
<佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ/リバイバル上演>
2008年4月3日(木)14:00/兵庫県立芸術文化センター
指揮/佐渡裕
兵庫芸術文化センター管弦楽団
ひょうごプロデュースオペラ合唱団
演出/栗山昌良
美術/石黒紀夫
照明/沢田祐二
衣裳/緒方規矩子
蝶々さん/浜田理恵
ピンカートン/ジョン・マッツ
シャープレス/デヴィッド・オカーランド
スズキ/星野恵里
ゴロー/晴雅彦
ボンゾ/澤井宏仁
ヤマドリ/キュウ・ウォンハン
ケイト/マリアム・タマリ
公証人/油井宏隆
このホールの所在地である西宮市から神戸方面に掛けては、所謂“芦屋マダム”と称される人種が多数棲息している。今回が再演となる栗山御大製作の「蝶々夫人」のプロダクションは、ご近所にお住まいのセレブでハイソなご婦人方を当て込み、平日も含めた七回公演全てがマチネという、思い切った時間設定がされている。本日の会場ロビーでも、それこそ谷崎の「細雪」さながらの光景が繰り広げられていた。ただ、さすがに再演となると新鮮味が薄れるのか、今日の客の入りは七分といったところで、初演の際の全公演即日完売という伝説的な熱気はない。その平日マチネを選んだ僕の誤算は、春休み中の餓鬼(失礼)どもがそこら中にいたこと。生意気に花粉症なのかズルズルと洟を啜ったり、座席で頻りにモゾモゾ動く餓鬼(度々失礼)どもに、僕はホトホト参ってしまった。
円形の回り舞台の下手に蝶々さんのお家のセット、上手には出演者が降りて来る階段と、満開の桜の樹のセットがある。このテの和風舞台は栗山御大の十八番で、新国立の「黒船」のセットにソックリじゃん、などと言うのは野暮というものである。一幕の結婚式は桜の樹の下で行われ、花嫁行列も、宴に招かれた客たちも、招かれざる客のボンゾも、全て階段を降りてやって来る。三本の高張提燈に点灯することで日暮れを示し、「愛の二重唱」ではホリゾントに星空を映し、夜の更けたことを示す。でも、コーラスの長崎芸者衆が全員、帯の結びに半透明の大きな蝶々のアクセサリーを付けているのは、イマイチお洒落な工夫には見えなかった。
二幕では回り舞台が半回転し、蝶々さんのお家のセットの室内側を見せ、桜の樹は屋根越しに見せる仕掛け。ピンカートンが帰国して三年経っている訳だが、季節は春のままで、桜は依然として満開。その代わりに一日の時の移ろいは明確で、二幕から三幕にかけ、ハミング・コーラスと間奏曲の演奏と共に回り舞台がゆっくりと回転し、ホリゾントには月が出て、ピンカートンの来訪を待って夜明かしする、蝶々さんとスズキの姿が障子に写るシルエットとなる。決して奇を衒わず、オーソドックスな和風の美を追求する、これが御大演出の真骨頂だろう。美術も衣装も歌手たちの所作も美しく、演出は全く申し分なかった。
今日の上演の足を引張った筆頭に挙げられるのは、まずピンカートンのテノールで、とにかく声量が全くない。当然、ダイナミック・レンジも著しく狭く、極めて変化に乏しい歌い振り。シャープレスのオカーランドは、声の輝きよりも響きで聴かせるタイプのバリトンで、朗々たる美声の持ち主だが、この二人のデュエットではピンカートンの声がオケの音に埋もれてしまい、シャープレスの声しか聴こえて来ない体たらく。「愛の二重唱」でも、蝶々さんの声しか聴こえて来ず、全くアンサンブルの態を成していなかった。
タイトル・ロールの“笑わん姫”浜田理恵は、彼女の力量として精一杯の歌を唄っていたと思う。しかし、この人の声で蝶々さんは荷が重過ぎる。浜田の本領がドビュッシーのメリザンドや、オネゲルのジャンヌ・ダルクにあることは周知の事実で、最初からミス・キャストは歴然としている。芸術監督さんの意図は、僕にはうかがい知れない。
その佐渡の指揮は、局面では思い切った遅いテンポで、音符の一つ一つにテヌートを付すような情調纏綿たるものだが、細部に拘り過ぎ、全曲を通した設計が見えて来ない。盛り上げるべき場面で、畳み掛けるようなアチェルラントがなく、劇的な場面でもテンションが上がらず、肝心なところを素っ気無く通り過ぎてしまう。例によって、実に気持ち良さそうに指揮する佐渡の姿が、僕には実際に鳴っている音楽とはチグハグなものに感じられた。ただ、ここのオケには絶対的な音量が不足しているので、致し方のない面もあったかとは思う。
でも今日の僕のお目当ては、最初からゴローの晴雅彦只一人。とにかく、この人の演技は歌っていない時でも抜群に面白く、晴が舞台にいる間、僕はそちらばかり見ていた。彼が出てくるだけで、オペラの楽しみが本当に豊かになる、貴重な演技派バリトンに、満腔の感謝の意を込めてブラーヴォを!
このプロダクションは人気もあり、また大変良く出来たものなので近い将来、再々演の可能性は高いかと思われる。個人的に演奏面の不満は多いが、指揮者やオケの入れ替えは考え難い。初演の際と、ほぼ同じ面子の歌手で再演されたこと自体は悪いことではないが、次回はせめて歌手の人選には今少しの配慮が望まれる。
2008年4月3日(木)14:00/兵庫県立芸術文化センター
指揮/佐渡裕
兵庫芸術文化センター管弦楽団
ひょうごプロデュースオペラ合唱団
演出/栗山昌良
美術/石黒紀夫
照明/沢田祐二
衣裳/緒方規矩子
蝶々さん/浜田理恵
ピンカートン/ジョン・マッツ
シャープレス/デヴィッド・オカーランド
スズキ/星野恵里
ゴロー/晴雅彦
ボンゾ/澤井宏仁
ヤマドリ/キュウ・ウォンハン
ケイト/マリアム・タマリ
公証人/油井宏隆
このホールの所在地である西宮市から神戸方面に掛けては、所謂“芦屋マダム”と称される人種が多数棲息している。今回が再演となる栗山御大製作の「蝶々夫人」のプロダクションは、ご近所にお住まいのセレブでハイソなご婦人方を当て込み、平日も含めた七回公演全てがマチネという、思い切った時間設定がされている。本日の会場ロビーでも、それこそ谷崎の「細雪」さながらの光景が繰り広げられていた。ただ、さすがに再演となると新鮮味が薄れるのか、今日の客の入りは七分といったところで、初演の際の全公演即日完売という伝説的な熱気はない。その平日マチネを選んだ僕の誤算は、春休み中の餓鬼(失礼)どもがそこら中にいたこと。生意気に花粉症なのかズルズルと洟を啜ったり、座席で頻りにモゾモゾ動く餓鬼(度々失礼)どもに、僕はホトホト参ってしまった。
円形の回り舞台の下手に蝶々さんのお家のセット、上手には出演者が降りて来る階段と、満開の桜の樹のセットがある。このテの和風舞台は栗山御大の十八番で、新国立の「黒船」のセットにソックリじゃん、などと言うのは野暮というものである。一幕の結婚式は桜の樹の下で行われ、花嫁行列も、宴に招かれた客たちも、招かれざる客のボンゾも、全て階段を降りてやって来る。三本の高張提燈に点灯することで日暮れを示し、「愛の二重唱」ではホリゾントに星空を映し、夜の更けたことを示す。でも、コーラスの長崎芸者衆が全員、帯の結びに半透明の大きな蝶々のアクセサリーを付けているのは、イマイチお洒落な工夫には見えなかった。
二幕では回り舞台が半回転し、蝶々さんのお家のセットの室内側を見せ、桜の樹は屋根越しに見せる仕掛け。ピンカートンが帰国して三年経っている訳だが、季節は春のままで、桜は依然として満開。その代わりに一日の時の移ろいは明確で、二幕から三幕にかけ、ハミング・コーラスと間奏曲の演奏と共に回り舞台がゆっくりと回転し、ホリゾントには月が出て、ピンカートンの来訪を待って夜明かしする、蝶々さんとスズキの姿が障子に写るシルエットとなる。決して奇を衒わず、オーソドックスな和風の美を追求する、これが御大演出の真骨頂だろう。美術も衣装も歌手たちの所作も美しく、演出は全く申し分なかった。
今日の上演の足を引張った筆頭に挙げられるのは、まずピンカートンのテノールで、とにかく声量が全くない。当然、ダイナミック・レンジも著しく狭く、極めて変化に乏しい歌い振り。シャープレスのオカーランドは、声の輝きよりも響きで聴かせるタイプのバリトンで、朗々たる美声の持ち主だが、この二人のデュエットではピンカートンの声がオケの音に埋もれてしまい、シャープレスの声しか聴こえて来ない体たらく。「愛の二重唱」でも、蝶々さんの声しか聴こえて来ず、全くアンサンブルの態を成していなかった。
タイトル・ロールの“笑わん姫”浜田理恵は、彼女の力量として精一杯の歌を唄っていたと思う。しかし、この人の声で蝶々さんは荷が重過ぎる。浜田の本領がドビュッシーのメリザンドや、オネゲルのジャンヌ・ダルクにあることは周知の事実で、最初からミス・キャストは歴然としている。芸術監督さんの意図は、僕にはうかがい知れない。
その佐渡の指揮は、局面では思い切った遅いテンポで、音符の一つ一つにテヌートを付すような情調纏綿たるものだが、細部に拘り過ぎ、全曲を通した設計が見えて来ない。盛り上げるべき場面で、畳み掛けるようなアチェルラントがなく、劇的な場面でもテンションが上がらず、肝心なところを素っ気無く通り過ぎてしまう。例によって、実に気持ち良さそうに指揮する佐渡の姿が、僕には実際に鳴っている音楽とはチグハグなものに感じられた。ただ、ここのオケには絶対的な音量が不足しているので、致し方のない面もあったかとは思う。
でも今日の僕のお目当ては、最初からゴローの晴雅彦只一人。とにかく、この人の演技は歌っていない時でも抜群に面白く、晴が舞台にいる間、僕はそちらばかり見ていた。彼が出てくるだけで、オペラの楽しみが本当に豊かになる、貴重な演技派バリトンに、満腔の感謝の意を込めてブラーヴォを!
このプロダクションは人気もあり、また大変良く出来たものなので近い将来、再々演の可能性は高いかと思われる。個人的に演奏面の不満は多いが、指揮者やオケの入れ替えは考え難い。初演の際と、ほぼ同じ面子の歌手で再演されたこと自体は悪いことではないが、次回はせめて歌手の人選には今少しの配慮が望まれる。











さて、まず兵庫芸文のバタフライですが、初日はまぁまぁの入りでした。明らかに「マダム」風の方々が多かったのも確かですけどね。ピンカートン役のダメっぷりについては同感です。シャープレス役のオーカーランドはよかったですし、ゴロー役の晴さんもいい役者っぷりでした。肝心の蝶々さんについては…どうなんでしょうねぇ?声量が不足しているのは否めないにしても、初日であれだけ歌えれば上出来、との感想を持ったのですがその後の公演ではいかがだったのでしょうか。私などよりもオペラをよくご覧になっている方の感想のほうが、やはり的を射ているのではないかとも思いますけどもね。
それでは、これからもよろしくお願いします。
西宮でのオペラ上演の場合は毎回、
「初めてオペラに行きました\(^o^)/」
的なブログの多い中で、僕とほとんど同じ意見の記事がある!と驚きました。しかもバレエ・メインのブログで二度ビックリです。
オペラのソプラノ主役には、個人がそれぞれに抱くイメージというものがあり、浜田理恵さんの声は僕の蝶々夫人のイメージからは、やや外れていたということです。もっとスピントした声が欲しかった。
でも、そのくらいの意見の違いは当然ですよね。