独り言ブログ

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叱ることのできない親

2017年11月20日 20時46分08秒 | 日記
今日、何となく頭に思い浮かんだことです。

叱ることができなくなった親はコミュニティーに所属しないから、その叱る基準を知るすべを失ってそれで叱ることができなくなったのでしょうか。

暴力を叱ることができなくなった大人がニュースで取り上げられた時期がありました。
また、教師に暴力をふるった事件は記憶に新しいと思います。
これらの原因は大人が子供の自分勝手な暴力を叱ることができなかったことにあるのではないでしょうか。
私の両親と祖父母は私を叱ってくれたおかげで、ある程度社会に適合した常識を身につけたのかと思います。(不十分ではあると思いますが)
それが徐々に劣化していき、ついには暴力が叱られないという、発展途上国レベルの教育にまで成り下がってしまった。

しかし、なぜ叱ることができなくなったのか。
これは単純に親が馬鹿になったからというわけではないような気がするのです。
つまり、コミュニティーが崩壊したことによって、個人主義が世の中を支配した。
その中で子育てをしようとすると、親は何を基準に子供をしつけたらいいのか判断ができなくなってしまった、と私は考えるのです。
「誰それはいい子、悪い子」「××を見習いなさい」「〇〇に気を付けて」「この料理いいぞ」等の地域で共有すべき情報が欠落してしまったのではないかと。
個人レベルで見たら暴力なんて少しの間耐えればいいだけだし、子供もそのうちやめるだろう、などという考えから暴力が抑えられなくなってしまったのでしょうかね。
今では、まだ、指で数える程度の事件しか起きていませんが、これから教育の質が下がる可能性が高いことを考えれば、先行きが明るいとは思えません。

また、家の中では家庭という社会がありますから、そこでのルールは最低限あるのかもしれません。
そこで身につけたルールを外でも守ることで、何とか世の中の秩序を維持しているのでしょうか。

そういえば、最近のじじばばは子供を時には楽しませ時には叱るといったことをせずに、他人の文句ばっかいいよる輩が多い気がしますね。
社会的規範を伝える役目を本来ならじじばばが持っているはずなのに、そういう人が少ないというのも影響しているでしょうね。

…また文句をぶちまけるだけの記事になってしまいました。
飛行機が下を向いているときに「墜落するー!」と言うだけじゃ意味ないですよね。
こういう悲観定なことだけに目が行ってしまうのは良くない傾向ですね。
というわけで、最近は自分の好きな本・面白いと思う本を読むようにしています。
もちろん、就活についてもやっていきますが。

そうそう、今日就活課にいって資料をもらってきました。
自分では考えていなかったことなんかを知ることができて、なんだか得をした気分です。
今回は何も情報を持たずに行きましたが、次回は判断材料をもっていって中身のある相談になるといいな。

やることはやりつつ、やりたいこともやりつつ、ストレスレスに残りの大学ボッチ生活を送ろうと思います。
大学の友達や彼女がいないことにだってメリットはあると思う…そんな今日この頃。

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