明日の行方

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近衛内閣の頃

2016-10-16 00:46:47 | 砂利日記
近衛上層分

この近衛上奏文の中にこんなくだりがある。

『職業軍人の大部分は中流以下の家庭出身者にして、其の多くは共産的主張を受け入れ易き境遇にあり、又彼等は軍隊教育に於て国体観念だけは徹底的に叩き込まれ居るを以て、共産分子は国体と共産主義の両立論を以て彼等を引きずらんとしつつあるものに御座候。』

格差社会と言われて久しいが、共産主義を捨てて新自由主義という自由奔放な無秩序な世界に突入した中国も、勤勉こそ美徳とするプロテスタント社会のアメリカにおいても、異なる背景でありながらも格差が生まれる事が興味深い。

プロテスタントというのは予定説をとり、あらかじめ救われる人間は決まっていると考える。
故に労働して富を得ることは自分は救われる人間だと確認することと同意であり、富を得られないものは救われない人間であり、それは神が決めたことだと受け取るわけだ。
だから格差が生まれるのは当然のことなんだと受け取るわけ。
カソリックにおいては、稼いだ金を協会に寄付して、救いを求めたわけだけど、プロテスタントにおいては、稼いだ金は自分が神に許されたからだと受け取るわけ。
だから、格差が生まれようが知ったこっちゃないわけだ。
プロテスタントの背景には、元々拝金主義と個人主義が内在しているわけだね。

かつて、アダム・スミスが『国富論』を書いて、『見えざる手』という説をとなえましたね。
人の欲が国を富ませるという話だが、その一方で『道徳情操論』というのも書いている。
真逆のことを書いているわけなんだけど。
一方では人間の欲望を正当化して、その欲が経済を発展させると説きながら、もう片方で人間は自分の得にならないことでも他者に与えるということも書いている。

今の経済は、アダム・スミスは間違っていると言われるが、国富論の延長にあると思う。
でも一方で、道徳情操論的な価値観、同館というものは置き去りにされている。
アダム・スミスが訴えたかったのは、どちらか一方ではなく、両方でしょう。
社会においては両方必要だってこと。
無秩序に金を刷り、市場を拡大することだけじゃあダメってことだ。

恐らく僕は社会主義的な人間なのかもしれないなぁ。

でも今の世の中は、近衛が言う通り、共産主義を受け入れやすき境遇にあると思うなぁ。
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