石巻の現状
石巻は、人口が16万を越える宮城県第二の都市だ。
太平洋に面して開けた平坦な地形である。
女川を後にして、石巻市内に入るまでは、あまり、今回での被害が
顕著に見られないと勝手に思い込んでいた。
女川と決して比較してはならないが、
震災から2ヶ月が過ぎた5月の連休時点でも、市内の信号がまだ不通の所が
多く見られた。
潮の干満によっては、今回の震災での地盤沈下で毎日数回冠水する地域がある。
地元出身で有名な漫画家:石ノ森章太郎氏の祈念館は、市内を流れる川沿いにあり、
津波の被害に会い、閉鎖されていた。
5月の時点で復興に向けて市内でのインフラ整備の工事は至る所で行われていた。
市内の至る所に避難所が設置され、日常生活に窮していられる方々の多さに、
改めて驚愕した。連休を利用して、ボランテア活動をしている方がた多く、
道沿いにボランテイア集合場所の書かれたサインを多く見かけた。
今回の現地調査では、避難所を訪れ事に非常に抵抗を感じて、
一切伺わなかった。
物見遊山の、興味本意で東京の人が何しに来ているんだ
と思われる事に後ろめたさがあった。
少しの時間だけ訪れて、被災された人々の複雑な想いは、
理解できない。
同情等まして、失礼になってしまう。
本当に、どうして良いのか解らなかったのが、本音だった。
被災された方々には、それぞれに失ったものがあり、
その存在の大きさは、第三者の私には到底理解できない。
何も出来ない事への口実ではなく、今回の自然の摂理がもたらした事実の重さに
ただ、唖然とせざるを得ない。
人力では防げない、自然の力の大きさに、我々人間の存在の「はかなさ」を
突きつけられてしまった。
確かに、所詮我々は、生まれてくる時も、死んで行く時も基本的には、
自由に操作出来る事は出来ず、
常に与えられて来た「事実」に左右される存在なのかもしれない。
被災して、インフラ工事中の石巻の商店街を車で移動する際に、
見かけた地元の人達の前向きな姿勢には、本当に感激した。
冠水、被災してショップフロントのガラス等まだまだ、
補修が完全でない中、
パン屋さんと蒲鉾店が、被災した地元の人達の為に、
いち早く営業を再開して作り立ての味覚を
提供し始めていた。
手製の看板には、復興を願う気持ちがひしひしと伝わってきた。
小生も「石巻!絶対にまけるなー!」思わず、心の中で、叫んでしまった。
石巻の市内には、沢山の避難所があり、自衛隊/ボランテイアの方々が精力的に
活動されていた。通りすがりの部外者には、到底理解しきれないが、
これから夏の時期を迎え、不自由な生活が少しでも早く解消される事を願ってならない。
早く、仮設住宅や借り上げ住宅への、生活基盤の移行が随時
行われる事を切望してならない。
仮設住宅のプレハブ供給には、大手企業の資材調達が
切り離せない。それは、事実だ。
画一的で、建築家としては、受け入れがたいが、
避難所の生活からの脱出を考えれば、仕方の無い事かも知れない。
しかし、もう少し、住宅の配置や仮設住宅に入る、
家族の年齢層や地域性を考慮した募集と成る事を願ってやまない。
老人被災者の、孤独感が本当に心配だ。
仮設だが、「互いを助け合う」コミュニテイーは、
建築物の構成によって、かなり誘発する事ができる。
捕虜収容所の様な仮設は、
仮設ではなく、監獄だ。
ちょっとした工夫で、
殺伐とした、仮の生活が、充実したものになる。
我々生活空間を考える者として、
問い続けなければ、ならない。
余談:
昨年まで息子が所属していた少年野球チームが
仙台市名取の閖上からチームを招いて
先週親善試合をした。
復興に向けての、子供達の笑顔が救いだ。
大人の善意が子供達を救う。
微力ながら、小生も建築の分野で、
笑顔を取り戻す活動を続けて行く。











