オペラの夜

出掛けたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深める為のブログです。

クレランボー「オルフェ」

2015-09-13 | ピリオド
<フレンチ・バロック/十八世紀ベルサイユ宮殿にて王に捧げられた音楽>
2015年9月13日(日)14:30/旧岡田家住宅酒蔵

ソプラノ/高橋美千子
トラヴェルソ/石橋輝樹
ヴァイオリン/榎田摩耶
ヴィオール/原澄子
クラヴサン/會田賢寿

ルクレール「序曲/シャコンヌ」(音楽の慰め第2番)
クレランボー「Orphee オルフェ」より
F.クープラン「アルマンド(ヴィオール組曲第1番)/サラバンド(王宮のコンセール第4番)
/ガルニエ(クラヴサン曲集第1巻)/Doux liens de mon coeur 甘い絆」
マレ「プレリュード/ファンタジー(トリオ組曲第5番)/リゴドン(第3番)/プラント/ジーグ(第2番)」
ル・カミュ「Quand l'mour veut finir 切ない愛よ」
ドゥ・バッシィ「Le purintens est de retour 再び春が」
ランベール「Vos mespris chaque jour 貴方の蔑みが」(宮廷アリア集)
リュリ「シャコンヌ」(王の眠りの為のトリオ)


 ストラディヴァリアと称するバロック・アンサンブルと帯同し、四年振りに来日したドミニク・ヴィスだが、コンサートは福岡と川崎と新潟の三回のみで、関西は素通りされて終った。ただ、今回の来日公演でヴィスと共演し、ヘンデルやヴィヴァルディを歌うソプラノの高橋美千子が、その前に伊丹で行われるコンサートに出演すると小耳に挟む。高橋美千子と云えば昨夏、練馬で観たラモー「プラテ」で、ネイティヴのフランス人と互角に亘り合う歌と演技を示し、一頭地を抜く実力を披露した人である。これは聴いてみたいと思い立ち、日曜の昼下がりに伊丹まで赴く。斯くして先週のびわ湖ホール声楽アンサンブルに続き、二週連続でバロック時代の“オルフェの嘆き”を聴く次第となった。

 コンサート会場の旧岡田家住宅酒蔵は、阪急とJRの伊丹駅の中間にあり、国の重要文化財に指定されている、現存する日本最古の造り酒屋だそうである。酒蔵には音響と照明器具を設置し、ライブ会場としても活用されている。何分にも昔の酒蔵で、外の音も聞こえたりするが、演奏会場としては使用料の安いメリットがあり、室内楽や古楽器のコンサートを結構頻繁に行っているようだ。

 因みにお隣りにある柿衞文庫は、岡田の蔵元さんのコレクションを基にした俳諧資料館で、伊丹市はこの一帯に他にも美術館や音楽ホールを集め、観光客を誘致する文化ゾーンとしている。伊丹は三段仕込みに拠る清酒醸造発祥の地で、その資本的な蓄積で江戸期に談林派俳諧のパトロンとなり、頼山陽や田能村竹田等の文人墨客を集め、酒を呑ませる芸術サロンを形成した。俳論書「独り言」を著した、上島鬼貫も往時の富裕な蔵元の三男坊で、伊丹酒蔵サロンを代表する文学者だった。この直ぐ近所には、清酒白雪の小西酒造が経営するブルワリーレストランもあり、真昼間から地ビール呑んで酔っ払う事も可能である。

 今日のコンサートの前半はクレランボーのカンタータで、後半はエール・ド・クールと称される、フランス語の世俗歌曲をメインとするプログラムを組んでいる。クレランボーとか言われても、僕は名前しか知らないが、今日演奏されたカンタータ「オルフェ」は、フレンチ・バロックを代表すると云っても過言では無い、フランス本国では超有名曲らしい。一人のソプラノがアリアとレシタティーヴォを交互に歌う、ソロ・カンタータと云うより、モノ・オペラと称する方が相応しく感じられる曲だ。

 クレランボーの「オルフェ」は先週聴いた、モンテヴェルディの「オルフェオ」と同じく、オルフェウスの冥府下りを題材とする曲だが、今日の演奏ではユリディスを連れ帰る処で、尻切れトンボのように曲を終えた。これはフレンチ・カンタータでは良くあるらしいが、最後の一曲で本筋とは何の脈絡も無く、だから恋愛に入れ込んではいけないと、わざとらしい教訓を垂れて締め括りとしているので、全曲では無く抜粋として演奏したらしい。何れにせよフランス語の歌詞など一切分からないので、僕としてはフツーに全部やって頂いても、全く問題は無かったけれども。

 ラモーもソプラノのソロ・カンタータとして、「オルフェ」を作曲しているが、クレランボーとは逆にオルフェウスが後ろを振り返り、再びユリディスを失い嘆き悲しむ、後半部分にのみ音楽を付けているらしい。ラモーはクレランボーのカンターの続編を、意図的に作曲したとの説も有力で、この二曲をセットとして扱う場合も多いようだ。コンサートは小手調べのルクレールで始めた後、高橋美千子がオルフェの嘆きを歌い上げ、その箸休めにフランソワ・クープランの舞曲を挟む構成である。

 「オルフェ」の物語を独り歌う高橋美千子は、高音部をやや低目に響かせて、キツく強い声も出せるが、基本的にレジェーロな柔らかい声質である。完璧なノン・ヴィブラートを身に着けている上に、確りした低音もあるので、ダイナミク・レンジを広く使う、振幅のある表現を可能としている。だが、それより何より練達の演技派歌手である事を、まず特筆大書して強調せねばならない。見事に板に付いた演技で、ギリシャ神話のオルフェに成り切り、モノ・オペラの楽しみを満喫させてくれる。

 小さな会場で百人にも満たない聴衆を相手に、本格的なオペラ歌手としての演技を披露する訳で、もし彼女が例え毛筋程であっても逡巡や含羞を見せれば、全ては一瞬の内に瓦解して終う。この辺りの高橋のプロ根性と云うか、フランス仕込みのオペラ歌手魂には、実に端倪すべから去るものがある。やはりオペラに於ける演技力とは、彼の地に於いて身に着けるもので、日本国内では習得し難いと、つくづく実感させられる。ドミニク・ヴィスが高橋美千子を相手役に選んだのも、その演技力も見込んでの事と推測される。

 四名の器楽奏者の演奏も見事だった。フレンチ・バロックはイタリア物と違い、対位法的な側面の強い所為で、典雅で優美に響くように思う。取り分けクープランはコンティヌオを単なる埋め草では無く、対旋律として機能させ、繊細に作っているのを美しく感じる。四人共に達者なテクニックのある上に、フレンチ・バロックへの造詣と思い入れの深さも伝わる演奏で、日曜の午後を優雅で美しい音楽に浸らせて貰った。ただ、他の四人は闊達なステージ・マナーをお持ちなのに、ガンバの女性奏者だけ明らかな緊張感を見て取れ、間近に座る身としてやや気になった。

 失礼ながらお名前を存じ上げない方々なのは、フランス在住の若手ばかりで、日本国内での演奏活動は皆無に近いからのようだ。そもそも手作り感満載のコンサートで、どうやらマネージメントも全て自分達で行っている様子だ。簡単な曲の解説を担当したフルートの子は、フェニックスホールの会場無料貸し出しの企画公募に入選し、来年五月にコンサートを行うと話していた。国内で既存の古楽アンサンブルに所属しても、リュリやクープランの舞曲は出来そうも無いし、自力でフレンチ・バロックの処女地を切り開く、その意気や良しと言いたい。必ずしも室内楽に拘らずソプラノ歌手を加え、オペラ志向を明確にしているのも嬉しい処だ。

 後半のエール・ド・クールでも、高橋は四人の器楽奏者の伴奏へ軽やかに乗り、美しいレジェーロな声を振り撒く。意味は全く分からないにせよ、そのフランス語の発音の美しさも、何だか聴いていて陶然とする程だ。演奏に入る前に、歌詞の日本語訳を朗読したのも、良い工夫だったと思う。ル・カミュとドゥ・バッシーィは名前も初めて知るが、リュリより年長の世代なので、恐らくはルネサンス多声シャンソンの廃れた後、通奏低音付き独唱曲としてのエール・ド・クールを、確立した時期の作曲家とも思われるが、その辺りは不勉強で良く分からない。

 僕の若い頃、フレンチ・バロックで良く聴いたのは、シャルパンティエやドラランドの宗教曲で、エラートがコルボやパイヤールの演奏で、CDを沢山出していたのを思い出す。もちろんモダンだったが、これを聴きつつ春宵の一刻をを過ごすのに相応しい、典雅で優美な音楽と演奏だった。あれ等のCDも随分長い間聴いていないが、一つ久し振りに埃を払い聴いてみようかと思わせる、若いフレンチ・バロック専門家五人組の、今日は希求力ある演奏だったと思う。
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