織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

金峰山の奇跡; ;第一部:登行編(12)

2010年04月21日 | 奥秩父・金峰山
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金峰山の奇跡; ;第一部:登行編(12)  


われ等の・・?、食事が終わり頃、そろそろ小屋の食事が始まったようだ。 
チラット献立を見るとなかなかの内容である。
「結構な食事ですね」
「ええ、この小屋の食事は評判が良いのよ」と、中年のおばさんが満足そうに云い。

更に、
「9月から10月にかけては松茸ごはんが出るときもあるのよ」という。 
「ヘエー、次回は食事付で来ようかな」
「是非いらっしゃい」

山慣れして、しかも常連さんでもあるようだ。



食後、小屋周辺を散策する。
小屋の直下から資材荷上げ用のロープウェイがチョッと違和感をもって望まれる。 
周辺は敷き詰めたようなハイ松帯で、そこから微風が這い上がってくる。 

どっしりした小川山の山襞の遥か下方には川上村の様子が微かに覗える。 
叉、右へ目を移すと迫力の朝日岳とその先に延びている奥秩父の主稜線が、間もなく沈むであろう淡い夕日に照らされて、優美に光っていた。 

山は時間が過ぎるのが速い。
日没とともに上空は茜色に輝いているが、麓から闇が次第にせりあがってくるのが判る。

この地を目指してきた大勢の登山客も、さすがにこの時間帯になると数も少なくなる。 
しかしまだ数組のパーティは山小屋目指して下りてくるし、信州側からも上ってくる人達もあるようだ。



夜のとばりが迫ってくる頃、そろそろ小屋へ戻るとしよう。
小屋はブロック造りのかまぼこ型の屋根の建物で、いかにも風雨に耐えられるよう頑丈な造りである。 
しかし、内部は山小屋らしく簡素なもので、照明は昔懐かしい・・?、カンテラランプであった。 
部屋はワンルームの大広間で、その奥まったところが天井スレスレに二階式の居間兼寝室部屋になっていた。

この時期になるとさすがに寒気が山には降りてくるのだろう、土間の中央には既に薪ストーブの赤い火がチロチロと燃えている。


気がつくと部屋の中は既に満員状況で空きスペースは全く見受けられない。 

“困ったぞ、これは“・・!、 

受付をする人達がチョッとした行列をなし、小屋の内外にも今だ部屋に上がりこんでない人が大勢居るのである。

小屋の夕食が一段落した後、係員が出てきて・・、
「本日は泊り客が多く大変混雑しております。 まだ室内にに入れない方が大勢いらっしょいますので、これから案内いたしますので宜しくご協力お願い致します」

掛け声とともに係員が一階と二階に分かれて、部屋の隅から人と荷物(ザック類)の順番整理が始まった。


これより「金峰山の奇跡; ;第二部:奇跡編」へ続く・・、



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金峰山の奇跡; ;第一部:登行編(11)

2010年04月20日 | 奥秩父・金峰山
【全文要旨】

鼓動が高鳴る“奇跡の体験”は、数十年以上も過ぎた今日でも、鮮明に記憶の隅に残っている。 
それは、超混雑していた奥秩父の名山・金峰山の山小屋での出来事だった。
・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・
やがて、就寝の時間がやってきてランプの灯火が消され、騒がしかった人々が次第に睡眠の寂の世界へ向かいつつあった。
そんな中で、私には何かが起こりつつあったのだ・・!!

以下は本文へ・・、
☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆
.



金峰山の奇跡; ;第一部:登行編(11)    


いつの間にやら五丈岩の周辺や山頂付近には、どこからともなく大勢の人々で賑わっていた。
この山がいかに人気が高いかが判る。

金峰山への登山ルートは、私が登ってきた金山から瑞がき山荘、富士見平の西側ルートの他に、東側の大弛峠から朝日岳を経るルート、南からは塩山、塩平から御室小屋経由のルートでこれは主に甲州側であるが、信州側として川上村の廻り目平コースがある。


五丈岩及び山頂を満喫し、周囲の大展望に酔う知れながら、そろそろ小屋へ向かおう。
途中のんびりしてきたせいもあって、時刻も夕刻が迫ってきている。
ここから金峰山小屋へは北側(信州川上村)の山頂直下にあり、距離にして4~500mで時間にして15分程度であろうか。 
這い松がビッシリ生茂る中、足場の悪いゴロ石を踏みながら暫らくすると人々の声が聞こえるようになり、蒲鉾型の屋根の山小屋へ到達した。 




小生が利用した「昭和時代」の金峰山小屋


写真:新旧山小屋

新装成った現在の山小屋



小屋のすぐ横には、これまた大きな岩がデンと居座っていた。 山頂の五丈岩ならぬ二丈岩位であろうか。 

既に、夕刻の16時を回っていたが、それにしても凄い人の数である。 
奥秩父でも最も人気があり、しかも連休の前半で天候にも恵まれていたため登山客が押寄せているようだ。 
入口の左側に「金峰山小屋」と立て看板が書かれてあり、引戸を開けて中へ入ると既に大勢の人々が寛いでいて、やはり混雑が予想される。
受付で・・、
「今夜、宜しくお願いします」 
「はい、どうぞ。 今夜はチョッと混雑しそうですけど、宜しいですか・・?、先ず、お茶一杯どうぞ」 
「はい、宜しく、 ところで自炊はどちらで・・?」 
「隣の自炊小屋でどうぞ」

ドラムに貯蔵してある貴重な水を必要分戴き、簡易コンロに火をつけて先ず、御飯を炊く。一方で、固形燃料で湯を沸かしながらインスタントの「ボンカレー」を温める。 
その他、缶詰に漬物、生野菜(とは言っても生胡瓜であるが)それにアルコール(缶ビール、日本酒、ウイスキーのいずれか)。 
これは小生の定番コースである。

すぐ後ろには賑やかな年配のグループ八人が、輪になって談笑している、中央にはボトルが数本並んでいた。 何れも剛の者らしく、既にメートルが上がっている人もいるようだ。 

隣は、チョッと気になる芳紀女性組み三人が賑やかな食材を囲んで語らっている。 
覗っ首(のぞっくび)をして料理の具合を見てみると、温かそうなシチューにコーヒーとパン食がメインディッシュ、それに合わせ物として缶詰、お漬物、果物と女性らしい配慮の献立であった。

「美味しそうですね」と気楽に声をかけると、
「有難うございます、少しですけどシチュウーをどうぞ」と御裾分けにあずかった。 
小生も恐縮しながら、昨夜仕込んでおいた胡瓜の浅漬けを分けてやった。

「名古屋弁のように聞こえましたが、 そちらから・・?」
「出身はそうですけど、現在は三人とも東京暮らしです」
名古屋同郷の同級生で、現在は三人とも東京の大学へ通っているらしく、インテリ女性達であった。 
三人とも何れ劣らぬ美人揃いであるが、中でも気軽に応答してくる一人(N嬢)は色白で面長のロングヘヤーの娘で、面を合わせるとハッとするような垢抜けた女性であった。

続きます・・、




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金峰山の奇跡; ;第一部:登行編(10)

2010年04月19日 | 奥秩父・金峰山
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金峰山の奇跡; ;第一部:登行編(10)      


山頂の岩山・「五丈岩」に登り、つかの間の眺望に堪能する。 
今日は眺望は最高だが、この辺りは風の通り道なのか先程から冷たい強風が吹きつけていて、早々に降りる。


この石塔の近くに金峰山の山頂碑が立っているが、実は、金峰山山頂はまだ後ろにある岩山のようだ。 そして、実際の山頂には頂上印のケルンが数個積んであり、標識には「金峰山山頂 2595m」とあった。
ただし、近年・平成期の金峰山山頂の標高は2599mとされている。 

尚、新旧の地図には2598mや2595mと表記されているものもあるが、平成3年の国土地理院の「日本山岳標高一覧」で は2599mに修正され、記載されているようである。

国土地理院 日本の山岳標高一覧(1003山)
http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MOUNTAIN/mountain.html 


近年の標高、高度の測定は「GPS式高度計」という精密装置を使用し、地球上空2万mを周回するGPS衛星からのマイクロ波を受信し、位置を測定するのが一般的らしい。 
現在では100kmはなれた2点間の高さの差をGPSによって決定するのにも、数時間の観測で数cmから数mmの誤差精度が可能であるという。
GPSとは、グローバル・ポジショニング・システム (GPS::Global Positioning System) のことで全地球測位システムとも言い、地球上の現在位置を調べるための衛星測位システムのことである。 身近なところでは「カー・ナビ」(カー・ナビゲーションズ・システム)でお馴染みである。
 



登行ルートと標高の変化(提供者に感謝)




赤い鳥居が目を引く五丈岩は、往時の山岳修行の象徴だったことが覗える。


五丈岩石塔の基部には風雪に耐えて赤い鳥居が設えてあり、五丈岩そのものに神仏が宿り、「神仏畏敬」の念が払われていたことが覗える。

そういえば「金峰」とは他のどこかで聞いた名前である。 
そう、奈良吉野の「金峰山寺」であり、金峰山は奈良県の吉野山から山上ヶ岳までの連峰の総称のことでもあった。 
叉、金峰山という名称の山は全国にも点在しているらしい。 
何れも、金峯山修験本宗を信仰する修験道の山で、多くはその山に奈良県吉野金峰山の「蔵王権現」を勧請したことに因むという。 

こちら甲州の金峰山も古くは修験道の盛んな山であったらしく、五丈岩の麓には蔵王権現を祀る社や像が安置してあったらしい。


因みに、「蔵王権現」とは・・、

先ず、権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意で、仏が化身して日本の神として現れること。 単例が徳川家康が「権現様」と言われる所以は、死んで仏になりなお且つ神に祀られた現象を云う。
蔵王権現とは日本仏教における信仰対象の一つで、インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。 
元より、役小角(えんのおづぬ、7世紀頃の山岳修験行者)が、吉野の金峯山で修業中に示現したという伝承があり、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものともされている。
今でも吉野の蔵王堂には互いにほとんど同じ姿をした三体の蔵王権現像が並んでいて、本尊として祀られている。 
スキー場やお釜で有名な蔵王連峰もそのひとつで、主峰・熊野岳の頂上に蔵王権現を祀っている。


何れにしても、五丈岩の特異形といい、金峰山の山容の秀麗高雅な点では、やはり秩父山群の王者であろう。 
信州と甲州の両側からみても奥秩父山群の奥にあって秘峰感さえ漂うが、先ほど登行中にすれ違った70歳の御老体を含めて、「金峰党」なるぞっこん惚れこんだ人たちがいると聞くし。 
二度、三度、四度と登りたくなる魅力ある山にはちがいない。
小生もその内の一人になりそうで、この日以降、家族や友人たちを含め五から六回、この山の頂に立ち、蔵王権現を参拝したのであった。

つづく・・、



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金峰山の奇跡; ;第一部:登行編(9)

2010年04月18日 | 奥秩父・金峰山
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 金峰山の奇跡; ;第一部:登行編(9) 


これからは見晴らしの利いた稜線上の岩場や砂礫を歩むようになる。 
大きな岩の道やかなり傾斜のきつい一枚岩など注意を要する箇所もあるが、ぐいぐいと登っていく。
尾根から左側、つまり信州側の斜面は大きく広がっていてハイマツが絨毯のように展開しているが、反対側の甲州側は全く対照的に岩場の絶壁が覗かせている。
其処から吹き上がっていくる風が涼しく、いよいよ高山に来たことを実感させられる。 
上空はあくまで青天井で澄んでいた。

稜線の岩稜慢歩、周囲の景色を見飽きるほど眺めながら、しかし、肝心の五丈岩はなかなか近付いてこない。 
小さな岩尾根のピークを3~4箇所越える。 





写真:2枚
千代の吹上」付近の岩場、遠く五丈岩が見える


見た目には楽なようだが、ドッコイ、ピークの甲州側はザックリと切落ちていて危険なため、信州側を巻くように道が付けられている。
この辺りは“千代の吹き上げ”とか“7人行者”などの特異な名称が付けられているようである。 

足下から千尋の谷底が切落ちているところもあり緊張を強いられるが、岩場のところどころに常緑の米ツツジの可憐な姿がへばり付いていて慰められる。 
叉、這い松帯にハクサンシャクナゲが混成をなし、そして、ところどころに一段と小さくキバナシャクナゲが見受けられる。
千代の吹上」から見上げると、足がすくみそうであったが、実際に登って見ると、それほどでもなく、大きな岩を越すのに結構な腕力を要するところもある。
この辺りは、実にアルペン的ムード満点である。


気がつくと五丈岩がいよいよ近付いてくる。 
そして、道は二股の分かれていて下部のほうは「金峰山小屋」の赤い屋根が鮮明に見えてきた。
陽がだいぶ傾向いているとはいえ、時間は充分であり、当然、五丈岩の天辺を目指す。 
とは言え身体のほうは、やや疲れを感じているのも確かだ。 
時間にして10数分であろうか、最後の頂上への急登を喘ぐ・・!。 




金峰山頂に屹立する「五丈岩」


大きなピークを左側に巻いて再度稜線に出た。 
正面に五丈岩の圧倒的な巨石タワーが堂々と鎮座している。 
五丈岩は、実際は20mほどの高さの重厚な大岩であった。
その基部は大岩の集まりで、その内の一つの巨石が天を指しているのである、まるで巨大なオベリスク(石塔)のように。

オベリスク」とは、ここより南西の方角、甲府盆地の韮崎付近で左上に見える甲斐駒ガ岳の隣りに位置する鳳凰三山の一つ・地蔵岳の頂上に鎮座するオベリスクは有名である。
身近で見ると、自然のものとは思えない見事な石柱で、鳳凰三山のシンボルとして人々に愛されている。 
この「オベリスク」という名称は、太陽神のシンボルとして光を反射して輝くように建造された石塔のことのようで、古代エジプト時代に神殿の一部、記念碑として多く製作されたものだという。

因みに、「丈」(じょう)というのは、尺貫法における長さの単位で、1丈は10尺と定義されている。
日本では、明治時代に1尺=(10/33)メートルと規定されたので、1丈は約3.03メートルとなり、五丈は15・15mとなる。 
本来、古代中国に由来し、「丈」は長い棒を手に持った形をかたどったものであり、そこから身長、身の丈(みのたけ)を表すようになったとされている。 
中国式では1尺(市尺)=(1/3)メートルなので、1丈(市丈)は約3.33メートルであり、五丈は16・66mとなるようである。

つづく・・、



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金峰山の奇跡; ;第一部:登行編(8)

2010年04月17日 | 奥秩父・金峰山
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【全文要旨】

鼓動が高鳴る“奇跡の体験”は、数十年以上も過ぎた今日でも、鮮明に記憶の隅に残っている。 
それは、超混雑していた奥秩父の名山・金峰山の山小屋での出来事だった。
・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・
やがて、就寝の時間がやってきてランプの灯火が消され、騒がしかった人々が次第に睡眠の寂の世界へ向かいつつあった。
そんな中で、私には何かが起こりつつあったのだ・・!!


以下は本文へ・・、
☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆



 金峰山の奇跡; ;第一部:登行編(8) 






「縦八丁」の辛い登り



尾根道へ出たとはいえ、道中はまだまだでこれからである。 
この時点で山頂部らしいのがチラッと遠望できたが・・、否、あれは岩場の稜線かもしれない。 
コメツガ、オオシラビソの針葉樹林帯、そして石楠花林の急坂を喘ぐ・・!。 
時折、木々の間から信州側の様子が覗える。 

信州といえば、信州側は南佐久郡川上村の地域で、千曲川・信濃川の源流域でもある。 
尤も、甲州側は釜無川・富士川の源流域であり、この尾根は日本海と太平洋の分水嶺でもあった。 
そして、この「金峰山」は、日本百名山は周知だが甲州百名山でもあり、尚且つ、「信州百名山」でもあった。


序ながら、深田久弥は「日本百名山」の中で「金峰山」のことを・・、
『 古くから甲州人はこの山を州の北鎮として尊崇し、その景色を詩に詠んでいる。 甲府盆地から仰ぐ金峰山は決して峻険といった感じではなく、むしろ柔和で優美である。・・・頂上に立ったとき空は完全に晴れて、四周の眺めに私は狂喜した。 ・・・帰路、川上村の川端下方面へ下るが、道もよく分からず、ついには日没となって「野しゃがみ」(緊急夜営、ビバーク)で一夜を過ごさざるを得なかった 』と記している。


広い尾根筋の道であるが、岩がゴロゴロした急登の繰り返しで、その後は大小の根っこが張り出していて一筋ではない。 
従って、道の様子も不安定であり、足元を探りながらの徒歩なので些か歩きにくい。 
とにかく両手を腰において無心で脚を運ぶ。




「縦八丁」の苦しい登りも終わりに近い


丸山」という一つのピークに達したが、ピークといっても其れらしい雰囲気は無く、風景は現状と変わらずであった。 ただ、有りがたい事に、この先は些か平坦になってほっとする処でもある。
最後の単調な苦しい登りを終えて、一息付ける処まで辿り着いた。 
やや開けて八ヶ岳、南アルプスが見える。
更に、ゴツゴツした岩道を登ると、ようやく森林限界の上に出る。 
この辺りからの景色は素晴らしく、前方には、岩稜の峰々の左手に五丈岩を含めて金峰山の五丈岩も遠望できる。 
そして、振り返れば紺碧の空に瑞牆山がその特徴ある姿を見せている。





「砂払いの頭」・といわれる岩場と頭の天辺の立つ標識、金峰山頂と大日岩を指している


どうもこの辺りを「砂払いの頭」と言うらしい。
砂払いノ頭にある斜めに突き出た大岩の奇岩が目を引く。

気がつくと、石楠花の類がアズマシャクナゲからハクサンシャクナゲに変わっている。 
シャクナゲは、普通、中部から北日本にかけては主に三種の種類が観られ、アズマ(吾妻)シャクナゲは葉が細長く厚みがあり葉の裏が茶色がかっていて、低山から亜高山帯の林の内に生えているのに対し、ハクサン(白山)シャクナゲは、葉はやや幅があり、薄く、裏は特に変化は無い。 どちらかといえば亜高山帯から一部は高山の稜線ハイマツ帯まで環境の厳しいところに根をおろしているのが特徴である。 

更に、キバナ(黄花)シャクナゲという小ぶりで矮性なシャクナゲもあり、高山の礫地・草地・ハイマツ帯に生える特性をもつ。 このキバナは、奥秩父ではこの金峰山頂上付近にのみ生えていると聞いているが・・?。

つづく・・、



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