オペラの夜

出掛けたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深める為のブログです。

猿谷紀郎「三井の晩鐘」

2014-01-31 | 日本オペラ
<邦楽器との響演/いずみシンフォニエッタ大阪第32回定期演奏会>
2014年1月31日(金)19:00/いずみホール

指揮/川島素晴/猿谷紀郎
尺八/藤原道山
三味線/鶴澤清治
いずみシンフォニエッタ大阪

演出/岩田達宗
照明/原中冶美

龍の女/天羽明惠
漁りの男/豊竹呂勢大夫

川島素晴/尺八協奏曲(委嘱初演)
鶴澤清治&猿谷紀郎「三井の晩鐘」


 現代音楽のみを演奏するオケ、いずみシンフォニエッタ大阪で創設以来の常任指揮者を務める飯森範親は、来シーズンから日本センチュリー響の首席指揮者を兼任する予定となっている。僕はいずみシンフォニエッタ大阪の定期を今回初めて聴くし、これまで飯森の指揮に接する機会も無かった。率直に言ってヴィデオ等で見る彼の指揮姿に好感は持てないし、ホームページに掲載された自らの肉体を誇示するような写真にも、些かの違和感を覚える。でも、飯森さんは全く偶然に僕の仕事場を来訪された際、やや長目の立ち話をさせて貰い、個人的に接した実感として、気さくで闊達な好青年と云う印象を抱いた。

 飯森の個人的キャラの詮索は置くとして、今日は彼の演奏を聴く初めての機会だったが、インフルエンザで降板だそうで、何だか拍子抜けである。今時のインフルエンザは、高熱を発し寝込んで休演になるのでは無く、保菌者として隔離されるだけらしい。だから今頃ご本人はピンピンしていて、お隣りのニューオータニホテル辺りでヒマを持て余しているらしく、それも何だかなぁ…と思う。代役に専業の指揮者は立てず、それぞれ作曲者本人が指揮を務めるとの事。自作の演奏会場に漏れなく出没する作曲家は、誠に使い勝手の良い代役と言えよう。

 コンサート前半の川島への委嘱曲は、人気奏者の藤原道山に当て書きされたコンチェルト。それぞれソリストの名前から漢字一文字を取り、四季を意味する題名を付した四楽章構成で、第一楽章「春の藤」はワン・テーマでオスティナートの続く曲。第二楽章「夏の原」はヴァオリン奏者が楽器を叩いたり擦ったり、鈴を取り出して鳴らしたり、金管はブレストーンやマウスピースを外して吹いたりと、特殊奏法のテンコ盛りとなる。尺八はオケの中を歩き回り、メンバーの一人ひとりと睨めっこして音を出させ、他はその奏者の伴奏へ回るチャンス・オペレーションでもある。

 第三楽章「秋の道」はマトモな協奏曲風で、フツーにゲンオンっぽい響きと、凄まじい程の変拍子がある。第四楽章「冬の山」は二階席に現れたソリストが単音を吹くと、事前に準備されたクラスターっぽいユニットを、指揮者の指示で演奏するチャンス・オペレーション。開演前の西村朗音楽監督のインタビューで、これって絶対音無いと指揮出来ないんじゃないの?と聞かれた川島は、それは予め決めて置けば良いのですと答える。それじゃ意味無いじゃん、と西村に突っ込まれた川島は、作曲者本人がそう決めたから良いのですと言い訳していた。

 その川島の指揮振りだが、どうやら彼には絶対音感のみならず、叩きの技術の持ち合わせも無いようだ。僕のような素人目にも打点がバラバラで、タクトを振り下ろす際と、戻す際のスピードの違うのが分かる。まあ、縦横の合うとか合わないとかが問題になる曲でも無いし、それで別に構わないとは云えるけれども。それと「三井の晩鐘」を聴いた後に思い返せば、ありゃやっぱ軽薄な音楽だったよなぁ…と思えて来る。

 休憩後は本日のメイン・プロ、「三井の晩鐘」。この曲は昨年末、惜しまれつつ閉館したイシハラホール開館十周年記念の委嘱作で、今回の九年振りの再演は、管弦楽ヴァージョン・アップの改訂版初演でもある。大阪土着の伝統芸能である、文楽をモティーフとする“ソプラノ、浄瑠璃、室内アンサンブルのための「三井の晩鐘」”は、実質的にオペラとしての内容を備えている。今日は現代音楽のコンサートとしては異例の満員御礼だそうで、大阪でも上手に話題作りすれば、質の高いゲンオンの公演も一般聴衆に支持される訳で、これは誠に心強い話と思う。

 今、“文楽をモティーフとする”と書いたが、この表現を正確とは云えない。この曲は邦楽と洋楽の二つのセクションに画然と分かれていて、浄瑠璃を太棹の名人である人間国宝の鶴澤清治が、声楽入り管弦楽を猿谷紀郎が分担して作曲している。実際に聴いた印象で云えば、猿谷の作った西洋音楽のどの辺りが浄瑠璃にインスパイアされたのか、僕には判断は付かなかった。ただ、声楽入り管弦楽は邦楽部分を抱合しているようにも思え、浄瑠璃は曲全体の構図の中へ組み込まれているように感じられた。

 それもその筈とは、まず太棹名人が浄瑠璃を先に作曲し、猿谷の方はそれを聴いてから作曲に取り掛かったそうで、本人の弁に拠ると「鶴澤先生の作曲の“音の振る舞い”を踏襲したり、縮めたり増幅したりと工夫しました」。「用いられた音のジェスチャー、又それぞれの主題の持つキャラクター等との調和により、音楽的な展開を考えた部分も多くあります」と云う事になる。

 「三井の晩鐘」の原作は近江八景の一つ、三井寺の梵鐘に纏わる伝説を基にした梅原猛の絵本で、それを梅原本人が翻案した原作台本から、石川耕士と云う人がオペラの上演台本に仕立てている。昔、漁り(すさなどり)の男と、相思相愛で結ばれた龍の女(たつのおなご)が出産の後、龍の世界の掟で琵琶湖へ連れ戻される。母の乳房を恋慕う幼い我が子に双の目玉を与え、盲人となる龍の女のお話しは、最後「無事な良い日であったなら、知らせの鐘を聞かせて」と締め括られる。

 舞台上手には演台を前に置いた豊竹呂勢大夫と、太棹三味線を抱えた鶴澤清治とが陣取り、いずみシンフォニエッタ大阪と指揮者は下手に配され、両者は舞台上で並置されている。物語は漁りの男の語り、浄瑠璃の節回しで進められ、アンサンブルと交互に演奏する体裁を取る。乳飲み子を抱えた亭主を浄瑠璃の地声、龍の女は透明な声質の天羽明惠に歌わせる事で、両者の対比を際立たせている。

 洋楽アンサンブルは長いフレーズの弦楽に、三人組のパーカッションが澄んだ響きの鈴やチェレスタで合いの手を入れる。管楽器はクラリネット一本で、音楽は次第にコンチェルトの様相を呈して来る。白い打掛けを羽織った天羽さんは白いカーテンの陰で歌い、そこへ赤や青の照明を当て場面転換を図る。母音唱法なのでヴォーカリーズかと思ったが、実は子音を省いた台本通りだそうで、これは龍に戻った女の喋る人間の言葉と云う事だろうか。

 太棹三味線のテクニックとかは分からんが、この楽器はリズムで聴かせる迫力が凄い。チューニングも大変そうで、アンサンブルが演奏している間、人間国宝は頻りに調弦を繰り返している。最初の内、太夫の節回しに違和感はあったが、これは次第にそのテンションの高さに惹き込まれて行く。曲の始まって暫くは、和と洋の音楽はクッキリと別れているが、それも次第に融合して行くように感じられる。その辺りのタイミングを見計らったように、洋楽アンサンブルの伴奏に載せ、人間国宝が一くさり語る場面もあった。

 最後、天羽さんは打掛けをその場に落とし、白いドレス姿で幕切れの歌を聴かせる。オケとソプラノにスポットを当て、浄瑠璃組(世俗の象徴だろうか)を暗転させると、“三井の晩鐘”が鳴らされる。でも、これが鐘の音の筈なのに、実際には銅鑼の鳴らされたのは、やや感動的な幕切れの興を削いだように思う。鐘のレンタル料金って高いのかな?

 猿谷の書いた音楽には内面的な力強さがあり、そこに加わる浄瑠璃との相乗効果で、両者の昇華された瞬間は確かにあった。聴後に感動の余韻を噛み締める、「三井の晩鐘」は猿谷の代表作と呼べるかと思われる。浄瑠璃との共演を要する事と、大阪ローカルの題材とが、これまで再演を阻んできたのだろう。日本の創作オペラには自治体の支援に拠る、地域文化を題材とする作品も多い。だが、普遍的な価値を認められる作品であれば、首都圏や関西圏での再演は大いに奨励されるべきと思う。

 上掲の写真は当日の会場でお見掛けした「三井の晩鐘」の原作者、梅原猛さんです。先生、ご協力有難うございました。
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