
甥2人を持つ自分は今まで「叔母」でしたが、今朝、「伯母」になりました。
大切な弟よ、かわいい義妹よ、本当におめでとう。
「Mayに生まれ『めい』と命名された姪です」というネタをやりたいがために、名前は「めい」にしなよ〜と弟に言っておりましたが華麗にスルーされた件。英断だ。

甥2人を持つ自分は今まで「叔母」でしたが、今朝、「伯母」になりました。
大切な弟よ、かわいい義妹よ、本当におめでとう。
「Mayに生まれ『めい』と命名された姪です」というネタをやりたいがために、名前は「めい」にしなよ〜と弟に言っておりましたが華麗にスルーされた件。英断だ。
液体洗剤「ニュービーズ」の詰替を買いに行ったら、更に進化した「ニュービーズNEO」なるものが売られていました。
・・・どんだけ新しくしたいんだ。
このままいったら、次は「新ニュービーズNEO」になったりして。
その次は「新ニュービーズNEOリニューアル」とか。
更にその次は「ノイエ新ニュービーズNEOリニューアル」とか。
そんでもって「ブランニュースタイルノイエ新ニュービーズNEOリニューアル」とか。
ついには「ジエンドオブジェネシスブランニュースタイルノイエ新ニュービーズNEOリニューアルターボタイプD」とか。
「ビーズ」が埋もれに埋もれているYO!
ちなみに自分は柔軟材入り洗剤を使った時も更に柔軟材を加えてしまうタイプだYO!
やりすぎだYO・・・。
ふんわり感がほしいんだYO!
先日、ダンナの会社の皆様にお声がけいただき、芝公園で夜桜見をしてきました。
初対面であるダンナの上司と「神田川」を歌いながら夜のビジネス街を歩いたり、5種類のたこ焼きをみんなで分け合ったり、不思議で楽しい夜でした。
ドラえもんの、時の流れを可視化できる道具を知っていますか?
怠け者ののび太のためにドラえもんが出した、時間の大切さを実感させるためだけに存在する道具。
眼前の忙しさにとらわれて、やるべきこととやりたいことをただ眺めながら無為に過ごしがちな自分も、一度使ってみたいと思うのです。。。
さて、ダンナから聞いた話。
ショップで商品に表示してある「NEW ARRIVAL」を、二十歳過ぎまで、ブランド名だと思っていたのだそう。
「どの店行ってもやたらあるし、服も鞄も靴も・・・すげーなNEW ARRIVAL・・・」って。
爆笑した。
更にあるPerfume仲間は、昔「月極駐車場」を月極氏の所有する駐車場だと思っていたそうだ。
「月極一族、土地持ってんな〜・・・」と。
また聞きだけど勝手に暴露。ごめんよw
そのネタに絡んで、「かばん」同人の鳥栖ちゃんが教えてくれた話。
知人の方が、ラジオDJが出演アーティストを紹介するときの「〜、〜、and more!」というのを、「エンモア」というバンドか何かが存在するのだと思っていたらしい。
「よく出るな、エンモア」と。これまた腹筋が痛い。
思い込み固有名詞、まだまだありそう。。。
また別の話ですが、引越し荷物の中から、若かりし日に集めたものが出てきました。
高2の時に修学旅行で訪れた京都・奈良で、田舎の女子高生たる自分は、街で配られるテレクラティッシュに衝撃を受けたのだ。
パッケージが可愛いものを中心にコレクションして、大事にしまいこんでいました↓

それをダンナに無邪気に見せたところ、「大事なものかと思って触らないでいたのに・・・テレクラティッシュをドヤ顔で自慢されるなんて・・・・・」と脱力していました。
えーかわいいじゃんテレメイツアキラ!
今かけてもつながるのかな?(かけるなよ)
「かばん」3月号作品を「マスタード革命」に掲載してます。
頭文字が大文字になっていましたが、タイトルも作中の「listen」も小文字でお願いします。
整えたシーツの脇から湯たんぽを差し入れるとき未来の気配 瞳
「listen」より
http://blog.livedoor.jp/mustard1103/archives/2259673.html
指輪をくれる? ひとつだけ 2012年の
金環食まで待ってるから とびきりのやつを
忘れないでね
そうよ 太陽の指輪(リング)
DREAMS COME TRUE 「時間旅行」
この曲のリリースされた1990年当時はまだ11歳で、ドリカムも宇宙の不思議も大好きで、それに何やら大変ロマンチックなこの歌詞にときめいて、「2012年の金環食」とやらをものすごく待ち遠しく思っていました。
あれから22年。
ついに今年の5月21日、天気が良ければ金環日食が観測されます。
それから22年。
にじゅうにねん。
ついにその
本当にこんなふうに見えたら、まさしく「太陽のリング」ですね。
勝手に解釈を述べると情緒が欠けますが、要は一緒に見よう、その時までそばにいてねということですよね。
そんな待ち焦がれた年に、自分にも人生の伴侶ができました。
大安吉日にして父と祖母の誕生日でもある2月14日、揃って届を出してきました。
受理された瞬間、ちょうど区役所の正午の鐘が鳴り渡ったのが印象的でした。
みなさまにはたくさんのお祝いのメッセージ、心のこもった御品をいただき、感激しています。
本当にありがとうございます。
未熟な二人ですが、これからも支えていただけましたら幸いです。
職場でも印鑑や名刺を一新し、新しい名字にも慣れてきました。
憧れだった4文字+3文字の氏名だし、なかなか気に入っています。
歌人としては今後も柴田瞳でやってゆきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
「時間旅行」を聴いて22年間も約束を守り続けたカップルたちが、日本のどこかにいるのでしょうか?
どうか彼らも幸せでありますように。
ふりむけば口角きゅっと引き上げる同じイニシャルで生きてきたひと 瞳

独身最後の日記です。
こんなわたしをいつも支えてくれる皆さん、本当にありがとうございます。
わたしにも、結婚ができるみたいです。どうやら。

明日は区役所や警察へ行くので、一足早くバレンタイン。
ザッハトルテを作ってみました。
だからハンバーグじゃないってば!!!

大きな実感も湧かないまま、独身最後の時間は過ぎてゆきます。
幸せとは、なにげない日々の営為そのものかもしれませんね。

年明け最初のまともな日記です。
先日、歌誌「かばん」の同人・鯨井可菜子から電話がかかってきました。
「なんで電話したかわかりますか?」
「?」
「なんで電話したかわかりますか?」
「??」
「歌壇賞の候補にひとみさん入ってましたよっ!!」
「!!!」
ちょうど仕事の休憩時だったので、電話しながらその足で三省堂に向かい、文芸誌コーナーで歌壇2月号を探したのだけど、俳壇はあるのに歌壇がない。
「歌人あるあるですね」と電話口で笑う可菜子。
結局歌壇は手に入らず、九州に住む可菜子が都内在住の妹さんから送ってもらったという歌壇の該当ページの画像を転送してくれ、それを食い入るように見つめて過ごしていました。
事情を知ったかばんの仲間たちが、品薄状態の中書店を回ってわたしの分の歌壇を手に入れてくれ、しみじみと感謝でいっぱいになっているところに、本阿弥書店より「掲載誌在中」と本誌が届きました。
選考通過の25作に入っただけでなく、点数も2点入れて頂いたため、応募作「神の挨拶」全30首が見開きで掲載されているのを、そして選考委員の先生方の辛くもためになる選評を、自分の目でたしかめることができました。
方々に、深謝を。
*****
拙い歌をノートに書きつけ始めたのを以て作歌を開始したとすることに問題がないのであれば、自分の歌歴は丸15年にもなります。
初めて出した短歌研究新人賞で候補入りしたのが2002年、もう10年も前のことです。
その2年後に第一歌集『月は燃え出しそうなオレンジ』を出版したものの、あまりのクオリティーの低さに自信が持てず、それでも歌人としての名刺代わりの大切なその歌集を版元が勝手に販売をやめ、わたしに確認も取らずに残部を処分してしまっていたという事実を知ったのが数年前。
出版翌年から急に全然売上金が入ってこなくなったので、さぞかし売れずに余っているのだろうと思いきや、「柴田さんの本、出版社に注文したら、もう在庫ないって言われたよ?」と複数回友人知人に言われたのがきっかけに、電話やメールで何度も出版社にコンタクトを取り、疑問をぶつけ、何度もはぐらかされながらも、最終的にはその事実を認めてもらうことができました。
これは本当に、心身共に疲弊することでした。
知り得た驚愕の事実、言われた信じられない言葉をすべて書き始めると終わらないし、この出版社で歌集を出した先輩方も多くいらっしゃるので、これについてはここではこのくらいにしておきます。
そのような中でも在席10年になる所属誌かばんへの寄稿は続け、欠詠したのは2回に留まります。
先輩方に妹のように可愛がってもらっていた自分にも気づいたらたくさんの同年代やそれより若い世代の才能ある仲間たちができ、あちこちで作品を愛唱してくれ、慕ってくれ、歌会以外の場でも交信したり遊んだりするようになり、自分の世界はうんと広がって、あたたかく豊かなものになっていました。
無名無冠のままつっぱしってきて、歌歴だけは無駄に長く、学生短歌会や無所属の高校生たちが次々に大きな賞を受賞してゆくのを目のくらむようなまぶしさを感じながら見ているだけの日々に、だから今回のことは光を投げかけてくれました。
ノートに書きつけた短歌らしきものを友人や国語教師に見せていただけの地方の女子高校生も、気づけばもう30代になり、連作「月は燃え出しそうなオレンジ」のテーマにさせてもらった弟も自分より先に既婚者となり、こんなにも世界が変わっているのだからもっと活躍していて当然かもしれない、少なくとももっと向上心や戦略意識を持って活動していなければだめなのかもしれない、受賞どころか次席ですらない候補入りで大喜びしている場合ではないのかもしれない、こうしている今も焦燥感はとめどなく湧き上がってきます。
もう少し、眩しい光の中で足踏みしていていいですか?
そんなことをつい言いたくなる今までの自分と、そろそろ決別して、もっとぎらぎらと前を見据えて、でも自分らしさも失わず。
ああ。難しいですね。とっても難しいです。
少なくとも、過度に陶酔せず、過度に卑屈にならず、自分の目の前の世界を切り取り続け、歌にし続けること。
その蓄積がいつの間にか誰かの心に響いていることもあるし、何より自分自身を救っている。
長い地道な種まきが、気づかぬうちに萌芽して、艶やかではなくとも清廉な花をつけているかも。
応募作は近いうちに、短歌ブログの方に掲載したいと思います。
このまとまりのない文章で何が書きたいのかというと、やっぱり、周りの皆さんへの感謝です。
本人よりも早く情報をもたらし、本誌をキープし、我が事のように喜び声をかけてくれる皆さんが家族のようにあたたかくて、歌人としての立ち位置よりも自分を取り巻く人々のありがたさを、今回のことは教えてくれた気がしました。
文芸の世界は個人戦だけど、精神的豊かさの中で感性は育まれる。それは近くで遠くで支えてくれる仲間たちがもたらしてくれるもの。
これからも互いに刺激し合い、時には厳しい意見も交わし、短歌のこともそれ以外のことも、たくさん共有していきましょうね。よろしくお願いします。
(幸せがあなたとともにあるように)祈りの作法も知らないままで 柴田瞳
新年明けましておめでとうございます。
不精なわたしに年賀状をくださったみなさま、ありがとうございました。
そしてまさかのベトナム番外編から始まる日記初め・・・ふふふ。
***************
今回のベトナム旅行記は、脱稿(?)まで丸3か月も要してしまいました。
1年9か月にも及んだエジプトの時のようにはなるまいと、途中で普通の日記を差し挟みたくなるのをぐっとこらえ、何とか連続で書き上げることができましたが・・・
今年の目標:遅筆はやめよう。
既にお土産はだいたいの方に配り終えましたが、自分用や予備として手元に残っているものだけでもアップしたいと思います。

ウコン入りニキビクリームとクレンジングミルク。
ガイドブックに載っていて、ニキビ肌の自分は絶対に買いたくて買いたくて震えていた。
国営スーパーですんなり買えて、涙。
効き目は、ごくふつう。

こちらもスーパーで。
1つ100円くらいのチープな食器。
ベトナムと言えば蓮の花モチーフ。

土産店で買った靴べら。

同じく土産店で買った、刺繍入りのポーチやティッシュケース。
いろいろな色を買って女性陣に配りました。
こちらも土産物店で。
木炭の箸と箸置き。愛用してます。
ミトーの小島で買った、ココナッツの木のフォークとスプーン。

郵便局で購入。
ひそかに切手収集をしているので、旅先で買う切手はたまらない。
蓮の花のものがなかったのは残念。

スーパーで買った調味料。
料理に使うとベトナム料理風になる魔法のスパイス。
知らないほ〜がいいのか〜もね〜♪(メイビー)

春巻の皮。
帰国後、KARDIでほぼ同じものを見つけショックを受ける(笑)。
正月に実家で春巻パーティーしました。
さっと水で戻すだけでやわらかくなり、生でも揚げても焼いてもいける。
自分は揚げ春巻しか食べていないけど、予想以上にさっくりして最高でした。

こよなく愛するベトナムコーヒー。
いろいろな種類を購入しました。
お土産でもたくさん配りました。
アルミのフィルターはコーヒー専門店などで売っているので、ベトナム式にドリップして飲んでくださいね。
カップにはコンデンスミルクを入れておき、コーヒーが落ちきったらかき混ぜて飲んでください。

こちらはインスタント。
ドリップしている時間がない時、もっと手軽に。
上のものの分包タイプ。
「かばん」歌会で配ったらぎりぎり足りず、冷汗かいた。
本編最後の日記が駆け足になってしまって、まだまだ書き足りないこぼれ話やベトナム豆知識がたくさんあるけれど、そろそろ、この辺で。
愛すべき国、思い入れのある国がまたひとつ増えた幸せな2011年でした。
じゃあね。
【今度こそ・完】
ゼイゼイ・・・・・。(←年内に書き上げようと必死の音)
***************
最後の食事を終えてタクシーでホテルへ戻り、ロビーで荷物の最終整理をしながらうだうだしていると、H.I.Sのガイドさんが迎えにやってきた。
自分のタイプではないが、なかなかのイケメンであった。

ボケててスマソ
若くて日本語も母国語並みにペラペラ。
渋谷あたりに普通にいそうなお兄さんである。
名前を聞き忘れてしまったのは痛恨のミス。
我々を例の青く塗られたベンツに乗せ、他のホテルも回って同じ便の客を回収し、タンソンニャット空港へ。
お迎えリストの客の中で何か急な変更があったらしく、ガイドさん「もっと早く言ってほしいよね〜」と流暢な日本語でぶつぶつ言っている。
友人とガイドさんのテンポのいい掛け合いを聞きながら、流れる景色に別れを告げる。
ばいばい、ベトナム。
空港には搭乗者以外は入れないため、入口にてパスポートや搭乗券の最終確認をしてくれるガイドさん。
ガイト「Eチケットはありますか?」
筆者「え?ない・・・でもそれたぶん我々には関係ないやつ・・・」
友「じゃーん!」(関係ない書類をひっぱりだす)
ガイド「じゃーんじゃないよ!まったくもー」
びしっ!と友につっこむガイド。関西人か。
ああしかし本当にここでお別れなんだな。
名残惜しく手を振りながら、空港の中へ。
搭乗手続き窓口でスーツケースを預けると、ホテルの体重計では19.7kgだったはずが、20.0kgぴったりを指しているではないか!!
「*k4%f"~#p◎=+*$Xj>・・・!?
」
声にならないうめき声をあげてしまう。
辛くもセーフではあったけれど、もう少しで課金されるところだった・・・
大量に流れる冷汗。
教訓:旅の荷物は軽め軽めを心がけるべし。
さらに、念のため、という程度にフライトの時間を確認したところ、搭乗券に記載されているよりも15分ほど早まっていた!
あぶないあぶない。再び流れる冷汗。
ツアーを申し込んだ時にもらった注意事項の冊子にも、「フライト時刻が急に変更になることがあるので充分確認しましょう」と書いてあったのだった。本当だったのか・・・!
とは言っても、ここはもともとゆとりを持ったスケジュールのため、のんびりと買い物納めをすることに。
いささか割高だけれど豊富にお土産が売られており、買い忘れたものもゲットできる。
スーパーや土産物屋では見なかった種類のベトナムコーヒーなどを買い足す。
ベトナムドンはベトナム国内でしか使うことのできない貨幣のため、先程のレストランできれいに使いきってしまっていたので、まだ余っていた米ドルで支払っていたところ、お釣りがベトナムドンで来たではないか
ドルで返してほしいと言ってみたところ、この空港内ではお釣りは全てベトナムドンなのだと返ってきた。
・・・・・・・。
土産コーナーの通路側に募金箱が設置してあり、その中に大量のベトナムドン紙幣が入れられていた。
国外で使うことができない以上、当然の流れとして旅行者たちは、言い方は悪いけれど「処分」するようなかたちで紙幣を投入する他ない。自分もそうした。
何このシステム。
最後の最後に、ちょっぴりベトナムが憎らしくなってしまったのだった。
合理的ではあるけれどね。
国の貧しさを思えば、お世話になった旅行者ならばどんな形であれ寄付くらいしてしかるべきだとは思うしね。
残っていたドルをかき集めて、免税店で友は香水を、筆者はクリームを購入し、ほっこりしながら機内へ。
座席は窓側ではなかったけれど、遠目にも窓から覗けるベトナムの夜景は美しかった。
今度こそ、タン・ビェット。(=さようなら)
深夜発・早朝着の7時間のフライトで、この頻尿の自分が1度も御手洗いに立たず爆睡するなんて奇跡に等しいのだが、それほど疲労していたのだろう。
それでも、ベトナム時間の午前5時に機内食が運ばれてくると、おもむろにむっくりと起き上がり、自動的に手と口を動かしてしまう哀しい性。
よほど良質な眠りを得たのか、成田からのリムジンバスの車内では、他の乗客が泥のように眠っている中、写真を見せ合ったり次に行きたい国を挙げたりと元気な我々であった。
総括すると、ここまで何のトラブルもない海外旅行は初めてだったかもしれないということ。
(地味にピンチはあったけど・・・汗)
スリ対策をはじめ、現地事情をよくリサーチした上での準備があってこそだし、けっして気を抜いてぷらぷらできる国では残念ながらないのだけど、それでもいつかまた必ず訪れたい。
古来の独自文化と中国やフランスの文化が融合し、奇跡の美が生みだされ育まれてきたベトナム、今の悲惨な戦争の傷跡残るベトナム。
次はきっともっと深く踏み込んでみたいと思う。
たくさんの人や物や景色や食べ物や歴史との出会いに、深く深く感謝しています。
Cam on. ありがとう、ベトナム。
【本編・完】
さて、ベトナムの旅もそろそろ終焉である。
買うべきものを買い込んで満たされた我々は、雨の中を夕食へ向かう。
地図を片手に、スリに注意を配りながら、雑貨屋からレストランまで歩けたこと、
女子だけの海外が初めての自分には安堵と充実感はひとしお!
自分たちで選んだお店で、最後のベトナム料理を食べ尽くす・・・!(メラメラ)

「レモングラス」という親日的なお店で最後の乾杯。
非常に感じのいい店員さんたちのサービスを受けながらメニューを開く。
おお、日本語も添えてありわかりやす・・・ ・・ん?

文法が、アレなことになっているよ?
気持ちはわかるよ?

もはや文章だよね?

違うよね?

ひ・・・棺!?

惜しいけどね?

イコールじゃないよね?
最高傑作がこちら。
自動変換機能まんまですよね?
それにしても、いろいろ食べた旅だった。
総仕上げの気分で口に運ぶ。





「このページに載ってるもの、ほとんど食べたよね?」
ドリップ式のベトナムコーヒーを飲む機会がなかったことと(このお店もドリップされた状態で出てきた)、チェーを1種類しか食べられなかったことが心残りだったけど、それはまたいつか来た時にかなえよう。
この後、店員さんが他のテーブルの伝票を持ってきてしまい、そのミスを伝えたところめっちゃ可愛く謝られて逆に好感度上がった。
我々は2人でさんざん飲み食いして、ちょうど50ドルくらいでした。
1人2000円いかない計算。
ベトナム、素敵すぎる。
この旅ですっかり言い慣れた「カムオーン」(=ありがとう)を告げて、雨の舗道に出る。
国営百貨店の前で降ろしてもらった我々。
やっと!
やっと!!
やっと!!!
フリータイムである。
もうガイドは頼れない。
国営百貨店内のスーパーマーケットは、食料品から生活雑貨まで豊富な商品をほぼ現地の価格で買うことができる。
いかにもベトナム!なものたちをここで調達。
外国人観光客も多く来店するため、入店前に貴重品以外の荷物は預けなければならないシステム。
(ここの受付の兄さんがとんでもなく無愛想だった)
小さなポーチに貴重品だけ入れて、警備員のいるゲートから入店。
ああ・・・ほしかったベトナムコーヒーも蓮茶も調味料もヌードルも春巻きの皮もちょっとした食器も、適正価格(たぶん)でごまんと売られている!
アオダイ・ショッピングセンターなんかで買わなくてほんとに良かった・・・。
ばらまき土産系を大量にゲット。
その後、明らかに日本人を意識した土産屋「Tombo」へ。
ガイドブックに乗っていた通りの可愛いベトナムコーヒーセット、ポーチや小物入れなどの刺繍製品、箸や箸置きをなんかを、アドレナリンを大量放出しつつ店員に価格を確認しながら購入。
2人ともかなり調子に乗って買い込みすぎたので、いったんタクシーでホテルへ戻り、スーツケースに詰め込んでみてから次の土産屋に行こうということに。
「たしかJALだと、20kg以上の荷物って超過料金取られるよね? 」
と友が恐ろしいことを言い出す。
あたし・・・そんなにお金に余裕・・・・・ない。
バスルームに体重計があったので、買ってきたばかりのお土産を詰め込んだスーツケースを乗せてみると、24kgを超過している。
青ざめる筆者。
半泣きになりながら、史跡を歩いて泥だらけになったデッキシューズは思い切って捨て、不要な空き箱や袋も捨て、持ち重りのするお土産は機内持ち込み用の手荷物のバッグにどんどん詰めてゆく作戦。
この作業に没頭した小1時間、なんとか、なんとか、19.7kgにまでスーツケースを減量させることに成功したのである。
今回の旅でもっとも生きた心地のしない時間であった(笑)。
夜、ホテルのロビーにH.I.Sの車が我々を拾いに来るまでにはまだまだ時間がある。
いったん部屋をチェックアウトし、コンシェルジュに荷物を預けて身軽になった我々は、再びホーチミンの街へ繰り出す。

自分たちの足で歩いていることを実感しながら(と言っても交通事情もあってタクシーを使いつつ)、土産店の立ち並ぶドンコイ通りへ。
ガイドブックでチェックしていた欲しいものだらけの店「キト」と「エムエム」へ!

「キト」店内。プチプライスな雑貨からハイセンスな革製品まで
胸ときめく雑貨に囲まれ、恍惚となりながらも貪欲に商品を見てゆく我々。
特に陶器や漆器が大好物な我々にとって、器関係の充実したこれらの店舗は天国である。
ベトナムの地方の焼き物−バチャン焼やソンベー焼は、絶対に絶対に手に入れておきたいところ。
職人の技が光るデザインに、アジアンとヨーロピアンの融合した柄の描かれた器は、特別器好きな人間でなくても胸を射抜かれるだろう。
・・・だが自分には荷物の件があるので、ずっと欲しかった淡い緑に苺柄のティーセットを目の前にしながら、購入することができないのだった。
スーツケースにはもちろん、手荷物にももう余裕はない。
苦悩の末、ひとつだけ、買ったのだった。
大切にするよ。
そういえば、昨日のツアーで一緒だった男子4人組にキトでばったり会い、
夕食に誘われたのだけど、我々には目当ての店があり、水入らずで最後の食事を楽しみたかったので丁重にお断りしたところ、明らかにご機嫌を損ねてしまい、後に空港で顔を合わせたときの気まずさったらなかった。
ごめんなさい。
でも、旅先でまで人に気を遣いたくなかったの。