オペラの夜

出掛けたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深める為のブログです。

プッチーニ「トスカ」

2016-03-27 | プッチーニ
<第三十回伊丹市民オペラ定期公演>
2016年3月27日(日)14:00/いたみホール

指揮/加藤完二
伊丹フィルハーモニー管弦楽団
伊丹市民オペラ合唱団
三田少年少女合唱団

演出/井原広樹
美術/影山宏
照明/搬木実
衣装/村上まさあき

トスカ/山口安紀子
カヴァラドッシ/藤田卓也
スカルピア男爵/松澤政也
政治犯アンジェロッティ/片桐直樹
密偵スポレッタ/小林俊
憲兵シャルローネ/田中崇由希
堂守&看守/楠木稔
牧童/中原加奈


 今日はイースターだが、それとは何の関係も無い「トスカ」を、伊丹まで聴きに行く。伊丹市民オペラは今年で三十回目を迎えるそうで、オペラ初心者として最初期の頃に訪れた身としては、良くぞ続いたと感心するのみである。

 オペラを「フィガロ」や「魔笛」から聴き始めた若い頃、僕は何度か伊丹を訪れたけれども、モーツァッルトのレシタティーヴォにピコピコ鳴る、電子オルガン伴奏の付くのにウンザリし、ごく自然に足は遠退いた。オペラの経験値が上がると、このレヴェルの上演で「椿姫」や「カルメン」を、今更観たいとは思わなくなる。でも、今回の山口と藤田の主役二人は、関西の市民オペラ・クラスでは稀な、実力派の布陣と云って良いかと思う。これが僕の四半世紀振りとなる、伊丹市民オペラ訪問への動機付けとなった。

 幕の上がった舞台奥には、宝塚歌劇みたいな大階段のセットを組み、これだけが大掛かりに作り込んだ装置だ。照明は総じて暗目で、歌手にはスポット・ライトを当て、後は補助的な照明として床には燭台を置き、天井からはシャンデリアを吊るしている。要するに舞台の広過ぎでスカスカなのを、全体を暗くして誤魔化している訳だ。でも、金は掛けずに豪華そうに見せる、照明を効果的に使った美しい舞台で、そんなに悪くないと思う。

 毎度、この演出家の思い付きの、無意味な工夫には辟易させられるが、今回は余計な小細工を持ち込まず、歌手とコーラスの交通整理に徹して、スッキリした仕上がりである。ただ、三幕でカヴァラドッシが大階段の中程に立ち、コードに吊るされた星玉の瞬く下、「星は光りぬ」を歌ったのは、見た目がヘルスセンターの歌謡ショーそのもので、センス皆無の馬脚を顕わして終った。このCG全盛の時代に、昔懐かしい星玉をブラ下げる等、パロディとしてチープな場面を作っているのかと疑われる程だ。

 藤田卓也は先々週「蝶々夫人」のピンカートンを聴き、その際はアクートの直ぐ下辺りで、声の抜けない印象だったが、今日は高低の音域で声をスピントさせて、柔らかくムラの無いカヴァラドッシを歌ってくれる。タイトル・ロールの山口安紀子もリリックな美しい声で、中音域以下の声の力にも欠けず、最初の内は高音の伸びやかさに欠けると感じたが、これも二幕以降には修正され、やはり充実した歌い振りだった。何れにせよ主役二人は一幕を抑え気味にして、後半の山場に備えた気配はある。山口は「歌に生き、恋に生き」から、藤田も「星は光りぬ」からフル・スロットルで、それぞれのベスト・フォームを示した。まあ「トスカ」って、そうせざるを得ない曲ではあるけれども。

 ただ、ソプラノのタイトル・ロールは極め付けの美声で、そこに文句の付けようは無いが、主役二人とも歌唱フォルムと云うかスタイルを気にし過ぎで、プッチーニらしい情感は今ひとつ伝わらない。また、指揮者はアチェルランドとリタルダンドを巧みに使い分け、的確にパウゼを交えて上手にアマオケをドライヴするが、全曲を見通す構築性に欠けるのと、山場を盛り上げる馬力に欠けている。やはり「トスカ」は、頭に血を昇らせ歌うべきオペラで、フォルムを気にする主役二人を煽れない指揮者では、イタオペとして隔靴掻痒の感は残る。

 アマオケの技量も足りないが、指揮者の器そのものも小さいので、プッチーニの音楽の容量は満たせず、もっとオケが頑張らねば上演自体も盛り上がらない。結局、指揮者もトスカもカヴァラッドシも、プッチーニの音楽の内実を表現するより、スタイリッシュに振る舞おうとするだけなのだ。ただ巧いだけでは面白くも何とも無い、それがイタオペと謂うものだろう。

 今日は会場に倒着し、スカルピアの交代を知った時点で、こりゃダメだと観念する。案の定、代役は全く声量の無いバリトンで、常に最大限の音量で歌う他に術も無く、真っ平な起伏の無い歌い振りに終始する。オケがフォルテの音量になると、完全に埋もれて終うのは未だしも、二幕のデュエットでトスカの声しか聴こえて来ないのには、さすがに呆れた。また、スカルピアと堂守の声質も被っていて、時々どちらが歌っているのか分からなくなる。この二人は恐らく入替え可能で、主役と脇役に特段の実力差は無かった事になる。序でにスカルピアは重要な役処と云うだけで無く、単純に歌う分量も多いと云う事実にも、改めて気付かされる。つまりスカルピアの歌っている間は退屈に耐え、ひたすら主役二人の出番を待つのみなのである。スカルピアの弱い「トスカ」は決して面白くならないと、これも肝に銘じる結果となった。

 僕が四半世紀前、伊丹市民オペラを初めて初めて訪れた際には、浜渦章盛と云う名物歌手が居たと記憶する。とんでもない悪声のバリトンで、モーツァルトを歌うタマでは無かったが、その舞台姿を一瞥するだけで、オペラへの溢れ出るような愛情を感じ取れる方だった。僕は部外者で詳しい事情は知らないが、伊丹市民オペラを立ち上げ、軌道に載せるまでの浜渦章盛氏の尽力は、無視し得る程に小さなものでは無かった筈だ。伊丹市民オペラ三十周年の節目に当たり、今は亡き浜渦氏への顕彰の無い事を、単なる一観客として訝しく思うのである。
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