
2009年11月10日(火)19:00/サンケイホールブリーゼ
Philippe Jaroussky&L’Arpeggiata
カウンターテナー/フィリップ・ジャルスキー
ヴォーカル/ルチッラ・ガレアッツィ
テオルボ/クリスティーナ・プルハル(ディレクター)
リュート&バロックギター/エーロ・パルヴィアイネン
プサルタリー/マルギット・ウベルアッケル
バロック・ヴァイオリン/アレッサンドロ・タンピエリ
コルネット/ドロン・シャーウィン
パーカッション/ミシェル・クロード
チェンバロ/北御門はる
Lucilla Galeazzi「A vita bella ああ、美しき人生/Sogna fiore mio 私の花の夢/
Voglio una casa 家が欲しいな(即興演奏)」
Maurizio Cazzati(1616-1678):Ciaccona
Barbara Strozzi(1619-1677)「L’Eraclito Amoroso 恋するエラクレイト」
Giovanni Filice Sances(1600-1679):Presso l’onde tranquillo
Improvisation:Tarantella Napoletana/Tarantella Italiana
モンテヴェルディ「Ohime, ch’io cado ああ、私は倒れてしまう/
Si dolce e’l tormento 苦しみが甘美なものなら/Damigella, tutta bella 美しい乙女」
Antonio Bertali(1605-1669):Chiacona
Giovanni Girolamo Kapsperger(1580-1651):Arpeggiata
G.A.Pandolfi Mealli(?-1669):La Vinciolina
Marco Uccelini(1603-1680)「La Luciminia contenta 満足したルチミニア」
Luigi Pozzi〜improvisation:Cantata Sopra il Passacaglio.Diatonica
Domenico Maria Melii(1550-?):Dispiegate,guancie amate
Traditionelle「Ninna, nanna sopra la Romanesca ロマネスカによる子守唄」(即興演奏)
関西でも例えばバッハ・コレギウム・ジャパンはバッハやヘンデルの宗教曲で、上杉君や青木君やダミアン君をカウンターテナーに起用して聴かせてくれるが、ヨーロッパのオペラ・ハウスに出演している、オペラ歌手としてのカウンターテナーを聴く機会は、そんなにあるものではない。現役のカウンターテナーの中で技術的にトップ・クラスと目され、欧米ではカリスマ的な人気を誇るフィリップ・ジャルスキー君が来阪すると云う事で、チケットは八千五百円と古楽にしてはチトお高いが、やはりこの機会を逃す訳には行かず、平日の仕事帰りに立ち寄った。
サンケイホールブリーゼは、近年の西梅田地区再開発の一環として建設された、33階建てブリーゼ・タワーの七階にあるホール。取り壊された旧サンケイホールは、毎年吉例の目玉公演が桂米朝一門会に桂枝雀独演会で、つまり残響が長いと言葉の聴き取り難い、語り芸の落語や演劇等に特化した、デッド気味のホール・トーンだったと記憶する。新築のホールを訪れるのは今日が初めてだが、従前のコンセプトが変更になったとは承知せず、何故こんな場所で古楽のコンサートを?と、疑問に感じる。
二階席のある九百席のホールに、客は凡そ三百人余りか。これは関西での古楽演奏会として、ごく普通の客入りだが、一階席中央通路前方にのみ客を入れ、後方を完全に空席しているのを不自然に感じる。二階席でも反響音は期待出来そうにないホールで、要するに出来るだけ舞台近くに座り、直接音を聴くしかないと云う状況。でも、もしかすると今日の主催者はポピュラー・コンサートと同じように、一番前が一番良い席との発想を取っているだけなのかも知れない。招聘元のプロモーターは東京公演で、ジャルスキーにフジコ某とか云うピアニストを組み合わせたそうで、この事実を持って後は推して知るべしと思う。
今日のプログラムに挙った作曲家で、僕の知っている名前はモンテヴェルディのみ。初期イタリア・バロック音楽に対し、特に深甚たる興味を持っている訳でもないし、こんなものかとも思うが、そこに何やらオリジナル曲もコッソリ紛れ込ませているのには、ハテ?と首を傾げてしまう。今日、ジャルスキーと共演するラルペッジャータと云う古楽アンサンブルに付いて、事前の知識は全くなかった。だから彼等が実際に舞台上で音を出して初めて、この団体の個性と云うか特異性を認識する次第となったのである。
まず歌手がジャルスキー一人ではなく、もう一人女性歌手が出て来た事に戸惑ってしまう。プログラムにはヴォーカルと記され、それ自体は了解していたが、実際に出て来た中年女性は地声気味の発声で、渋いノドにコブシを回して歌う事に当惑する。このルチッラ・ガレアッツィと云う小母さんは、プログラムに作曲者としても名前が載っていて、どうやらイタリアのナポリ地方に伝承する民謡をフィールド・ワークで収拾したり、それ風のオリジナルを作曲して歌う、シンガー・ソングライターらしい。ジャルスキーのカウンターでモンテヴェルディを聴きに来た僕が、何ゆえに鄙びた民謡をハスキー・ヴォイスで聴かされるのか?謎は深まるのである。
ラルペッジャータと云う古楽アンサンブルの演奏技術自体は、とても高度なものだった。コルネットとヴァイオリンのツー・トップのソリストには超絶技巧があり、二人ともモロにジャズを真似たアドリブを聴かせる。パーカッションの女性奏者はワイヤー・ブラシでドラムを擦るし、カスタネットを叩き、フラメンコ風に踊って見せたりもする。このバンドは古楽と民謡とジャズを、ごちゃ混ぜにして聴かせるスタイルなのだ、と云う事が次第に分かって来る。
でも何故この人達は、ジャヌカン・アンサンブルのような時代考証に基づいた即興ではなく、ジャズのスタイルでインプロヴィゼーションを行うのだろうか。イタリア・バロックを主体としたプログラムで、通奏低音のコード進行の上に即興をテンコ盛りにするスタイルは、どうにも僕には馴染む事が出来ない。使用する楽器もプサルタリー(二等辺三角形の大正琴みたいなヤツ)や、コルネット(ドイツ語だとツィンク、要するに角笛)等、僕は初めて(と思う)聴く珍しいものを動員し、これ等の鄙びた音色の古楽器(と云うか民族楽器)で、ジャズそのものなアドリブを聴かせる事自体に、僕は木に竹を接いだような印象を受けてしまう。
メンバー全員に実力があり、演奏の精度には文句の付けようは無いし、今日の聴衆も彼等の即興を存分に楽しんでいる様子だった。僕も楽しめなかったと云う訳ではない。ただ、この団体が再来日したら、また彼等の演奏を聴きたいかと問われれば、答えは否しかない。バロックと民謡とジャズのごった煮を提供する、この人達の演奏スタイルは考え抜いた末に磨き上げたものではなく、単なる思い付きの域を出ていないように、僕には思われるからだ。
肝心なお目当てのジャルスキーだが、これも微妙だったかなぁ…。彼の歌声を録音で聴くと、非常にヴォリュームのあるように聴こえるのだが、その実物に接すると、やはりファルセット歌手の限界と云うか、他のカウンターテナーと比べて、目を瞠る程の声量のある訳ではなかった。これは今日のホールのデッドな音環境も、大きく足を引張っていたと思う。やはりカウンターテナーはリュート一本程度の音量を伴奏に、四畳半的にシッポリ聴くべきものと、今日は再確認させられた。
勿論、声量の無いのがジャルスキーの責任である筈もない。彼のアジリタの技術は確かだし、柔らかい音色のある中音域とファルセットを繋ぐテクニックも見事なものだ。カウンターテナーと云う声種の表現の幅は、決して広いものでは有り得ないが、ジャルスキーは即興を下品に歌い崩したりはせず、細かい技巧を駆使する端正な歌に、濃厚な情念を込めている。取り分け、彼のモンテヴェルディは素晴らしかった。全く知らない曲を立て続けに聴かされ、本当にプログラム通りに演奏を進めているのかどうか、自信の持てないような状況でも、モンテヴェルディには他と決定的に異なる個性があり、聴き違える事は有り得ないと感じる。モンテヴェルディは、僕のような物分かりの悪い人間でも容易に判別出来る、天才の刻印を感じさせる音楽と思う。
ジャルスキー君は来年も日本に来るらしいが、次回は是非とも梅新のフェニックスホールか伊丹アイフォニックホール辺りで、チェンバロかリュート伴奏に拠るリサイタルをモンテヴェルディ・プログラムで行って欲しい。今日のようなスタイルのコンサートは、僕は一度聴けば充分と思っている。
Philippe Jaroussky&L’Arpeggiata
カウンターテナー/フィリップ・ジャルスキー
ヴォーカル/ルチッラ・ガレアッツィ
テオルボ/クリスティーナ・プルハル(ディレクター)
リュート&バロックギター/エーロ・パルヴィアイネン
プサルタリー/マルギット・ウベルアッケル
バロック・ヴァイオリン/アレッサンドロ・タンピエリ
コルネット/ドロン・シャーウィン
パーカッション/ミシェル・クロード
チェンバロ/北御門はる
Lucilla Galeazzi「A vita bella ああ、美しき人生/Sogna fiore mio 私の花の夢/
Voglio una casa 家が欲しいな(即興演奏)」
Maurizio Cazzati(1616-1678):Ciaccona
Barbara Strozzi(1619-1677)「L’Eraclito Amoroso 恋するエラクレイト」
Giovanni Filice Sances(1600-1679):Presso l’onde tranquillo
Improvisation:Tarantella Napoletana/Tarantella Italiana
モンテヴェルディ「Ohime, ch’io cado ああ、私は倒れてしまう/
Si dolce e’l tormento 苦しみが甘美なものなら/Damigella, tutta bella 美しい乙女」
Antonio Bertali(1605-1669):Chiacona
Giovanni Girolamo Kapsperger(1580-1651):Arpeggiata
G.A.Pandolfi Mealli(?-1669):La Vinciolina
Marco Uccelini(1603-1680)「La Luciminia contenta 満足したルチミニア」
Luigi Pozzi〜improvisation:Cantata Sopra il Passacaglio.Diatonica
Domenico Maria Melii(1550-?):Dispiegate,guancie amate
Traditionelle「Ninna, nanna sopra la Romanesca ロマネスカによる子守唄」(即興演奏)
関西でも例えばバッハ・コレギウム・ジャパンはバッハやヘンデルの宗教曲で、上杉君や青木君やダミアン君をカウンターテナーに起用して聴かせてくれるが、ヨーロッパのオペラ・ハウスに出演している、オペラ歌手としてのカウンターテナーを聴く機会は、そんなにあるものではない。現役のカウンターテナーの中で技術的にトップ・クラスと目され、欧米ではカリスマ的な人気を誇るフィリップ・ジャルスキー君が来阪すると云う事で、チケットは八千五百円と古楽にしてはチトお高いが、やはりこの機会を逃す訳には行かず、平日の仕事帰りに立ち寄った。
サンケイホールブリーゼは、近年の西梅田地区再開発の一環として建設された、33階建てブリーゼ・タワーの七階にあるホール。取り壊された旧サンケイホールは、毎年吉例の目玉公演が桂米朝一門会に桂枝雀独演会で、つまり残響が長いと言葉の聴き取り難い、語り芸の落語や演劇等に特化した、デッド気味のホール・トーンだったと記憶する。新築のホールを訪れるのは今日が初めてだが、従前のコンセプトが変更になったとは承知せず、何故こんな場所で古楽のコンサートを?と、疑問に感じる。
二階席のある九百席のホールに、客は凡そ三百人余りか。これは関西での古楽演奏会として、ごく普通の客入りだが、一階席中央通路前方にのみ客を入れ、後方を完全に空席しているのを不自然に感じる。二階席でも反響音は期待出来そうにないホールで、要するに出来るだけ舞台近くに座り、直接音を聴くしかないと云う状況。でも、もしかすると今日の主催者はポピュラー・コンサートと同じように、一番前が一番良い席との発想を取っているだけなのかも知れない。招聘元のプロモーターは東京公演で、ジャルスキーにフジコ某とか云うピアニストを組み合わせたそうで、この事実を持って後は推して知るべしと思う。
今日のプログラムに挙った作曲家で、僕の知っている名前はモンテヴェルディのみ。初期イタリア・バロック音楽に対し、特に深甚たる興味を持っている訳でもないし、こんなものかとも思うが、そこに何やらオリジナル曲もコッソリ紛れ込ませているのには、ハテ?と首を傾げてしまう。今日、ジャルスキーと共演するラルペッジャータと云う古楽アンサンブルに付いて、事前の知識は全くなかった。だから彼等が実際に舞台上で音を出して初めて、この団体の個性と云うか特異性を認識する次第となったのである。
まず歌手がジャルスキー一人ではなく、もう一人女性歌手が出て来た事に戸惑ってしまう。プログラムにはヴォーカルと記され、それ自体は了解していたが、実際に出て来た中年女性は地声気味の発声で、渋いノドにコブシを回して歌う事に当惑する。このルチッラ・ガレアッツィと云う小母さんは、プログラムに作曲者としても名前が載っていて、どうやらイタリアのナポリ地方に伝承する民謡をフィールド・ワークで収拾したり、それ風のオリジナルを作曲して歌う、シンガー・ソングライターらしい。ジャルスキーのカウンターでモンテヴェルディを聴きに来た僕が、何ゆえに鄙びた民謡をハスキー・ヴォイスで聴かされるのか?謎は深まるのである。
ラルペッジャータと云う古楽アンサンブルの演奏技術自体は、とても高度なものだった。コルネットとヴァイオリンのツー・トップのソリストには超絶技巧があり、二人ともモロにジャズを真似たアドリブを聴かせる。パーカッションの女性奏者はワイヤー・ブラシでドラムを擦るし、カスタネットを叩き、フラメンコ風に踊って見せたりもする。このバンドは古楽と民謡とジャズを、ごちゃ混ぜにして聴かせるスタイルなのだ、と云う事が次第に分かって来る。
でも何故この人達は、ジャヌカン・アンサンブルのような時代考証に基づいた即興ではなく、ジャズのスタイルでインプロヴィゼーションを行うのだろうか。イタリア・バロックを主体としたプログラムで、通奏低音のコード進行の上に即興をテンコ盛りにするスタイルは、どうにも僕には馴染む事が出来ない。使用する楽器もプサルタリー(二等辺三角形の大正琴みたいなヤツ)や、コルネット(ドイツ語だとツィンク、要するに角笛)等、僕は初めて(と思う)聴く珍しいものを動員し、これ等の鄙びた音色の古楽器(と云うか民族楽器)で、ジャズそのものなアドリブを聴かせる事自体に、僕は木に竹を接いだような印象を受けてしまう。
メンバー全員に実力があり、演奏の精度には文句の付けようは無いし、今日の聴衆も彼等の即興を存分に楽しんでいる様子だった。僕も楽しめなかったと云う訳ではない。ただ、この団体が再来日したら、また彼等の演奏を聴きたいかと問われれば、答えは否しかない。バロックと民謡とジャズのごった煮を提供する、この人達の演奏スタイルは考え抜いた末に磨き上げたものではなく、単なる思い付きの域を出ていないように、僕には思われるからだ。
肝心なお目当てのジャルスキーだが、これも微妙だったかなぁ…。彼の歌声を録音で聴くと、非常にヴォリュームのあるように聴こえるのだが、その実物に接すると、やはりファルセット歌手の限界と云うか、他のカウンターテナーと比べて、目を瞠る程の声量のある訳ではなかった。これは今日のホールのデッドな音環境も、大きく足を引張っていたと思う。やはりカウンターテナーはリュート一本程度の音量を伴奏に、四畳半的にシッポリ聴くべきものと、今日は再確認させられた。
勿論、声量の無いのがジャルスキーの責任である筈もない。彼のアジリタの技術は確かだし、柔らかい音色のある中音域とファルセットを繋ぐテクニックも見事なものだ。カウンターテナーと云う声種の表現の幅は、決して広いものでは有り得ないが、ジャルスキーは即興を下品に歌い崩したりはせず、細かい技巧を駆使する端正な歌に、濃厚な情念を込めている。取り分け、彼のモンテヴェルディは素晴らしかった。全く知らない曲を立て続けに聴かされ、本当にプログラム通りに演奏を進めているのかどうか、自信の持てないような状況でも、モンテヴェルディには他と決定的に異なる個性があり、聴き違える事は有り得ないと感じる。モンテヴェルディは、僕のような物分かりの悪い人間でも容易に判別出来る、天才の刻印を感じさせる音楽と思う。
ジャルスキー君は来年も日本に来るらしいが、次回は是非とも梅新のフェニックスホールか伊丹アイフォニックホール辺りで、チェンバロかリュート伴奏に拠るリサイタルをモンテヴェルディ・プログラムで行って欲しい。今日のようなスタイルのコンサートは、僕は一度聴けば充分と思っている。











以外知らない作曲家ばかりです。
古楽といえども後方の座席で
聴いてみたいですよね。
私の場合オーケストラだと必ず2階で
聴いていますよ。
ジャルスキー&ラルペッジャータ、私は、まるでフリージャズのコンサートのように楽しんでしまいました。
その昔は、古楽は、もっと自由な演奏スタイルだったのかな?なんて思ってしまいました。
僕はマニアックな事ばかり書いてますが、バロックってバッハ以外、何聴いても同じに聴こえるので、これだけは敬遠気味です。
ピリオド・モダンを問わず、僕も二階席で聴く事が殆んどです。勿論、お金の問題もありますが、音を出してる奏者が見えないと、面白くないですよね。
FESTINA LENTEさん、こちらこそ初めまして。
わざわざご挨拶頂き、恐縮に思います。
FESTINA LENTEさんは古楽とジャズを両方聴かれるようで、そのような方が、あのスタイルを受け入れる事に納得です。まあ、古楽って誰も実際の音は聴いてないし、そこを想像力で補う訳で、色々なやり方があって良いのだと思います。