
“ちゃんちゃこ” 野外ミニライブ
遠い遠い昔の事でした幼なじみのCちゃんと、
に乗ってお隣の香川県へ遊びに行きました高松の三越で買い物をしている時、アナウンスがあり
屋上でコンサートが始まるとか・・・2人で顔を見合わせ
「行こう〜行こう〜」 と


屋上へ急ぎました仮設ステージで

2人の若者がギターを持って歌っていました。途中、楽しいおしゃべりもありみなさん何処から来てるの〜?
香川県以外から来てる人いますか〜? と、問いかけもありCちゃんが
「ハ〜イ!」 と元気よく
挙げ、ちゃんちゃこさんからご指名いただき「徳島です」 と答えるとどうもありがとうと言ってくれました。
2人とも

感じでした。ここで初めて聴いたのが黄色いカラスでした
胸がジ〜ンとなるような感じがし、気に入ってしまいました。
おりひめは帰りの時間も気になりましたが、ちゃんちゃこさんの
楽しいステージについつい長居してしまいました

ようやく
に帰った時は日もとっくに暮れて真っ暗になっていました。玄関で待っていたのは
門限に格別(異常に)厳しい祖父でした。
が沈むまでには帰っていないと
でした。「今まで何しよったんなぁ〜
」それから玄関で立っているおりひめに怒りの言葉を連発
です。おりひめは
涙が出ていました。みなさん信じられないかもしれませんがとどめの言葉は
「明るい間にもんてこれんような身体になったんか

」意味は(明るい間に帰ってこられないような身体になったのか?)
どうやら祖父はおりひめが痴漢に襲われたと思ったようでした
友達と高松へ行ってたことを泣きながら説明しても聞く耳持たずで
出て行け〜! と言われ、おりひめも頭に来て売り言葉に買い言葉
「もう〜、もんて来んけん!」(もう、戻って来ないから!)
と
飛び出しました。その時、おりひめは
泣きながら川に飛び込んで死んでやると思ったのです。
すぐ近くの旧吉野川の堤防まで
走って行きました。飛び込めば祖父が怒った事を後悔するだろうと思ったのです。
真っ暗な堤防沿いをあっち行ったりこっち来たり・・・
結局、飛び込む勇気も出ず、風に吹かれた草が“カサッ”と音をたてると
ドキッとし、怖くなってきました(おりひめは怪談物に弱いです)
に戻る事も出来ずお隣さんの戸をたたきました隣りのオッチャンもオバチャンもどうしたのかな?という顔をしましたが
に入れてくれてジュースだったかお茶だったか忘れましたが入れてくれました。
それから30分ほどすると母が迎えにきました。
(隣のオバチャンが連絡してくれていたそうです)
に帰ると皆、
せずに起きていましたが何も言いませんでした。母が 「もう今夜は遅いけん、お風呂に入って寝な〜」 それだけ言っただけでした。
それから普通に家族と喋るのに2〜3日かかったように思います。
とにかく心配性で厳しい祖父でした
でも、おりひめにもう少し度胸があればあの世の人になってしまっていた という事ですね。
以上、“黄色いカラス”がらみの青春時代の苦い思い出でした
生きてて良かった〜〜〜 (旧吉野川へ飛び込んでも怪我程度かもしれませんね)
長々とお付き合いくださってありがとうございました

箱入りも箱入り、重箱入りのおりひめでした










おんなじ青春時代を、過ごしたふくママにも、おりひめさんとよく似た思いを、したことがあります
ふくママは、亡き父が、本当に心配性で、帰りが遅くなると、よく、玄関先まで出て、ず〜と待っていました。
理由を説明しても、なかなかわかってもらえず、泣いたこともありました
本当に、若くて、純粋な青春の思い出です
でもそんな父が、大好きでした
父は5年前に亡くなりましたが、今、はっきり言えることは、本当に、愛されて育てられたってことです
おりひめさん、旧吉野川に飛び込まれなくって、本当によかったです!!おりひめさんとお会いできなかったことになります
お隣さんや、お母様の様子、そして、なんと言っても、阿波弁の響きの温かいこと
お絵描きの、Cちゃんと、おりひめさん、とっても可愛いですっ
この絵を見て、この時のこと、Cちゃん、思い出されたかな〜
私の思いはふくママさんが全部代弁してくれました。
その純粋さは今のおりひめさんに十分残っていますね。
その時若さの勢いで吉野川に飛び込まなくて良かった。
私今こうしておりひめさんやふくママさんと、ネット上ではありますが色々話し合える事をとっても有難く思っているんです。
でも一つ驚きました。
御両親様も勿論心配だった事でしょうが、怒ったのがおじい様だった事です。
余程大切で可愛いお孫さんだったんですね。
厳しいじいちゃんだったんですね。
自遊人が生まれた時はじいちゃんはいなかったし、ばあちゃんも遠くでした。長男を生まれる前に亡くしているので、両親にも大事に育てられたようです。
色々悩み多い年頃の千曲の
でも山に連れて行ってくれたり、うどん作ってくれたりと可愛がってくれたそうです。
そして両親のことを今も大事にしています。
のんびり屋さんですが、すごく真面目で
ついつい自分の事を長々書いてしまいました。
そうそう、中学生か高校生の頃、高松の三越の屋上で、ミニコンサートがあったね。
私は、そのことをすっかり忘れてしまってました。高松まで汽車(電車ではないよ)で1時間以上かかったね。あのころは、高松に行くことがすごい冒険だったような気がしたね。
おりひめさんは、そんな大変なことがあったのですね!私は、もちろん遅くなって両親には叱られたのだと思うけど、忘れているぐらいだから、それほどではなかったんでしょうね。
おりひめさん、川に飛び込まなくて良かったです。もし、おりひめさんの身に何かあれば、一緒に遊びに行った私も、責任を感じて悲しい苦しい人生だったと思います。
私は、「1・17」の阪神大震災の15年目にして、命の大切さを痛感しています。
私の住む芦屋市も大きな被害がありました。
いまや三宮の周辺は、とてもきれいに復興しています。「神戸新聞社の7日間」というドラマを見て、今、JRのバスターミナルになってる「ミント神戸」のビルのある場所が、前の神戸新聞社だったということを、主人から聞くまでは、わからなかったです。
おりひめさん、生きていてよかった
でも、家族の面倒はよく見てくれました。
おりひめが保育所に勤めだしても門限は日没でした。
祖父の9人の子供達は皆、父親を尊敬し
兄弟姉妹今でも仲がいいです。
やはり祖父の躾がよかったのでしょうかね。
ふくママさんのお父様も心配性だったのですね。
ふくママさんのコメント読ませていただいて
おりひめも両親やご先祖さまに感謝の気持ちを
持たなければ・・・と思いました。
ふくママさんありがとう
飛び込まないで本当によかったと思います。
ふくママさんにもお会いできました
高校時代の部活の顧問の先生も練習が遅くなると
「おじいさんが心配しよるけん、帰れよ」
と言ってくれました。
1度だけですが祖父が顧問の先生に
何か言ったらしいのです(内容は知りませんが
多分、早く帰らせてくれるよう頼んだのでは・・と思います。)
おりひめもこのようにブログを通して
ヤマトさんやふくママさん達と
交流を持つ事が出来てほんとうにありがたいと思っています。
飛び込まなくてよかったです
にぎやかな11人家族でした
一番下のおじさんとおりひめは12歳違いです。
ですからおじさんやおばさんによく遊んでもらった記憶も残っています。
自遊人さんはお爺様がはやく亡くなられたぶん、天国から見守ってくださっていたと思います。
そしてご両親も自遊人さんに丈夫な身体を残してくださっているのでありがたいですね。
遠いお婆さんというのが淡路のおばあさんですか?
千曲の
悪い
おりひめにとっては結果が強烈だったから
忘れる事ができませんでした。
この年になると若い頃が懐かしいです。
Cちゃんとは一緒にギター買って山の上で
弾いたり、試験中に他校の高校野球観にいったり
いろんな思い出があります。
何十年経ってもこのようにお付き合いしてるなんて
想像できませんでした。
また、思い出がブログに登場してくるかも・・・
バイトでためたお金でギターを買って、山に登ってギターを弾く練習をしましたね。
高校野球の決勝戦(徳商ー池田戦)を見に行って、池田が勝った時に「池田、行けダー」って、親父ギャグを言って帰ってきたよね。
今思い出すと、すごく懐かしい。
なんか、おりひめさんとは、思い出がいっぱいありますね。
これからも、おばあちゃんになるまで、仲良く遊んでね。ありがとうね。
「ちゃんちゃこ」という名前、どこかで聞いたことがある名前だな
あのころはバイトに明け暮れる生活をしていました
だけどみんなこんな思い出を持っていてあるときポコッと脳裏に蘇ってくるものですね
おりひめさんのお爺さんはきっと孫可愛さ余ってああなったのでしょうね
うちのヨメさんのお父さんがうちの娘にあれこれいうのと同じだな
うら若き頃の思い出〜〜良いお話ですね
うーちゃん家の父は外面が良くて 内面のの悪い人でした
なのであまり楽しかった思い出はないようです
今頃天国で笑ってるかもね
母方のおばあちゃんが驚く程です
母の実家に行ったときの◯◯◯さんとうーちゃん家へ遊びに来たときの◯◯◯さんの変わりように”何か怒ってるんかい”と母に聞く程だったんです
いろんな人がいますね
でもそのDNAうーちゃん持ってるんです 気を付けないとね(笑)
また田舎では売っていない品を見つけたら
「今度帰って来る時○○買ってきてよ〜」
と無理なお願いするかもしれませんが
ヨロシクね。
以前買ってもらったピアスケース重宝していますよ。
ありがとう
おもちなんですね。
おじいさんもお孫さん
同じように心配されているようですね。
おりひめも今になって気持ちがよくわかります。
おりひめは男の子2人なのですが
やはり心配事も多かったです。
心配性という遺伝子、しっかり受け継いでいます。
昔の思い出って何気ない事がきっかけで
思い出すものですね。
若い頃が懐かしいです。
妹の旦那が反対なんですよ。
とっても優しくっていなぁ〜と思っていたのですが
おりひめが偶然、派遣されて妹の旦那の下で勤める事になって
勤務先ではとっても厳しい人になっていました。
声も1オクターブほど低く迫力ありました。
家では妹に猫なで声のような話しぶりだったのですよ。
もちろんおりひめにもとっても優しくしてくれました。
なのに、職場では怖い上司に変身でした。
あれには参りました。
でも部下には信頼されていました。
おりひめも心配性の遺伝子、しっかり受け継いでるんですよ。
よく昔の人一人になったりしても活動してるひといるけど 是非もっと詳しく黄色いカラスをしりたーいデス!
“黄色いカラス”聞いていると
この歌はかなり昔の歌ですから古歌女さんは
聞いた事がなかったのでしょうね。
おりひめも昔の歌は懐かしくて好きです。
“黄色いカラス”の事はおりひめも残念ながら詳しくはわかりません。
教えてあげられなくってごめんなさい