、新聞記者、学生、雑誌編集者をはじめとして市民メディアに興味のある人々がたくさん参加した。
パネリストは、韓国で新たなメディアとして確立しつつあり、8月末から日本でも始まったインターネット新聞「オーマイニュース」の代表取締役社長オ・ヨンホ氏、和英バイリンガルのカルチャーウェブマガジン「REALTOKYO」などのウェブサイトや雑誌を手がける小崎哲哉氏、日本初のNPO放送局、京都三条ラジオカフェ(『ウォロ』7・8月号掲載)の福井文雄氏であった。
情報を発信するスタイル、メディアに対する考え方などは三者三様。ウェブサイト一つにしても、色々な人びとの意見が集まる多様性を表現する場だという考えもあれば、インターネット自体に多様性があるのだから、ウェブサイトでは主張を打ち出すべきだという考えも出た。だが「マスメディアとは違った、市民ならではの視点で市民自身が情報を発信していこう」という熱い思いが共通して感じられた。
現在のマスメディアは考えを一つの方向に持っていきがちで、そこには本音があまり感じられないといわれている。そのような風潮の中、「私は~」という1人称の視点で、しかもさまざまな角度で日常生活の現場から発信される市民メディアはマスメディアと比べリアリティがあり、多くの共感を呼ぶのだろう。だからこそ、市民メディアは多くの人びとによって支えられてきているのだ。
ダイアログの最後には、市民メディアの未来について語られた。
「市民メディアには既存のメディアに書けない部分があり、補完していくことで一緒に発展できるのではないか」
「メディア間でつながりが出てくることで新たなものが生まれてくるのでは」
「世界の視点を日本語で読むことが可能になった。これからは他のコミュニティを意識しつつ情報発信する必要があるだろう」
人間には、自分が愛情を持って取り組んできたことを他人に伝えていきたいという本能がある。インターネットの発達や市民ラジオ局の登場により、市民による情報発信が容易になった今、単に発信するだけでなく、市民メディアが今後担っていくべき社会的役割を考えて、情報を伝えていかなければならない。インターネットが情報検索ツールとしてのweb1.0から新たな価値やコミュニケーションを創出するweb2.0へ進化しているように、市民メディアも次のステップに進もうとしているのだということを感じた。
Social Design Cafe soboro
〒604-8183 京都市中央区三条高倉京都文化博物館前
編集委員 久保友美
「市民メディア」…市民が発信するメディアのことを意味する。『ウォロ』7・8月号の特集でも取り上げ、現在注目を浴びつつある分野だ。その市民メディアについて考える「soboro DIALOGUE『市民メディアって何?~市民がつくるメディアの今と未来』」が9月12日、京都文化博物館別館ホールにて開催された。soboro DIALOGUEとは、環境をはじめとする市民活動に携わる人びとの拠点である「Social Design Cafe soboro」が定期的に開催するシンポジウムのことである。会場には、新聞記者、学生、雑誌編集者をはじめとして市民メディアに興味のある人々がたくさん参加した。
パネリストは、韓国で新たなメディアとして確立しつつあり、8月末から日本でも始まったインターネット新聞「オーマイニュース」の代表取締役社長オ・ヨンホ氏、和英バイリンガルのカルチャーウェブマガジン「REALTOKYO」などのウェブサイトや雑誌を手がける小崎哲哉氏、日本初のNPO放送局、京都三条ラジオカフェ(『ウォロ』7・8月号掲載)の福井文雄氏であった。
情報を発信するスタイル、メディアに対する考え方などは三者三様。ウェブサイト一つにしても、色々な人びとの意見が集まる多様性を表現する場だという考えもあれば、インターネット自体に多様性があるのだから、ウェブサイトでは主張を打ち出すべきだという考えも出た。だが「マスメディアとは違った、市民ならではの視点で市民自身が情報を発信していこう」という熱い思いが共通して感じられた。
現在のマスメディアは考えを一つの方向に持っていきがちで、そこには本音があまり感じられないといわれている。そのような風潮の中、「私は~」という1人称の視点で、しかもさまざまな角度で日常生活の現場から発信される市民メディアはマスメディアと比べリアリティがあり、多くの共感を呼ぶのだろう。だからこそ、市民メディアは多くの人びとによって支えられてきているのだ。
ダイアログの最後には、市民メディアの未来について語られた。
「市民メディアには既存のメディアに書けない部分があり、補完していくことで一緒に発展できるのではないか」
「メディア間でつながりが出てくることで新たなものが生まれてくるのでは」
「世界の視点を日本語で読むことが可能になった。これからは他のコミュニティを意識しつつ情報発信する必要があるだろう」
人間には、自分が愛情を持って取り組んできたことを他人に伝えていきたいという本能がある。インターネットの発達や市民ラジオ局の登場により、市民による情報発信が容易になった今、単に発信するだけでなく、市民メディアが今後担っていくべき社会的役割を考えて、情報を伝えていかなければならない。インターネットが情報検索ツールとしてのweb1.0から新たな価値やコミュニケーションを創出するweb2.0へ進化しているように、市民メディアも次のステップに進もうとしているのだということを感じた。
Social Design Cafe soboro
〒604-8183 京都市中央区三条高倉京都文化博物館前