
<ドレスデン・ゼンパーオーパー日本公演>
2007年11月18日(日)15:00/神奈川県民会館
指揮/ファビオ・ルイジ
シュターツカペレ・ドレスデン
ドレスデン・シュターツオーパー合唱団
演出/ウヴェ・エリック・ラウフェンベルク
美術/クリストフ・シュビーゲル
衣装/ジェシカ・カーゲ
マルシャリン/アンネ・シュヴァンネヴィルムス
オクタヴィアン/アンケ・ヴォンドュング
ゾフィー/森麻季
オックス男爵/クルト・リドル
ファーニナル/ハンス・ヨアヒム・ケテルセン
侍女マリアンネ/ザビーネ・ブロム
ヴァルツァッキ/オリヴァー・リンゲルハーン
アンニーナ/エリーザベト・ヴィルケ
警部/ユルゲン・コミチャウ
歌手/ロベルト・ザッカ
公証人/マティアス・ヘンネベルク
帽子屋/クリスティアーネ・ホスフェルト
動物商/ペーター・キュヒラー
元帥家執事/ヘルムート・ヘンシェル
ファーニナル家執事/ゲラルト・フパッハ
料亭主人/トム・マルティンセン
孤児/ベアーテ・ジーベルト/ビルギット・ミュラー/アンネット・エッケルト
一幕の元帥邸のセットは17世紀風、でも衣装は20世紀風。二幕でばらの騎士が登場するファーニナル邸は、高層マンションの贅沢な一室らしく、窓の外に都会の風景を見下ろしている。三幕の料亭の場面は至って普通で、今までに見た事のあるようなセット。奇を衒わないが、細かい演技にも配慮の行き届いた、まずは安心して見物できる演出だった。何れの幕でも、爽やかな朝の日差しから昼下がりへ、更に夕暮れて日の傾くまでを表現する、照明の使い方が巧みだった。でも、配役表には照明プランナーのクレジットが無い。舞台照明のとても大事なのは当たり前の事なのに、何故でしょうね?
序奏から指揮のファビオ・ルイジは、これぞワシの十八番と云った風情でオケを煽り、ガチャガチャと大音量で演奏を進める。最後までそのままのハイテンションで突っ走った訳だが、これが歌手とはあまり噛み合わなかった。もちろんオケは巧い。充分過ぎる程に巧いのだが、指揮者は愉し気にワルツを踊るのみで、解釈が如何にも浅く、ずっしりと手応えのある重い音楽を伝えてはくれない。ばらの騎士って、もっと繊細で緻密なオペラなんだし、ルイジ君の準備不足という噂は本当かもしれん、と思った。
マルシャリンに予定され、初来日を待望されていたアンゲラ・デノケが直前にインフルエンザで降板。でも、代役のシュヴァンネヴィルムスも充分満足の行く出来だった。一幕の最後のモノローグで情感に満ちた、しかも高い技術でコントロールされたピアニッシモを聴かせ見事だった。ただ、R.シュトラウスの音楽に内在する多彩な音色を表現するには、声の個性に際立ったものがなかったように思う。オックスのクルト・リドルは圧倒的な声で聴かせ、指揮者がガンガン鳴らすオケの音に只一人、豊かな声量で対抗した。つまり女声の三人は音量でオケに圧倒され、それぞれの声の魅力を存分には発揮できなかったという事である。僕、このオペラはオックスが主役だったっけ?などと下らない事を考えていた。
オクタヴィアンもゾフィーも、それぞれ役に相応しい美声の持ち主だが、残念ながら声量に全く不足していた。ヴォンドュングは好感の持てる素直な声だが、曲の場面に応じた音色の変化に乏しい。森麻季もゾフィーにピッタリの声と容姿で、持てる実力を発揮したが、その為に欧州の一線級の歌手との力量の差を、逆に露わにしてしまったように思う。巨大なリドルや、貫禄充分のシュヴァンネヴィルムスと並ぶと、麻季ちゃんは痛々しい程に細く華奢で、彼我の体格の差は埋め難く、声の質量の差も当然の事と見せつけられるように感じた。ここで一言、麻季ちゃんの為に弁ずると、これはあくまでアンサンブルの問題であって、例えば佐藤しのぶのマルシャリンとの共演ならば、森麻季の魅力も十全に発揮される事だろう(弁護になっていないかも)。
三幕の三重唱は、シュヴァンネヴィルムスにも後の二人を引き上げるだけの余裕はなく、三人の声がオケを突き抜けて聴こえて来る事はなかった。デノケが歌ったならば、どうなったのだろう?などと夢想するのも虚しい。オクタヴィアンとゾフィーの最後の二重唱は、この二人の声質が合い、息の合ったデュナーミクで、ピアニッシモの繊細なデュエットを聴かせてくれた。結論として、今日の上演が満足の行く物にならなかったのは、与えられた歌手達のアンサンブルを組み立てる事に失敗し、ひたすらオケを鳴らす事しか出来なかったファビオ・ルイジに、大半の責任が帰するものと考える。歌手の選択は、また別の問題である。
2007年11月18日(日)15:00/神奈川県民会館
指揮/ファビオ・ルイジ
シュターツカペレ・ドレスデン
ドレスデン・シュターツオーパー合唱団
演出/ウヴェ・エリック・ラウフェンベルク
美術/クリストフ・シュビーゲル
衣装/ジェシカ・カーゲ
マルシャリン/アンネ・シュヴァンネヴィルムス
オクタヴィアン/アンケ・ヴォンドュング
ゾフィー/森麻季
オックス男爵/クルト・リドル
ファーニナル/ハンス・ヨアヒム・ケテルセン
侍女マリアンネ/ザビーネ・ブロム
ヴァルツァッキ/オリヴァー・リンゲルハーン
アンニーナ/エリーザベト・ヴィルケ
警部/ユルゲン・コミチャウ
歌手/ロベルト・ザッカ
公証人/マティアス・ヘンネベルク
帽子屋/クリスティアーネ・ホスフェルト
動物商/ペーター・キュヒラー
元帥家執事/ヘルムート・ヘンシェル
ファーニナル家執事/ゲラルト・フパッハ
料亭主人/トム・マルティンセン
孤児/ベアーテ・ジーベルト/ビルギット・ミュラー/アンネット・エッケルト
一幕の元帥邸のセットは17世紀風、でも衣装は20世紀風。二幕でばらの騎士が登場するファーニナル邸は、高層マンションの贅沢な一室らしく、窓の外に都会の風景を見下ろしている。三幕の料亭の場面は至って普通で、今までに見た事のあるようなセット。奇を衒わないが、細かい演技にも配慮の行き届いた、まずは安心して見物できる演出だった。何れの幕でも、爽やかな朝の日差しから昼下がりへ、更に夕暮れて日の傾くまでを表現する、照明の使い方が巧みだった。でも、配役表には照明プランナーのクレジットが無い。舞台照明のとても大事なのは当たり前の事なのに、何故でしょうね?
序奏から指揮のファビオ・ルイジは、これぞワシの十八番と云った風情でオケを煽り、ガチャガチャと大音量で演奏を進める。最後までそのままのハイテンションで突っ走った訳だが、これが歌手とはあまり噛み合わなかった。もちろんオケは巧い。充分過ぎる程に巧いのだが、指揮者は愉し気にワルツを踊るのみで、解釈が如何にも浅く、ずっしりと手応えのある重い音楽を伝えてはくれない。ばらの騎士って、もっと繊細で緻密なオペラなんだし、ルイジ君の準備不足という噂は本当かもしれん、と思った。
マルシャリンに予定され、初来日を待望されていたアンゲラ・デノケが直前にインフルエンザで降板。でも、代役のシュヴァンネヴィルムスも充分満足の行く出来だった。一幕の最後のモノローグで情感に満ちた、しかも高い技術でコントロールされたピアニッシモを聴かせ見事だった。ただ、R.シュトラウスの音楽に内在する多彩な音色を表現するには、声の個性に際立ったものがなかったように思う。オックスのクルト・リドルは圧倒的な声で聴かせ、指揮者がガンガン鳴らすオケの音に只一人、豊かな声量で対抗した。つまり女声の三人は音量でオケに圧倒され、それぞれの声の魅力を存分には発揮できなかったという事である。僕、このオペラはオックスが主役だったっけ?などと下らない事を考えていた。
オクタヴィアンもゾフィーも、それぞれ役に相応しい美声の持ち主だが、残念ながら声量に全く不足していた。ヴォンドュングは好感の持てる素直な声だが、曲の場面に応じた音色の変化に乏しい。森麻季もゾフィーにピッタリの声と容姿で、持てる実力を発揮したが、その為に欧州の一線級の歌手との力量の差を、逆に露わにしてしまったように思う。巨大なリドルや、貫禄充分のシュヴァンネヴィルムスと並ぶと、麻季ちゃんは痛々しい程に細く華奢で、彼我の体格の差は埋め難く、声の質量の差も当然の事と見せつけられるように感じた。ここで一言、麻季ちゃんの為に弁ずると、これはあくまでアンサンブルの問題であって、例えば佐藤しのぶのマルシャリンとの共演ならば、森麻季の魅力も十全に発揮される事だろう(弁護になっていないかも)。
三幕の三重唱は、シュヴァンネヴィルムスにも後の二人を引き上げるだけの余裕はなく、三人の声がオケを突き抜けて聴こえて来る事はなかった。デノケが歌ったならば、どうなったのだろう?などと夢想するのも虚しい。オクタヴィアンとゾフィーの最後の二重唱は、この二人の声質が合い、息の合ったデュナーミクで、ピアニッシモの繊細なデュエットを聴かせてくれた。結論として、今日の上演が満足の行く物にならなかったのは、与えられた歌手達のアンサンブルを組み立てる事に失敗し、ひたすらオケを鳴らす事しか出来なかったファビオ・ルイジに、大半の責任が帰するものと考える。歌手の選択は、また別の問題である。










