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国家神道の正体

2017-02-22 09:41:24 | 売国奴・売国政治・反日活動

幼い子供に、第2次世界大戦前の日本の教育の根幹となった勅語(天皇が国民に対して発する意思表示の言葉)を唱和させるという異様な教育をしている学校法人森友学園であるが、彼らは国家神道という邪教を推進するカルト教団に他ならない。
戦前、多数の日本国民がこの邪教に汚染され、それによってもたらされた戦争により数多の人命が奪われた。
なぜそうなったのか?
それは、当時の人々が国家神道なる邪教を日本古来の伝統的信仰と思い込まされ、お国のため、天皇のためとその命を投げ出すことを強要されたからなのではないだろうか。

日本古来の伝統・宗教とは全く違う国家神道とはいったい何なのか

NAVERまとめ
戦前の神道は 本当に「日本人の伝統的信仰」だった? 様より
引用元で閲覧することをお勧めします
https://matome.naver.jp/odai/2140865748274448701

 


戦前の神道は 本当に「日本人の伝統的信仰」だった?

「神道が重んじられていた戦前はよかった」という人もいるようです。日本古来の伝統的な信仰が実は明治時代に無理やり変えられたことがあまり知られていないようなので、流れをまとめてみました。

更新日: 2014年10月15日

[yuu2011さん] yuu2011さん

日本では昔から、神仏習合した仏教・神道、修験道、自然・祖先崇拝、シャーマニズムなどが共存してた

神仏習合 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/神仏習合

日本土着の神祇信仰と仏教信仰が混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象

出典ja.wikipedia.org

修験道(修行する山伏)

"庶民信仰には、田の神講・山の神講・庚申講など民間信仰から派生したものと、仏教から派生し観音堂や地蔵堂等を中心にした、観音講や地蔵講などがあります。"

出典庶民( 民間 )の信仰

出典magphoto.exblog.jp

田の神様(宮崎)

出典photozou.jp

庚申塚

"農村や山村、漁村などには…超自然的存在がいろいろ信仰されていた。山の神や田の神、海の神、雷神、地神、水神、石神、市神、道祖神、屋敷神、かまど神、歳神、荒神、子安神、産神、庚申などがそれで、いずれも、アニミズム的汎神論の世界に住んでいる小さな神がみである。どの神がみも、神社や寺院に祀られる神仏と共存関係をたもちながら、長いあいだ、村落社会の宗教的世界を彩っていた"

出典民俗学者・伊藤幹治「日本社会におけるアニミズム的汎神論の世界」日本常民文化紀要17,p174

出典photozou.jp

道祖神。集落の境や道の辻に置かれる。

出典blog.livedoor.jp

東北地方の「かまど神」

出典www.jalan.net

石神さま

出典www.d3.dion.ne.jp

こんな信仰も。

各地の村の神社も、アマテラスのような皇統神(天皇家の祖先とされる神)ではなく、ローカルな氏神や鎮守神を祀ったところが多かった。

"氏神(うじがみ)・産土神(うぶすながみ)・鎮守神(ちんじゅがみ)は「その土地並びにそこに住む者を守護する神」としての意味合いで、ほぼ同義的に捉えられている。"

出典雑学「氏神・産土神・鎮守神」

しかし明治維新で一変。政府は、天皇と神道を中心にして国民をまとめることにした。

"明治政府が王政復古を打ち出した理由として、クーデター政権であった維新政府が自身の権威を正当化するために、幼い明治天皇を擁立し神権的天皇制のイデオロギーを利用した"

出典明治の宗教政策——安丸良夫「神々の明治維新—神仏分離と廃仏毀釈」 - 「壁の中」から (アーカイブ)

「田布施システム」と明治天皇替玉説 - NAVER まとめ

http://matome.naver.jp/odai/2140936478223317401

最近、検索してて知った衝撃のキーワード「田布施システム」。安倍さんの祖父・岸信介など、歴代首相の出身地だという、山口県の小さな町。ここに「明治天皇替え玉説」など...

http://rr.img.naver.jp:80/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20140915%2F51%2F5799291%2F11%2F459x381xe03f5b43ae7dcf260c5a54a6.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=300&qlt=80&res_format=jpg&op=r

替え玉説もある、明治天皇。

明治元年(1868)3月|神仏分離令が出される:日本のあゆみ

http://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m01_1868_03.html

国立公文書館

http://rr.img.naver.jp:80/mig?src=http%3A%2F%2Fwww.archives.go.jp%2Fayumi_photo%2FImage0008_s.jpg&twidth=300&theight=300&qlt=80&res_format=jpg&op=r

「明治政府は神道の国教化政策を行うため、明治元年(1868)3月から、神社から仏教的な要素を排除しようとしました。これが「神仏分離」政策です。」
「神名に仏教的な用語を用いている神社の書上げ、仏像を神体としている神社は仏像を取り払うこと、本地仏、鰐口、梵鐘の取外しなどを命じました。」

"明治維新政府が…一言でいえば神仏を分離した。神仏混淆を断罪した。「神と仏」を分けたのだ。“上級の神々”を国家神道システムにくみこむためだった。"

出典1185夜『廃仏毀釈百年』佐伯恵達|松岡正剛の千夜千冊

神仏分離で、それまで神と仏の両方が祀られていた多くの神仏習合の神社から、仏教的要素が排除された。いま私たちが見ることができる神社は、その変化を経た後の姿。
たとえば出羽三山(山形)もその代表例で、いまは神社だけになっている。

出典www.dewatabi.com

出羽三山神社

"出羽三山とは羽黒山、月山、湯殿山の総称で明治時代までは神仏習合の権現を祀る修験道の山であった。 明治以降神山となり、羽黒山は稲倉魂命、月山は月読命、 湯殿山は大山祇命、大国主命、少彦名命の三神を祀る"

出典出羽三山神社 公式ホームページ

"牛頭天王を祀る祇園社、天王社は総て廃滅させられ、スサノオを祭神とする神社へ改組された。 代表的な祇園社・京都の「感神院祇園社(かんじんいんぎおんしゃ)」も、「祇園社」部分は所在地・愛宕郡八坂郷の名を取り、 「八坂神社」と改称させられた。

神田明神も…明治七年(1874)、明治天皇が行幸することが決まった際は、逆臣・平将門を祀るなどということはあってはならないこととされ、 急遽、祭神から外し、わざわざ茨城県大洗磯前神社から少彦名命を勧請して据えた。"

出典神田明神・平将門と神々

出典www.kandamyoujin.or.jp

神田明神

"もともと仏教を日本に輸入して信仰し、国内に普及されたのは天皇家です。…天皇家は神仏を併せて信心されていました。しかし「神仏分離」で…天皇家は仏教の信仰をお止めになり、信仰は伊勢神宮の神様だけになりました。葬式は孝明天皇(明治天皇の父上)までは仏式でしたが、明治天皇、大正天皇、昭和天皇は神式となりました。"

出典廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)についての話

神仏分離令をきっかけに、全国で廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が盛んに。全国各地で仏像や仏具などが破壊された。

"千葉県の鋸山には五百羅漢像があるが、全ての仏像が破壊された。
薩摩藩では寺院1616寺が廃され、還俗した僧侶は2966人に。"

出典廃仏毀釈 - Wikipedia

出典blogs.yahoo.co.jp

首を落とされた五百羅漢(鋸山)

出典www.env.go.jp

越前禅定道の石仏。廃仏毀釈により破壊され今に至る

"廃仏毀釈は…人々の信仰心そのものの衰滅や道義心の衰退をひきおこす結果になりやすかった。
伊勢神宮と皇居の神殿を頂点とするあらたな祭祀体系は…民衆の精神生活の実態からみれば、なんらの復古でも伝統的なものでもなく、民衆の精神生活への尊大な無理解のうえに強行された、あらたな宗教体系の強制であった。

広く行われた祭神の変更は、一種の歴史の忘却をもたらしたのではないだろうか…日本の伝統、と思われているもののうちのいくつかは、この時期に改変を被ったきわめて近代的なものなのではないか。"

出典明治の宗教政策——安丸良夫「神々の明治維新—神仏分離と廃仏毀釈」 - 「壁の中」から (アーカイブ)

そして政府は、天皇を頂点とする「国家神道」をつくっていく。



国家神道 とは - コトバンク

http://kotobank.jp/word/国家神道

国家神道とは、国家が法令によって他の神道と区別して管理しようした、戦前の神社神道(神社を中心とする神道)のことで、天皇家の祖先神とされる天照大神を祀る伊勢神宮が全国の神社の頂点に立つ本宗(総本山)とされた。(知恵蔵)

"あらたに樹立されていった神々の体系は、水戸学や後期国学に由来する国体神学がつくりだしたもので、明治以前の大部分の日本人にとっては、思いもかけないような性格のものだった。"

出典明治の宗教政策——安丸良夫「神々の明治維新—神仏分離と廃仏毀釈」 - 「壁の中」から (アーカイブ)

近代日本に影響を与えた「出雲」 原 武史 氏

http://www.athome-academy.jp/archive/history/0000001056_all.html

神道では「伊勢」と「出雲」は対だったが、国家神道がつくられる過程で伊勢神宮が頂点とされ「出雲」が敗れた。

"柳川啓一は「国家神道は明確な教義を有していた」として以下の4点をあげている。
・天皇は神話的祖先である天照大神から万世一系の血統をつぐ神の子孫であり、自ら現御神である。
・日本は特別に神の保護を受けた神国である。
・世界を救済するのは日本の使命。他国への進出は聖戦。
・道徳の面においては、天皇は親であり、臣民は子であるから、天皇への忠は孝ともなるという忠孝一本説。"

出典国家神道 - Wikipedia

出典blogs.yahoo.co.jp

"「宗教ではない」とされた国家神道は宗教を超越した教育の基礎とされた。翌1890年には教育勅語が発布され、国民道徳の基本が示され、国家神道は宗教・政治・教育を一体のものとした。

万世一系・神聖不可侵の天皇が日本を統治すること…を前提に、全国の神社は神祇官(※国の機関)の元に組織化され、諸制度が整備された。当初、全国の神社は全て官有となり、全神職は官吏(神官)となった。"

出典国家神道 - Wikipedia

"日本は長きにわたって神仏習合あるいは神仏併存の国だった…
敗戦後の今日にいたるまで、みんながなんとなく日本を「神の国」だと感じたままになっている。なぜこうなかったかといえば、国家神道の影響が大きかったからだ。"

出典1190夜『国家神道』村上重良|松岡正剛の千夜千冊

日露戦争後、全国の神社を整理統合する神社合祀が行われた。

"1906年(明治39)の終りごろから、第一次西園寺内閣は神社合祀を全国に励行し、次の桂内閣もこれを引き継いだ。これは、各集落毎に数々ある神社を合祀して、一町村一神社を標準とせよというもので、和歌山県はとくに強制威圧的に推進しようとした。"

出典南方熊楠の生涯

"全国で1914年までに約20万社あった神社の7万社が取り壊された。特に合祀政策が甚だしかったのは三重県で、県下全神社のおよそ9割が廃されることとなった。"

出典神社合祀 - Wikipedia

出典www.minakatella.net

ローカルな氏神を祀った小さな神社が、天皇家の祖先を祀る社格の高い大神社に統合されてなくなっていったりした。いま私たちが見ることができる神社の多くは、この頃に合祀されたもの。古くから親しまれてきたのに消えてしまった土着的な神社がたくさんあった。

"当時の神社合祀令による神社整理は、地域の複数の神社の祭神を一社に合祀し、主祭神を霊威神(古事記や日本書紀に登場する皇統系の神々)にしたりする形で行われた。その際に、古くからの氏神型神社の多くが勧請型神社に統合されたと推測される。"

出典神社の多い福島、少ない岩手 | 仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル - 楽天ブログ

神社の種類と社格

http://www.gg.e-mansion.com/~fkk/kawahara/jinzya.html

民俗学者・柳田国男や、博物学者・南方熊楠は、強引な神社合祀に反対した。

出典minakata-antiques.com

南方熊楠

"神社合祀は住民の融和を妨げ、慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害する。土地の治安と利益に大害がある一方、史蹟や古伝、天然記念物が失われるし、景観が損なわれる。結果として地方の衰微につながり、愛国心のもとたるべき愛郷心も失われる。(南方熊楠)"

出典明治末年の神社合祀【後編】|~新川の社務所から~

"熊楠が注目し絶対的信頼を置いていたのは、明治になってできた神社神道(国家神道)ではなく、古神道でさえなく、それは庶民の神道であり、列島の人々が営々と積み上げた直感知の大集積体。"

出典公開講座:南方熊楠の新次元 第一回「南方熊楠の夢と思想」レポート | 明治大学 野生の科学研究所

また明治期には、庶民の間の民間信仰やシャーマニズムも弾圧された

つまり、一人ひとりが直接にスピリットの世界につながることを禁じたのだ。

明治初年の民間宗教禁止令 | 日本人の宗教と宗教心

http://8606.teacup.com/meizireligion/bbs/65

1.六十六部・普化宗(虚無僧)などの放浪の宗教者たち 2.修験道(山岳信仰) 3.巫女・いたこなどの霊を憑依させるシャーマン を禁止

出典www.accu.or.jp

東北地方のイタコも禁止され、かなり衰退した。

"1873年(明治6年)には教部省によって、神霊の憑依などによって託宣を得る、民間習俗の巫女の行為が全面的に禁止…背景として、復古的な神道観による神社制度の組織化によるものである一方、文明開化による旧来の習俗文化を否定する動きもうかがえる"

出典巫女 - Wikipedia

シャーマニズム - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/シャーマニズム

シャーマニズム 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://rr.img.naver.jp:80/mig?src=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F2%2F2c%2FChuonnasuan%252C_the_last_shaman_of_the_Oroqen%252C_in_July_1994_%2528Photo_by_Richard_Noll%2529.jpg%2F180px-Chuonnasuan%252C_the_last_shaman_of_the_Oroqen%252C_in_July_1994_%2528Photo_by_Richard_Noll%2529.jpg&twidth=300&theight=300&qlt=80&res_format=jpg&op=r

シャーマニズム あるいは シャマニズム ( 英 : Shamanism )とは、 シャーマン ( 巫師 ・ 祈祷師 )の能力により成立している 宗教 や宗教現象の総称

昭和12年、文部省が「天皇は現人神」とする「国体の本義」を発表。

"かくて天皇は…我が国を統治し給ふ現御神であらせられる。"

出典国体の本義  第一 大日本国体 二 聖徳 より (1941 文部省)

Amazon 国体の本義 (1937年)

昭和20年(1945年)敗戦。12月、GHQ「神道指令」で国家神道廃止。 翌年、ほとんどの神社を包括する宗教法人・神社本庁が設立。

神道指令 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/神道指令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



神社本庁 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/神社本庁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ちなみに靖国神社は明治期に国家神道があってこそ作られ、政府が管理していた神社。戦後、独自の宗教法人となり神社本庁には入っていない。

"靖国神社は大日本帝国時代の陸軍省・海軍省が共管し、戦争遂行の精神的支柱の一つであった国家神道の最重要の拠点であったため、終戦後直ちに廃絶の議論が起きた。
1946年(昭和21年)9月に宗教法人となった…GHQは1951年8月28日の指令で靖国神社の存続を認めた。"

出典靖国神社問題 - Wikipedia

出典images.china.cn

しかし今もこういう人たちが・・・

まとめ
明治になって政治的な都合から、土地に根ざした伝統的な民間信仰、修験道、シャーマニズムなどが抑えられたようです。神道自体も、それまで混じりあっていた仏教と切り離され神社が整理統合されたりして、地域ごとの多様さが少なくなり天皇家や記紀神話とのつながりが強められたし、国が国家神道を掲げて新たな神社まで作らせたりしたことで、神社のあり方や信仰の中身もだいぶ変えられました。国家神道は敗戦でなくなりましたが、変わってしまったままの部分も多いのではないでしょうか。
例えていうと、昔はその土地ならではの個性的な味わいの自家製お味噌をそれぞれつくっていたのに、国の政策で規格に合った大手メーカーのマ◯コメ味噌をスーパーやコンビニで買うことが多くなった、という感じでしょうか。それでも探せば、昔からの民間信仰などはまだまだ残っています。本当の「伝統」とは何なのか見極めることが大事だし、明治維新前からずっと受け継がれてきた、そういう多様な文化を大切にしたいものだと思いました。

戦後は伝統が失われたとか、教育勅語や国家神道などのあった戦前はよかったとか言う人もいますが、むしろ明治から昭和にかけての戦前の政府こそが日本の伝統を破壊したことを忘れてはならないでしょう。

Amazon.co.jp: 神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103): 安丸 良夫: 本

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4004201039

Amazon.co.jp: 神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103): 安丸 良夫: 本

参考図書です。

 


引用おわり
国家神道とは、天皇を中心とした軍事国家づくりなのだと思う。
これで誰が得をするのかと言えば勿論天皇だが、事実天皇家は戦争で大儲けした。
http://zenkyoto68.tripod.com/zaibatu01.htm
また、軍産複合体と言われる軍需産業を中心とした私企業と軍隊、および政府機関が形成する政治的・経済的・軍事的な勢力が天皇家に荷担していた。

マスゴミが天皇家を挙げ奉るので、未だに昭和天皇が良い人だったと思っている人が殆どだと思う(自分もそうだった)が、実際はヒロヒトは悪魔に魂を売った最悪の売国奴だったと言える。

邪教国家神道の頂点にして大東亜戦争の首謀者である昭和天皇を裁けなかったことが、日本人としての本当の敗北なのかもしれない。

その邪教復活を狙ってその手助けをする売国奴安倍晋三、国有地を強奪した犯罪者である。
絶対に許してはならない

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