
<新制作上演>
2008年4月15日(火)14:00/新国立劇場
指揮/ダン・エッティンガー
東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団
演出/マティアス・フォン・シュテークマン
美術/堀尾幸男
照明/沢田祐二
衣裳/ひびのこづえ
マックス/アルフォンス・エーベルツ
アガーテ/エディット・ハラー
エンヒェン/ユリア・バウアー
カスパール/ビャーニ・トール・クリスティンソン
森林官クーノー/平野忠彦
オットカール侯爵/大島幾雄
隠者/妻屋秀和
農夫キリアン/山下浩司
悪魔ザミエル/池田直樹
花嫁の介添/鈴木愛美/田島千愛/高橋絵理/中村真紀
客電が落ちて暗くなり、指揮者がオケピットに姿を現すと拍手が起こる。これもオペラのお楽しみの一つなのだが、新国立劇場の四階席の場合、身を乗り出さずにキチンと座ったままだと、何も見えないのが辛い。今日は男性の係員が開演前にわざわざ客席まで来て、周囲の観客に迷惑だから前へ身を乗り出すな、と何回もクドクドと注意して回っていた。そこまでしても上演が始まると、やはり最前列で前のめりになっている客が居る。出来損ないのホールだから、致し方もないことだが。
「フライ・シュッツ」序曲は、もともとワクワクするような楽しい曲だが、今日の東フィルのノリの良い演奏は、この上演は当りかな、と予感させる出来栄え。幕が上がると、森林を描いた蛇腹式のカーテン・ウォールのような衝立の書割セットがあり、その前にコーラスたちがいる。オペラの要となる“森林”は、この書割セットで表わされ、衝立の天辺ではバンダが演奏したり、ザミエルがイヌワシを落としたりの細かい芝居がある。また、この屏風のようなセットの出入りや移動は緩急自在で、二幕二場では猛スピードで動いて、何だか目まぐるしかった。この狼谷の場面は定石通りにオドロオドロしい演出で、黒い幽霊屋敷風の階段セットを、助演の蜘蛛が走り回り、火の車みたいなのが宙を飛ぶ。他にも色々と魑魅魍魎を繰り出し、結構アイデアは豊富なのだが、とにかく一瞬の出来事なので、何が出たのか全部は分からんというのが正直なところ。
コーラスの衣装の時代考証は不分明だが、色彩は随分とカラフルなもの。演出家のモッブの処理も手馴れたもので、その辺りはまずまず楽しめる。女声は花輪を首に掛け、男声は肩から木の枝を生やしているが、これは多分、狩人と農民の区別を視覚化しているのだろう。でも、みんなゴチャゴチャになって動き回るので、四階席からだと殆んど見分けは付かない。
二幕一場のアガーテのお家のセットは裏表に部屋があり、サイドには玄関も付いていて、一つのセットで三つの場面をこなす仕掛け。エンヒェンが肖像画を壁に掛け直す部屋は寝室で、アガーテがマックスを待つ場面では、セットが45度回転して玄関前になる。三幕でセットは半回転して反対側を見せ、結婚式の控え室となる。演出は至って穏健なもので、意表を突く見せ場はない代わりに、のんびりと見物できる。でも、如何にも行き当たりばったりで、オペラ全幕を貫くポリシーに欠ける演出には、もどかしい思いも募ってしまう。
エッティンガーの指揮は明るく快活なもので、メランコリックな情感は強調しない。しかし、このオペラには明るい曲想の中にも、次の場面の悲劇を予感させるものがある。指揮者は作意的に曲の哀しみを演出せず、楽しさの中に自ずと含まれる一抹の哀しみを、ヴェーバーの音楽自体に語らせていた。僕は今日まで、エッティンガーという指揮者に具体的なイメージを持っていなかったが、今日の演奏からは同時代のロマン派の作曲家、シューベルトやメンデルスゾーンにも適性があるのではないか、という印象を受けた。
女声主役の二人も、曲への深い理解を感じさせるアリアを歌ってくれた。アガーテのハラーは中音域に暖かい音色があり、高音のフォルテにも余裕のある、伸びやかな声のソプラノ。まだ、オペラ歌手としてのキャリアを始めたばかりの若手のようだが、歌声に格調の高さを感じさせ、既に大歌手の風格を備えている。エンヒェンのバウアーはコロラトゥーラのテクニックを備えた、レジェーロな軽く明るい声のスープレッド・ソプラノ。多彩な音色を使い分けて、音楽的な表現力にも優れ、如何にも楽しそうに演技するのも好感度が高い。彼女も無名の若手だが、この人のツェルビネッタやジルダなら是非とも聴いてみたい、そう思わせるだけの魅力のある歌手だった。
ところでバウアーは、当初発表になったリディア・トイシャーの代役なのだが、そのトイシャーは、三月に行われたエイジ・オブ・エンライトメントの「ヨハネ受難曲」の公演に、やはり他の歌手の代役として出演している。全く訳の分からない成り行きだったが、僕はヨハネでのトイシャーさんの歌も聴いているので、今日はバウアーさんのエンヒェンを聴けて、幸運だったと思う。
しかし、女声二人の充実に比べ、男声主役の二人は全くパッとしない。マックスのエーベルツはパッサージョというものを無視し、バリトンのままの重苦しい声でアクートをムリヤリ絞り出す、軽やかさの欠片も無いテノール。カスパールのクリスティンソンも声の魅力に乏しいバスで、やはり平板な歌い振りに終始し、この人のアリアになると退屈した。
オットカールの大島幾雄は、「黒船」の伊佐では声を作っているのかと思ったが、ああいう悪役風のソノリティが本来の持ち味なのだと納得。隠者の妻屋秀和は少ない出番でも、この役に相応しい声の存在感を示し、ザミエルの池田直樹は歌は効果音だけだったが、そのトボけたキャラが悪魔役にハマっていた。
そして意外と言っては失礼だが、バンダを含めたホルン奏者たちの健闘が嬉しかった。三幕の前奏曲と「狩人の合唱」を危な気なく吹き切り、やる時はやるじゃん東フィルのホルン、と感心した。もちろん、狩人たちの男声合唱もタップリと楽しませて貰った。僕はグリークラブ出身で、この曲には沢山の思い出が纏い付き、あまり冷静には聴けないのだけれども。
2008年4月15日(火)14:00/新国立劇場
指揮/ダン・エッティンガー
東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団
演出/マティアス・フォン・シュテークマン
美術/堀尾幸男
照明/沢田祐二
衣裳/ひびのこづえ
マックス/アルフォンス・エーベルツ
アガーテ/エディット・ハラー
エンヒェン/ユリア・バウアー
カスパール/ビャーニ・トール・クリスティンソン
森林官クーノー/平野忠彦
オットカール侯爵/大島幾雄
隠者/妻屋秀和
農夫キリアン/山下浩司
悪魔ザミエル/池田直樹
花嫁の介添/鈴木愛美/田島千愛/高橋絵理/中村真紀
客電が落ちて暗くなり、指揮者がオケピットに姿を現すと拍手が起こる。これもオペラのお楽しみの一つなのだが、新国立劇場の四階席の場合、身を乗り出さずにキチンと座ったままだと、何も見えないのが辛い。今日は男性の係員が開演前にわざわざ客席まで来て、周囲の観客に迷惑だから前へ身を乗り出すな、と何回もクドクドと注意して回っていた。そこまでしても上演が始まると、やはり最前列で前のめりになっている客が居る。出来損ないのホールだから、致し方もないことだが。
「フライ・シュッツ」序曲は、もともとワクワクするような楽しい曲だが、今日の東フィルのノリの良い演奏は、この上演は当りかな、と予感させる出来栄え。幕が上がると、森林を描いた蛇腹式のカーテン・ウォールのような衝立の書割セットがあり、その前にコーラスたちがいる。オペラの要となる“森林”は、この書割セットで表わされ、衝立の天辺ではバンダが演奏したり、ザミエルがイヌワシを落としたりの細かい芝居がある。また、この屏風のようなセットの出入りや移動は緩急自在で、二幕二場では猛スピードで動いて、何だか目まぐるしかった。この狼谷の場面は定石通りにオドロオドロしい演出で、黒い幽霊屋敷風の階段セットを、助演の蜘蛛が走り回り、火の車みたいなのが宙を飛ぶ。他にも色々と魑魅魍魎を繰り出し、結構アイデアは豊富なのだが、とにかく一瞬の出来事なので、何が出たのか全部は分からんというのが正直なところ。
コーラスの衣装の時代考証は不分明だが、色彩は随分とカラフルなもの。演出家のモッブの処理も手馴れたもので、その辺りはまずまず楽しめる。女声は花輪を首に掛け、男声は肩から木の枝を生やしているが、これは多分、狩人と農民の区別を視覚化しているのだろう。でも、みんなゴチャゴチャになって動き回るので、四階席からだと殆んど見分けは付かない。
二幕一場のアガーテのお家のセットは裏表に部屋があり、サイドには玄関も付いていて、一つのセットで三つの場面をこなす仕掛け。エンヒェンが肖像画を壁に掛け直す部屋は寝室で、アガーテがマックスを待つ場面では、セットが45度回転して玄関前になる。三幕でセットは半回転して反対側を見せ、結婚式の控え室となる。演出は至って穏健なもので、意表を突く見せ場はない代わりに、のんびりと見物できる。でも、如何にも行き当たりばったりで、オペラ全幕を貫くポリシーに欠ける演出には、もどかしい思いも募ってしまう。
エッティンガーの指揮は明るく快活なもので、メランコリックな情感は強調しない。しかし、このオペラには明るい曲想の中にも、次の場面の悲劇を予感させるものがある。指揮者は作意的に曲の哀しみを演出せず、楽しさの中に自ずと含まれる一抹の哀しみを、ヴェーバーの音楽自体に語らせていた。僕は今日まで、エッティンガーという指揮者に具体的なイメージを持っていなかったが、今日の演奏からは同時代のロマン派の作曲家、シューベルトやメンデルスゾーンにも適性があるのではないか、という印象を受けた。
女声主役の二人も、曲への深い理解を感じさせるアリアを歌ってくれた。アガーテのハラーは中音域に暖かい音色があり、高音のフォルテにも余裕のある、伸びやかな声のソプラノ。まだ、オペラ歌手としてのキャリアを始めたばかりの若手のようだが、歌声に格調の高さを感じさせ、既に大歌手の風格を備えている。エンヒェンのバウアーはコロラトゥーラのテクニックを備えた、レジェーロな軽く明るい声のスープレッド・ソプラノ。多彩な音色を使い分けて、音楽的な表現力にも優れ、如何にも楽しそうに演技するのも好感度が高い。彼女も無名の若手だが、この人のツェルビネッタやジルダなら是非とも聴いてみたい、そう思わせるだけの魅力のある歌手だった。
ところでバウアーは、当初発表になったリディア・トイシャーの代役なのだが、そのトイシャーは、三月に行われたエイジ・オブ・エンライトメントの「ヨハネ受難曲」の公演に、やはり他の歌手の代役として出演している。全く訳の分からない成り行きだったが、僕はヨハネでのトイシャーさんの歌も聴いているので、今日はバウアーさんのエンヒェンを聴けて、幸運だったと思う。
しかし、女声二人の充実に比べ、男声主役の二人は全くパッとしない。マックスのエーベルツはパッサージョというものを無視し、バリトンのままの重苦しい声でアクートをムリヤリ絞り出す、軽やかさの欠片も無いテノール。カスパールのクリスティンソンも声の魅力に乏しいバスで、やはり平板な歌い振りに終始し、この人のアリアになると退屈した。
オットカールの大島幾雄は、「黒船」の伊佐では声を作っているのかと思ったが、ああいう悪役風のソノリティが本来の持ち味なのだと納得。隠者の妻屋秀和は少ない出番でも、この役に相応しい声の存在感を示し、ザミエルの池田直樹は歌は効果音だけだったが、そのトボけたキャラが悪魔役にハマっていた。
そして意外と言っては失礼だが、バンダを含めたホルン奏者たちの健闘が嬉しかった。三幕の前奏曲と「狩人の合唱」を危な気なく吹き切り、やる時はやるじゃん東フィルのホルン、と感心した。もちろん、狩人たちの男声合唱もタップリと楽しませて貰った。僕はグリークラブ出身で、この曲には沢山の思い出が纏い付き、あまり冷静には聴けないのだけれども。











こちらからも、TBをさせてもらいました。
魔弾はおおむこうまでうならせるには難しいオペラだと思うのですが、席を別にすればまずまずといったところでしょうか。
4階席に座ったことがありますが、あすこは上半分が見えるだけですね。3階席が限界だと思います。
1階席が平土間の位置ではなくかなり高い位置にあるのでその分2階より上もあおりをくっているのでしょうね。
それでもお隣のオペラシティのコンサートホールの3階席サイドよりはずっとましです。あすこでは前かがみすると落下するので横になって観る。失敗作ではなく故意の実験でしょうね。
話がいつもどおりそれましたが、ホルンの5度の和音はきれいに響いたようですね。新国立の場合、音響はそれなりにまんべんなく響き渡りますから、あとは腕しだいということでしょうか。
TBありがとうございます。こちらからも返させていただきます。
keyakiさん、同じくです。
>魔弾を作るところ
これも映像より面白かったです。ほんとに必死という感じではらはらしちゃいました。カスパー役の歌手、ここと最期の場面などの細かい演技がとても巧かったと思います。
僕も演奏は本当に楽しめました。演出の受け取り方は人それぞれですが、少なくとも観客を退屈はさせないものでした。
河童メソッドさん。
ホルンと男声合唱は倍音が合うみたいです。「狩人の合唱」が快感だったのは、高次の倍音が響いたからだと思います。
keyakiさん。
あの二人は将来有望です。これからは要チェックですよ。
euridiceさん。
言われてみれば確かに、魔弾鋳造の場面でのカスパ−ルは熱演でした。貶すだけではなく、良いところは誉めないといけませんね。
実はTBする際にコメントも試みたのですが、認証文字に拒否されました。後でコッソリ、読み方を教えて下さいませ。