オラン本柳の自叙伝

昭和を生きた男の物語

ストラトキャスター

2011-07-08 18:20:39 | Weblog
リードギターの座がほぼ決定的になった。
俺は自分用のギターを買うことにした。(それまで宮川に借りてた。ちなみにグレコのレスポール)

もっとも、自分の金で買った記憶はないが、グレコのSG(当時6万円)を購入、またバリバリ練習にはげむのであった。
このギターよく見るとカブトムシに似てる。
のちにAC/DCのギターで有名になるが、すぐにあきてしまった。
腕があがるとともに、所謂、「本物」がほしくなってきた。
フェンダー、ギブソン、その当時レスポールは36万円、ストラトキャスターが20万円、いずれにせよてがでない。
そこで考えた!車の免許をとるからってことで、親から8万円借りて、そのままギターの頭金にしたのであった。
我が家ではそれを「ストラトキャスターの乱」っと呼ばれてるのであった・・・。

ちなみに今から37年ぐらい前のお話である・・そう高校3年生のころです。

初、コンサート

2009-01-24 01:11:05 | Weblog
1972年、8月25日(金)

大宮市民会館小ホール

まだギターを持ってませんでした。
タンバリンをもってなんかやってます。

センターでレスポールを弾いて歌ってるのが宮川。
高校生には見えませんね~

カッコイイ!!

不気味な練習場所

2008-05-18 02:02:39 | Weblog
それからというもの、毎週日曜日はバンドの練習だ。
俺は楽器をまともに弾けなかったので、まずはタンバリンと
コーラス。
さすがに住宅地の中での練習、そのうち苦情がきだした。
当時練習スタジオなんてない時代、いろいろリサーチして
一件の廃虚をただで借りれることになった。
もちろん電気がきてないので、林を挟んで50メートルはなれた
おとなりにコンセントを一つ借りてその屋敷にひいたのであった。
とにかくでかい屋敷だが使える部屋は2階の一部屋、練習にあきると
懐中電灯もってよく屋敷探検をした。
なんと!ここは病院をいとなんでいたらしい(^^;;
不気味な器具やら、なにかのサンプルやらでてきて
それはもう大騒ぎ!
どれくらいの期間、そこで練習してたんだろう?なぜか
思い出せない・・・・。

やっぱり運命かも

2008-05-11 01:41:26 | Weblog
遠藤君とやらの家に行く事になった。
そこは仕立て屋をやってるらしく
結構広いところだった。
「いらっしゃ~い」
おとうさんらしき人が出迎えた。
「よう!」
宮川のやつ、ためぐちだ!
なんてことない、ドラムの本人だ。
俺もそうとうふけてるが、かなわない。
そんな事に関心しつつ、つぎつぎとメンバー
が集まってきた。
俺がいることが、気になるらしく、
サイドギターのしんちゃんは後ろを
むいたまんまだ。
のちにその座を俺に奪われるのを
予知していたのかもしれない。
仕事場をかたずけて、練習が始まった。

初めて、チョーキングってやつを見た!
それから、ノーマルディストーション
(アンプをフルボリュームにすること)
宮川はただもんじゃあなかった!
なんでも、いきつけのレコード屋に
弦まで輸入させてるってんだから、
こいつに、ついて行くしかない!
「このバンドに、入れてください!」
敬語でお願いする事にした。

運命の出会い・・・?

2008-05-03 01:26:10 | Weblog
気になるひとがいる・・・。
しかも、女じゃない男だ。
そいつは、授業が終わったとたん、グラウンドで
ダッシュする、むりやり73わけの桶川のヒーロー
宮川だ!
サッカー部にいるらしい、そいつは、
サッカーだけじゃない、ギターもめちゃめちゃ
うまいらしい。
ぼうずだったらしい、そいつは
未だ早いとはおもうが73わけだった。
隣の市の俺たちは、だいたいつるんで、帰って
いたので、余り地元の奴と交流が無い。
そのギターの腕前を、見たくて仕方なかった。
クラスがちがうので、なんかきっかけが
ほしいと思った俺は、放課後、
とくいげに、ギターを教室で弾いてみた。
曲はたくろうの(今日までそして明日から)
中学時代さんざん練習した曲だ。
となりのクラスから、やつがきた。
どんな会話をかわしたか、忘れたが、
宮川君はバンドをやってるらしく
毎週日曜に練習してるからみにくれば!
みたいなことになって、
見に行く事にした。
やっと奴の腕前を拝見できる。
日曜がやってきた。
まずは宮川君の家に行く事になった。
この後俺は、ものすごいショックを
うけることになる・・・・・。

県立高校、入学!

2008-04-27 21:36:08 | Weblog
今はたぶんちがうと思うが、
第1期生は、たいしたことない。
なんせ俺が入れたんだから、たしかだ。
先輩がいないってことは、こんなにも自由
なんだってことが、毎日起きていた。
だが、先生方はちがった。
最初が肝心!
どうやら、我々の中学は情報にあったらしい。
保健体育の初めての授業。強面の先生が
「太平中の奴ら、前に出ろ!」
なんていわれて、なんか、ほかの生徒に話し出した。
俺は退屈なので、先生の後ろで、おもいっきり
ふざけていた。
しっかり、みんなの笑いをとれたので、安心してると、
真っ赤な顔した、武本先生が、俺をどついた!
記念すべき、創立第1号のどつかれ男となった。
それ以来、体育授業のたんびに、
俺はモルモットにされた。
特に柔道の授業はきつかった。
武本先生、ばりばりの柔道家。
そのころの、俺は176センチ55キロという、
痩せ型、何回投げ飛ばされたか、わかりません。
高校生になって、ほとんど毎日、体育の
授業があるなんて、なんか変だな~と
思っていたんだが、最初が肝心・・・。
なるほど・・そうゆうわけね・・。

受験

2008-04-24 03:16:16 | Weblog
いたずら好きの、不良な俺たちにも、
受験の季節がやってきた。
この学校に来て、遊びほうけてたおかげで、
行けそうな、高校がめちゃめちゃ少なくなっていた。
「先生、俺が入れそうな学校あるかね~?」とたずねると、
「県立ではない!」ときっぱりいわれた。
私立ならいくつかあるのだが、
相変わらず、貧乏なので、学費のことを
考えると、ぐぐっとたそがれた。
のちに、先生から良い知らせをもらった。
「新設校なら、基準が無いから、受けてみろ」と
そうです、比較の対象がないのです。
あとは、倍率との戦いです。1.6倍!
だめもとで、ここ1本にしぼることにした。
というか、なんども試験を受けたくなかった。
落ちたら、就職、老け顔の俺は高卒に見えるだろう。
気楽な事をみんなに言いながら、
内心は、どきどきだった。
遊んでるふりして、土壇場の猛勉強!
いまでもそうだが、
「こんなことならやっときゃよかった!」
しかし来る時が来た。
試験は全然だめだった。
新聞に県立高校の問題と答えがのっていた。
英語なんか1問しかあってない!
トータル200点満点中40点!
絶対、落ちた!と確信した俺は
みんなと別行動で発表を見に行くことにした。
恥かしいし、慰められるのがいやだった。
途中の道すがら、同じ中学の連中にでっくわした。
「受験番号何番だっけ?」
と、へこんでる俺に受かったらしいやつが、
聞いてきた。
「102番・・・。」低いテンションで答えた。
「あったよ!」やさしいともだちだ。
俺は本気にして、はや歩きで、見に行った。
「本当にあった!」ってことは馬鹿ばっかりの
高校に入学できることになった。
「ようし!高校入ったら、勉強するぞ!」
心に思いっきり誓った。
トップも夢じゃない!本気でそう思った。
中学に報告に戻ってみると、泣いてるやつがいた。
あれ?同じ高校受けたやつだ。
俺より悪い点のやつがここにいたとは・・・。
リアクションに困った俺は、
おもいっきり笑顔でなぐさめた。
心の中で(ありがとう)と何回もつぶやきながら。

修学旅行

2008-04-18 03:19:01 | Weblog
行きは新幹線、帰りは特急という時代、
定番の京都と四国にいったのだが、
忘れもしない、京極のケンタッキー!
生まれて初めて、食った俺たちは、少し
涙ぐんでた。
枕投げはもちろん、お風呂で、誰のちんぽが
でかいかなんて、はしゃいでた。
腹が立つことに、でかいやつは、かくさない。
2~3人をのぞき、他のみんなは、かくすはめになった。
もちろん、とてもかなわないので、俺もかくした。
帰りの特急でのことだ。
たしか、夜行なのに、寝台じゃなかった。
俺は念願かなって、福田恵美子(えびらと呼ばれてた)
の隣に、なることができた。
だが、うかつにも、寝てしまったのだ。
気が付いたら、他のやつが隣にいた。
チョット切なくなった、俺の頭の中を、
なぜか、ポール・マッカートニーの
アナザー・デイが一日中流れていた。
みんなにも、あるよね~キュンとくる
思い出の曲!

卒業生を送る会

2008-04-13 03:10:54 | Weblog
バンドが病みつきになった。
相変わらず、ベースもどきは使ってる。
誰が弾いてたか忘れたが、あれ以来、
じゃんけん、した記憶がないので、同じ人だろう。
さて、卒業生を送る会を、よその小学校の
講堂を借りてする事になった。3年生に、評判が
よくなかった俺だが、ここは名誉挽回のつもりで、
噂のバンドをやることにした。
3年生もフォークグループがいた。かぐや姫の
コピーなんかやっててなかなかよかったが、楽屋では
一言も、言葉を交わさなかった。
俺たちの番だ、何をやったかほとんど覚えてないが、
唯一覚えてる曲が、(明日に向かって)だ。
この曲は、タイガースの最後のシングルだ。
終わって楽屋にもどったら、さっきの3年のフォーク
の連中が、なにやら探してる、「どうしたの?」
ためぐちで、聞いたところ、カポタストがないと言う。
なんとなく一緒に探してやった。
卒業してからのちに、この連中と、なかよくなるのだが、
「おまえ、アン時、怖くって、口利けなかったけど、
いっしょに、探してくれたんで、いいやつだな~
っておもったよ~」と
酒を飲むたんびに聞かされた。
その後、リーダーの佐々木さんには、お世話になった。
上尾高校を1番で入った彼に、試験の前、よく教わりにいった。
ここがでる!といったとこはほとんど、でた。
現在は学習塾を経営してる、さすがだ。


中2の学園祭

2008-04-10 03:40:12 | Weblog
野球ばかりだと、疲れるので、
教室でバンドのまねごとを
するようになった。
ドラムをもってるやつとギターはいるが、
ベースをもってるやつがいなかった。
音楽部にもベースはなかったきがする。
誰も買うけはいがないので、ギターばっか4人、
それとドラムでなんとかすることにした。
今年の学園祭にむけて、生バンドのはいった、
喫茶店をやろうってことになった。
売上を当時テレ朝でやってた、マキ伸司の
チャリティー番組に寄付するってゆう企画。
結局、低い音がないのは、おかしいってことで、
じゃんけんで負けたやつが、ベースもどき
(ギターの6,5弦以外はずす)を弾く事になった。
俺はリーダーってことで、ドラムを選んだ。
そのもどきはコードを弾けないので、おのづと
単音を弾くことになってる、われながら
名案だと思った、もちろん、じゃんけんには
参加しなかった。
このときが、バンドの始まりになるのかな~?
もちろん、ドラムを叩きながら、歌も歌った。
その時歌った歌が花の首飾りと、
マンダムでおなじみの、男の世界!
あの時は、チャールズ・ブロンソン
流行ってたっけな~。