オペラの夜

出掛けたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深める為のブログです。

ヴェルディ「オテロ」

2015-03-07 | ヴェルディ
<びわ湖ホールプロデュースオペラ/プレミエ>
2015年3月7日(土)14:00/びわ湖ホール

指揮/沼尻竜典
京都市交響楽団
びわ湖ホール声楽アンサンブル
二期会合唱団
大津児童合唱団

演出/粟國淳
美術・衣装/アレッサンドロ・チャンマルーギ
照明/笠原俊幸

<Aキャスト>
オテロ/福井敬
デズデモナ/砂川涼子
イアーゴ/黒田博
副官カッシオ/清水徹太郎
侍女エミーリア/小林由佳
貴族ロデリーゴ/二塚直紀
使者ロドヴィーコ/斉木健詞
前総督モンターノ/松森治
伝令/的場正剛


 今日はびわ湖ホールの放つヴェルディ・シリーズ第十三弾、「オテロ」のプレミエである。故若杉弘芸術監督の取り上げた日本初演九作の後を承けた、沼尻監督に拠るヴェルディは、「アイーダ」「椿姫」「リゴレット」に続いて四作目となる。開幕前の舞台に山中館長さんがマイクを手に現れた際、一瞬カヴァーの二塚君がオテロを歌う悪夢が頭をよぎり、ギクリとさせられる。幸いイアーゴの黒田博がゲネプロで足を痛めた為、演出に若干の変更のある事を了承頂きたいとのお話しで、ホッと胸を撫で下ろした。

 オケピットに現れた沼尻が拍手に答礼して向き直り、予備拍を振った瞬間オケがドカンと鳴ると、気分はもう暴風雨のキプロス島である。でも、幕の上がると舞台一面に大きな白い布が波打ち、その中央部で白い玩具のヨットみたいなものが上下していて、やや気分は盛り下がる。白い布の下に潜り込んだ合唱団員達が、船の模型を頭上に掲げて揺らし、嵐の海とそれに翻弄されるオテロの艦船としている。これは具象的なのか抽象的なのか、どちらとも付かない中途半端な演出で、まあ予算の問題もあるにせよ、もう少し遣りようもあるだろうにと思う。

 布と模型を片付けた舞台には、両脇には入退場用で階段付きのセット、中央には八角形の山台とが置かれている。何の奇も衒わないオーソドックスそのものと云える美術と衣装だが、色彩的にはモノクロームに塗り潰され、視覚的な華やかさに欠ける舞台ではある。でも、歌手への演技指導は簡潔且つ的確なもので、安心して見ていられるレヴェルにあるとも云える。粟国は台本の深読みに興味は無いようで、飽くまで場面に即し解釈を施すタイプのようだ。今日は端から演出に過度な期待はしていないのである。

 嵐の音楽の男声合唱へ女声の加わり、オテロの凱旋に歓呼する合唱でトゥッティのフォルテシモになれば、おおオテロだ!ヴェルディだ!と、僕は再びすっかりその気になる。オテロの福井敬の発した第一声は輝かしく、その声の力に圧倒される。イタリア語の子音を長目に発音する、フクイ節とも云うべきクサい歌い回しも、この声さえあれば然程に気にはならないのだ。しかも二幕以降、オテロの嫉妬の種子が膨らむに連れ、聴く側も歌に籠められた情感に引き込まれて行く。ただ、デズデーモナ殺害の後、我に返り正気を取り戻してからは、もう少し素直に歌って欲しかったけれども。

 イアーゴの黒田博は痛めた足を庇う杖を突いての熱演で、悪役っぽいポルタメントに猫撫で声のソットヴォーチェ、偽善的なファルセットと音程を低目に響かせるダミ声等、二幕のクレドとオテロとのデュエットでは手持ちの技巧を次々と繰り出し、持ち前の張りのある高音を生かす工夫は見事だった。そう云えば明日のイヤーゴの堀内さんは足を怪我した際、アンドレアス・ホモキ演出の「ラ・ボエーム」で、マルチェッロを降ろされている。野田秀樹やホモキの舞台で動けなければ即降板だが、粟国のお能みたいな演出なら、杖を突いてでも充分勤まる訳だ。

 デズデーモナの砂川涼子は生来の美声と云う武器を生かし、自らに疾しい処の無い貞淑な女性の素直な心を歌い上げると共に、ヴェルディの悲劇のヒロインらしく声に力のある処も存分に聴かせる。そうは云っても、ただ単にフォルテを張り上げるのでは無く、メゾフォルテやピアニシモで伸ばす高音に力があるので、曲中のテンションの移動を明確に示せていた。つまり物理的な音の大小では無く、彼女の歌には音楽的な緊張と緩和があった。白眉と云える「柳の歌」では暗い音色を作り、フォルテシモの炸裂からアヴェ・マリアの哀切なピアニシモまで、考え抜かれた設計もあったと思う。ただ、曲中の音色の変化は今ひとつで、その点に関し改善の余地はあると思う。

 オテロは只ひたすら陰に籠もり、燃え盛る嫉妬の焔に焚き付けられ、高音を張り上げるだけなのに対し、デズデーモナは飽くまで清純な歌に徹する訳で、実は主役歌手二人は音楽的にも補完関係になっていると気付く。びわ湖ホール声楽アンサンブル出身者から起用された二人の内、清水徹太郎はレジェーロなテノールで、ヴェルディで歌えそうなのはカッシオのみかと思われる。一方、ロデリーゴの二塚直紀は長いフレーズの不得手な、こちらもヴェルディに不向きなキャラクター・テノールで、二人ともこの役しか無いハマり役ではあった。

 三幕の終盤でオケとコーラスに発破を掛ける沼尻の馬力は凄まじく、その熱気と迫力には特筆すべきものがあった。京響の弦楽陣が「柳の歌」に付ける、ピアニシモの美しさには惚れ惚れさせられたし、この場面で沼尻が棒を手放し、弦楽合奏を指揮したのも印象的だった。今現在、京響のヴェルディは国内に於いて、他の追随を許さないと個人的に考えている。

 今日は歌手もオケもコーラスも大熱演で、上出来のヴェルディを存分に楽しませて貰った。だが、そこに水を差したのがフライング拍手で、一幕でオケのピアニシモの終わるのを待たない拍手に、これは先の思い遣られると憂鬱になる。案の定、終幕でのフライング拍手は、後奏の途中で一旦止みかけた程の早漏で、しかもそこで止んでくれればまだ救われたのに、一人頑張って拍手を続け盛り返したヤツが居たのには、心底からウンザリさせられた。こんな経験はびわ湖ホールでは初めてで、一体何処から湧いて来た客層なのか訝しまれた。

 怪我を押して熱演した黒田さんはアドレナリンの出ていたのか、上演中は全く痛そうな素振りは見せなかった。それがカーテンコールで急に痛そうに跛行を引き出したのは、謂わば麻酔の切れたような状態と推察申し上げる。上掲の写真は休憩中のロビーでお見掛けした村上敏明さんです。小さなお子さんを連れておられたので、今日のデズデーモナは一児の母と知りました。ご協力有難うございました。
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