オペラの夜

出かけたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深めるためのブログです。

R.シュトラウス「サロメ」op.54

2010-08-28 | R.シュトラウス
<サイトウ・キネン・フェスティバル松本/シカゴ・リリック・オペラ製作プロダクション>
2010年8月28日(土)16:00/まつもと市民芸術館

指揮/オメール・メイア・ヴェルバー
サイトウ・キネン・オーケストラ

演出/フランチェスカ・ザンベロ
再演演出/クリスティアン・ラス
美術/ジョージ・シーピン
照明/リック・フィッシャー
衣裳/タティアナ・ノギノヴァ
振付/ジェーン・コンフォート
東京シティ・バレエ団

サロメ/デボラ・ヴォイト
ヨハナーン/アラン・ヘルド
ヘロデ/キム・ベグリー
ヘロディアス/ジェーン・ヘンシェル
ナラボート/ショーン・パニカー
小姓/キャサリン・ティア
奴隷/志田雄啓
カッパドキア人/町英和
兵士/山下浩司/デニス・ビシュニャ
ナザレ人/青山貴/大槻孝志
ユダヤ人/デニス・ピーターソン/マーセル・ベクマン/
マシュー・オニール/アーロン・ペグラム/清水宏樹
首切り人/マーク・アーサー・ジョンソン


 周知のように病を得て、長らく公けに姿を現さなかったサイトウ・キネン音楽監督の小澤征爾は、今月一日に室内楽勉強会の指導に訪れた奥志賀高原で記者会見を行い、その模様はNHKニュースでも放映された。突然ニュースの画面に体重の15kg減ったと云う、年老いた外見の小澤の姿の現れるのを見て、僕は胸の詰る想いだった。去年、若杉弘さんに死なれて、まだそのショックから立ち直っていないのに、今度は小澤にまで不帰の人となられては、もう遠くまでオペラを観に行く気力も失せる。そもそも、若杉も小澤も居ない日本オペラに、一体どんな魅力のあると云うのか。まあ、それは言い過ぎかも知れないが、少なくとも僕が万難を排して観に行く上演の、希少になる事だけは確実なのだ。

 若杉さんの場合とは異なり、小澤の入院前の記者会見には担当の医師も同席し、この癌は治ると明言していたし大丈夫、生還してくれるとは思っていたが、それでも一抹の不安は残り、だから僕にとって小澤復帰のニュースは、“はやぶさ”の地球帰還を上回る朗報だった。

 松本への出発当日、サイトウ・キネンから“指揮者変更のお知らせ”と云う、ギクっとさせられるメール・ニュースが届き、慌てて内容を読むと小澤は持病の腰痛の悪化した為、予定されたプログラムは下野竜也が振り、小澤はチャイコフスキー“弦セレ”の第一楽章だけを振るとの事で、胸を撫で下ろした。今後の小澤の演奏は、常に一期一会を覚悟して臨まねばならないと、改めて実感させられた。

 僕が最初に、松本までサイトウ・キネンを観に出掛けたのは、98年のプーランク「カルメル会修道女の対話」で、それからは毎年のように訪れている。最初の頃は近辺の美術館巡りもやったが、もう一通り回ってしまい、今は特に行きたい場所もない。安曇野ちひろ美術館はゲップの出る程ちひろのあるのかと思ったら、原画はホンの少しあるだけで、後は他人様の絵本ばかり。子供を遊ばせるのには良いが、おっさん一人で何度も行くような所でもない。下諏訪ハーモ美術館は、アンリ・ルソーにグランマ・モーゼスにルオーにビュッフェと、どうもラインナップがソフィストケイトされていないし、ラフォーレ白馬美術館はシャガール専門でシャガールに満腹したし、安曇野ジャンセン美術館は一度で充分と感じたし、松本市立美術館の草間弥生ちゃんだって、そんなに何度も見るようなものでもない。

 それでも碌山美術館だけは気に入り、毎年訪れていたが、でも展示は変わらないので、今は足が遠のいている。松本市内の史跡・博物館巡りもやったし、穂高散策で川辺に寝転がり、臼井吉見の「安曇野」や、藤村の「夜明け前」を読了したりもした。それで昨今は観光や散策の対象のネタ切れで、もう酒呑む位しかする事がない。来年は安曇野辺りの民宿に泊まり、一日寝転がって柴錬のチャンバラ小説を読み返すか、それとも人生の残り時間を勘案し、未読の「失われた時を求めて」か「ユリシーズ」辺りに挑戦するかな。

 と云う訳で今年もやって参りました、信州・松本です。駅前のビジネス・ホテルにチェック・インして荷物を置くと、まずは備え付けの自転車を借り、毎年訪れている酒屋さんに向かう。残念ながら田舎は車で来る客ばかりで、試飲は止めてしまったのだそうな。そこでお勧めの酒を訊ね、何れも安曇野の酒蔵で「大雪渓」の普通酒生酒と、「白馬錦」の純吟無濾過生原酒“雪中埋蔵”の、それぞれ四合瓶を購入する。酒屋さんを出てから、市立美術館の裏手にある“源地の井戸”で、持参のペットボトルに湧き水を詰め、ホテルへ持ち帰り小休止する。

 まつもと市民芸術館を僕は六年前、柿落しの「ヴォツェック」から訪れている。このホールの平土間席は普通だが、天井桟敷常連の僕は自席まで辿り着くのに、妙に狭苦しい通路を昇らされる。玄関からホール本体までのアプローチの長さも異様だし(冗談抜きで五分位歩く)、手洗い場の数の少なく、しかも偏った場所にあるのも不便だ。ロビーにある座席表を見ながら、傍らに立っていたレセプショニスト氏に「狭い通路が二ヶ所しかなくて、これで火事でもあったら大変ですな」と質すと、「この間、地震があって大変でした」とお答え下さった。その方のお話しでは、ロビーのカーペットの毛足の長い為、地震の際には走って転ぶ人の続出したそうな。僕が「こりゃ出来損ないですな」と言っても、そのレセプショニスト氏は否定なさらなかった。設計は伊東豊雄だそうで、全く国際的かなんか知らんが、建築士って観客の利便性なんて一顧もしないんですかね。

 その延々と長いエントランスから、これまた長い回廊になっているホール・ロビーに辿り着くと、まずはプログラムを買い求める。早速オケのメンバー表を見ると、堀伝さんと工藤重典さんの名前が載っていない。サイトウ・キネンの顔とも云うべきお二人の名前も消え、既に安芸晶子さんや潮田益子さんや、宗倫匡さんや名倉淑子さんや、岡田伸夫さんや今井信子さんや、堀了介さんや安田謙一郎さんの名前も無く、オケの世代交代は着実に進んでいる。そうすると次は、いよいよ病み上がりで腰痛持ちの音楽監督の後釜と云う事になる。

 開演前の客席を見渡すと、さすがに満員御礼とは行かない七分の入りだろうか。事前のチケットの売れ行きから、もっとガラガラかと思っていたが、これならばオペラではなく小澤を見に来ていた連中を、振り落としただけのようにも思う。だが、世間一般とはそんなもので、この客入りでは現監督退任後は余程の大物(チョン・ミュンフンか大野和士か…)を持って来ない限り、恐らくオペラ上演存続の可能性は無いだろう。でも、今は先走って悲観的な事を考えず、小澤の代役のヴェルバー君の指揮する、「サロメ」を楽しみたいと思う。

 指揮者がオケピットに現れて拍手が起こり、客席に一礼して場内が暗くなると、小澤では無くともオペラ上演に何の変わりもなく、僕はワクワクしながら「サロメ」冒頭の強烈なオケの音に聴き入る。しかし、弱冠28歳のヴェルバー君の「サロメ」解釈は、実に景気の良い大音量を高性能オケから引き出して、何だか無闇に明るいのである。まあ、若さを顕わにした一本調子な演奏とは思うが、でも「薔薇の騎士」とかではない「サロメ」での大音量なら、僕は忌避するものではない。

 最初は単調にも感じられた「サロメ」だが、ヴェルバー君の指揮は“七つのヴェールの踊り”から、俄然生き生きと動き出した。遅目のテンポで思い切り暴れ回る、そのオケをドライブする能力には、端倪すべからざるもののあると感じる。幕切れへ向けての最大の聴かせドコロ、タイトル・ロールのモノローグで、遅いテンポからアチェルラント・ディミヌエント、更にリタルダントを繰り出す、濃厚な表現をタップリと聴かせてくれる。この人のロマンティックな音楽性は、新国立でリング・チクルスを任されたダン・エッティンガーとも相通ずる処があり、決め付けは良くないが、これはユダヤ人の民族性に備わった資質かも知れない。ともあれ、小澤は良い指揮者を連れて来てくれたと思う。

 本日のタイトル・ロールは、その豊満な体型がアリアドネ役の黒いドレスに合わないと云う理由で、ロイヤル・オペラの「ナクソス島のアリアドネ」公演を降ろされ、一躍その名を世界に広く知らしめたソプラノ歌手、デボラ・ヴォイトさんである。僕もヴォイトさんの歌声は知らなかったが、その後の彼女が自らの体型に危機感を抱き、胃のバイパス手術を受けて60kgの減量に成功(何kgから何kgに落としたのかは不明)し、R.シュトラウスのスペシャリストのクセに、そこで初めてサロメ役を貰えるようになった、と云うエピソードは良く存じ上げていた。

 「サロメ」の演出と云えば、“脱ぐ脱がない”の話題になりがちだが、ご本人的にはスリムになられたとは云え、やはり一般的な基準に立てば豊満に過ぎるヴォイトさんが、おっぱいをお見せになるとかは想像も付かず(と云うかしたくない)、その方面への期待は何方もお持ちにはならなかったと思う。注目の“七つのヴェールの踊り”で専門のダンサー六人の登場すると、ヴォイトさんもご一緒に、体型からすると比較的身軽に踊っておられた。なんか、ホッと胸を撫で下ろした。

 真面目な話題に戻すと、ヴォイトの声には強いヴィブラートの掛かっていて、低音部での嗄れ気味の声質も、やや聴き辛いものがある。これは美声を聴かせるよりも、無調音楽の表現力を重視する姿勢の表れで、特に前半での濃い歌い回しは、僕のイメージする透明感のある少女っぽいサロメ像からは、かなり隔たった解釈と感じる。だが後半、ヘロデ夫婦の登場する辺りから、ヴォイトの歌い振りは微妙に変化する。首へキスするモノローグでは(首自体は如何にも作り物っぽかったが)、ヨカナーンへの率直な愛情を吐露するような、美しいサロメの歌を聴かせてくれる。

 指揮者はオケを豪快に鳴らした前半から、後半は濃厚な表現に切り替え、ジックリと歌い上げる管弦楽をバックに、逆にサロメは素直な澄んだ歌声を聴かせる。これを僕は指揮者とタイトル・ロールが予め打ち合わせ、計算した音楽設計と感じる。矢張り、この子はタダのネズミではなさそうで、僕も最後は彼の解釈に説得された。

 ヴェルバー君の安心して、オケに思い切りデカイ音を出させているのは、今日の主役歌手四名にもデカイ声のあるから。実際、四人とも分厚いオーケストレーションを突き抜けて客席まで届く、大声の持ち主ばかり。新国立の「影のない女」で乳母を歌った、ヘロディアスのヘンシェルは豊かな声量の、しかも主役よりも伸びやかでキレイな声を聴かせてくれる。ヨハナーンのヘルドは、この大声大会のメンバーの中でも抜きん出たデカイ声で、でも美声のバリトンとはお世辞にも言い難いヒト。まあ、ヨカナーンにどうしても美声の必要かどうかは、意見の分かれる処だろうが。更にヘロデのベグリーも、ちゃんとしたキャラクター・テノールの声質なのに、他の三人と大声を張り上げ合って、全く引けを取ってはいなかった。

 今日は一幕物の「サロメ」で場面転換は無く、舞台セットは一つだけ。でも、その半透明のセットに当てる照明プランが秀逸で、美しい舞台を楽しませてくれた。歌手の演技には色々と細かい解釈の施されて、例えばヨカナーンは欲情を抑え切れず、サロメに馬乗りになったりするし、小姓はヘロディアスの囲い者と云う設定で、王妃は傍らに座らせて愛撫したり、ヘロデがサロメに与えようとする宝石を横取りして渡したりする。どれも一応の工夫とは思うが、これが観ていて全く面白くない。何故なら歌手の演技に全く生彩が無く、何だか小うるさい解釈を押し付けられて、煩わしいとしか感じないのだ。これは歌手達が、原演出から崩れてしまったユルイ演出しか施されず、元の解釈の形骸をなぞった演技しか出来ていないからで、だから退屈なのは再演担当者の責任と思う。今日は取り合えず代役のヴェルバー君と、四人の大声の歌手に拍手を送りたい。

 今現在は、小澤の完全復帰の可能かどうかも不透明な状況だが、医者に“キャンサー・フリー”と告げられた、小澤の音楽への意欲の衰える筈もない。後は腰痛だが、これはダマシダマシやるしかないのだろう。年末にはニューヨークに行くとか言ってるが、そんな何時間も飛行機に乗れる訳ないじゃん、と思う。まず、小澤には国内でリハビリに専念して頂き、再び指揮台に立つ体調を取り戻す事を、今は切望して已まない。
ジャンル:
音楽
キーワード
タイトル・ロール ヘロディアス ヨカナーン まつもと市民芸術館 ヘンシェル アリアドネ シュトラウス シャガール ユリシーズ 薔薇の騎士
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