あいがけ神代カレー  ご当地B級グルメ

秋田県仙北市 田沢湖・角館・・・ご当地B級グルメ&ヒーロー

神代カレー 誕生秘話【再掲載】

2008年08月26日 | 神代カレー
隊長です。

ブログをずっと見てたら、カレーのこと何も書いてない
ことに気づきましたので神代カレーをご紹介します。

歴史:

昭和初期、神代駅から汽車に乗って秋田市へ買い物に行った
浅香レンさん(当時44歳・仮称)は木内デパートのレストランで
初めてライスカレーを食べる。その美味しさに驚き
子供達にも食べさせたいと、早速、カレー粉を購入、自宅で
調理するが、まったく同じ味にならない。
試行錯誤を経て、カレー粉、小麦粉、食用油を最初に炒りながら
固めたルーを考案する。これを醤油出汁の煮物に溶かし
スパイシーなカレー風味の煮物を造りだした。
これが「神代カレー」のルーツとなっている。
当時の具は「くじらの缶詰」「さば缶詰」「魚肉ソーセージ」など。

昭和30年頃、完全に和風なカレーに洋のテイストを加える為
ウスターソースをかけ始める。これにより、レストランの味に
かなり近づく。

昭和35年頃、市販固形ルー「バーモンドカレー」などが発売され
小麦粉カレーは次第に作られなくなっていく。

昭和40年頃、「カレーにはソースをかけるもの」と信じていた
人々に対する排斥運動勃発!
「カレーにソースをかけるなんて作った人に失礼」など非難の嵐!
「田舎者」呼ばわりされ、受難の時期をむかえる。

昭和50年頃、一億総中流意識の中で隠れ「ソースかけ派」は細々と
カレーにソースをかけ、食べ続ける。しかし市販カレールー
が高級、そしてグルメ化していく中で次第にソースをかける意味を失っていく。

昭和60年頃、バブル景気の影響からか、ついに神代地域でも「ソースかけ派」
が絶滅危惧種に認定される。ソースかけ派は「カレーを食べると胸やけする」
と言い訳しながら、カレーから遠ざかっていくことになる。

平成19年3月、バブルも空白の10年もなんのその、
神代地域は昭和の姿、そのまま!
復刻版ブームと稲作地域の悩み米余り状態を一挙に解消すべく、
神代カレー復活の呪文を唱えた!
すると、昔のカレーだけじゃなく、個人的な好み・・・
「俺は目玉焼きのせるぜ」「温泉卵も好きだな」
「現代風カレーと合いがけにしよう」「福神漬じゃなく
いぶりがっこのほうが旨い」などなど テイストが加わり
現在に至る。

絶滅危惧種「カレーにソースかけ派」は見事にこちらも復活。
堂々とカレーにソースをかけられる喜びをこう語った。
「カレーとソースが再び出会った運命とお導きを信じ、美味しい
神代米と神代カレーを全国に紹介する為、機動販売を率先し決行する」・・・
「神代カレンジャー」は隠れ「ソースかけ派」の生き残りだったのだ。

(フィクションです)

最新の画像もっと見る