おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

カフェグリル東洋亭(京都市下京区)

2008年01月31日 21時22分05秒 | グルメ&お酒
京都駅北側の地下街「ポルテ」に『カフェグリル東洋亭』というレストランがあります。北区にある創業明治30(1897)年の老舗レストラン「キャピタル東洋亭」が経営するお店なんです。

    

「東洋亭風ハンバーグ」が人気メニューなのですが、ハンバーグ好きなおさかなにとって、ハンバーグが人気というのは魅力的でついついひきつけられてしまうのです(^^)v せっかくの京都だから、京都らしさを求めてもよかったのですが、それはそれ、ハンバーグの魅力に負けちゃいました。

準備運動に赤ワインを飲んで、待つこと10分くらいかな。来ました来ましたハンバーグが。熱々の鉄板の上でアルミホイルに包まれています。

    

ナイフで、ザクッと破ると、白い蒸気が上がり、ぐつぐつと煮えてるソースの中でハンバーグがでーんとひかえております。

    

ネコ舌なおさかなにとって、熱々のハンバーグを食べるのは、大変な作業なのですが、おさかなの好みのタイプで美味しかったから、ノープロブレム(^^)v
次回は、本店に行ってみなきゃいけないですね~!

◆『カフェグリル東洋亭』詳細データ
 住  所:京都府京都市下京区鳥丸通塩小路下ル塩小路町 京都駅前地下街ポルタ内
 電  話:075-343-3222
 定休日 :無休
 営業時間:11時~21時15分


西本願寺(京都市下京区)

2008年01月30日 20時59分15秒 | 旅先にて
西本願寺は、京都駅の北西部に位置します。創建当初からこの地にあったわけではなく、発祥は、宗祖親鸞聖人入滅後、末娘の覚信尼が文永9(1272)年に、東山区林下町(知恩院三門北の崇泰院あたり)に廟堂を営み、遺骨を安置したのが始まりだとされています。その後、各地を転々とするのですが、天正19(1591)年、豊臣秀吉より現在の寺地の寄進を受け、移転してから以後は、この地にとどまっています。徳川の時代になり、東西に分けられ、以降は西本願寺と呼ばれるようになっています。

戦国時代には、一向宗と呼ばれ、時代の権力者と激しく抗争していました。織田信長との抗争は壮絶だったようです。

本願寺境内には桃山文化を代表する建造物や庭園が多く残されており、境内は史跡に指定されています。また、平成6(1994)年12月には、古都京都の文化財の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。建物の配置と構造は真宗建築の典型で、親鸞聖人像が安置されている御影堂(ごえいどう)が本堂よりも大きく造られています。

おさかなの家は、浄土真宗本願寺派の末寺の檀家になるので、まさしくここが本山っちゅうことになるのですが。。。

寺域と堀川通りを挟んだ向かい側に建っているのが、総門です。道の一部となっています。総門をくぐって東へ向かう通りには、仏具屋さんが多く並んでいます。

    

阿弥陀堂門です。桃山時代の雰囲気を残した唐門です。

    

阿弥陀堂(本堂)です。この建物は重要文化財で、宝暦10(1760)年に再建されたものです。東西42メートル、南北45メートル、高さ25メートルの大きな建物です。

    

こちらは、御影堂です。この建物も重要文化財に指定されています。寛永13年(1636)に建立。東西48メートル、南北62メートル、高さ29メートル。阿弥陀堂より一回り大きな建物です。現在改修中で中に入ることはできなかったのが残念。今年の暮れまでかかるようです。

    

経蔵です。「一切経(大蔵経)」を納めています。

    

下の写真は、太鼓楼です。幕末の頃、壬生に屯所をかまえていた新選組が隊員の増加により壬生では手狭になり、本願寺の屯所を移動しました。その際、この太鼓楼を集会所として使用していたそうです。

    

本願寺には、『飛雲閣』『書院』『能舞台』など国宝建築が沢山あるのですが、基本的に非公開なので、目にすることが出来ず残念です。

◆『本願寺(西本願寺)』詳細データ
 住 所:京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル本願寺門前町60番地
 宗 派:浄土真宗本願寺派本山
 本 尊:阿弥陀如来
 創建年:文永9(1272)年
 開 基:覚信尼




雪なれば谷川へ。。。

2008年01月29日 20時30分07秒 | うどん
昨晩の香川はとても寒くて、おさかなの生息地である丸亀の平野部にも少し雪が降りました。朝起きると、おさかな号の屋根の上にも雪が。。。。。

    

昨年の暮れに、タイヤをスタッドレスに換えたものの、まだその力を発揮する場面に出会えてないのです、なれば山の方へ行けばいいじゃないか、山なら『谷川』という、ごくごく単純な思考で昼ごはんは『谷川米穀店』に決まりました(笑)

            

            

まあ、丸亀よりかは雪はありますが、別にスタッドレスタイヤで出かけるほどのものではありませんが、それはそれ、雪をかぶっている田んぼを眺めながら到着しました。ほら、雪あるでしょ!(笑)

            

平日だから、それほど並ぶこともなく食べることが出来ました。

    

ここのおうどんは少し量が少なめなのだけど、つるっとお腹の中に入っちゃいますから、大(2玉)を2はい食べちゃいました。美味しかったのだ(^^)v

っちゅうことで、「雪なれば谷川へ」でした(笑)

龍谷大学大宮学舎(京都市下京区)

2008年01月28日 23時02分39秒 | 旅先にて
龍谷大学大宮学舎は、西本願寺の南に位置します。寛永16(1639)年、西本願寺が設立した「学寮」を起源とし、大学としては大学令に基づく旧制大学からの歴史を有しています。

大宮学舎正門です。

    

上記掲載の正門を含め、本館・北黌/南黌・旧守衛所が国の重要文化財に指定されています。明治12(1879)年に建築された建物です。設計者は、不詳だそうですが、日本人だそうです。お寺が運営する大学の建物が、洋館というのは少し不思議な感じがしますが、とてもいい建物です。

本館です。

    

北黌/南黌です。現在は校舎として使用されているようですが、建築当初は寮だったそうです。

    

    

本館と、北黌/南黌の主要構造は木造です。木材に石材を貼り付けて施工しているようです。

下の煉瓦造の建物は、旧守衛所です。小さな建物ですが、バランスのいい建物ですね。少し遊び心もあってなかなかよいですね~。

    

◆『龍谷大学大宮学舎』詳細データ
 住所:京都市下京区七条通大宮東入大工町


京都島原界隈(京都市下京区)

2008年01月26日 21時08分28秒 | 旅先にて
島原界隈を歩いてきました。

島原の歴史は古くて、日本で最初の公許された花街だそうです。室町時代に「九条の里」という傾城局が設置されたのが始まりだといわれています。桃山時代に豊臣秀吉によって花街が二条万里小路(二条柳町)に移され、江戸時代になると六条付近にうつされて「六条三筋町」と称され、吉野太夫等の名妓が輩出しました。なにかトラブルがあって、朱雀野付近に強制移住させられました。このことが島原の乱に似ていたため以後「島原」と呼ばれるようになったという説と、周りが田原であったため、島にたとえて呼ばれたという説があります。最盛期は元禄期で、その後は幾度かの盛衰を繰り返したものの、あまり栄えなかった。これは立地条件が悪かったことと格式の高さが原因だと言われています。大半の人々は祇園町、祇園新地、上七軒等の花街を利用していたようです。島原の大門は2箇所存在し、廓の女性達は自由に廓の外へ出ることができ、一般人の出入りも老若男女問わず自由。清河八郎や頼山陽のように、実母を「親孝行」として揚屋で遊ばせた例があり、世間一般に誤解されがちな「遊廓」とは異なる存在であった。幕末には西郷隆盛、久坂玄瑞や新撰組らが出入りしていて、明治以後は公家、武家の常連客がいなくなり、さらに窮状に置かれるものの「太夫道中」などの行事で支えていたが、昭和後期にお茶屋、太夫、芸妓の人数が減り、ついにはお茶屋組合が解散して普通の住宅地となりました。残存していた多くの建物や門も、取り壊しや車との接触事故などで姿を消し、現在は「大門」、「輪違屋」、「角屋」がわずかにその面影をとどめているだけです。

●「大門」

    

島原の正門で、花屋町通にあります。現在の門は慶応3(1867)年に建てられた。一間幅、本瓦ぶき、切妻の高麗門です。京都市指定登録文化財です。

●「輪違屋」

    

創業元禄元(1688)年で、300年以上の歴史を誇る置屋です。現在の建物は安政4(1857)年の再建で,明治4(1871)年にはほぼ現在の姿になった。ここは今も営業しています。なので、内部を見学するには利用すればいいのだけど、もちろん一見さんじゃ入れないから、わたしゃ無理っすね。。。京都市指定登録文化財です。

●「角屋」

    

江戸期の饗宴もてなしの文化の場である揚屋建築の唯一の遺構として、重要文化財に指定されている。幕末の頃には諸大名をはじめ、西郷隆盛や久坂玄瑞、坂本竜馬らが利用したことでも有名なところです。今は「角屋もてなしの文化美術館」として一般公開されています。当日は休館日だったので、中を見ることは出来なかったのですが、次回チャンスがあれば見学してみたいですね。建物は、寛永18(1641)年に建てられ、内部に数寄屋造を採り入れた木造2階建の町家で、台所と座敷がある1階では与謝蕪村筆『紅白梅図屏風』(重文)など所蔵品を展示。予約すれば表2階と奥2階の座敷が見学できるそうです。



土佐掘川

2008年01月25日 09時06分09秒 | モブログ
昨日は肥後橋にあるホテルに泊まりました。十時にJOKAさんと梅田で待ち合わせなのですが、それまで少し散策してみることにしました。いま土佐掘川に添って歩いています。現在、日本銀行大阪支店前辺りです~

パワーブックチタンのバッテリ

2008年01月24日 12時40分07秒 | モブログ
パワーブック チタン のバッテリーがおなくなりになってて、ネットのアッブルストアでも扱ってなく、弱っていました。今日は大阪なので、先程、心斎橋のアッブルストアに行ってきました。結論からいうともう扱ってないそうです。機種によると修理で対応してくれるかもとのこと。。。トホホっす

大原野界隈(京都市西京区)

2008年01月23日 23時43分40秒 | 旅先にて
おさかなの母方の叔父が京都市西京区大原野に住んでいました。その叔父の7回忌の法事に出席してきました。法要が済んだ後、墓地へお参りに行きました。例年だと寒いということもあって車で向かっていたのですが、今年は比較的暖かかったので、歩いていくことにしました。約1kmくらいの距離です。大原野は、京都市の西の端の方に位置し、長岡京市の北あたりになります。竹林が広がっていて、とてものどかな場所です。街並みも昔ながらの風景が残っていて、とてもゆったりと時間が流れているところです。

    

    

    

おさかなの生息している、香川県丸亀市も、少し前まではこういった住宅はまだ多く残っていたのですが、だいぶ少なくなってきました。

下の写真の住宅の玄関はなかなかいい雰囲気を醸し出していますね~。

            

モブログでも紹介した、良心市です。ほのぼのとして、とても良いですね。殺伐として世の中になってきていますが、こういったものが残っているってこと自体、とてもうれしくなっちゃいますね~。

    

            

後で、教えてもらったのですが、叔父がこの地に家を構えたのは、この空気感に一目ぼれしたからだそうです。流石です。やっぱ、住むならこういうところがいいな~。。。