期末試験が始まり、院試勉強と並行してやり始めたところ。1番のネックだっfortranは、今はやらないことにした。担当の人が風邪で休んだりしてたから、まだ話はしていないが、何とかお願いしてみようと思う。
この決断は今までの自分にはあまりないものだった気がする。輪講でもそうだったように、俺は今まで、それをやらなければ人に迷惑がかかることを優先し、やらなくても自分が困るだけというものは後回しにしていた。こう言うと、「人のために動いてる」というように聞こえるかもしれないが、そうとも限らない。人の顔色を伺ってるとも言えると思うから。
こういう考えに至ったのは、やはり自分を支えてくれる周りの人を意識したからなんかなと思う。前回言ったような想いが、いろんな人から言葉をかけてもらったり、今のサッカー部の状況を考えたりしたときに大きくなった。こう考えるとやっぱり自分は、人のことを先に考えてしまうパーソナリティを持ってるんかなと思う。それはうまく働くときもあるだろうし、逆のこともあるだろう。自分のことに打ち込める人をすごいと思うし、そういう力も身につけていきたいと思うが、今あるパーソナリティも大事にして、いろんな場面でうまく活かせるようにしていきたい。
ここで、この前見たイチロー問答で、イチローが言っていたことを紹介したいと思います。『努力』という言葉のイメージについて。ゲストの北村晴男弁護士が
「喜びに至る道」
と答えたのに対し、イチローは
「努力を努力と思ってる自分がいたら蹴飛ばしてやりたい」
と言った。ん~奥が深い。
実はこれに似たことを考えていたことがある。もちろん、イチローとは次元が違いますが。「努力してます」と簡単に言えてしまう人間にはなりたくないと思っていた。その言葉を使った時点で、それが自分の限界で、それ以上はやらないことを意味しているように思えるから。「努力」という言葉は人を評価するときに使う単語であったり、もしくは何かをやり遂げたときに「努力したから達成できました」というような使い方ならいいと思うが、何かをやっている最中に思うことではないはず。
ただ、こういうことを考えるようになったのは、このサッカー部にいたから。でも、イチローと決定的に違うのは、行動が伴っていないこと。まだまだイチローにはほど遠い。影さえも見えない。
何か偉そうに書いてしまいましたが…。まずは、院試に受かること。それが優先順位の1番。マスターになるために、人の想いに応えれる人間になるために。今やるべきこと、それをやるのみ。