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平成日本紀行(143)霧島 「高千穂」

2016年10月15日 21時14分43秒 | 鹿児島県
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九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)



『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
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 平成日本紀行(143)霧島 「高千穂」   、







写真:霧島山系の「高千穂峰」(手前は御鉢)



煌びやかに佇む「霧島神宮」






旅の記録;「日本一周」へリンクします

高千穂峰への「天孫降臨」について・・、

古事記も日本書紀も、葦原中国(アシハラノナカツクニ)が平定された後に、ニニギノミコトが三種の神器を授けられ、神々を率いて降臨したと書かれてている。 
その場所においては、いずれもの記・紀にも「日向の高千穂の峰」と記されているが・・?。

しかし、降臨の場所についての記述は、解釈によって一定ではないとも言われる。 
ともあれ「神話」が語られていくとき、その時代設定や背景は明らかに稲作が展開する弥生時代を想定、意識して書かれているともいう。 


高天原でのスサノオの乱暴な行動の中に、田の畦を踏み壊したり、田に水を引く溝を埋めたりすることが出てくる。 
ニニギにつては先に記したが、その名はアマツヒコホノニニギノミコトという。アマツヒコは天津神の子の意味であるが、ホノニニギは稲穂が豊かに実ったことを意味しているとされ、高千穂に降臨する神話は、豊かに実っそた稲を高く積んだところに穀霊を象徴する神が降臨することを意味しているという。


神話の中のニニギは、高千穂に降臨した後、不毛のやせた土地から平地を拓き、太陽の輝く土地にしたとされている。
そして、大山祇(オオヤマズミ)の娘の木花咲耶(コノハナサクヤ)に出会い、その出会いの神話を伝えているのが木花神社(宮崎市)であり都萬神社(つまじんじゃ、西都市)であるという。 
どちらの社宮も付近から高千穂峰を遠望することができ、神話は、自然の景観と一体になって語られているのである。



その霧島山系一帯は古代から山岳信仰の対象となっており、中世においては修験道の霊山であった。
10世紀中頃に性空(しょうくう・平安中期の天台宗の僧)が修行に訪れ、山中の様々な場所に分散していた自然、山岳信仰を天台修験の体系としてまとめ、霧島六社権現(宮崎県と鹿児島県の県境にある霧島山の周辺にある以下の六つの権現寺社の総称)として整備した。
しかし、各寺院は明治の廃仏毀釈で霧島六社宮(筆頭が霧島神宮:当時の別当院は「華林寺」・・、等々)で統一され、いずれの社宮も日本神話に記される日向三代(ニニギの他、ホデミ、ウガヤフキアエズの三代、おいおい記載します)の神々が祀られている。



神々の秀峰を見ずして帰還するのは無念であるが、自然の営みも神の成せる業で致し方なく戻りことにする。 
丸尾の観光協会で適当な「立寄り湯」を案内して頂いた。
小さな部屋の事務所に三十半ばの面長美人・・?が独特の香化の香りを漂わせながら、親切に語って呉れる。 

「こちら、初めてですか・・?」、 
「初めても、初めてで九州自体がお初ですよ・・、日本一周の途中で・・・」、 
「わあ・・、いいなあ・・」

案内図を見ながらお互い頭を寄せ合い、会話の中の笑顔の様子にも世俗的な色香を感じたのであった。 
何か得した様な気分で事務者を出、角のファミリマートで若干の食料を調達して案内の「関原温泉」へ向かう。 
温泉場は少し行った右手に、先ず鉱泉販売所とした在った。

関平温泉は1832年、原田丑太郎という武士が霧島山南麓の国有林の渓谷内で発見し、以来こんこんと湧き続けているという。 
ミネラルを多量に含んでいるので、浴用だけでなく飲用にも適しているといい、「健康の水」としても販売されているようである。 麓にある佐藤酒造という造り酒屋は、関平名水仕込で醸造しているとか。 
霧島温泉郷に来て温泉に浸からない手は無い・・!。

その裏手を100メートルほど行くと関平温泉の共同湯がある。 
浴室は、大きな窓で明るく石張りの浴槽が2つあり、ここの温泉は別々の源泉2ヶ所からお湯をひいていて、関平温泉と「新床温泉」と称していて、二つの湯を楽しむことができる。 

浴室の中に入ると、新床温泉の湯船の方が関平温泉の湯船より大きく、主客転倒といった感じもする。 
どちらの湯船も石造りで、新床温泉の湯はちょっと黄みがかった透明であるが、関平温泉の湯は無色透明である。 
どちらの湯も癖が無く、これといった特徴もなかったような気もするが泉質は単純泉、効能は胃腸病、皮膚病、等々に良いという。



面長美人を想いながら国道223から霧島六社権現の一つ、「霧島神宮」へ向かった。
国道より離れた専用道路らしき車道を進むと立派な駐車場があり、鬱蒼とした緑陰に囲まれた参道と石段を登ると壮大で壮麗な社殿が現れた。 

広い敷地と樹齢何百年という巨木な杉に守られた緑豊な境内で、後には高千穂峰を従える。 霧島神宮は、多くの神社が一種古色蒼然とした「枯れた」印象を持つのに対して、唐様式の朱の色華が「西の日光」とも称せられており、絢爛たる朱塗の本殿、拝殿、登廊下、勅使殿等の配置も妙を得ている。
華麗な美しさを醸し出しす、この神社の主祭神は既に述べている「ニニギノミコト」を祀っている。

社務所の近く参道正面に「龍馬とお龍」と像がある。 
龍馬夫妻は1866年(慶応2年3月)、高千穂登山をし、その日の宿泊地に「華林寺泊」と道中記に記載してある。
先にも記したが、華林寺は当時霧島六社権現の一つであり、霧島神宮の神宮寺(別当寺)であったので同一と見なされていたのである。

社宮は、奈良期・六世紀頃に造られたとされているが、霧島山の大噴火による火災などで数回焼失し、1715年、時の藩主・島津吉貴公の寄進によって建てられたのが現在の社殿といわれる。 創建当時は高千穂峰の西麓の「高千穂河原」付近にあったのが、焼失と再建を繰り返して今の場所に再建されているという。 
煌びやかな霧島神宮は、平成元年5月19日、国の重要文化財に指定されている。


霧島神宮の直ぐ東側から霧島道路が山麓づたいに周遊していて、その途中に高千穂河原があり、チョット賑やかな山麓登山基地でビジターセンターなどもある。
この地が、かつての霧島神宮の所在地であり、今は古宮址として現存している。 
ここから見上げると、赤褐色の登山路から火口御鉢(おはち)やその奥に三角錐の高千穂峰が雄大に聳え立っている。

いかにも神話の伝説を秘めた天の逆鉾が立つ高千穂峰の霊峰にふさわしく屹立している。


次回は、「隼人

  
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