■ アンチ”山そっちのけ”
今回は小屋泊2泊で、一泊目は天国、二泊目は地獄。やはり宿泊数はチェックすべきと思いました。
私はミーハーが嫌いです。今回はなんと夫はダブルストックを誰かに持っていかれてしまったのです…。
夫いわく「信じられない」ですが、私は信じられます…。混雑時の山小屋にいる人々をつぶさに観察すると納得感あります。
空いている日の山ではそんなときにわざわざ来るくらいですから、ミーハーな人に会うことはないように思いますが、混雑した山=来易い時期の山では、来ている人の中にはミーハーがいて、小メイワクちゃんというのは基本的にはミーハーな人たちのことです。
ミーハーというのは、流行に流されやすい人たちを指す言葉ですね。それを山に適応すると、要するに…
山が好きなんではなくて、山が流行っているから来ているという人たちです。
そういう人はすぐ分かります。というのは”山そっちのけ感”を漂わせているからです。山に来ているのに山に来ていない。
隣のグループ。こちらが「朝7時から歩いているから疲れたので」と言って目を閉じているのに
お構いなしでしゃべりっぱ。「私たちだって朝4時起きだったのよ」がよく分からない正当化理由でした…。なぞだ。
階下は酒盛りで盛り上がっていたので下で話してくれればいいのに、なぜか大半が横になっている人ばかりの寝室エリアで盛り上がるのをヤメレナイのです。
静かな場所で話す=聞きたくないのに聞こえる。
ので話を聞いていたら、ルート研究していない…。天狗岳に行きそうな勢いだったので、たまりかねて
風が強い&急斜面なのでバラクラバとアイゼンくらいは、しっかりした装備がいる旨伝えると…案内役の男性と思しき方が「まぁ大丈夫。俺行ったことあるから」なのですが、ならなんで道の状況など情報収集しないんだ??
山の人の間では、すぐに情報交換会が始まります。どこのルートのどの変がちょっと凍っていたとか、ここは風が強くて、とか…。体験を交換しあうのが山の会話集です。
けれども、山が流行だから来ている人たちは、教えてあげるとむしろ怒り出す可能性大です。
確かに余計なお世話なんですが、なら静かなところで大声で話さなければいいのですが…。行動が矛盾している。
この矛盾というのも、流行に乗るという目的だけ、つまりみんながいいっていうのなら私も行きたい!
という発想だけでいったい何が良いのか、よく下調べしないで山に入る人たちの典型的行動パターンかもしれません。
なぜなら目的が流行との一体化なので、流行に乗っている自分を周囲の人にわかってもらいたい、アピールしたいという精神的ニーズが出てくるからです。
「遭難は他人事ではありません」という警告チラシが黒百合ヒュッテではテーブルに張ってありますが
よく事故原因などを見てみると、とても不可解です。迷いそうにない道で道迷い。バランスを崩して転倒、救助。
・・・。うーん。たしかに遭難は他人事ではないのだけど、これらの遭難事象を読むべき人は別にいそう。
たぶん、こうした”流行だから”の勢いで山に来てしまうと通常の注意力があれば防げる事故を防げない可能性は高まります。要するに 山そっちのけだからです。関心が山に向いていないとやっぱり山で危険が増すのは論理的に当然の成り行きです。
そして、そういう人ならストック一本や二本くらい持っていっても構わないと考えても不思議ではありません。ストック=安全対策。ストック一本くらいいいだろう、という精神は、バランスを崩すことが山では命取り、ということを勉強していない人の心の中にしか絶対に発想的に生まれません。だってストックを盗られたほうはその分キケンになるのです。
だから、山で起こる盗難などはきっとミーハーさんの仕業なのです。知らないことが招く。
つまり 混雑した山 → ミーハーさんが混じる山 → キケンな山 です。
これからの安全登山は、おそらく、山の自然保護にとっても、登山者自身の安全確保にとっても、本当に山好きな人だけに来てもらうにはどうしたらよいか?ということに知恵を絞る時代にきたのでしょう。
山小屋の経営がタイヘンそうだから、と客を集めればいいってもんじゃない。山には来てほしくない
もっといえば山には来てはいけないタイプの人もいるのです。
それは 一つはミーハーな人であり、もう一つは他力依存の人です。 つまり連れてきてもらっただけの
人ですね。 以前地図読み講座で尾根と谷も分からない人がいてのけぞりました。
日本人のメンタリティの一つで有名なものに、赤信号みんなで渡れば怖くないというのがありますが
あれは嘘です。みんなまとめて轢き殺されるだけですから、赤信号を渡っている向きには混じらないに
限ります。
別の日本の人のメンタリティの一つに、こんな素晴らしい景色をみんなで分かち合いたい、というものがある。それは日本人の心の優しさ、なんですが、本当はやさしくない優しさかもしれません。
なぜならミーハーで来てしまっても、その人は感動できないからです。みせるだけでは感動できないんですよね。
自分で計画立ててトレーニングして、努力してというプロセスが感動を作る。だから、敷居を下げるということは逆に感動しにくくさせる、ということです。
車道から15分の白駒池、スニーカーでぶらっと行っても「ふーん」で終わりです。
「ふーん」のために費やされた道路建設費および自然破壊と言う代償…どれほどの価値があったのか
それはたとえ小一時間でも苦労して歩いていけば、「ふーん」が「おお!」であっただろうことを考えるとこれからの望むべく方向というものは大衆化という路線ではないのではないか?と思えます。
身の丈… そうした規模はどれくらいなのか?そこを見極めることにこそ、人知を結集すべきですね。
これまでやってきたような一方的な繁栄、エンドレスな拡大は思考を必要とせず、ただひたすら拡大すれば良いだけです。
その結果の自然破壊が人を悩ますようになったのは、アクセルだけではだめでブレーキも必要だと人に
教えています。人と自然が共生できるためにはベストバランス、あるいは、ベストな関係作りがあるはずです。
それは山に限らず全世界的な流れですよね。鹿が増えすぎたのと同じで人間増えすぎ。
うん。 山小屋60人は多すぎです。かといって一日数人である必要もない。 みたとこ、ベストは30人くらいです。
うんうん。
今回は小屋泊2泊で、一泊目は天国、二泊目は地獄。やはり宿泊数はチェックすべきと思いました。
私はミーハーが嫌いです。今回はなんと夫はダブルストックを誰かに持っていかれてしまったのです…。
夫いわく「信じられない」ですが、私は信じられます…。混雑時の山小屋にいる人々をつぶさに観察すると納得感あります。
空いている日の山ではそんなときにわざわざ来るくらいですから、ミーハーな人に会うことはないように思いますが、混雑した山=来易い時期の山では、来ている人の中にはミーハーがいて、小メイワクちゃんというのは基本的にはミーハーな人たちのことです。
ミーハーというのは、流行に流されやすい人たちを指す言葉ですね。それを山に適応すると、要するに…
山が好きなんではなくて、山が流行っているから来ているという人たちです。
そういう人はすぐ分かります。というのは”山そっちのけ感”を漂わせているからです。山に来ているのに山に来ていない。
隣のグループ。こちらが「朝7時から歩いているから疲れたので」と言って目を閉じているのに
お構いなしでしゃべりっぱ。「私たちだって朝4時起きだったのよ」がよく分からない正当化理由でした…。なぞだ。
階下は酒盛りで盛り上がっていたので下で話してくれればいいのに、なぜか大半が横になっている人ばかりの寝室エリアで盛り上がるのをヤメレナイのです。
静かな場所で話す=聞きたくないのに聞こえる。
ので話を聞いていたら、ルート研究していない…。天狗岳に行きそうな勢いだったので、たまりかねて
風が強い&急斜面なのでバラクラバとアイゼンくらいは、しっかりした装備がいる旨伝えると…案内役の男性と思しき方が「まぁ大丈夫。俺行ったことあるから」なのですが、ならなんで道の状況など情報収集しないんだ??
山の人の間では、すぐに情報交換会が始まります。どこのルートのどの変がちょっと凍っていたとか、ここは風が強くて、とか…。体験を交換しあうのが山の会話集です。
けれども、山が流行だから来ている人たちは、教えてあげるとむしろ怒り出す可能性大です。
確かに余計なお世話なんですが、なら静かなところで大声で話さなければいいのですが…。行動が矛盾している。
この矛盾というのも、流行に乗るという目的だけ、つまりみんながいいっていうのなら私も行きたい!
という発想だけでいったい何が良いのか、よく下調べしないで山に入る人たちの典型的行動パターンかもしれません。
なぜなら目的が流行との一体化なので、流行に乗っている自分を周囲の人にわかってもらいたい、アピールしたいという精神的ニーズが出てくるからです。
「遭難は他人事ではありません」という警告チラシが黒百合ヒュッテではテーブルに張ってありますが

よく事故原因などを見てみると、とても不可解です。迷いそうにない道で道迷い。バランスを崩して転倒、救助。
・・・。うーん。たしかに遭難は他人事ではないのだけど、これらの遭難事象を読むべき人は別にいそう。
たぶん、こうした”流行だから”の勢いで山に来てしまうと通常の注意力があれば防げる事故を防げない可能性は高まります。要するに 山そっちのけだからです。関心が山に向いていないとやっぱり山で危険が増すのは論理的に当然の成り行きです。
そして、そういう人ならストック一本や二本くらい持っていっても構わないと考えても不思議ではありません。ストック=安全対策。ストック一本くらいいいだろう、という精神は、バランスを崩すことが山では命取り、ということを勉強していない人の心の中にしか絶対に発想的に生まれません。だってストックを盗られたほうはその分キケンになるのです。
だから、山で起こる盗難などはきっとミーハーさんの仕業なのです。知らないことが招く。
つまり 混雑した山 → ミーハーさんが混じる山 → キケンな山 です。
これからの安全登山は、おそらく、山の自然保護にとっても、登山者自身の安全確保にとっても、本当に山好きな人だけに来てもらうにはどうしたらよいか?ということに知恵を絞る時代にきたのでしょう。
山小屋の経営がタイヘンそうだから、と客を集めればいいってもんじゃない。山には来てほしくない
もっといえば山には来てはいけないタイプの人もいるのです。
それは 一つはミーハーな人であり、もう一つは他力依存の人です。 つまり連れてきてもらっただけの
人ですね。 以前地図読み講座で尾根と谷も分からない人がいてのけぞりました。
日本人のメンタリティの一つで有名なものに、赤信号みんなで渡れば怖くないというのがありますが
あれは嘘です。みんなまとめて轢き殺されるだけですから、赤信号を渡っている向きには混じらないに
限ります。
別の日本の人のメンタリティの一つに、こんな素晴らしい景色をみんなで分かち合いたい、というものがある。それは日本人の心の優しさ、なんですが、本当はやさしくない優しさかもしれません。
なぜならミーハーで来てしまっても、その人は感動できないからです。みせるだけでは感動できないんですよね。
自分で計画立ててトレーニングして、努力してというプロセスが感動を作る。だから、敷居を下げるということは逆に感動しにくくさせる、ということです。
車道から15分の白駒池、スニーカーでぶらっと行っても「ふーん」で終わりです。
「ふーん」のために費やされた道路建設費および自然破壊と言う代償…どれほどの価値があったのか
それはたとえ小一時間でも苦労して歩いていけば、「ふーん」が「おお!」であっただろうことを考えるとこれからの望むべく方向というものは大衆化という路線ではないのではないか?と思えます。
身の丈… そうした規模はどれくらいなのか?そこを見極めることにこそ、人知を結集すべきですね。
これまでやってきたような一方的な繁栄、エンドレスな拡大は思考を必要とせず、ただひたすら拡大すれば良いだけです。
その結果の自然破壊が人を悩ますようになったのは、アクセルだけではだめでブレーキも必要だと人に
教えています。人と自然が共生できるためにはベストバランス、あるいは、ベストな関係作りがあるはずです。
それは山に限らず全世界的な流れですよね。鹿が増えすぎたのと同じで人間増えすぎ。
うん。 山小屋60人は多すぎです。かといって一日数人である必要もない。 みたとこ、ベストは30人くらいです。
うんうん。










