『一つの扉が閉じると百の扉が開く』

〜Cuando una puerta se cierra, ciento se abren〜

#37 パン種のように

2007-06-28 21:23:51 | Weblog
「よろこびは静かなものだと思う。
 静かなよろこび、それは自分の心の中で、
 パン種のように静かに、音もなく発酵するもの、
 しかし、やがてパンとなって、
 周囲の人の心を充たすものである。」

                ―渡辺和子「愛と励ましの言葉366日」―


 
 ゆっくりと、目を閉じて、
 しんとした心で、
 あじわいたい言葉です。。。








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#36 一杯のお茶

2007-05-11 01:08:33 | Weblog
「一杯のお茶。それをきちんといれることができるなら、
     あなたにはすべてのことができるはず」

                     ―イスラムの古い言葉―

お茶にもいろいろあります。

自分のためのくつろぎのお茶。
相手のために淹れるお茶。

いろいろな場面に合わせて、
その時、人、に叶ったお茶を淹れること。
それができたら、ほんとうにすてきだと思います。

そうあれたら、と思います。





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#35  たどり着く場所は

2007-01-03 22:03:41 | Weblog
「 たどり着く場所は、ぜんぶ正解だってこと。」
                    ―えとねゆさん―

一読、うわっ・・・・

わたしも、すごくそう、思います。
ぜんぶ、正解。
ぜんぶ、最善。
すべてが、神様によって用意されている場所。

(えとねゆさんというのは、今日知ったブロガーさんで、
なにかものをつくっている方らしい・・)

えとねゆブログ、要チェック。





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#34   小さな祈り

2006-09-21 20:37:01 | Weblog
「 足りないことを数えすぎて 
  満ちているいまを 忘れてしまわないように 
  小さな祈りを 胸にかざる 」                   

        ―内田也哉子(「ブローチ」 リトル・モア出版、2004年)―

以前、このブログのコメントでzuhekoさんに教えていただいた本からの言葉。

この本は、気になりながらもなかなか目にする機会がなかったのですが、
先日書店でようやっと出会うことができました。
ゆっくりと、ゆっくりと頁をめくりたい、
すてきな本でした。

zuhekoさんがおっしゃるように、
頁の一枚一枚がとても薄い紙でつくられているので、
次の頁、あるいはその次の頁の言葉さえ一緒に見えて、
なんだか言葉遊びをしている感覚に包まれます。

みじかい言葉が、
きれいな絵のまわりにゆらゆらと浮かんで、
ふしぎな感覚・・・

その本の最後が、上の言葉でおわります。

今の私は、足りないこと・できないことをいかに少なくしていくか、
を課題として働いていますが、
それと同時に、「満たされている今」もちゃんと、大切にしてゆきたいと、
この本を手にとって改めて思いました。

zuhekoさん、お元気かなぁ・・・




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#33  タペストリーの詩

2006-09-11 20:27:41 | Weblog
「刺繍のことを考えてごらん
 どんなすばらしい作品であっても
 裏から見ると模様がわかりません
 裏から見て
 この色がどうしてここにひっぱってあるのか
 あの色の糸がなんのためにそこにあるのか
 見当がつきません
 いろいろな糸が無意味にさえ見えます

 でも、おもてから見るといっぺんにわかります
 このきれいな花弁の模様ができるために 
 あの糸があそこにあったのか
 この葉っぱを作るため 
 あの糸が必要だったのか、と驚くのです

 私たちの人生も同じです
 今は裏からしか見えません
 どうしてこのできごとがあったのか 
 なぜあのつらい思いをしなければならなかったのか
 なんのためにあの苦しみ、病気や障害が与えられたのか
 多くの場合、今はわかりません
 今は裏しか見えないため、 
 『なぜ?』という疑問に答えられないことが
 たくさんあります

 天の御国へ行った時 
 はじめて自分の人生の刺繍をおもてから見るように
 なるのです
 その時は、神様のすばらしいご計画や目的を知り
 ただ驚きと喜びのみです」


****************************************************************

看護師という仕事の厳しさに押しつぶされそうになっていたとき、
隣の科で働くベテラン看護師のSさんが、私にこの詩を贈ってくださいました。

自分のちいさな価値観で考えても、
日々わからないことだらけ。
でも、それもすべて神様の大切なご計画のうちにあるのだ、
という大切なことを思い出すことができました。
Sさん、ほんとうにありがとうございます・・・
感謝の涙があふれます。






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#32  天と地と水の間

2006-06-18 19:29:26 | Weblog
「こうして天と地と水の間に生かされていること。ただ、それだけでいい」
                     ―神谷美恵子(精神科医)―


何の予定も無く、ぼんやりと空を見上げる日曜の夕暮れ時。
空には、桃色の雲が、
暮れゆく太陽の光をたっぷりと含んで、
流れるようにひろがっています。

こうして空を眺めていると、
日ごろのせわしなさが嘘のよう。
目をつぶっておおきく空気を吸い込むと、
どこまでもふくらんでいくような気がする・・・

神谷さんが上の言葉を感じたこと、
よくわかるような気がします。






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#31  後でわかるようになる

2006-06-03 00:38:50 | Weblog
 「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、
                      後でわかるようになる」     
                 ―ヨハネによる福音書13章7節―

先日出席した朝礼で、ホワイトボードに書かれていた言葉。
「後でわかるようになる」。
まさに、今の私のための言葉じゃないか・・と、
がーんと心に響きました。

わけあって、この6月から働く部署が変わりました。
ホッとしたような、でも心のどこかで受け入れられないような、
複雑な心境で迎えた6月最初の日。

でもその時この言葉を見て、
「そうか、今自分でいろいろと思い煩う必要は無いんだ。
与えられた場所で、神さまに喜ばれる働きができるよう、
祈りつつ進めば、きっと最善へと導かれるんだな」
と、素直に思えたのでした。

神さま、今わたしがおかれているすべての状況に感謝します。




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#30   なくてはならないもの

2006-04-20 17:51:54 | Weblog
「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、
      かえってなくてはならないものなのです。」
             ―コリント人への第一の手紙 12章22〜27節―


私の働く病院では、毎朝の朝礼として礼拝が行われています。
病院の中にあるちいさなチャペルに集まって、みなで賛美歌を歌い、
聖書を読み、職員が5分ほどのお話をしてくださいます。

先日のお話は、聖書の中から上記の箇所を引用してのものでした。
もう少し引用すると・・・

「また、わたしたちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、
ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、
ことさらに良いかっこうになりますが、かっこうの良い器官にはその
必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、
からだをこのように調和させてくださったのです。それは、からだの中に
分裂がなく、各部分が互いにいたわりあうためです。もしひとつの部分が
苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、
すべての部分がともに喜ぶのです。」

今の私たち新入職員というのは、まだまだ役立つ働きができず、
言ってみればこの「弱い器官」のようなものかもしれない、と
その方はおっしゃいました。

そして、「それでも一人一人がなくてはならない大切な存在であり、
スタッフが共にいたわりあいながら、お互いを大切に思いながら
働くことが大切です」と続けられました。
この病院に働く場所を与えられたことを、大きく感謝した朝でした。

朝、働く前に、神様の愛に満ち満ちた状態になることのできる幸せ・・・
恐るべし亀の歩みですが、神様に支えられつつ、一歩ずつ進んでいます。


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#29   Happy birthday, to you!

2006-04-20 01:00:47 | Weblog
黙々と、そして悶々としながら一日の記録と格闘する午後七時・・・
野に咲くたんぽぽのようにやさしいY先輩が、ちらりと私の方を見て、
「忙しい?・・よねぇ」とひとこと。

忙しいというより、言葉の砂漠に埋もれそうになっていた私は、
Y先輩のお頼みならよろこんで!
と、いそいそとあとについて行きました。

5人の看護師で行った先は、とある病室。
消灯の時間も過ぎて、すっかり辺りは静まり返っていました。
みなで向かったのは、今日がお誕生日のTさんのベッドサイドです。

突然看護師がぞろぞろと現れて、Tさんもびっくり。
私のいる病棟では、入院患者さんのお誕生日に、
手書きのお誕生日カードをお渡しして、
看護師たちが「Happy birthday to you」を歌う、
という行事があるのでした。

Tさんがおられるのは4人部屋だったので、
消灯後ということもあって、周りの患者さんの迷惑にならないよう、
声をひそめてしずかに歌いました。
Tさんは、とてもびっくりされて・・・
そして、何度も何度も「ありがとう、ありがとう」
と言ってくださいました。
目をしぱしぱさせながら・・

でも、その中でもっとも目をしぱしぱさせていたのは、
何をかくそうこの私!
ささやかな、でもほんとうにあったかなお誕生日。
この日の気持ちを、いつまでも忘れないようにしよう、
と思った私でした^^

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#28  二つの門を開く

2006-03-29 18:30:41 | Weblog
「二つの門を開くことを自分に課しています」
                 ―ホスピス長・K先生―


先日、ホスピス長のK先生が「ケアの本質」というテーマでお話されました。
その中で先生は、「私は患者さんのベッドサイドへ行くときに、
二つの門を開けることを自分に課しています」と言われました。

二つの門というのは、「質問」と「注文」のことでした。
(門、という字とは少し違いますけれど)
先生は、患者さんに病気のことなどいろいろとお話した後に必ず、
「何か聞きたいことや、こうしてほしいという希望はありますか?」
と問いかけられるそうです。

忙しくなってくると、一人の患者さんに関わる時間を少しでも減らして、
早く仕事を片付けてしまいたい、思ってしまうこともあるかもしれません。
先生のように「門を開ける」と、
仕事が増えてしまうこともあるでしょう。
それでも先生は、門を開け続けておられる。

私もそのような気持ちで、患者さんのベッドサイドへいこう、
と強く思ったのでした。


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