
<ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭>
2009年5月3日(日)18:45/東京国際フォーラム
指揮/ミシェル・コルボ
ソプラノ/シャルロット・ミュラー・ペリエ
アルト/ヴァレリー・ボナール
テノール/ダニエル・ヨハンセン
バス/クリスティアン・イムラー
ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル
ローザンヌ器楽アンサンブルはモダン・オケで、コルノ・ダ・カッチャはバルブ付きホルンで代用したが、オーボエ奏者はダモーレに持ち替え、弦楽はノン・ヴィブラート奏法のピリオド・アプローチで、これは現代のモダンによるバッハ演奏の一般的なスタイルだろう。オケは6-4-2-2-1の15名の弦楽に、七名の木管とトランペット三本と、ティンパニーにオルガンを入れて、総勢27名の切り詰めた小編成だが、声楽アンサンブルは女声20名(カウンター三名を含む)と男声17名の合計37名で、こちらは結構な人数を抱えている。
ロ短調ミサは劇的で彫りの深い、“西洋クラシック音楽の最高峰”とも評される曲である。だが、コルボのバッハ解釈は何をやっても全部同じ、と言い切ってしまうと御幣はあるが、ロ短調ミサに対しても柔らかく美しいサウンドを追求する、毎度お馴染みのスタイルで通している。コルボが演奏の要としているのは、ピアニッシモを主体にほぼ一貫してソット・ヴォーチェで歌わせる、コーラスの扱いにあると僕は考える。
この合唱団の縦横を揃える技術力の高さは、細かいメリスマがキチンと揃っていると云うような、低次元に留まるものではない。長いフレーズでは軽やかなテヌートを、速いパッセージでは柔らかいマルカートをピタリと揃える、そのアーティキュレーションの見事さと、ソット・ヴォーチェの音色の美しさは、コルボによる長年のトレーニングの賜物で、彼以外の誰にも真似出来ない、他に掛け替えのないものだ。
息の長いフレーズでのピアニッシモも良いが、短いフレーズにも丹念にメッサ・ディ・ヴォーチェを施し、片時もフレージングを平板にしない音楽作りも、とても美しい効果を挙げている。声を響かせる位置を微妙に動かし、音色の変化をコントロールして、そのフワフワしたソット・ヴォーチェを軽やかなリズム感で転がすコルボの手腕は、老大家の至芸と呼ぶしかないものと思う。
でも、この合唱団のソット・ヴォーチェは溜息の出るほど美しいのに、喉に力の入るフォルテになると、ごく普通のレヴェルに落ち着いてしまう。また、コルボ爺ちゃんのアプローチは、あくまで柔らかく美しい“声”の追求にあり、必ずしも振幅の広い曲想を充全に表現するものではない。しかし、最初から最後まで陰気な曲想の続くマタイやヨハネとは異なり、ロ短調ミサには「グローリア」や「グラツィアス」等、神を称える華やかで祝祭的な音楽がある。コーラスのフォルテの音色が平凡でも、トランペットを景気良く吹き鳴らし、ティンパニーをドンドコ叩けば、その分の埋め合わせは付くように思う。
ソリストでは、去年もシューベルトのセレナードを見事に歌ったボナールが、今日も三曲のソロと二曲のデュエットで、力のある声を聴かせてくれた。後の三人のソリストから特に強い印象は受けなかったが、コルボのバッハ演奏は、あくまで日常的な宗教行事の雰囲気があり、スター歌手の華麗なアリアを必要としない。彼等ソリストはアンサンブルの一員として曲の中に組み込まれ、コーラスを主体として聴かせる演奏の、箸休めのような機能を担っていると感じる。
お爺ちゃんが孫を膝に載せ、慈しんでいるような趣のあるコルボの宗教音楽には、お彼岸には墓参り、お盆には送り火で先祖を悼む、日本人の宗教的メンタリティーと通じるものがあるのかも知れない。実際の処、コルボの最上のレパートリーはマタイやロ短調のような、劇的な盛り上がりのある大曲にはないし、短いフレーズの続くバロックにも向いていないように思う。
むしろフレーズは長いが曲自体は短い、シューベルトやメンデルスゾーンに、コルボの音楽性は最もフィットすると僕は考える。次回の音楽祭のテーマは、ショパンとその周辺になるらしいので、来年こそコルボによるロマン派アカペラ小曲集のプログラムの実現を、個人的に要望したい。
写真は終演後のお疲れにも関わらず、にこやかにサインと握手に応じるミシェル・コルボさんです。ご協力ありがとうございました。
2009年5月3日(日)18:45/東京国際フォーラム
指揮/ミシェル・コルボ
ソプラノ/シャルロット・ミュラー・ペリエ
アルト/ヴァレリー・ボナール
テノール/ダニエル・ヨハンセン
バス/クリスティアン・イムラー
ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル
ローザンヌ器楽アンサンブルはモダン・オケで、コルノ・ダ・カッチャはバルブ付きホルンで代用したが、オーボエ奏者はダモーレに持ち替え、弦楽はノン・ヴィブラート奏法のピリオド・アプローチで、これは現代のモダンによるバッハ演奏の一般的なスタイルだろう。オケは6-4-2-2-1の15名の弦楽に、七名の木管とトランペット三本と、ティンパニーにオルガンを入れて、総勢27名の切り詰めた小編成だが、声楽アンサンブルは女声20名(カウンター三名を含む)と男声17名の合計37名で、こちらは結構な人数を抱えている。
ロ短調ミサは劇的で彫りの深い、“西洋クラシック音楽の最高峰”とも評される曲である。だが、コルボのバッハ解釈は何をやっても全部同じ、と言い切ってしまうと御幣はあるが、ロ短調ミサに対しても柔らかく美しいサウンドを追求する、毎度お馴染みのスタイルで通している。コルボが演奏の要としているのは、ピアニッシモを主体にほぼ一貫してソット・ヴォーチェで歌わせる、コーラスの扱いにあると僕は考える。
この合唱団の縦横を揃える技術力の高さは、細かいメリスマがキチンと揃っていると云うような、低次元に留まるものではない。長いフレーズでは軽やかなテヌートを、速いパッセージでは柔らかいマルカートをピタリと揃える、そのアーティキュレーションの見事さと、ソット・ヴォーチェの音色の美しさは、コルボによる長年のトレーニングの賜物で、彼以外の誰にも真似出来ない、他に掛け替えのないものだ。
息の長いフレーズでのピアニッシモも良いが、短いフレーズにも丹念にメッサ・ディ・ヴォーチェを施し、片時もフレージングを平板にしない音楽作りも、とても美しい効果を挙げている。声を響かせる位置を微妙に動かし、音色の変化をコントロールして、そのフワフワしたソット・ヴォーチェを軽やかなリズム感で転がすコルボの手腕は、老大家の至芸と呼ぶしかないものと思う。
でも、この合唱団のソット・ヴォーチェは溜息の出るほど美しいのに、喉に力の入るフォルテになると、ごく普通のレヴェルに落ち着いてしまう。また、コルボ爺ちゃんのアプローチは、あくまで柔らかく美しい“声”の追求にあり、必ずしも振幅の広い曲想を充全に表現するものではない。しかし、最初から最後まで陰気な曲想の続くマタイやヨハネとは異なり、ロ短調ミサには「グローリア」や「グラツィアス」等、神を称える華やかで祝祭的な音楽がある。コーラスのフォルテの音色が平凡でも、トランペットを景気良く吹き鳴らし、ティンパニーをドンドコ叩けば、その分の埋め合わせは付くように思う。
ソリストでは、去年もシューベルトのセレナードを見事に歌ったボナールが、今日も三曲のソロと二曲のデュエットで、力のある声を聴かせてくれた。後の三人のソリストから特に強い印象は受けなかったが、コルボのバッハ演奏は、あくまで日常的な宗教行事の雰囲気があり、スター歌手の華麗なアリアを必要としない。彼等ソリストはアンサンブルの一員として曲の中に組み込まれ、コーラスを主体として聴かせる演奏の、箸休めのような機能を担っていると感じる。
お爺ちゃんが孫を膝に載せ、慈しんでいるような趣のあるコルボの宗教音楽には、お彼岸には墓参り、お盆には送り火で先祖を悼む、日本人の宗教的メンタリティーと通じるものがあるのかも知れない。実際の処、コルボの最上のレパートリーはマタイやロ短調のような、劇的な盛り上がりのある大曲にはないし、短いフレーズの続くバロックにも向いていないように思う。
むしろフレーズは長いが曲自体は短い、シューベルトやメンデルスゾーンに、コルボの音楽性は最もフィットすると僕は考える。次回の音楽祭のテーマは、ショパンとその周辺になるらしいので、来年こそコルボによるロマン派アカペラ小曲集のプログラムの実現を、個人的に要望したい。
写真は終演後のお疲れにも関わらず、にこやかにサインと握手に応じるミシェル・コルボさんです。ご協力ありがとうございました。











素敵な鑑賞記ですね。
私が聴いたのは5/4のホールAの公演でしたが、このコンサートの感想をどんなふうにまとめようかと思っていたことを、すべてご提示いただいたような気がします。
もっとも私はコルボの紡ぎ出す美しさにただヤラレてしまっただけですが。。
私のほうもTBさせて頂きます。
丁寧にご挨拶頂き、ありがとうございます。又、過分なお褒めの言葉を頂き、素直に嬉しく思います。今後もよろしくお願いします。
■pocknさん
こちらこそ、お久し振りです。“演奏を追体験している気分”とまで仰って頂き、持って瞑すべしと思います。ありがとうございました。
■miken_001さん
今回のラ・フォル・ジュルネは、どうしても聴きたい二公演に絞り、両方とも期待通りで満足出来ました。