
<新日本フィル第436回定期演奏会/コンサート・オペラ>
2008年9月27日(土)15:00/すみだトリフォニーホール
指揮/クリスティアン・アルミンク
新日本フィルハーモニー交響楽団
栗友会合唱団
東京少年少女合唱隊
演出/飯塚励生
美術/大沢佐智子
照明/高沢立生
衣裳/田中晶子
マルシャリン/ナンシー・グスタフソン
オクタヴィアン/藤村実穂子
ゾフィー/ヒェン・ライス
オックス男爵/ビャーニ・トール・クリスティンソン
ファーニナル/ユルゲン・リン
侍女マリアンネ/田中三佐代
ヴァルツァッキ/谷川佳幸
アンニーナ/増田弥生
警部&公証人/大塚博章
歌手/佐野成宏
帽子屋/國光ともこ
動物商&料亭主人/高野二郎
元帥家&ファーニナル家執事/渡邉公威
孤児/佐藤奈加子/赤羽佐東子/金子美香
去年から今年にかけて、来日・国内のプロダクションによる「薔薇の騎士」上演が、新国立劇場、チューリッヒ、ドレスデン、びわ湖ホールの四公演あり、今日の新日フィル定期で五つ目となった。僕は全部制覇してしまったので、当分「薔薇の騎士」に関しては、お腹一杯と云う気分。出来れば暫らく、リヒャルト・シュトラウスは他の演目を楽しめれば、と思う。
今日はオケ定期でのコンサート・オペラと称する上演で、舞台前のオケ・ピットの位置に、歌手の演唱の場が設けられている。オケはその奥に陣取るので、当然の事ながら、歌手の声の後ろから、オケの音は客席へ直接音で来て、ピットから立ち昇る場合のオケの音とは聴こえ方が違う。歌手の声とオケの音は、客席へ同時にやって来る、と云った所か。どうやら、そこが今日の指揮者の狙い目らしく、ライト・モティーフを強調する、分析的な演奏を聴かせるのに適した配置と感じた。アルミンクは“オックスのワルツ”等で、ぐっとテンポを落としたりするが、音楽を甘く奏でると云う意図は全く無くて、曲の構造を細部に亘り、透かし見せる態の指揮振り。感想を簡略に述べると、あまり面白くなかった、と云う事になる。オケ定期だから、シンフォニー風の演奏で良いのだ、と言われればそれまでだが。
狭い舞台に制約のある中で、一幕のベッド・シーンと、三幕のホイリゲでの空騒ぎは、お約束通りやって見せるが、でも何処かで見たような、ルーティンな演出に退屈する。冒頭と幕切れだけに出て来る筈のモハメドが、始終ウロウロしていたり、黙役に子役の天使が二人出て来るのも、陳腐な蛇足と感じる。二幕の“薔薇の騎士”登場の場面だけは、栗友会の男声合唱が会場の通路に並び、「ロフラーノ!ロフラーノ!」と連呼する中、藤村さんが銀の薔薇を持って颯爽と登場し、演劇的に充実した空間を作った。但しアルミンクの方は、この肝心要の場面を素っ気無く通り過ぎてしまい、指揮者の劇場的センスには、大きな疑問符が付いてしまう。今日の指揮者は、CTスキャンに掛けたように、曲の構造を透視して見せたが、そのサービス精神の乏しさ、曲への共感度の低さは、オペラの楽しみを大きく減殺するものだった。
しかし、今日の主役は何と云っても、タイトル・ロールの藤村なのである。今日の上演は、今回が初役となる彼女のオクタヴィアンを聴く為のものらしい。その藤村は、さすが期待に違わない。良く伸びる美しい高音と、ムラのない充実した中音域を、滑らかに繋ぐテクニックで歌い上げる、豊かな音楽性が素晴らしい。低音域にも深い音色があり、メゾのあらゆる役をこなす、例えばアグネス・バルツァにも匹敵する大歌手の風格を、既に藤村は備えている。海外のオペラ・ハウスでの益々の活躍が期待されるが、偉くなっても日本に戻って、偶には僕等にも歌を聴かせて欲しいものです。
マルシャリンのグスタフソンは立派な声だし、表現の内容も充実しているのだが、残念ながら声質自体の魅力に欠ける。やはりマルシャリンには、もう少しブリリアントな声の欲しいところ。最初、森麻季と発表されたゾフィー役は、ルーシー・クローウェと云う人に交代し、更に今日出て来たのは、ヒェン・ライスと云う歌手。ライスは普通、ゾフィーにイメージされる、清純なレジェーロとは異なる、コケットリーを含んだスープレッドのソプラノだった。やや、お色気過剰のような気もするが、ネットリした漉し餡のような声には、やはり独特の魅力がある。ツェルビネッタやブロンデを持ち役とし、コロラトゥーラの技術も備えているようで、この人は今日の思わぬ拾い物だった。
オックスのビャーニ・トール・クリスティンソンと云う長ったらしい名前は、どうも最近聞いたことがあるなぁ、と思えば四月の新国立劇場での「魔弾の射手」で、カスパールを歌ったバスだった。あの際も、可もなく不可もなしと云う印象だったが、今日も何か特徴のあるオックスではなく、下品な演技も、貴族らしく仄かに上品なところも無い、真面目一方で単調な歌い振りだった。一幕のテノール歌手は、サプライズで佐野成宏が出て来たが、今ひとつ輝きに欠ける声で、彼本来の実力を楽しむ事は出来なかった。
最後の三重唱は、歌手たちの実力は充分なのだが、指揮者のサポートが不足して、今ひとつテンションは上がらない。最後のお楽しみの筈の、藤村オクタヴィアンとゾフィーのデュエットも、これまた指揮者の勘違いで、充実した声は聴かせて貰えずに終わった。モハメドがゾフィーの落としたショールを拾い、走り去った後も幕は下りないので、何だか仮設舞台のそこら中で、焼け残った燃えカスが、ブスブスと燻ぶっているような気がした。
カーテン・コールで二人の合唱指揮者のうち、栗山文昭は出て来たが、児童合唱担当の長谷川久恵の方は、今の時間には盛岡で合唱コンクールの審査をしているので、もちろん現われなかった。自分の仕事さえしていれば、当日の現場にいる必要のないのは、当然の事ではあるが。
2008年9月27日(土)15:00/すみだトリフォニーホール
指揮/クリスティアン・アルミンク
新日本フィルハーモニー交響楽団
栗友会合唱団
東京少年少女合唱隊
演出/飯塚励生
美術/大沢佐智子
照明/高沢立生
衣裳/田中晶子
マルシャリン/ナンシー・グスタフソン
オクタヴィアン/藤村実穂子
ゾフィー/ヒェン・ライス
オックス男爵/ビャーニ・トール・クリスティンソン
ファーニナル/ユルゲン・リン
侍女マリアンネ/田中三佐代
ヴァルツァッキ/谷川佳幸
アンニーナ/増田弥生
警部&公証人/大塚博章
歌手/佐野成宏
帽子屋/國光ともこ
動物商&料亭主人/高野二郎
元帥家&ファーニナル家執事/渡邉公威
孤児/佐藤奈加子/赤羽佐東子/金子美香
去年から今年にかけて、来日・国内のプロダクションによる「薔薇の騎士」上演が、新国立劇場、チューリッヒ、ドレスデン、びわ湖ホールの四公演あり、今日の新日フィル定期で五つ目となった。僕は全部制覇してしまったので、当分「薔薇の騎士」に関しては、お腹一杯と云う気分。出来れば暫らく、リヒャルト・シュトラウスは他の演目を楽しめれば、と思う。
今日はオケ定期でのコンサート・オペラと称する上演で、舞台前のオケ・ピットの位置に、歌手の演唱の場が設けられている。オケはその奥に陣取るので、当然の事ながら、歌手の声の後ろから、オケの音は客席へ直接音で来て、ピットから立ち昇る場合のオケの音とは聴こえ方が違う。歌手の声とオケの音は、客席へ同時にやって来る、と云った所か。どうやら、そこが今日の指揮者の狙い目らしく、ライト・モティーフを強調する、分析的な演奏を聴かせるのに適した配置と感じた。アルミンクは“オックスのワルツ”等で、ぐっとテンポを落としたりするが、音楽を甘く奏でると云う意図は全く無くて、曲の構造を細部に亘り、透かし見せる態の指揮振り。感想を簡略に述べると、あまり面白くなかった、と云う事になる。オケ定期だから、シンフォニー風の演奏で良いのだ、と言われればそれまでだが。
狭い舞台に制約のある中で、一幕のベッド・シーンと、三幕のホイリゲでの空騒ぎは、お約束通りやって見せるが、でも何処かで見たような、ルーティンな演出に退屈する。冒頭と幕切れだけに出て来る筈のモハメドが、始終ウロウロしていたり、黙役に子役の天使が二人出て来るのも、陳腐な蛇足と感じる。二幕の“薔薇の騎士”登場の場面だけは、栗友会の男声合唱が会場の通路に並び、「ロフラーノ!ロフラーノ!」と連呼する中、藤村さんが銀の薔薇を持って颯爽と登場し、演劇的に充実した空間を作った。但しアルミンクの方は、この肝心要の場面を素っ気無く通り過ぎてしまい、指揮者の劇場的センスには、大きな疑問符が付いてしまう。今日の指揮者は、CTスキャンに掛けたように、曲の構造を透視して見せたが、そのサービス精神の乏しさ、曲への共感度の低さは、オペラの楽しみを大きく減殺するものだった。
しかし、今日の主役は何と云っても、タイトル・ロールの藤村なのである。今日の上演は、今回が初役となる彼女のオクタヴィアンを聴く為のものらしい。その藤村は、さすが期待に違わない。良く伸びる美しい高音と、ムラのない充実した中音域を、滑らかに繋ぐテクニックで歌い上げる、豊かな音楽性が素晴らしい。低音域にも深い音色があり、メゾのあらゆる役をこなす、例えばアグネス・バルツァにも匹敵する大歌手の風格を、既に藤村は備えている。海外のオペラ・ハウスでの益々の活躍が期待されるが、偉くなっても日本に戻って、偶には僕等にも歌を聴かせて欲しいものです。
マルシャリンのグスタフソンは立派な声だし、表現の内容も充実しているのだが、残念ながら声質自体の魅力に欠ける。やはりマルシャリンには、もう少しブリリアントな声の欲しいところ。最初、森麻季と発表されたゾフィー役は、ルーシー・クローウェと云う人に交代し、更に今日出て来たのは、ヒェン・ライスと云う歌手。ライスは普通、ゾフィーにイメージされる、清純なレジェーロとは異なる、コケットリーを含んだスープレッドのソプラノだった。やや、お色気過剰のような気もするが、ネットリした漉し餡のような声には、やはり独特の魅力がある。ツェルビネッタやブロンデを持ち役とし、コロラトゥーラの技術も備えているようで、この人は今日の思わぬ拾い物だった。
オックスのビャーニ・トール・クリスティンソンと云う長ったらしい名前は、どうも最近聞いたことがあるなぁ、と思えば四月の新国立劇場での「魔弾の射手」で、カスパールを歌ったバスだった。あの際も、可もなく不可もなしと云う印象だったが、今日も何か特徴のあるオックスではなく、下品な演技も、貴族らしく仄かに上品なところも無い、真面目一方で単調な歌い振りだった。一幕のテノール歌手は、サプライズで佐野成宏が出て来たが、今ひとつ輝きに欠ける声で、彼本来の実力を楽しむ事は出来なかった。
最後の三重唱は、歌手たちの実力は充分なのだが、指揮者のサポートが不足して、今ひとつテンションは上がらない。最後のお楽しみの筈の、藤村オクタヴィアンとゾフィーのデュエットも、これまた指揮者の勘違いで、充実した声は聴かせて貰えずに終わった。モハメドがゾフィーの落としたショールを拾い、走り去った後も幕は下りないので、何だか仮設舞台のそこら中で、焼け残った燃えカスが、ブスブスと燻ぶっているような気がした。
カーテン・コールで二人の合唱指揮者のうち、栗山文昭は出て来たが、児童合唱担当の長谷川久恵の方は、今の時間には盛岡で合唱コンクールの審査をしているので、もちろん現われなかった。自分の仕事さえしていれば、当日の現場にいる必要のないのは、当然の事ではあるが。











初めまして。TBをいただき、ありがとうございました。
私は普段オペラは全然見ない(聴かない)ので、演出までは良く分かりませんでしたが、しかし、没落する貴族階級や市民階級の成り上がりにたいする風刺が面白く楽しめました。
演奏の艶という点ではいま一つだったようですが、新日本フィルの“実力”という点もあるように思いました。(アルミンクの指揮で、いろいろ挑戦して実力をつけていることは間違いないのですが)
ということで、これからもよろしくお願いします。
全国行脚の様相を呈しているように見受けられますが。。
私もこのローゼンカヴァリエ行くつもりでしたが、土日に音楽とは関係ないところで用事が出来てしまいました。
新日フィルはいいホールを持って幸せだと思う。指揮者がこのような環境で好きなことを出来るのは冥利に尽きるところではあるでしょう。
いわゆるホールオペラや演奏会形式のオペラ公演のようなものを振る指揮者とは、ある程度結果を残せるオペラ経験に富んだ人間のやることとホールオペラ創生期に思ったりしたものです。例えばショルティが晩年手兵のシカゴ交響楽団を振ったマイスタージンガーのように。
今回のご感想を拝見するに、どうも指揮者に問題あり。ホールオペラの上をいく演出過多。そのように感じたのですが、特に指揮者は力不足か。オペラ振りたいなら小屋を探して自分を鍛えることが先?
ホールオペラは通常のオペラ公演に比べて安く済むので手軽と思っているのかもしれませんが、個人的には、周りの人たちには初めてみるオペラをホールオペラで観るのは絶対に避けるよういつも言っております。オペラは最初のイメージが大事。それがあのような形でイメージを形成されてしまうとあんなもんだと思ってしまう。ホールオペラのほうが圧倒的に少ない(と思われる)ので、これはやるほうも聴くほうもそれなりに分かった連中でないと思うような成果があがらないのかもしれませんね。
仰る通り、階級に対する風刺は面白かったです。今回の上演の客層は、オケ定期の会員が多かったようで、オペラ上演を主体とする会場とは、少し雰囲気の違うような気はしました。
もっと色々と聴かないと、僕にはアルミンクさんの得意とする分野は、分からないのでしょうね。
>河童メソッドさん、
富山は案外、関西からは近いのです。でも、盛岡からは夜行を乗り継いで帰って来た為、戻って暫らくは使い物にならない状態で、日本は縦に長い事を実感しました。
大フィルの大植も時々やるのですが、オケ定期の年間演目に、演奏会形式オペラを紛れ込ませる、手法自体に疑問を感じます。オケ常任のオペラのツマミ食いといった所でしょうか。でも、このやり方だと、オケの定期会員に強制的にオペラを聴かせる事になる訳で、こういう人たちが他所でもオペラを観よう、という事になるのかどうかは、興味深い所です。