オペラの夜

出掛けたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深める為のブログです。

ワーグナー「神々の黄昏」

2010-03-21 | ヴァーグナー
<楽劇「ニーべルングの指環」第三夜>
2010年3月21日(日)14:00/新国立劇場

指揮/ダン・エッティンガー
東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団

演出/キース・ウォーナー
再演演出/マティアス・フォン・シュテークマン
美術・衣裳/デヴィッド・フィールディング
照明/ヴォルフガング・ゲッベル

ジークフリート/クリスティアン・フランツ
ブリュンヒルデ/イレーネ・テオリン
ハーゲン/ダニエル・スメギ
グンター/アレクサンダー・マルコ・ブルメスター
グートルーネ/横山恵子
ヴァルトラウテ/カティア・リッティング
アルベリヒ/島村武男
ノルン/竹本節子/清水華澄/緑川まり
ラインの乙女/平井香織/池田香織/大林智子


 三連休の中日で、今日の新国立劇場は遠征組の多いように感じる。僕と同様に、昨日のサントリーホ-ル「コジ・ファン・トゥッテ」と、併せての訪問の人も居るようだ。

 さて、“トーキョー・リング”チクルスも大詰め、最終楽章とも云うべき「神々の黄昏」まで辿り着いた。思えば長い旅路だったが、今は無事に全てを観終えた満足感に浸っている。前回のチクルスは、この「黄昏」と「ラインの黄金」だけ観て、間の二作は中抜きしたが、今回は順番に観て「神々の黄昏」まで辿り着き、演出に付いては色々と腑に落ちる処もあって、我が人生三回目のリング・チクルスは個人的に収穫の多い上演となった。

 前回の「黄昏」を観た際のプログラムを引っ張り出してみると、僕としては珍しい事に、ごく簡単ではあるが上演の感想のメモ書きがあった。それを読むと、やはり中抜きで観る“トーキョー・リング”の演出は、訳の判らなかったのが分かる(つまり、全く分かってない)。因みに前回の公演はダブル・キャストで、僕はフランツ君ではない方のキャストを聴いている。葬送行進曲で、ジークフリートの這いずった後に血の流れるシーンの赤が鮮烈で、準メルクルとN響の美しい演奏との相乗効果で、そこだけは今でも目に焼き付いている。

 冒頭のファンファーレが聴こえて幕が上がると、そこには先行した三作で余りにも見慣れた舞台美術がある。つまり、あちこちに突き出す赤い矢印と、馬鹿でかい映写機のフィルム・ロールのセット。前作までは、あれこれと一所懸命にアイデアを並べ立てたウォ-ナー君だが、どうやら「黄昏」では広げ過ぎた大風呂敷を畳み、全体の辻褄合わせに掛かっているようだ。序幕第一場、運命の女神のノルン三人組が綱を綯いながら、ヴォータンが槍を切り出してトネリコの木を枯らせちゃって、それを薪にして云々と歌っていると、運命の綱はプツンと切れちゃって…と云う場面だが、ここを演出家は映画フィルムの編集作業に仕立てている。ノルンは綱の代わりにフィルムを手繰る訳で、ト書きと映画仕立てとの辻褄は合うし、ジークフリート三幕のエルダとヴォータンがダイアローグを歌う場面に、ノルン三人組の編集作業を観せたのも腑に落ちる。

 でも、辻褄が合うと物足りなくも感じるのが、キッチュ満載のウォ-ナー演出。ハッタリに説明が付いてしまうと、何だか拍子抜けもする。続いては新婚ホヤホヤのご夫婦、ジーク君とブリュちゃんの新居のセットで、これも毎度お馴染みとなったベッドとグラーネの木馬の玩具が出て来る。但し、これまでは巨大だったベッドも、ブリュンヒルデの跨る大きさのあった木馬も、スケール・ダウンした可愛らしいサイズになっている。この場面、ブリュンヒルデとジークフリートは相手の頭文字である、それぞれ“B”と“S”のアルファベットのTシャツを着込み、二人のお家も新婚さんの“愛の巣”のイメージをそのまま視覚化したような、見ていて気恥ずかしいセットで、ここは思い切り甘ったるいムードを盛り上げる。

 それぞれ「ヴァルキューレ」「ジークフリ-ト」では、子供部屋の住人だったタイトル・ロールの二人が同棲生活に突入した訳で、この場面から逆算した子供っぽいキャラ作りであった事も分かる。見た目の可愛らしさで観せようとする姿勢も一貫していて、ここはウォーナー君の相変わらずの顧客サービス振りを楽しめば良いのだろう。この場面での「ジークフリート」終幕に続く、テオリンさんとフランツ君の大声の張り上げ合いは、その実力を既に確認済みのお二人で、安心して拝聴出来る。次のジークフリートの旅立ちの場面でも、ホリゾントにナビ画面みたいな地図を投射し、これを手元の地図と照らし合わせてフランツ君の見上げる絵柄が、今回のタイトル・ロールの子供っぽい容姿と相俟って、初々しい印象を与える。

 これはマーク・トウェインの「トム・ソーヤーの冒険」や、「ハックルベリー・フィンの冒険」のイメージと思うが、演出家は「権力、テクノロジー、世界秩序等に関するアメリカの思想は確かに大きな影響力を持っていますが、それを意図的に演出に反映させてはいません」とトボけて見せて、コイツそんな大嘘を良く平気で吐くよなぁと、ウォーナー君のハッタリ精神の徹底に感心してしまう。

 一幕のギービヒ家の場面、ハーゲンとグンターとグートルーネの三兄妹は、それぞれ黒・白・ピンクの衣装を着せられて、甚だ分かり易く図式化され、この辺りにも演出家のお節介な程のサービス精神を感じる。因みに、ここでは巨大な羊の頭蓋骨(とは後で知った、僕は七面鳥の丸焼きかと思っていた)の画像を掲げるが、こちらはウォーナー君のハッタリ精神の方の典型例と思う。ブリュンヒルデとヴァルトラウテのダイアローグ、リッティングも柔らかい低音のある良いメゾだが、テオリンさんの大音量には対抗するべくもなく、ややバランスの悪かったのは致し方のない処か。

 黒い衣装のハーゲンはブリュンヒルデの陵辱シーンにも立ち会うし、二幕では入院中らしく酸素ボンベを抱えるアルベリヒとのダイアローグを終えると、父親の顔に枕を当てて窒息死させる等、小ネタで悪役振りを強調する効果的な演出もあった。そのハーゲンのスメギは重目のバスが、スカルピアやイヤーゴにもハマりそうな悪役声で、感情を込めない棒歌いも冷酷さを演出して面白く、こんな声の役作りもアリかと思う。

 ハーゲンの軍勢召集の呼び掛けと共に、「黄金」ではヴァルハラ城、「ヴァルキューレ」では救急病棟に使い回されたセットが登場。呼び掛けに応え、ワラワラと出て来るギービヒ家臣団の歌う男声合唱は、ハーモニーの密度とフレージングがオペラ・コーラスでは有り得ない程に緻密で、これは本当に素晴しかった。日本の合唱団では、バッハ・コレギウム・ジャパンが宗教曲の分野で高いレヴェルに在り、オペラの分野には新国立劇場合唱団があると云う事で、この二団体は世界に誇れる双璧のコーラスと思う。

 因みにヴァーグナーでは、「オランダ人」の“水夫の合唱”や「タンホイザー」の“巡礼の合唱”は学生グリークラブの定番曲だが、僕は寡聞にして「黄昏」の“ギービヒの合唱”(?)を、単独で演奏したアマチュア合唱団を知らない。効果的な曲なのに演奏されないのは、恐らく難易度の問題ではなく単純な話、リングにも男声合唱のある事の知られていないだけだろうと思う。難しいと云えば、「オランダ人」の“幽霊船と水夫の合唱”の方が難易度は高く、これも学生のコンサートでは滅多に演奏されない。

 二幕でギービヒ家に連行されるブリュンヒルデが、ジークフリートとの愛の巣である小屋毎引きずられて来るのも、何だか観ていて楽しい絵柄で、ここもウォーナー君の面目躍如と云った処か。黒い外装の小屋から出て来たブリュンヒルデの、黒いドレスは喪服なのだろうか。幕切れの三重唱でテオリンさんの大音量に、インテリ風バリトンであるグンターのブルメスターが良く対抗して聴き応えは充分。ただ、旋律を主導するテオリンの、怜悧な銀色の輝きのある声質そのものは良いが、やや一本調子で内容に富んだアンサンブルにはしてくれなかった。

 三幕のジークフリート最大の難所、森の小鳥のコロラトゥーラでフランツ君の売りである、明るく軽い声質の特徴は最大限に生かされる。ここでは凡百のヘルデン・テノールが、如何にも苦しげに声を絞り出す高音を、フランツ君は難所を難所と感じさせず、実に易々とクリアしてしまう。実際の話、こんなに高低にムラの無い、美声のヴァーグナー・テノールが他に居るとは思えない、フランツ君は本当に貴重な存在と思う。

 大昔の話になるが葬送行進曲は、京響の初代常任指揮者だったカール・チェリウス氏の逝去の報のあった際、あのボロっちい京都会館第一ホ-ルでの京響定期に若杉弘さんが客演していて、確かマーラーの六番を取り上げた日と思うが、その前にやる曲目を変更して、追悼の為に演奏された。若杉さんは演奏に先立ち、「私達に出来る事は音楽だけです」と述べられたと記憶する。まだ若かった僕は、リング・チクルスを通して観るなんて考えた事もなく(そもそも四半世紀前、国内でヴァーグナーの実際の上演に接する機会は極端に少なかった)、何の予備知識も無い、全く未知の曲だったジークフリートの葬送行進曲を若杉さんの指揮で聴き、深い感銘を受けた。以来、この曲を聴く度、僕は若杉さんを思い出さずには居られない。あの時は若杉さんが演奏を終えて棒を降ろした際、聴衆の一人が勘違いして拍手を始めたが、若杉さんは答礼せず俯いたまま舞台袖に戻って行った姿も、昨日の事のように思い出す事が出来る。だが、その若杉さんも今はこの世の人ではない。

 湿っぽい話になってしまった。

 ブリュンヒルデのお家は、裏返すとジークフリート火葬用の焼却炉に早変わりして、これも何だか可笑しな工夫だ。男声コーラスの全員が、携えていたウォーナー演出のシンボルとも云うべき、赤い矢印をボキボキと折って焼却炉にくべて行き、最後の一本はブリュンヒルデが手向ける。そしてブリュンヒルデの歌う、リング全曲を締め括る長いモノローグ、“自己犠牲”が始まる。ここでのテオリンさんはフォルテでの最大音量は維持するが、ピアニシモは休憩に利用している気配があり、フル・マラソンで40キロを過ぎたラスト・スパートのような“自己犠牲”は、さすがの大音量ソプラノでもキツそうだった。

 最後は三幕冒頭で相撲取りのような格好をさせられ、メタボ体形だったラインの乙女がスリムな身体に戻り、元気良く泳ぎ回る。乙女の一人の掲げたピースの一枚が嵌め込まれて、映像のジグソー・パズルが完成する。これでお終いかと思えば、照明の落とされて暗くなった舞台上に映写機が置かれて、これは映画館の中と云う設定のようだ。つまり、リングの物語の映画上映が今終わったと、演出家は解説しているのだろう。でも、こんな意味ありげだが、実は何の意味もないラスト・シーンは、このキッチュでポップな舞台作りからして、単なる蛇足と思う。どうせなら「黄金」冒頭で、スクリーンに飛び込んだアルベリヒとラインの乙女の三人の、再びスクリーンから現れ出た方が、少なくとも首尾一貫してポップな締め括りになったと思う。

 遅い遅いと云われるエッティンガーのテンポ設定だが、これはアゴーギグを動かす幅を広く取る為に遅くしている、僕はそう考えている。同じライト・モティーフの出てくる度、アドリブ的なアゴーギグの変化で聴かせたいのだと思う。勿論、ライト・モティーフの出てくる度に変化を付けるのは、リングを振る指揮者なら誰でも考える事だが、それを通常よりも遅いテンポ設定の中で行う事で、エッティンガーは抒情的なヴァーグナーを聴かせてくれた。更に緩徐楽章の「ヴァルキューレ」や、スケルツォの「ジークフリート」での抒情性に加え、最終楽章である「黄昏」ではオケに更なる大音量を要求し、大団円に相応しい瞑想的な音楽を実現したとも思う。

 カーテン・コールで、テオリンさんに呼ばれた指揮者が舞台に現われると、二階席辺りから猛烈なブーイングが起こり、エッティンガーの顔の強張るのが分かった。ブーイングに対抗してブラーヴォの声も大きくなり、両者は次第に喧嘩腰にまでエスカレートして、何だかワクワクするような騒ぎになった。左のブック・マークに置いてある、三澤洋史さん二宮純さんの記事に拠ると、要するに週末の休みになると、家を出る(前売り券を買う?)時からブーを叫ぶと決め、それを目的に劇場へ来る輩が居るらしい。

 そもそもブーイングを引き起こす演奏とは、一体どのような演奏だろうか。まず、単純に下手糞な凡ミス連発の演奏で、この場合は有料入場者に不満を表現する権利はあるし、演奏者側も聴衆の率直な意見表明として甘受すべき事柄かも知れない。次に時代様式を無視した演奏で、モダン・オケに拠るバロック・オペラの演奏では、「おまえ何考えとんね!」と、後ろから指揮者の頭を張ってやろうかと思うような上演に出くわす機会も多い。時代的にはモーツァルトやロッシーニ辺りでも、重苦しい演奏でウンザリさせてくれる指揮者は、掃いて捨てる程いる。

 でも、バロックのモンテヴェルディや古典派のロッシーニなら兎も角、ヴァーグナーの後期ロマン派の様式に反する演奏って、一体どんな演奏なのだろう?極論すればヴァーグナーって、誰が指揮しても大して変わらない気もする。勿論、僕はリング全曲の聴き比べなどした事もないし、全くしたいとも思わない。でも、噂によれば世間にはワグネリアンと呼ばれる人種が存在し、リング全曲のCDを何組も持っていたり、年末のバイロイトのFM放送を録り貯めしていたりするらしい。やはりワグネリアン(と云うか、ヴァーグナーおたく)な方達はベームやらショルティやらフルトヴェングラーやらクナッパーツブッシュやらの録音を聴き比べ、「エッティンガーは遅過ぎて怪しからん!」と、お怒りな訳なのだろうか。

 そこで前回の“トーキョー・リング”を振った準メルクルを思い出すと、彼のは軽快でスマートなヴァーグナーで、これに対しても一部にはブーを叫ぶ人が居たと記憶する。三年前、ドレスデン・ゼンパーオーパー日本公演の「タンホイザー」をメルクルが振った際は、何だか異様なほど執拗にブーイングを続ける人が居て、オケのメンバーが驚いた表情で、声のする方角を見上げていたのを思い出す。あれは今から思えば、新国立のリングでのメルクルの指揮に不満を抱いたヴァーグナーおたく(略して“ヴァヲタ”)が、満を持してドレスデンの来日公演に乗り込み、思う存分に暴れたのでは?と憶測する。

 演奏への不満を表わすブーイングを悪い事とも思わないが、僕自身は演奏が気に入らなければ休憩時間に帰ってしまうタイプで、聴くに耐えない演奏なら長居は無用と思う方だ。だが、どうやらヴァヲタさんとは自己顕示欲の充足の為、ブーイングを目的に劇場通いをする方々のようだ。あの喧しい程のブーイングが二度、三度と日を替えて起こった以上、同じ人物が何回も訪れ、休日のブーイングをエンジョイしたとしか考えられないからだ。つまり、ヴァヲタさんはエッティンガーの指揮するリングを楽しんだ上で、でも自分の考える正しいヴァーグナー解釈とは異なると、主張したいらしいのである。

 音楽に関して歪んだ興味の持ち方をする人が居て、僕などの想像の及ばない奇想天外な行動に及ばれるのだと、今回の経験で身を持って知る事となった。ヴァヲタさんとは余りお近付きにはなりたくないと、心から思うものであります。
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6 コメント

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Unknown (Shushi)
2010-05-16 17:23:13
カミタソのブーイングの真相解説、とても勉強になりました。確かにそういった方々もおられるノですね。充実した記事で、思い出がよみがえりました。
トラックバック有難うございます。 (コニタ)
2010-05-16 18:50:02
とんでもなく拙い感想文にまでお目通しいただき、感謝です。
とても勉強になります。

私の観た時はそれほどのブーイングはなかったように思います(他の方のブログで知りました)。

また暫くオペラ観劇の予定はありませんが、時々おじゃまして参考にさせていただきます。

ひと言、御礼まで。
Unknown (河童メソッド)
2010-05-17 00:21:18
ごぶさたしてました。コメントありがとうございます。

カミタソが終わってはや2か月、だいぶ遅めのアップで、この間、大変な数の演奏を聴いていたのではないかと察します。
なんだか忘れかかっていたのですが、あらためて自分の方のブログを読み直してしまいました(笑)

感想は同じようなところ異なるところ入り混じっていて楽しく読めました。

しめくくりとして4夜連続公演で観れればまたちがった感じ方があるのかもしれませんね。
Unknown (のり2)
2010-05-17 12:29:54
オペラの夜さん
こんにちは!

ご無沙汰しております、TBありがとうございます。あれから2ヶ月近く経ちますがオペラの夜さんのブログを拝見しておかげさまで
感動がよみがえりました。
また、素晴らしいコンサートに出会えることを。♪
ブーイングってそうだったんですか。 (フランツ)
2010-05-17 22:13:11
こんばんは。
TB有り難うございました。
「オペラの夜」さんが、「神々の黄昏」をなかなかお書きにならないので、行かれなかったのかなと不思議に思っておりました。

私は3月27日だったと思いますが、見に行きましたがブーイングはなかった(少なくとも目立たなかった)ように思います。
私自身は演出はいろいろ気になったものの、音楽には十分に満足して帰りました。
しかしブーイングするためにオペラを見に行くなんて変な人もいるのですね。確かに本当に気に入らなければ帰ればいいだけと思います。
自分もワーグナーのオペラは好きですが、ブーイング趣味の変人(というか存在自体が公害です。)にはならなくてすみそうです。
コメントありがとうございます。 (Pilgrim)
2010-05-17 23:19:03
 Shushiさん、こんばんは。
 これが真相なのかどうかは分かりませんが、
当らずとも遠からずだろうとは思っています。
実際、妙に組織的で演技の匂いも漂う
ヘンなブーイングでしたよね。

 コニタさん、初めまして。ご挨拶頂き恐縮に思います。
 鈴木忠志の「椿姫」って想像し難いですね。
中丸さんは兎も角、僕も演出は観たかったです。

 河童メソッドさん、毎度おこしやす。
 ご期待に沿えず申し訳ないのですが、実は四月は全くコンサートに
行っておりませんし、GWも呑み歩きに費やしてしまいました。
国内プロダクションでの四夜連続リングは是非
実現させて欲しいものです。

 のり2さん、こちらこそご無沙汰しております。
 二ヶ月も前の上演の感想を今頃アップするのも
気恥ずかしいものです。今後は頑張りますので
何卒よろしくお願いします。

 フランツさん、コメントにTB返しありがとうございます。
 恥ずかしながら僕の更新の遅いのは、単に不精なだけです。
あの異様なブーイングの雰囲気を知らない方に伝えるのは
難しいですし、所詮は他人事でブーイングされる方々が
何を考えているのかは憶測するしかありません。
三澤さんも二宮さんも控え目に書いておられますが
フランツさんの表現よりも、更にアケスケに言ってしまうと
あれはキモヲタの集団と思います。

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