オペラの夜

出掛けたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深める為のブログです。

ワーグナー「ワルキューレ」

2009-04-06 | ヴァーグナー
<楽劇「ニーべルングの指環」第一夜>
2009年4月6日(月)14:00/新国立劇場

指揮/ダン・エッティンガー
東京フィルハーモニー交響楽団

演出/キース・ウォーナー
再演演出/マティアス・フォン・シュテークマン
装置・衣裳/デヴィッド・フィールディング
照明/ヴォルフガング・ゲッベル

ジークムント/エンドリック・ヴォトリッヒ
ジークリンデ/マルティーナ・セラフィン
ブリュンヒルデ/ユディット・ネーメット
ヴォータン/ユッカ・ラジライネン
フリッカ/エレナ・ツィトコーワ
フンディング/クルト・リドル
ゲルヒルデ/高橋知子
オルトリンデ/増田のり子
ヴァルトラウテ/大林智子
シュヴェルトライテ/三輪陽子
ヘルムヴィーゲ/平井香織
ジークルーネ/増田弥生
グリムゲルデ/清水華澄
ロスヴァイセ/山下牧子


 「ヴァルキューレ」の荒々しい序奏が始まり、幕が上がると、舞台上には「ガリバー旅行記」の巨人国に迷い込んだような、馬鹿でかいテーブルと、椅子が二脚置いてある。椅子の裏側には階段が付いていて、テーブルの上に寝ていたジークリンデがこの階段を降り、舞台に現われたジークムントを迎える。舞台下手にはフンディングとジークリンデの、等身大の結婚記念写真が置かれて、この婚姻は一応正式のものだ、と強調している。

 今日の一幕の舞台は、「ラインゴールド」の奇天烈なセットと比べればマトモだが、それではウォーナー君としては物足りないらしく、巨大な赤い矢印が天井を破って、突き出しているのが、如何にも唐突なアクセントとして添えられていた。注目のノートゥングは、この突き出た矢印に嵌め込んであったものを、ジークムントが引き剥がすと云う趣向。でも、これは本当に剣なのだろうか?どうも僕には、真っ赤な十字架にしか見えず、これにも何かの寓意があるのだろう。

 このセットと衣装からすると、ジークムントは荒野を彷徨い、農家の灯りに誘われ立ち寄ったカウボーイ、フンディングはネクタイを締め、ブーツを履いた裕福な牧場主、ジークリンデは攫われた花嫁と云う設定だろうか。ともあれ、一幕は西部劇仕立てで間違いはないと思う。疲れ果てたカウボーイに、水を与える牧場主の妻…。そんな風に考えると、「ヴァルキューレ」と云うオペラの設定が、西部劇そのものに思えて来る。

 二幕の舞台は、北米大陸の地図(ロッキー山脈付近の西部開拓地域と思しい)が床一面に描かれていて、ヴォータンは映写室に陣取り、映写機を操る技師と云う設定だろうか。ここでも僕は、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」を連想する。ジークリンデが映写フィルムを引っ張るのも、“映画がモティーフ”を、如何にも意味ありげに見せる、単なるハッタリだろう。ブリュンヒルデは玩具の木馬に跨って登場し、彼女がまだホンの子供である事を強調している。

 皆様ご存知、三幕冒頭の「ワルキューレの騎行」は、野戦病院の設定。戦死した勇士達はゾンビみたいで気色悪いが、こいつらをヴァルハラへ送り出す、ヴァルキューレを従軍看護婦に見立て、フェンシングの防具を衣装とした、演出家の発想は秀逸と思う。死体を乗せたストレッチャーを押し、喧嘩腰で走り回るヴァルキューレ八人組の演技が、とても楽しかった。ヴォータンが「告別の歌」を唱う第三場には、巨大な木馬が登場。ブリュンヒルデは目覚し時計の転がる、これも巨大な寝台に寝かされ、ベッドの周りには実際に火が灯される。これは父親に叱られ、子供部屋に閉じ込められる幼女、と云う設定だろう。

 歌手では、ジークリンデのセラフィンを筆頭に挙げたい。この人の中音域はメゾの暗目の音色だが、高音部では完全な頭声に入り、フォルテを出し切る力強さがあった。次はヴォータンのラジライネンで、この人は悪声とまでは言わないが、でもお世辞にも美声のバリトンとは呼べないと思う。しかし、このヴォータンには苦悩する神としての気品があったし、ラジライネンは終幕の大詰めまで、充分な声の余裕を持って乗り切り、素晴らしく感動的な「告別の歌」を唱ってくれた。確か僕は「ライン・ゴールド」の記事で、この人の悪口を少し書いたが、これは前言撤回して、お詫び申し上げなければならない。

 そうなると、フリッカのツィトコーワにも申し訳ない事をした。ツィトコーワは高低にムラのない美声で、二幕の長いアリアを立派に歌った。ただ、この辺が声量的に目一杯のようで、音色の変化で聴かせる工夫には、やや欠けたように思う。ブリュンヒルデのネーメットは、本来メゾソプラノらしいが、それにしては明るい音色のある歌手で、若さに溢れる溌剌としたブリュンヒルデだった。三幕一場のジークリンデとのデュエットでは、二人の声の音色の対照が美しく、又お互いに譲らない大声の出し合いで盛り上げ、これは結構面白い見ものだった。ここでの二人のソプラノの、体力勝負の意地の張り合いは、何だかスポーツ観戦みたいな趣はあったが、オペラの楽しみを満喫させてくれた。

 僕は今日のフンディングのリドルを、一昨年のドレスデン・ゼンパーオーパー日本公演での「ばらの騎士」で、オックスを歌ったのを聴いている。ベテランらしく、堂々たる貫禄のある大歌手で、フンディングには立派過ぎる程の声だが、この人も寄る年波で、声に衰えの兆しのあるのは致し方のない処か。ジークムントのヴォトリッヒは、ヴァーグナーを歌うテノールに良く居るタイプで、バリトンの音色のまま、中音域から高音域へ声を持ち上げるスタイル。でも、この歌い方では声を響かせるポジションが一定なので、音色に変化のない単調な歌になってしまう。

 エッティンガーの指揮は、一幕が特に素晴らしかった。シューベルトのように柔らかく、メンデルスゾーンのように良く歌う、軽やかなリズム感を内包したオケの音は、フォルテッシモを出しても柔らかい響きを失わない。甘い抒情的な場面で思い切りテンポを落とし、長いパウゼを入れてもアザトくはならない。エッティンガーが持ち前の抒情的な音楽性で、東フィルを存分に歌わせ、幕切れのジークムントの絶唱と共に、見事なカタルシスを構築した。

 でも、これが二幕になると裏目に出るのだから、生の上演と云うものは一筋縄で行かない。エッティンガーは柔らかく歌わせる分には良いのだが、ヴァーグナーらしい重心の低い音に欠けて、二幕の悲痛な音楽を表現するには物足りない。連発されるフェルマータやパウゼで、オケの集中力も途切れ気味になり、木管合奏の音程に揺れが目立つようになる。そうなると、聴く側の僕の集中力にも限界が訪れ、もう少しテキパキやってくれんかなぁ、等と考えるようになってしまう。

 この調子だと三幕は保たんやろなぁ、と半ば諦めモードに入った処が、ここで東フィルがスタミナを切らせず、「ヴァルキューレの騎行」を存分に鳴らした上で、ヴォータンのモノローグからローゲの火の音楽へ向け、更に馬力を揚げて立ち向かったのは、全く落涙物の奮闘振りだった。去年の飯守指揮の東京二期会の上演では、終盤バテバテだっただけに、今日の上演で最後まで集中力を切らさず、ヴァーグナーの音楽を鳴らし切った東フィルに、満腔の感謝の意を込めブラーヴォを送りたい。

 今回のプロダクションは歌手の粒が揃い、指揮者も二幕では中弛みしたが、一幕と三幕ではその能力の高さを発揮して、充分に聴き応えのある「ヴァルキューレ」だった。とりわけ全曲の幕切れは、優しいパパが幼い女の子を寝かしつけるような愛らしい演出で、これがエッティンガーの抒情的な音楽性に見事にハマり、終演後も満ち足りた気分で帰途に着く事が出来た。

 写真は休憩中のロビーでご歓談中の、畑中良輔さんと栗山昌良さんの両大御所です。ご協力ありがとうございました。
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8 コメント

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こんにちは (edc)
2009-04-18 18:11:44
TBとゲストブックへのコメント、ありがとうございます。

>声を響かせるポジションが一定なので、音色に変化のない単調な歌になってしまう。
なるほど、そういうことですか。
まったく記憶に残りませんでした。

Unknown (河童メソッド)
2009-04-19 11:22:40
こんにちは
ウォーナーの細かい演出は、時流とよくあうもので日本人にもよくあう。ただし、観る方の読みの深さだけではなく、芸術のナレッジウエアがなければ演出したほうとしても手ごたえなしになってしまう。Pilgrimさんはそのあたり見事にクリアされてますので、いろいろと納得のいくところではあります。
歌は生ものでその日の調子によるところもあるでしょうが、それに惑わされないポイントをついた評ですね。
オケについては指揮棒への共感によるところがかなり大きいと思います。コントロールされているのではなく自発性を引き出す能力がすごいと思いました。
それから、剣ですが、矢印が多い中、クロスしているのはあの剣と終幕のフェンシングの楯だけ。まぁ、つながりを求めると深読みし過ぎになってしまいますしね。
TBありがとうございました (akihito_suzuki2000)
2009-04-19 14:35:39
私のつたない記事に、コメント&TBありがとうございました。私も、ジークムントに不満があったというか、声が出ていないのかな、と心配したりしていました。拝読して、納得しました。 あと、数年前の公園では、冒頭のジークリンデの欲求不満が、もうちょっと露骨だったような記憶があるのですが、これは、私がそこを勝手に増幅しているのかしら?(笑) 
コメントありがとうございます (ピルグリム)
2009-04-20 00:45:25
■euridiceさん
>まったく記憶に残りませんでした。

 それって僕よりも辛口のような…。

■河童メソッドさん
 これは誉めて頂いてるんですよね?“ナレッジウエア”って、思わず辞書を引きました…。

>コントロールされているのではなく
>自発性を引き出す能力がすごい

 そうでないと、東フィルのスタミナは最後まで持たなかったでしょうね。オケのペース配分と、エッティンガーの柔らかい音楽性が融合して、本当に見事でした。

 あの盾は赤十字で十字架には違いないが、深読みの仕様もなく、単なる病院のマークと思います。

■akihito_suzuki2000さん
 僕は前回は見ていないので、冒頭のジークリンデに性的な意味があるとは全く気付かず、ただ単に寝苦しいので悶えているのかと思いました。

 オリジナルは、もっと露骨にやったんですか?そっちを是非観たかったです。
トラックバックありがとうございます (operaview)
2009-04-20 00:47:17
オペラに恋する写真家です。
TBありがとうございます。 (haydnphil)
2009-04-21 21:21:21
当方のブログにトラックバックありがとうございます。外国暮らしで新国立劇場に観に行くことが出来ないので、詳しいレポートはとても参考になりました。
これからもよろしくお願いします。
お邪魔します ( mken_001)
2009-04-22 16:13:30
 TB,コメントありがとうございました
長い楽劇を5回も公演して・・毎回の出来不出来が極端な感じも各ブログから受けましたが・・
 私は・・バイオリズムの悪さもあったのか、
各幕でウトウト・・としてました・・
 此れもワーグーナのなせる業ですか・・笑い

コメントありがとうございます (ピルグリム)
2009-04-22 21:39:03
 初めまして、わざわざご挨拶頂き恐縮です。
■operaviewさん
 オペラへに賭ける情熱の伝わるブログで、楽しく拝読しました。更なるご活躍を、陰ながら祈っております。

■haydnphilさん
 「クラシックおっかけ日記」、欧州の音楽事情やドイツの日常生活等、興味津々の内容と思います。僕はオペラ以外では、日本酒と讃岐うどんが趣味なので、外国生活は無理そうです。

 ご無沙汰しておりました。
■mken_001さん
 やはりエッティンガーでしょうね、あれは眠気を誘う指揮でした。

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