こんばんは。
※個人的な解釈が含まれている記事なので、苦手な方は抹茶レビューへ!
アルバム「ロマンチスト・エゴイスト」に収録されている「デッサン#1」は、
インディーズ時代からあったというお話は有名です。
1997年4月27日に心斎橋クラブクアトロであったポルノグラフィティのワンマンで配られたもので、
初披露もそのライブだったと思います。
4thデモテープ「Dessin〜#1」に収録されていて、
曲名は「デッサン」でした。
サビに「セロリ」が出てくることが印象的で、
曲はアルバム「ロマンチスト・エゴイスト」に収録されている「デッサン#1」よりも半音低いです。
ポルノグラフィティが上京するまではライブでよく演奏されていたんですが、
上京してからのライブのセットリストにはなかなか入っていないので、
アルバム「ロマンチスト・エゴイスト」に収録されて、
ある意味久しぶりでした。
そのライブで演奏されていない間に「デッサン」から「デッサン#1」にリメイクされたのだと思うのですが、
歌詞に大きな変化がありました。
もちろん「セロリが嫌いなことだけ」が無くなったのもそうなんですが、
一番気になったのは、「君に蹴飛ばされたギターが迷惑そうに言うよ」の後です。
君に蹴飛ばされたギターは「デッサン」にも「デッサン#1」にも登場するのですが、
台詞が違います。
「デッサン」では「呼び合う様に出会ったのにねぇ…」、
「デッサン#1」では「奪い合う様に求めたからねぇ…」
になっています。
「デッサン」の方はどこか「サボテン」を髣髴とさせる様な歌詞です。
一見、二つとも意味するものは同じように見えて、
ニュアンスに少しの違いが出ているようにも感じられます。
一番のポイントは、
「デッサン」では「〜のにねぇ…」で、
「デッサン#1」では「〜からねぇ…」となっているところだと思います。
「デッサン」は「呼び合う様に出会った」とあるので、
二人が呼び合う様に出会った、つまり引かれ合うように運命的な出会いを想像させます。
主人公(昭仁さん)と彼女は運命的な出会いをしたのに、
なぜ振られなければいけなかったのか。
「俺の何を知っている?セロリが嫌いなことだけだろう?なのに何故振るんだ?どこがいけなかった?」
というのが全体を通しての僕の解釈で、
あくまでも「セロリ」は誇張表現のために使われているのだと解釈しています。
何も問題なかったはずなのに、
急に引き裂かれてしまったその関係をギターが憂いているように感じられます。
それをよく表しているのがポイントとして挙げた「のに」です。
「デッサン#1」では「奪い合う様に求めた」とあるので、
お互いが過剰に愛してしまったのだと解釈しています。
過剰に愛していたがために、未来のことなんて予想できなかった。
もしくは、しなかったのかもしれません。
それが、最後の英歌詞に表れています。
「何もいらないと思ってたのにね」もそのひとつかもしれません。
周りが見えなくなるほど愛して、それが壊れてしまった時、
自分でもなぜかわからないくらい心が痛む。
それほどショックだということなんだと思いますが、
悲しむ昭仁さんに「奪いように求めたからなんじゃない?」と迷惑そうに言うのは、
その過剰な愛を見てきた第三者の立場からの声に聞こえます。
それを表しているのは「から」なのだと思います。
昭仁さんの実話を晴一さんが歌詞にしたのですが、
ここに登場するのは「僕」「君」「ギター」なんです。
僕は昭仁さん、君は彼女で、ギターはギターなんですが、
ギターを晴一さんに置き換えて歌詞を解釈しても面白いです。
昭仁さんの実話を何よりも知っているのは昭仁さんなんです。
もしかしたら、作詞者という第三者の立場として、
晴一さん自身の想いをギターとして登場させたという考え方もできます。
「僕と君との幸せを考える それは僕自身のことを切り刻むことなんだ」
「人でなし」とされたこの歌詞ですが、
ここの「幸せ」の取り方も二種類あって、
「あのまま関係が続いていれば、こんなに幸せだっただろうに…」と、
「これまで続いてきた幸せはもう無い…」の二つです。
僕は前者と解釈しています。
想像できるのが大きな幸せだからこそ、
これから無いとわかっているその幸せを考えるのは辛く、
まさに自身を切り刻む行為に値する。
どちらの歌詞を読んでも、ひどい振られ方をしたというのは伝わってきます。
日常を切り取って詰め込んだのが「デッサン」シリーズなので、
一つ一つの言葉が持つ意味はそこまで深くないのかもしれませんが、
考えてみると、いろいろな解釈の仕方が出てきて面白いです。
おまけ
「ライオン」に「ある日路地裏でトランペット吹く男」が登場します。
こいつもまた台詞が変わっています。
アルバム「ロマンチスト・エゴイスト」に収録されている「ライオン」では、
「カクモ悲シキ女ノ儚サヨ 曰ク今宵限リ百花繚乱」ですが、
1998年〜1999年前半にかけて演奏されていた「ライオン」では、
「何故に女がきれいになりたいのか 誰に見せたいかすぐにわかるさ」
なんです。
いったいこいつは何者なんでしょうね…
この解釈はまたの機会に。
※個人的な解釈が含まれている記事なので、苦手な方は抹茶レビューへ!
アルバム「ロマンチスト・エゴイスト」に収録されている「デッサン#1」は、
インディーズ時代からあったというお話は有名です。
1997年4月27日に心斎橋クラブクアトロであったポルノグラフィティのワンマンで配られたもので、
初披露もそのライブだったと思います。
4thデモテープ「Dessin〜#1」に収録されていて、
曲名は「デッサン」でした。
サビに「セロリ」が出てくることが印象的で、
曲はアルバム「ロマンチスト・エゴイスト」に収録されている「デッサン#1」よりも半音低いです。
ポルノグラフィティが上京するまではライブでよく演奏されていたんですが、
上京してからのライブのセットリストにはなかなか入っていないので、
アルバム「ロマンチスト・エゴイスト」に収録されて、
ある意味久しぶりでした。
そのライブで演奏されていない間に「デッサン」から「デッサン#1」にリメイクされたのだと思うのですが、
歌詞に大きな変化がありました。
もちろん「セロリが嫌いなことだけ」が無くなったのもそうなんですが、
一番気になったのは、「君に蹴飛ばされたギターが迷惑そうに言うよ」の後です。
君に蹴飛ばされたギターは「デッサン」にも「デッサン#1」にも登場するのですが、
台詞が違います。
「デッサン」では「呼び合う様に出会ったのにねぇ…」、
「デッサン#1」では「奪い合う様に求めたからねぇ…」
になっています。
「デッサン」の方はどこか「サボテン」を髣髴とさせる様な歌詞です。
一見、二つとも意味するものは同じように見えて、
ニュアンスに少しの違いが出ているようにも感じられます。
一番のポイントは、
「デッサン」では「〜のにねぇ…」で、
「デッサン#1」では「〜からねぇ…」となっているところだと思います。
「デッサン」は「呼び合う様に出会った」とあるので、
二人が呼び合う様に出会った、つまり引かれ合うように運命的な出会いを想像させます。
主人公(昭仁さん)と彼女は運命的な出会いをしたのに、
なぜ振られなければいけなかったのか。
「俺の何を知っている?セロリが嫌いなことだけだろう?なのに何故振るんだ?どこがいけなかった?」
というのが全体を通しての僕の解釈で、
あくまでも「セロリ」は誇張表現のために使われているのだと解釈しています。
何も問題なかったはずなのに、
急に引き裂かれてしまったその関係をギターが憂いているように感じられます。
それをよく表しているのがポイントとして挙げた「のに」です。
「デッサン#1」では「奪い合う様に求めた」とあるので、
お互いが過剰に愛してしまったのだと解釈しています。
過剰に愛していたがために、未来のことなんて予想できなかった。
もしくは、しなかったのかもしれません。
それが、最後の英歌詞に表れています。
「何もいらないと思ってたのにね」もそのひとつかもしれません。
周りが見えなくなるほど愛して、それが壊れてしまった時、
自分でもなぜかわからないくらい心が痛む。
それほどショックだということなんだと思いますが、
悲しむ昭仁さんに「奪いように求めたからなんじゃない?」と迷惑そうに言うのは、
その過剰な愛を見てきた第三者の立場からの声に聞こえます。
それを表しているのは「から」なのだと思います。
昭仁さんの実話を晴一さんが歌詞にしたのですが、
ここに登場するのは「僕」「君」「ギター」なんです。
僕は昭仁さん、君は彼女で、ギターはギターなんですが、
ギターを晴一さんに置き換えて歌詞を解釈しても面白いです。
昭仁さんの実話を何よりも知っているのは昭仁さんなんです。
もしかしたら、作詞者という第三者の立場として、
晴一さん自身の想いをギターとして登場させたという考え方もできます。
「僕と君との幸せを考える それは僕自身のことを切り刻むことなんだ」
「人でなし」とされたこの歌詞ですが、
ここの「幸せ」の取り方も二種類あって、
「あのまま関係が続いていれば、こんなに幸せだっただろうに…」と、
「これまで続いてきた幸せはもう無い…」の二つです。
僕は前者と解釈しています。
想像できるのが大きな幸せだからこそ、
これから無いとわかっているその幸せを考えるのは辛く、
まさに自身を切り刻む行為に値する。
どちらの歌詞を読んでも、ひどい振られ方をしたというのは伝わってきます。
日常を切り取って詰め込んだのが「デッサン」シリーズなので、
一つ一つの言葉が持つ意味はそこまで深くないのかもしれませんが、
考えてみると、いろいろな解釈の仕方が出てきて面白いです。
おまけ
「ライオン」に「ある日路地裏でトランペット吹く男」が登場します。
こいつもまた台詞が変わっています。
アルバム「ロマンチスト・エゴイスト」に収録されている「ライオン」では、
「カクモ悲シキ女ノ儚サヨ 曰ク今宵限リ百花繚乱」ですが、
1998年〜1999年前半にかけて演奏されていた「ライオン」では、
「何故に女がきれいになりたいのか 誰に見せたいかすぐにわかるさ」
なんです。
いったいこいつは何者なんでしょうね…
この解釈はまたの機会に。









