被災地の現状:
5月の連休を利用して、1泊2日(車中泊)で
宮城県の被災地:女川 石巻 松島 塩竈の現状を確認して来た。
5月2日深夜東京を車で出発。途中サービスエリアで仮眠を取り、
東北自動車道/南三陸道路と乗り継いで、石巻に到着したのは朝8時だった。
当日は、澄み切った空が広がる素晴らしい天気だった。
3月11日の惨事がなければ、コノ道も行楽客で混雑していただろうと、
感傷にひたりそうになってしまう。
そんなまどろいも、すぐに吹き飛んでしまう光景が直ぐに始まった。
街境の坂を昇り切ると、目の前に飛び込んで来たのは、流された住宅の瓦礫だった。
え!まだ海が全然見えないこんな内陸部なのに!
中心街に向かう道路は瓦礫処理に奔走する、自衛隊や産廃の車が行き交い、
先程までののどかさが一変。
瓦礫が敷地を埋め尽くし、その間を縫う様に道路が確保されている。
建物のかわりに、流された瓦礫が区画の輪郭をつくると言う、
とても不思議な光景が街全体を支配していた。
魚市場があった周辺は、水産加工施設の骨組みだけが残り、
冷凍庫が壊滅し、腐った魚の異臭が鼻を突いた。
岸壁から下を覗くと、澄み切った海が穏やかで、
ウミネコの声が惨事の事を忘れさせてしまう程、
のどかに響き渡っていた。
女川は、三陸のリアス式海岸の典型的な地形の街。
魚市場を中心に丘陵地帯にかこまれた平地部分に住宅や施設が密集していた。
その街が何も無くなっていた。街の真ん中にある駅は跡形も無く、
石巻線のトンネルの中まで、瓦礫が押し寄せていた。
車両が横転していて、津波の破壊力を改めて実感させられた。
地形が、生死を分けた事が本当に明確にわかった。
避難所として利用されている、小高い丘にある学校がおそらく唯一の安全な場所だったに違いない。
丘の上から見ると、眼下の平坦部は、取り囲む丘陵線まで全て洗い流されていた。
今後の復興で、一番大切な住居地域の立地の検討の参考にしなければならない。











