
<いずみホール・オペラ/プレミエ即千秋楽>
2008年5月10日(土)16:00/いずみホール
指揮/佐藤正浩
ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団
演出/岩田達宗
照明/原中治美
コリンナ/佐藤美枝子
シドニー卿/井原秀人
メリベーア侯爵夫人/福原寿美枝
リーベンスコフ伯爵/松本薫平
ドン・アルヴァーロ提督/牧野正人
フォルヴィル伯爵夫人/尾崎比佐子
騎士ベルフィオーレ/清水徹太郎
コルテーゼ夫人/石橋栄実
詩人ドン・プロフォンド/久保田真澄
トロンボノク男爵/折江忠道
医師ドン・プルデンツィオ/萩原寛明
ドン・ルイジーノ/松岡重親
孤児デリア/老田裕子
女中頭マッダレーナ/福島紀子
小間使いモデスティーナ/櫻井裕子
支配人アントーニオ/萩原次己
ゼフィリーノ&ジェルソミーノ/清原邦仁
今日は年に一度の吉例、いずみホール・オペラの日。演目もお目出度いもので、フランス国王シャルル10世の戴冠を寿ぐ祝典オペラ。頭を空っぽにすることで、より楽しめる、ロッシーニ究極のノー天気オペラ、「ランスへの旅」である。内容は、欧州各国から温泉保養地のリゾート・ホテル「金の百合亭」に集まり、戴冠式の行われるランスに向かおうとする紳士淑女が、馬車を調達出来ずに足止めされたため、方針転換して大宴会を催すというもの。一幕物オペラというより、ガラ・コンサートの長い奴、と呼ぶ方が実態に即しているかもしれない。
しかし、日本人にとってロッシーニは難しい。「軍人たち」のように、真面目に時間を掛けて稽古すれば克服できる類の難曲は、むしろ得意分野に入るのかもしれない。だが内容が希薄であればあるほど、外形的な演奏スタイルが重要になるロッシーニは、やはり日本人には難しい。
大阪音大の座付きオケが舞台を占め、バリトンの井原秀人が出て来ると、何だか「金閣寺」か「沈黙」でも始まりそうな雰囲気になるが、もちろん今日は「ランスへの旅」の上演である。弦楽合奏にロッシーニらしい、羽毛のような軽やかさのないことを嘆いても仕方ない。関西勢のソプラノのアジリタが、全然コロコロ転がらないのも想定の範囲内である。そんなことに文句を付ける位なら、始めから来なければ良いのであるからして、狂言回し役である「金の百合亭」女将の石橋が、演技はソコソコ頑張ってるよなぁ、と思えばそれを楽しめば良いだけの話である。でも声がコロコロ転がらないと、つい余計なことを考えてしまい、うまく頭の中が空っぽになってくれないんだよなぁ。
しかし、コリンナの佐藤美枝子がハープの伴奏に載って歌う第三曲のアリア、「優しい竪琴よ」が会場の外から聴こえて来ると、やっぱり今日は来て良かったなぁ、とシミジミ思う。佐藤の声質自体はやや重目のリリコだが、アジリタの技術は抜群で、頭を空っぽにして声の芸を楽しむことが出来る。やっぱロッシーニは、こうでなくっちゃね。
左右の袖から、二階バルコニーから、或いは会場の通路から出て来る歌手たちは、パイプ・オルガン席に設置された階段を昇ったり降りたりしながら、歌い演技する。脇役には学芸会レベルの人もいたが、その辺はご愛嬌と云うことで。
藤原歌劇団のバッソ・ブッフォ三人組は、さすがにロッシーニのスタイルを手の内にしている。中でも詩人役の久保田が、およそ無意味の極みとも云うべき第六曲のノー天気アリア、「他にはないメダル」を如何にも楽しげに歌った。関西勢では英国軍大佐の井原が、例のしんねりムッツリとしたキャラのまま、第四曲のフルート・オブリガート付きアリア、「心から矢を引き抜こうとしても虚しく」を声量豊かに歌う。ポーランド婦人の福原はアジリタはソコソコだが、軽い声と深い音色を使い分けて知的な歌い振りのアルト。テノールの二人はやや弱かったが、やはり日本人キャストのロッシーニ上演で、低声歌手陣に分があるのは致し方のないところだろう。
第七曲の14声の大コンチェルタートとフィナーレの合唱は、かなり入り組んだアンサンブルだが、これをキチンと整理した上で、オケと歌手たちを存分に煽った指揮者の手腕はかなりのもの。この二つの場面は文句なしに楽しめた。つまり、一人の天才歌手がいなくとも、アンサンブルの複雑な音楽なら、努力によって成果は挙がる。自慢ではないが天才のいないのは、日本の民族的伝統なのだ。オケのリズムに軽い切れ味を欠き、ロッシーニ・クレシェンドは全て不発に終わり、ピアニッシモではテンションを保てずとも、長い稽古に耐える粘っこい持続力だけはある。日本人のロッシーニ演奏は、このお家芸を武器とするしかない。少なくとも現状では。
僕に言わせれば玉石混淆なのだが、日本のアマチュア合唱界には、コンクールに於ける“珠玉の名演”と称される演奏が幾つかある。今から28年前、福島県立会津高校男声合唱団の演奏した、湯山昭「ゆうやけの歌」は、そのうちの一つに数えられている。当時、会津高校の二年生だった今日の指揮者の佐藤正浩は、この演奏でピアノ伴奏を務めている。実は僕は、この演奏の収録されたCDを所持していて、今だに時々取り出して聴いている。
2008年5月10日(土)16:00/いずみホール
指揮/佐藤正浩
ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団
演出/岩田達宗
照明/原中治美
コリンナ/佐藤美枝子
シドニー卿/井原秀人
メリベーア侯爵夫人/福原寿美枝
リーベンスコフ伯爵/松本薫平
ドン・アルヴァーロ提督/牧野正人
フォルヴィル伯爵夫人/尾崎比佐子
騎士ベルフィオーレ/清水徹太郎
コルテーゼ夫人/石橋栄実
詩人ドン・プロフォンド/久保田真澄
トロンボノク男爵/折江忠道
医師ドン・プルデンツィオ/萩原寛明
ドン・ルイジーノ/松岡重親
孤児デリア/老田裕子
女中頭マッダレーナ/福島紀子
小間使いモデスティーナ/櫻井裕子
支配人アントーニオ/萩原次己
ゼフィリーノ&ジェルソミーノ/清原邦仁
今日は年に一度の吉例、いずみホール・オペラの日。演目もお目出度いもので、フランス国王シャルル10世の戴冠を寿ぐ祝典オペラ。頭を空っぽにすることで、より楽しめる、ロッシーニ究極のノー天気オペラ、「ランスへの旅」である。内容は、欧州各国から温泉保養地のリゾート・ホテル「金の百合亭」に集まり、戴冠式の行われるランスに向かおうとする紳士淑女が、馬車を調達出来ずに足止めされたため、方針転換して大宴会を催すというもの。一幕物オペラというより、ガラ・コンサートの長い奴、と呼ぶ方が実態に即しているかもしれない。
しかし、日本人にとってロッシーニは難しい。「軍人たち」のように、真面目に時間を掛けて稽古すれば克服できる類の難曲は、むしろ得意分野に入るのかもしれない。だが内容が希薄であればあるほど、外形的な演奏スタイルが重要になるロッシーニは、やはり日本人には難しい。
大阪音大の座付きオケが舞台を占め、バリトンの井原秀人が出て来ると、何だか「金閣寺」か「沈黙」でも始まりそうな雰囲気になるが、もちろん今日は「ランスへの旅」の上演である。弦楽合奏にロッシーニらしい、羽毛のような軽やかさのないことを嘆いても仕方ない。関西勢のソプラノのアジリタが、全然コロコロ転がらないのも想定の範囲内である。そんなことに文句を付ける位なら、始めから来なければ良いのであるからして、狂言回し役である「金の百合亭」女将の石橋が、演技はソコソコ頑張ってるよなぁ、と思えばそれを楽しめば良いだけの話である。でも声がコロコロ転がらないと、つい余計なことを考えてしまい、うまく頭の中が空っぽになってくれないんだよなぁ。
しかし、コリンナの佐藤美枝子がハープの伴奏に載って歌う第三曲のアリア、「優しい竪琴よ」が会場の外から聴こえて来ると、やっぱり今日は来て良かったなぁ、とシミジミ思う。佐藤の声質自体はやや重目のリリコだが、アジリタの技術は抜群で、頭を空っぽにして声の芸を楽しむことが出来る。やっぱロッシーニは、こうでなくっちゃね。
左右の袖から、二階バルコニーから、或いは会場の通路から出て来る歌手たちは、パイプ・オルガン席に設置された階段を昇ったり降りたりしながら、歌い演技する。脇役には学芸会レベルの人もいたが、その辺はご愛嬌と云うことで。
藤原歌劇団のバッソ・ブッフォ三人組は、さすがにロッシーニのスタイルを手の内にしている。中でも詩人役の久保田が、およそ無意味の極みとも云うべき第六曲のノー天気アリア、「他にはないメダル」を如何にも楽しげに歌った。関西勢では英国軍大佐の井原が、例のしんねりムッツリとしたキャラのまま、第四曲のフルート・オブリガート付きアリア、「心から矢を引き抜こうとしても虚しく」を声量豊かに歌う。ポーランド婦人の福原はアジリタはソコソコだが、軽い声と深い音色を使い分けて知的な歌い振りのアルト。テノールの二人はやや弱かったが、やはり日本人キャストのロッシーニ上演で、低声歌手陣に分があるのは致し方のないところだろう。
第七曲の14声の大コンチェルタートとフィナーレの合唱は、かなり入り組んだアンサンブルだが、これをキチンと整理した上で、オケと歌手たちを存分に煽った指揮者の手腕はかなりのもの。この二つの場面は文句なしに楽しめた。つまり、一人の天才歌手がいなくとも、アンサンブルの複雑な音楽なら、努力によって成果は挙がる。自慢ではないが天才のいないのは、日本の民族的伝統なのだ。オケのリズムに軽い切れ味を欠き、ロッシーニ・クレシェンドは全て不発に終わり、ピアニッシモではテンションを保てずとも、長い稽古に耐える粘っこい持続力だけはある。日本人のロッシーニ演奏は、このお家芸を武器とするしかない。少なくとも現状では。
僕に言わせれば玉石混淆なのだが、日本のアマチュア合唱界には、コンクールに於ける“珠玉の名演”と称される演奏が幾つかある。今から28年前、福島県立会津高校男声合唱団の演奏した、湯山昭「ゆうやけの歌」は、そのうちの一つに数えられている。当時、会津高校の二年生だった今日の指揮者の佐藤正浩は、この演奏でピアノ伴奏を務めている。実は僕は、この演奏の収録されたCDを所持していて、今だに時々取り出して聴いている。











アバドのCDも吹っ飛ぶ、やはりオペラは生に限りますね。
ノーテンキほど難しいものはなし。実力がもろにでるオペラ。楽しい評でした。
ベートーヴェンの4番は出てきましたか。