オペラの夜

出掛けたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深める為のブログです。

オッフェンバック「ホフマン物語」

2010-09-18 | フランスオペラ
<あいちトリエンナーレ・プロデュース/シューダンス&エーザー版上演・プレミエ>
2010年9月18日(土)14:00/愛知県芸術劇場

指揮/アッシャー・フィッシュ
名古屋フィルハーモニー交響楽団
藤原歌劇団合唱部
AC合唱団

演出/粟國淳
美術/横田あつみ
照明/笠原俊幸
衣装/アレッサンドロ・チャンマルーギ
振付/神戸珠利

ホフマン/アルトゥーロ・チャコン・クルス
オランピア/幸田浩子
アントニア/砂川涼子
ジュリエッタ/中嶋彰子
ミューズ&学生ニクラウス/加賀ひとみ
リンドルフ議員&人形師コッペリウス&ミラクル博士&魔術師ダベルトゥット
/カルロ・コロンバーラ
物理学者スパランツァーニ/晴雅彦
酒場亭主ルーテル&召使コシュニーユ/三戸大久
父クレスペル/松下雅人
母の声/宮崎智永
召使フランツ/西垣俊朗
学生へルマン&娼客シュレーミル/森口賢二
学生ナタナエル/村上敏明
ステッラ/手嶋仁美


 会場近くの居酒屋のランチ営業で、海鮮丼に素麺と小鉢物と味噌汁と漬物の付いたセットでワン・コインの、あまりにも名古屋な昼食を頂く。愛知県芸の地上入口前に、水玉模様の車の置いてあるのが見えて、何だか草間弥生みたいだなぁと思いつつ近寄ると、これがトリエンナーレに出品された、弥生ちゃんの作品そのものだったので笑ってしまった。でも、今回のトリエンナーレは、ゆっくり観て回る予定を立てなのかったが惜しまれる、なかなか興味深い展示のあるようだ。

 実は昨日の「マノン」と同様に、「ホフマン物語」も初経験オペラで、考えてみれば僕にとってのフレンチ・オペラは、これまで縁遠い存在だった訳だ。例に拠って「マノン」も「ホフマン物語」も予習無しの、ぶっつけ本番で挑む。まあ、僕は記憶力に問題があって、一度や二度聴いた程度では、なーんも覚えてないなんて事も良くあるので、初めてでも大差はないと云うのが、誠に情け無い実情であります。そもそも「ホフマン物語」は酔っ払いの与太話で、のんびり楽しめば良いのではないかと、一応は自己弁護して置く。

 「ホフマン物語」も「カルメン」に六年遅れで、パリ・オペラ・コミック座で初演されていて、「マノン」の初演は更に三年後の事になる。このオペラは「トゥーランドット」や「イーゴリ公」と同じく、作曲者の死による未完成作品で、補筆により上演版は作られたものの、それも二度に亘る火災で焼失し、原典版は存在しないと云う事になっている。何だか矢鱈に色んな版のあるらしく、ジュリエッタとアントニアの出て来る幕の演奏順を入れ替えたり、それどころかジュリエッタの幕をバッサリ省略した版もあるらしい。まあ、物覚えの悪い僕は少々の異同には気付かないし、版の違いに拘るような柄でもない。

 その初めて聴く「ホフマン物語」は、知っている人には何を今更と言われるだろうが、僕はとても良いオペラと感じ入った。まず、お話そのものが良く出来ているし、その幻想的且つ演劇的なストーリーに名旋律を満載した音楽があって、最後まで緩み無く観客を楽しませるオッフェンバックの手管は、とても聴き応えがある。このオペラの台本は、ドイツの詩人ホフマンの三つの短編小説を三幕物に仕立て、これをプロローグとエピローグで挟み、ホフマン自身が主人公として物語る形式。これは現在から過去に遡る回想形式で、入れ子構造の劇中劇でもある。時制通りにお話を進める、単純明瞭なストーリーばかりのオペラ台本の中で、こんな複雑な構造を持つ演劇的な台本の、他にあるのか僕は良く知らない。

 プロローグの第一幕は酒場の場面で、まず照明の暗いのが印象に残る。広い舞台の中心部にスポットを当てるので、そこで行われる劇に対し、観客の集中力を高める効果がある。人形に恋し、亡霊の歌声を聴き、鏡像を失う幻想的な「ホフマン物語」に、これは相応しい照明効果と思う。歌手のトップ・バッターで登場するのは、女神ミューズの加賀ひとみ。この役は学生ニクラウスに化身してホフマンに付き添う、助っ人外人の二人と共に五幕を出ずっぱりの重要な役処。僕は初めて聴く人と思うが、声量に乏しいと云うか、声の力そのものに物足りなさを感じる。重要な役処で、しかも今回は余裕綽々の助っ人歌手と渉り合わねばならず、若手で経験の浅い歌手には重荷に過ぎたようだ。

 次に出て来た悪魔役のコロンバーラは、大ベテランのバス歌手で役処を完璧に把握し、さすがと云うしかない貫禄の歌と演技。この人の存在自体が舞台を引き締めて、今日の上演の要となっていた。こんな大歌手を名古屋まで連れて来た、プロデューサーの手腕に拍手を送りたい。これに対するタイトル・ロールのチャコン・クルスには、まずまずのソット・ヴォーチェとスピントする高音に力はあるものの、中音域で力を入れると喉を詰めたような、お世辞にも美しいとは云い難い声になる。声そのものの魅力に乏しいと、主役なのに目立たなくなってしまう、これもなかなか難しい役処だ。只、この人の演技力は充分に買えるし、やはりオペラ全体をキチンと見通して、コロンバーラと二人のタッグで、他の若手歌手を引っ張る役割は果していた。

 タイトル・ロール登場の場面では、横へスライドして舞台に現われた学生達の男声合唱が賑やかに歌われる。このコーラスの扱いは秀逸で、演出家の冴えを感じさせる。粟国は三月の「パン屋大襲撃」でも、コーラスに同じような演技を付けていたが、今回の出来とは雲泥の差がある。この差が何に由来するのか良く分からないが、やはり単純に練習量と熟成度の問題だろうか。次のオランピアの第二幕では、去年びわ湖ホールで観た「トゥーランドット」と同じく、歯車のデザインされた巨大円盤状セットの登場して、これは粟国君の幼児体験か何かで、彼には歯車への偏愛のあるのかも知れない。子供の頃、壊れた時計の分解が好きだったとかね。

 この第二幕のスパランツァーニ家の場面、二場は夜会シーンだが、ここでも照明は暗いまま。斜めに傾斜した円盤セットの、低くなっている側で歌手の演技は行われる。これの半回転して高くなっている側を見せると、そこに沢山の提灯の吊ってあるのと、コーラスの女声は赤で男声は黒の、ピカピカ光る素材の夜会服とが、暗目の照明の中で美しい効果を挙げている。今日の演出ではセットと衣装に随分と金も掛けて、これは大当たりと僕は感心しきり。スパランツァーニの晴雅彦は舞台に出て来た際、最初誰だか分からなかった程の白塗りメイクで、これは結構ハマリ役と思う。

 チュチュを付けたゴスロリ風衣装のオランピア、幸田浩子を僕は初めて生で聴いたが、“生垣には小鳥”のアリアでの声の動きが固く、滑らかなフレージングになっていない。何だかキコキコした唱い振りで、幾ら機械の歌と云っても、もう少し柔らかく歌ってもバチは当らんと思う。テレビ出演も多い美人歌手で、貴重なレジェーロ・コロラトゥーラとは思うが、これから研鑽を積まないと、このままでは第二の佐藤しのぶになる危険性もあるやに思う。

 円盤セットのズルズルと後退して第三幕の始まる、愛知県芸の舞台機構をフルに生かした演出で、ミュンヘンのクレスペル家の場面は古ぼけたグランド・ピアノの置かれ、切れた赤いカーテンの掛かる廃屋風。この幕のプリマドンナであるアントニアの砂川涼子は、美しいリリコの声だが音色の変化の無いのと、ヴィブラートのキツ目なのも気になる。それと感情を込めた歌になっておらず、声を伸ばしても情感の揺れないので、“逃げてしまった山鳩”のアリアも聴いていて余り面白くない。曲自体はイタオペ風で、この役は最後パタッと死んじゃうし、やっぱこれは椿姫のパロディなのでしょうか。衣装はクラシックな感じのドレスだったが、やはりこれも随分と手の込んだ衣装に見える。でも良いですよね、三人の美人歌手が豪華な衣装で登場する。これって、オペラの華ですな。

 第四幕のヴェネツィアの娼館の場面では、円盤セットがピカピカ光る銀紙を貼られて再び登場。ジュリエッタの中嶋彰子の衣装は矢鱈に裾の長い、和洋折衷の無国籍風で、この長い裾を彼女はカーテン・コールで颯爽と翻して見せ、客席の笑いを誘っていた。このステージ・マナーひとつを取っても、中嶋さんの舞台センスは明らかで、やはりウィーン・フォルクスオーパーで活躍する人は、一味違うと感服する。これは二幕の晴雅彦にも云えるが、演技そのものではなく舞台上での立ち居振る舞いの、文字通り板に付いているのだと思う。だから晴さんは声に遜色は感じても、演技には全く違和感を感じさせず、舞台上で助っ人外人と堂々と渉り合えるのだ。

 率直に言って、他の日本人歌手は演技以前の問題で、立ち姿そのものがサマになっておらず、舞台から浮いてしまうのだ。僕は専門家ではないので上手く説明出来ないが、例えば手の差し伸べ方ひとつでも、ただ単に立っているだけでも体の角度とか、そんな微妙な処で板に付くか付かないかの差は出ると思う。コロンバーラとチャコン・クルスと、中嶋さんと晴さんの四人の上手な分、演技力の差は際立つ舞台で、アンサンブルとしてのデコボコは顕著に見えた。

 勿論、中嶋さんの歌そのものも素晴しく、彼女には秀でた感受性があり、また声自体に力もあるので、デュナーミクに音楽的な意味のある変化を付ける事が出来る。他の女声歌手との格の差は明らかだし、中嶋さんにジュリエッタは役不足で、これっぽっちしか歌わないのでは全く食い足りない。ホント中嶋さんには三役とも歌うか、ミューズの神を歌うかして欲しかった。これも一種のミス・キャストですな。

 僕は今日、四幕のホフマンの歌に「ヴァルキューレ」の終幕、炎の音楽との親近性を感じた。考えてみればオランピアのアリアも森の小鳥の歌で、こちらはモロに「ジークフリート」からの引用だろう。「天国と地獄」のオッフェンバックをワグネリアンとは聞かないし、この辺は実は識者の間では常識なのか、それとも誰も指摘していないのか不勉強な僕は知らないが、「ホフマン物語」へのヴァーグナーの影響は明白と思う。

 僕の考える本日の上演の成功の立役者は、実は演出家でも歌手の誰かでもなく、指揮者のアッシャー・フィッシュの名を挙げたいと思う。歯切れの良いリズムと緩急自在のテンポ・ルバートと、場面の転換と共に音楽の雰囲気を変える手際も素晴しく、この人は「ホフマン物語」の音楽を完璧に手の内にしている。オケとの稽古も充分に積んだようで、初顔合わせの筈の名フィルを自在にコントロールし、良い音を引き出していた。僕は聴く機会の少ないので今日は名フィルが、こんなに自発的に音楽を楽しめる良いオケと初めて知り、感激してしまった。

 今日は「ホフマン物語」の音楽自体の力も相まって、オペラ見物の楽しみを満喫させて貰った。全く予想外だっただけに、こんな素晴しい舞台を名古屋で観れて、本当に幾ら感謝しても足りない気分だ。只、このプロダクションの再演は無いそうで、二回っ切りで終わってしまうのは余りにも勿体無い美しい舞台だけに、昨年惜しくも亡くなられた若杉弘さんの提案された、西宮や大津や富山や横須賀や浜松への巡演を、強制的にでも考えるべき時期の来ているのかも知れないと思う。恐らく自治体同士の合意なんて考えれば、僕の生きている間には実現しない企画だろうから。
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2 コメント

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TB御礼 (宿屋音喰)
2010-10-10 10:17:11
ホフマン物語に名古屋までお越しいただき、しかも素晴らしい感想をしたためていただきうれしい限りです。ありがとうございました。

コメントありがとうございます。 (Pilgrim)
2010-10-11 18:09:57
 わざわざご挨拶頂き、その上に過分のお褒めに預かり
本当にありがとうございます。名古屋でのオペラ公演には
また是非寄せて頂きます。

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