明日の行方

ここは私の外部記憶装置です。
このブログには正しい情報なんて恐らくありませんよ。頭の悪い管理人の妄想メモですからね。

なんで僕がキリスト教に違和感を感じるのか

2017-03-21 19:24:09 | 砂利日記
実は仏教も同じでして。
お寺に行くと違和感を感じる。

多分像や装飾なんだと思います。

仏教もキリスト教も、神様の像が立っている。
赤子を抱く母の像であったり、拷問器具に固定されて命尽きようとする人の像であったり、翼の生えた人の絵だったり、あるいは恐ろしい形相で此方を睨む大きな筋肉質の男だったり。
落ち着かないのです。
こういうところに行くと心がざわつくのです。
神や仏の威光を示すために加飾の限りを尽くしたら、そこからは畏怖しか感じ取れないんです。
平伏せと言われてるような。
昔は、寄進した額で救済が決まったわけで...。

刀剣店に行って、皆焼(ひたつら)の刀を見る時と同じ感じなんですよ。
見た目には面白いけど、ざわつくのです。
個人的な好みは、柾目でも杢目でもいいのですが、直刃がやはりいい。
自分の刀は小乱れですがね。
勧奨して落ち着くのはやはり直刃です。

そうです。
けたたましいから、音ではなく装飾が煩いから嫌なんです。

美としてみれば面白いのでしょうが、そんなものを求めて行きませんので。
だから、僕は神社が好きなんだなぁと思います。
心が空っぽになる。
謙虚になれる。
感謝の気持ちが自然と出てくる。

なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる

西行法師のうたですが。
近くに、といっても車で移動できる範囲にということですが、熱田があってよかったなぁ。
申し訳ありませんが、色々と心に張り付いたものを断捨離しに伺っております。

ありがとうございます。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« サウジの王族 | トップ | 驚いた »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。