オペラの夜

出掛けたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深める為のブログです。

モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」K.588

2010-03-20 | モーツァルト
<モーツァルト&ダ・ポンテ三部作2008-10ホール・オペラ>
2010年3月20日(土)16:00/サントリーホール

指揮&フォルテピアノ/ニコラ・ルイゾッティ
チェンバロ/ジュゼッペ・フィンチ
テオルボ/佐藤亜紀子
チェロ/懸田貴嗣
東京交響楽団
サントリーホールオペラ・アカデミー

演出/ガブリエーレ・ラヴィア
美術/アレッサンドロ・カメラ
照明/喜多村貴
衣裳/アンドレア・ヴィオッティ

フィオルディリージ/セレーナ・ファルノッキア
ドラベッラ/ニーノ・スルグラーゼ
フェルランド/フランチェスコ・デムーロ
グリエルモ/マルクス・ヴェルパ
デスピーナ/ダヴィニア・ロドリゲス
ドン・アルフォンソ/エンツォ・カプアノ


 93年に始まったホール・オペラだが、今回の「コジ」で一旦休止となるらしい。そこで自分が、このシリーズのどの演目を観たのか思い出そうとしたが、「仮面舞踏会」と「ドン・カルロ」の、どちらか片方を観たのかそれとも両方を観たのか、記憶が曖昧で思い出せない。探してみたがプログラムも見付からないので確認出来ず、これは若年性アルツハイマーかも知れんと怯えるが、ネットで調べてみると両方に足を運んでいるらしい事は、何とか見当が付いた。このヴェルディの二作品は指揮がダニエル・オーレンで、キャストにはレナート・ブルゾンとニール・シコフと天羽明恵さんが共通して、記憶の混同してしまうのも一応は仕方ないと、ここは無理矢理に納得して置く。

 七年前の「カルメン」も観ているが、これはオペラコンサート・シリーズだそうで、ホール・オペラとは別枠になるらしい。何だか良く分からないが、兎も角も昨年の「ドン・ジョヴァンニ」と合わせ、ヴェルディとモーツァルトを二本づつの四本を観た事実は確定した。ホール・オペラは海外から一流の歌手とスタッフを招聘し、オケとコーラスは日本勢で固めるスタイルも良かったし、日本から海外に発信出来るオペラ・コンテンツで、一私企業の企画として立派なものだったと、改めて休止を惜しむ次第である。

 昨年の「ドン・ジョヴァンニ」では、開演前の舞台を馬鹿デカいテントのような幕で覆い隠して、これは何だか大掛かりだぞと、オペラ上演への期待を高めてくれた。今年もオケは、正面客席にお尻を向けて舞台奥に陣取り、その前方で歌手の唱う位置関係に変わりはないが、舞台上は意表を突き、セットを何も置かない空っぽの状態。これはこれで、直ぐに始まる上演で一体何を観せてくれるのかと期待感を煽る、なかなか巧妙な仕掛けと思う。

 今回もルイゾッティは、レチタティーヴォにピアノフォルテで伴奏を付けながらの指揮だが、前回と異なるのはチェンバロとチェロとテオルボの三名を別に起用し、指揮者のピアノフォルテと伴奏を分担した事。モーツァルトの18世紀に、リュート系の楽器を通奏低音に使用した筈はないと思うが、ルイゾッティ君の「モーツァルトの楽譜からそういう音が聴こえる」との御宣託だそうである。でも、結構お洒落な音はしていたので、単なる思い付きでも無いように感じる。ルイゾッティのコジ解釈には客観的な処があり、「ドン」の場合のように自分の主情で押し通してはいない。だから通奏低音を分担したのは、「コジ」の音楽を冷静な視点から見通す、指揮者の立位置を表していたようにも思う。

 モーツァルトのオペラは「コジ」に限らず全てそうだが、レチタティーヴォを楽しく聴けないと辛いものがあり、通奏低音を使い分けるのは音楽に変化を付ける良い工夫でもある。しかし、何を今更と言われそうだが、それにしても「コジ」の音楽は美しい。第10番の三重唱“風よ甘く吹け”のアンダンテを、フィオルディリージのファルノッキアが張り詰めたテンションのピアニシモで主導し、陶酔的な音楽を聴かせてくれる。三人のアンサンブルを聴き、このトリオでは主旋律を唱う歌手のセンスが重要と云うか全てだと、これも今更ながら気付かされる。センプレ・ピアニシモは指揮者の趣味だろうが、それに応えるファルノッキアの能力の高さに感心させられた。

 第14番“岩山のように動かず”と、第25番“恋人よ許して下さい”のフィオルディリージの二つのアリアは、ソプラノ歌手にとって音域が広く、ここでのファルノッキアの高音部は美麗とは云い難いし、低音部もしゃがれたような声でやや聴き辛い。モーツァルトの歌なら今一歩、声に透明な音色の欲しい処だ。石井宏の解説に拠ると、今回上演の目玉商品は第15番のグリエルモの短いアリアをカットし、その四倍の分量のある大アリアを挿入した事だそうな。聴いてみれば成程、この後にフェルランドのアリアが続くので、二人の男声主役が立て続けに長いアリアを歌う、とても聴き応えのある構成になっていた。

 僕の席は昨年の反対側のサイドで、やはり指揮者を真横から見る位置。でも、ヴェルパは歌う際、こちらにお尻を向けていても声はキチンと共鳴して聴こえて、これは倍音の響きが伝わるのだろうと思う。この人は甘いバリトンの音色に魅力のあるだけではなく、ユッタリとしたアンダンテのフレーズで声の響く位置を微妙に動かして音色を変化させ、音楽に繊細な表情を与えるセンスもある。天性の持ち声の良さとテクニックと、更に「コジ」の音楽を完璧に把握する知性にも秀でて三拍子揃った、若くして既に大歌手の風格のあるバリトンと思う。

 “パヴァロッティの再来”との触れ込みで初来日したフェルランドのデムーロは、しかし僕には分かり難い部分がある。もちろん美声は美声だが、フォルテの音量が一定で音楽に膨らみが無いし、ピアニシモの声にも輝きが乏しい。フェルランドの最大の聴かせドコロ、第17番のアリア“愛しい人の優しい息吹は”でも歌に表情が感じられず、この人はヴェルディ辺りを歌わせれば聴き映えするのも知れないが、少なくともモーツァルトに向いているとは思えなかった。

 ドラベッラのスルグラーゼは映画女優を兼業しているそうで、ネトレプコかゲオルギュー並みの美人歌手でもある。その声はフォルテでも柔らかく響く、深い音色のあるメゾでアリアも良いのだが、それよりもヴェルバとの声の相性が抜群で、第23番の二重唱“この心を捧げます”は二人の声が絶妙に溶け合い、素晴しいアンサンブルとなった。「コジ」の楽しさを満喫するには、何と云っても歌手の声質の調和の不可欠な事を、深く納得させるデュエットだった。それとこれは余計な話だが、フィオルディリージは一幕から胸の開いたドレスを着ているのに、ドラベッラは胸を隠していたのが、二幕では二人揃って胸明きドレスにしたのは如何なる演出の意図か知らないが、スルグラーゼ嬢に擱かれましても豊満な谷間をご披露頂き、誠に眼福でありました。

 昨年の「ドン」のツェルリーナでは、ややお色気過剰の気味のあったロドリゲスだが、今年はデスピーナを演じ、これは彼女の濃厚な声と容姿に打って付けの役で、第19曲のアリア“女が15歳になれば”を楽しげに歌ってくれた。やはり昨年は騎士長だったドン・アルフォンソのカプアノは、こちらは逆に生真面目なキャラが今ひとつ説得力を欠くようにも感じられた。

 演出家が空っぽの舞台を埋める役割を担わせたのが、ナポリの道化“プルチネッラ”だった。演出のラヴィアは、「このオペラでは、舞台がナポリだと観客に伝える事がとても大切。でもサントリーホールには、ナポリの風景を描いた背景画は置けないんだ」と、如何にもイタリア人らしくナポリに拘ってみせる。彼は東京で歌舞伎を観た際に、「黒子を見て、あっと気付いた。ナポリにはプルチネッラがある!」と云う訳で、白いダブダブの衣装を纏い、大きな三角帽子と黒い鷲鼻のマスクを被ったプルチネッラが、舞台上へ大量に動員された。彼等は籐の椅子や家具等のセットを持ち込む、黒子としての役割も担当した。

 プルチネッラはナポリのシンボルともされる、土着のキャラクターである。同業者組合に認定されたピッツァ・ナポリターナのお店には、プルチネッラがピッツァを焼いている看板が掲げられるが、この道化の本来の属性は「マッケローニ食らい」と呼ばれる恒常的に空腹と欲望を抱えた存在で、専らピッツァよりもスパゲッティを手掴みにして食っている画像が一般的である。プルチネッラは17世紀に、スペインからやって来た劇的キャラクターであるドン・ファンともコンビを組む。ドン・ジョヴァンニの従者レポレッロは、プルチネッラのナポリから出て汎ヨーロッパ化した姿であるらしい。

 カンツォーネ・アラ・ナポリターナと別名されるヴィラネッラは、ナポリの俗謡から始まったとされる、ナポリ方言で書かれた歌詞に付された多声世俗歌曲である。十代後半の多感な三年間をナポリで過ごした、ルネサンス音楽を代表する作曲家オルランド・ディ・ラッソのヴィラネッラ「Matona mia cara 我が愛しき人よ」は、そんなの知らないと云う人にも聴かせれば、「あ、それ知ってる!」となるかも知れない超有名曲である。ヴィラネッラは俗謡なので元々は単旋律だが、ラッソなどの手により洗練されたポリフォニックな曲が作られるようになる。ポリフォニックなヴィラネッラはマドリガル・コメディー、つまりコンメディア・デッラルテの母体となった音楽劇へと変化して行く。

 オラツィオ・ヴェッキ「ランフィパルナッソ」や、アドリアーノ・バンキエリの「老いの戯れ言」等を代表作とするマドリガル・コメディーは、イタリア各地の方言と楽器や動物の擬音効果、囃し言葉等を多用する軽快な音楽である。このようなポリフォニックな音楽を視覚化したコメディーが演劇として自立し、コンメディア・デッラルテとして上演されるようになったのが16世紀半ばの事とされる。但し、ナポリではヴィラネッラから派生した、プルチネッラを主役とするプルチネッラータと呼ばれる喜劇が生まれ、アルレッキーノやコロンビーヌを主役とするコンメディア・デッラルテとは一線を画し、プルチネッラはナポリ人のアイデンティティーを表象するキャラクターとなった。

 プルチネッラータは体制側から与えられた演劇ではなく、民衆の生活から自然発生的に形成されたパフォーマンスなので、歌も踊りも楽器演奏も含まれるし、軽業・手品・物真似・パントマイム等の芸も次々に披露される、一定の形式に収まらない何でも有りのファルスだったようだ。そして、このようなナポリの文化的土壌から、“オペラ・ブッファ”が芽生える事となる。18世紀初頭に上演された、初のオペラ・ブッファと認定される作品の舞台は夏のナポリの海岸、言葉もナポリ語のオペラだったらしい。ナポリの庶民を登場人物にした、ご都合主義な筋立ての他愛もない内容で、ナポリ市民の気軽に楽しめる音楽喜劇となった。「もう観客は見知らぬ土地や遠い過去の時代に連れて行かれる事はない。オペラ・ブッファでは舞台は常にナポリの街で、そこには生気に溢れた土地言葉と民衆の歌が聴かれる」と云う事になる。

 こんな風に調べてみると、オペラの発祥は17世紀のフィレンツェに於けるカメラータにより云々…と云う教科書の説明は、宮廷のパフォーマンスとしてのオペラ・セリアに限られる話と分かって来る。オペラ・ブッファもコンメディア・デッラルテもプルチネッラータも、当時の民衆に歌や笑いを提供するエンターテインメントとして受け入れられた訳で、その頃は演劇もオペラも未分化の状態だったと想像が付く。これは果たして、後付けで体系化して説明の付くものなのか、自分で書いていて疑わしく思えて来た。まあ、僕の書いた事は話半分なので、あまりマに受けないようにして下さい。

 でも、モーツァルトの「コジ」がナポリを舞台とした、純然たるオペラ・ブッファなのは事実で、そこを重視するラヴィア君の演出方針には肯けるものがある。合唱は白い衣装のプルチネッラ、助演は黒い衣装のプルチネッラで、子役のプルチネッラの大量に動員されたのも、子沢山で豊穣の象徴とされるプルチネッラの伝統に沿っている。プルチネッラが人海戦術で舞台を埋め尽くし、祗園祭の四条通のような押し合い圧し合いで、文字通りお祭り騒ぎの楽しい演出だった。この演出を観て感じたのは、人は音楽に寄り添った演出と良く言うけれども、結局そんなものは音楽に合わせてモブが踊れば、そう評価されるのだと、舞台上で阿波踊り状態となっているコーラスと助演を見て思った事だった。

 ルイゾッティの指揮も良かった。一幕は明るく軽やかに、去年の「ドン」のイメージ通りだったのが、二幕では軽過ぎず重くもならず、しっとりとして悲しみを内に秘めた、人間の弱さを肯定する素晴しい「コジ」に仕上げていたと思う。典型的なイタリア風の“金と力は無かりけり”な色男で、見た目は煩悩の塊みたいな人だが、そのルイゾッティ君の美しい「コジ」を聴いていると、この人は短調ではなく長調に悲しみを忍び込ませる、本物のモーツァルト指揮者なのだと改めて認識させられた。この世知辛い21世紀の御世に、こんなに軽やかで優しい風情の、そして何よりも一抹の悲しみを秘めたモーツァルトを奏でる指揮者の存在する事自体、僕には稀有に感じられる。今回のステージ・マナーもオチャラケは控え目で、カーテン・コールでオケ団員も歌手も見境なく、女性には全て手の甲にキッスしていた程度だった。

 日本人にはナポリのローカル色を強調する演出は理解の行き届かない処もあるが、ルイゾッティの指揮は文句無しに素晴らしく、歌手のアンサンブルの質も高い、胸に沁みる「コジ」の上演だった。何時になるかは分からないが、再開されるホール・オペラの演目を期待して待ちたいと思う。ルイゾッティ君にも再び、モーツァルトでお会いしたいものです。
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8 コメント

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やはり (ばもくん)
2010-05-01 15:48:20
やはりおいでだったんですね~
ちょうど対角線上ににおられたようで・・・
しかし何時もながら的確な分析に解説、ど素人のばもくんにとってただただ驚くばかり。

ルイゾッティがどのように素晴らしいか口では説明できませんが、ばもくんもまたルイゾッティのモーツァルトを見たいと強く思っている次第です!!
修正 (ばもくん)
2010-05-01 16:03:04
対角線上ではなく、ばもくんの席から正面でしたぁ。。。
失礼いたしました。
こんばんは。 (Pilgrim)
2010-05-01 18:38:41
 コメントとTB返し、ありがとうございます。

 実は偶然、田之倉稔「ナポリ‐バロック都市の興亡」と云う本を
読んでいる最中に今回の「コジ」を観て、プルチネッラの出て来た事に
驚いた次第です。的確な解説とか、そんな大層なものでないのは確かです。

 実は対面で、ばもくんと顔を突き合わせていた訳ですか。
ばもくんは目立つ方のようなので、探せば分かったかも知れませんね。
目立ちます (ばもくん)
2010-05-01 21:24:34
たぶんオペラグラスで見れば直ぐに発見できると思います(笑)
次回のホールオペラの時も必ず行きますので探してみてください♪
Unknown (operaview)
2010-05-02 14:09:24
私は、17日に見ました。
間違って仕事を入れてしまい、到着したのは2幕も後半になった頃でした(泣)
コメント有難うございます。 (ピルグリム)
2010-05-03 09:31:46
 operaviewさん、それはブログ・ネタ的には大変美味しい話と思います。
それだけで一回分稼げると思いますが、見当たりませんね…。

 ばもくんと共に再びルイゾッティ君のモーツァルトの聴ける日を、
気長に待ちたいと思います。
レチタティーヴォ (アルフォンソ)
2010-06-05 10:30:37
のチェロはモダンではありませんでしたよ。
しかも古楽専門の奏者でした。ご確認を。
ご指摘ありがとうございます。 (Pilgrim)
2010-06-05 13:05:04
 何時も偉そうな事を書いてますが、僕は楽器の経験がないので
その辺りはかなりテキトーです。
なんかまたやらかしてしまったと云う感じです…。

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