■ 読了 『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』
残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法
橘玲さんの本は実は何冊か読んでいたのですが、
「伽藍を捨ててバザールに向かえ」
という言葉に惹かれて読了。
この本では
”勝間和代vs香山リカ”論争(?というものがあったらしい…)を端緒に、これからの新しい生き方を模索しています。
”勝間和代vs香山リカ”論争というのは、”自分を変えよう”という能力開発で
でステップを登っていく生き方に価値を見出す勝間型と、「そうは言っても努力は
才能じゃないですか?努力する才能がない人だって生きる権利はある」という香山型
の反論から世界を考えます。
高校生のように青臭いテーマではありますが(^^;)興味があれば一読する価値は
あるかもしれません。
ただ実際、社会に出ると学生時代より、伽藍のピラミッドの形はあいまいで、評価のものさしは
普通の会社においても多様です。
普通に仕事が出来るだけでは評価されず、酒が飲めたり、口がうまかったり、あるいは体育会系で体力があったり、するだけで意外にも出世の階段は多種多様。それぞれうまく自分を
活かせる場があって社会ってすごいなぁと思ったのですが。
小学生から常に100点でたまに80点を取ると驚くような優等生振りを発揮していた私には
進学校で500人しかいないのに487番を取る、というのはものすごい体験でしたが、会社は
そんなことどうってことなかったんだな、と振り返らせるくらい、さまざまな評価のモノサシ
にあふれていました。ただ頑張ったって何の結果も出せやしない。ガリ勉しさえすれば点が上がる
というモノクロームで単純な世界はなんと楽だったんだ。
昔美人の友人がお金に困って夜のバイトに面接に行ったそうです。すると不採用。彼女は
自分には夜のバイトさえも残っていないのだ、とショックを受けたのだそうです。で
自分の得意を磨くことに。
そうこういうわけで、能力主義の社会は”みんなの味方”だなぁとワタシはむしろ思っていたので
能力主義=学力、経歴、に凝縮される・・・という見方は少々狭いかもと思うのですが。
そりゃ勝間さんは凄いけど、みんなが勝間になりたいかというとそうでないし、それでいい。
しかし、どんな社会にも80:20の法則で、働かない個体はいます。それでも
その個体コロニーは成り立つ。香山さんの主張はそういう働かない個体の主張で
そもそも”頑張る”ということが個性に合わないんです、という話(?)のようです。
それも事実だけど、だからといって、努力しない人と努力している人が同じであっていいわけはない。 金銭の価値に置き換えたときに、多寡の差がつくのは、ほとんど物理の法則です…(汗)
でも図られる価値観(モノサシ)が多様であれば、ひとつのモノサシで優劣がついたからって
別に傷つく必要はないので…そんなに大きな問題ではない。
■ 自己卑下は何もいいことない
というのは、世界観が伽藍型の人が多いのかな…と思うからです。私は個人的なルールで
・自分を卑下しない
ことに決めています。
「わたしはたいした○○のキャリアはない」とか「たいした○○でもない」
なんて言いません。それは、
・そもそも、○○をする資格がないという世界観=自分の世界観にすぎない
・仕事をくれたり、わたしを見込んでくれた人に失礼
・どんな運命や仕事、出来事でも、来たものは謙虚に受け止めるべき。何かしら学ぶことがある。
と思うから。
こういうことをいう人は、傲慢か、失敗したときの予防線をすでに張っていることなので
ある意味失敗を予言してしまいます。(たぶん、そうは気がついていないと思うけど)
自信がない自分をさらけ出す => 失敗したときの責任を相手と共同化する => 無責任
なことだなと思考してしまうわけです、私の場合。(たぶん、当人は単純に謙遜の美徳が
習慣になっているだけだと思いますが…)
■ 自信がない
自信がない理由、というのは、たぶん、自分が一番良く知っていますよね(笑)
自分に100点を求めていて、80点しか取れないと 自己評価が低くなるのです。
なら自分に100点じゃなく、60点しか求めなかったらいいじゃん?
私はたぶん自分に60点しか求めない人です。 以前、私のプログラミングの師匠が
「俺はポンコツ車で高速道路を140kmで走るタイプだけど、妻は高級車で80kmタイプ」
と。
私は「普通車で普通に100kmで走れたら成功」と思います。みんな、メンテナンス
されていないポンコツ車にポルシェ並みの走行を期待しているような???
ただ、常に60点しか求めないと それは単なるサボりなので、60点合格が続いたら
ちゃんと80点を合格ラインにしてみたり、ちょっとチャレンジしてみたりします。
そうなると何かをマスターするとか、勉強するとか、努力するとかは、単なる
自己対話なのです。
要するに基本的にカツマーは頑張らないで楽しんでいるのです。楽しんでやるから達成できる。
だから、100点を見ていて、60点の自分にしょげ返って自信をなくし、勝手に自分の目から見て
80点の人をうらやむタイプの人とは話がかみ合わないんです。
最近、実はワタシもやたら「スゴイ」と言われたのですが、実は何も頑張っていません(^^;)
だから凄くない。楽しいからやるだけのことは努力ではないのだから。というか最初から
努力と言う
苦行はしない、と決めています。
ただ苦行ではなくても、やるべきことはやります。英語の勉強を一切していなくてTOEIC満点を
取ろうなんて非現実的と良く分かるのに、大体みんな似たようなことを期待するようです。
千里の道は一歩からです。 一歩歩く前に千里先を期待してはいけない。やるべきこと(一歩)
をやらなかったら、千里先がないのはこれも物理の法則と同じくらい自明なことです。
■ バザールに向かえ
伽藍は要するに閉じたピラミッド型の世界観で、いわゆる出世の階段を登り、自己を確立する
方法論です。
バレエのエトワールになって喝采を浴びるとか、社長になるとか、世界の大富豪になるとか、
文豪になるとか、セレブになるとか…まぁどれくらいが成功といえるのか
上を見たらキリがないのですが…
一人の人間が食べることの出来る食料なんて高が知れているのですから、あまりにも巨額の富を築いても仕方がないなと思ったり。一回に着れる服だって一着だけですし。
そんな億万長者やお嬢様と言った想像力の欠如した成功を引っさげたいのか?と自分に問えば、結構どうでもよかったりしませんか?
なりたいか?お嬢様…お嬢様なんてなんてツマラナサソウ…
たぶん、団塊の世代まではこういう価値観で成功する自分に酔えたんですよね。以前勤めた
会社では秘書をしていたのですが部長さんはしきりに宝塚の自宅写真などを見せてくれました。
1億円以下の家はないと思われるそのエリアで子供二人と専業主婦の妻、イングリッシュガーデン
とクラウン、飼い犬は2匹。
うーん。うらやましがるべきなのですが、そして、ちゃんとカウンターのすし屋に
連れて行ってくれたのですが…
(返礼として、うらやましがってあげないとかわいそうですね)
たぶん、団塊Jrの世代は、なんでこんなモノのために一生を会社に捧げたんだろうなぁとか
思ってしまうんですよ…。
別のボスは、単身赴任でメタボ&通風。役職はありましたが、実質部下は外部の人間の
期間雇用ですから、つまりペーペー。正社員の中のピラミッドの下辺なわけですね。
休日は会社のゴルフ接待、平日は接待外食。何が幸せなのかなぁ…。私はやたら気の毒に
なりました。いくら年収1500万円もあっても、幸せなのは「亭主元気で留守がいい」の家族だけ。
いや家族だって一緒に暮らせていないのですから幸せではないのかも?でも、基本的に
この会社ではこのスタイルが一番羨ましい暮らしという設定のようでした。
うーん。でも、うらやましくないぞ?
というわけで、世界はとっくの昔に
バザール化しているわけです。価値観の多様化と一言で言ってしまえばそれまでです。
昔はピークハント=山登りだったのに、今は、ハイキングもあれば、地図読みだけしたい
人もいて、色々な上り方があるわけです。
今回の目標は「地形を見て歩く」という人に、「ピーク踏めなくて残念だったね」と言っても
「別に〜」という返事になるばかり。
達成、何を自分のゴールとするか、あるいは
何をもって成功と定義するか、もっと言えば
何を持って「幸せ」と定義するか、それを自分で決めていい世界、って凄くよくありませんか?
それが、バザールなのだと思うのですが。
ということは、残酷な世界ではなく、むしろ、幸福な世界であると思うのですがバザールは。
※ちなみに目標を設定するときはSMARTであることが大事です。