
2011年1月21日(金)19:00/京都コンサートホール
指揮/沼尻竜典
ピアノ/児玉麻里
テノール/二塚直紀
京都市交響楽団
びわ湖ホール声楽アンサンブル
リスト「ピアノ協奏曲第1番/ファウスト交響曲」
京響の定期を訪れるのは、一体何年振りだろうか。僕は若い頃、京響の年の瀬の第九に、その年の常任指揮者の振る定期と、今は亡き巨匠・山田一雄氏の振る特別演奏会にコーラスで出ていた。ホント毎年、あの子供がそのまま爺様になったようなヤマカズと、第九コーラスが必修科目で単位取得だけが目的の、全くヤル気の無い京芸の学生達に悩まされたが、それも今は思い出の一コマとなった。あの頃は若杉弘さんも京響へ度々客演に訪れ、僕も勇んで定期を聴きに出掛けていた。
だが、その足も何時の間にか遠のき、それでもオケピットに入った際の京響は、偶に聴く機会のあって、オケとしての技量の向上しているのは承知していた。京芸の学生もアレだったが、以前の京響も公務員気質丸出しだったように思う。小澤が第九を振った際のコーラス席から、弦楽奏者達が懸命に指揮者のテンポに尾いて行こうとするのを見て、こいつらヤマカズやコータローの時はタラタラやってるクセに、さすがに小澤となるとヤル気出すんだなぁ、と思ったものだ。結局、僕が興味の主体をオペラに移し、オケのコンサート全般から離れたのが、京響定期にご無沙汰の理由だ。
リスト生誕二百年と云う事で、今日はコンチェルトとシンフォニーの二本立て公演。去年はショパン生誕二百年だったが、結局何も聴かない内に過ぎてしまったし、リストもショパンと同じく、積極的に聴きたいとは思っていなかったが、ここに立ちはだかるのが「ファウスト・シンフォニー」である。グリークラブ出身の僕は若い頃、ブーレーズ指揮のヴァーグナー「使徒の愛餐」とか、シノーポリ指揮のブラームス「リナルド」等、男声合唱の録音を愛聴していたが、「ファウスト・シンフォニー」は、それらの曲と比して声楽の分量の少なく、CDを購入して手元に置くこともしなかった。でも、今年はリストのアニヴァーサリー・イヤーで滅多に無い機会だし、やはり聴いて置きたいと思う。
インストゥルメンタルのみの演奏を楽しむ習慣を失くた僕は、ピアノ・コンチェルトなんて最後に聴いたのが何時だったのかも、もう上手く思い出せない程以前の事になる。でも、ピアノ協奏曲一番は超有名曲だし、しかも矢鱈に短いので、久し振りのコンチェルトの楽しみに手頃な曲だ。
ピアノの児玉麻里は、目鼻立ちの整った別嬪さんのように美しい音で、とても綺麗なレガートを駆使するだけでなく、この曲に必要なリズムの正確さにも欠けていない。もう少しデュナーミクを粒立て、ロマンティックな情感を出せれば良いとも思うが、三楽章のトライアングルとの掛け合いで、軽やかにおどけて見せるセンスもあり、筋の通った立派な演奏を聴かせてくれる。沼尻と京響の伴奏も威勢の良いが、こちらも濃厚なロマンティシズムは漂わず、専らリズムの快感を強調する演奏だった。
休憩後はお目当ての「ファウスト・シンフォニー」。この曲でも沼尻は景気の良いフォルテシモで、外面的に華やかな音楽を充全に表現する。但し、一楽章のピアニシモのユニゾンでは、弦楽のピタリと揃わず濃厚な雰囲気に欠け、テンポもやや速過ぎと感じる。それと京響は木管に達者な奏者の揃っているので、もっとタップリと吹かせて上げたかった。でも、二楽章冒頭の弦と木管に拠る、室内楽風の絡み合いではソリストに存分に唱わせ、奏者の歌心を引き出したと思う。
パウゼを入れてアザトくやると映える曲で、沼尻はリタルダントも効果的に使い、上手に聴かせてくれるが、その指揮は例の如くの大振りで、トゥッティのピアニシモには、もう少し抑えた表現力の欲しい処。賑やかな音楽で、しかもノリの良い三楽章は沼尻に打って付けで、ピアノ・コンチェルトと同じくスケルツォ楽章になると、指揮者は水を得た魚のようだった。
そして男声合唱入りの四楽章。びわ湖ホール声楽アンサンブルの男声正規メンバーは八名だが、今日はソリストに一人取られ、五名のトラを入れた12名のコーラスとなる。当初この楽章は器楽曲だったが、後にリストは追加で声楽パートを書き加えているらしい。この曲の三楽章までは、それぞれファウストとグレートヒェンとメフィストフェレスを人物描写する、交響詩を三つ並べたような形態で、四楽章はシンフォニーらしく景気良く終わらせるフィナーレとして機能させる為、リストはベートーヴェンの第九風にしたのかも知れない。
その男声合唱はソツなく美しく、必要にして充分な出来だったが、テノール・ソロの二塚の歌が今ひとつ。この人には音程を下の方から探るクセのあり、高音部をズリ上げて歌うのが甚だしく聴き辛い。ここでスカッと声を出して貰わない事には、この華やかなフィナーレも不完全燃焼でスッキリ終われず、やや残念に感じた。
終演後に沼尻がマイクを持ち、トランペット次席の年度末での退団を客席に告げ、その菊本さんに花束が贈呈された。オケ定期での、このようなセレモニーは団員の定年退職の場合の多いが、今日は若い奏者がN響首席に栄転との事で、菊本さんは満面の笑みで花束を受け取っておられた。写真はロビーでお見送りされる、その菊本和明さんです。ご協力ありがとうございました。
指揮/沼尻竜典
ピアノ/児玉麻里
テノール/二塚直紀
京都市交響楽団
びわ湖ホール声楽アンサンブル
リスト「ピアノ協奏曲第1番/ファウスト交響曲」
京響の定期を訪れるのは、一体何年振りだろうか。僕は若い頃、京響の年の瀬の第九に、その年の常任指揮者の振る定期と、今は亡き巨匠・山田一雄氏の振る特別演奏会にコーラスで出ていた。ホント毎年、あの子供がそのまま爺様になったようなヤマカズと、第九コーラスが必修科目で単位取得だけが目的の、全くヤル気の無い京芸の学生達に悩まされたが、それも今は思い出の一コマとなった。あの頃は若杉弘さんも京響へ度々客演に訪れ、僕も勇んで定期を聴きに出掛けていた。
だが、その足も何時の間にか遠のき、それでもオケピットに入った際の京響は、偶に聴く機会のあって、オケとしての技量の向上しているのは承知していた。京芸の学生もアレだったが、以前の京響も公務員気質丸出しだったように思う。小澤が第九を振った際のコーラス席から、弦楽奏者達が懸命に指揮者のテンポに尾いて行こうとするのを見て、こいつらヤマカズやコータローの時はタラタラやってるクセに、さすがに小澤となるとヤル気出すんだなぁ、と思ったものだ。結局、僕が興味の主体をオペラに移し、オケのコンサート全般から離れたのが、京響定期にご無沙汰の理由だ。
リスト生誕二百年と云う事で、今日はコンチェルトとシンフォニーの二本立て公演。去年はショパン生誕二百年だったが、結局何も聴かない内に過ぎてしまったし、リストもショパンと同じく、積極的に聴きたいとは思っていなかったが、ここに立ちはだかるのが「ファウスト・シンフォニー」である。グリークラブ出身の僕は若い頃、ブーレーズ指揮のヴァーグナー「使徒の愛餐」とか、シノーポリ指揮のブラームス「リナルド」等、男声合唱の録音を愛聴していたが、「ファウスト・シンフォニー」は、それらの曲と比して声楽の分量の少なく、CDを購入して手元に置くこともしなかった。でも、今年はリストのアニヴァーサリー・イヤーで滅多に無い機会だし、やはり聴いて置きたいと思う。
インストゥルメンタルのみの演奏を楽しむ習慣を失くた僕は、ピアノ・コンチェルトなんて最後に聴いたのが何時だったのかも、もう上手く思い出せない程以前の事になる。でも、ピアノ協奏曲一番は超有名曲だし、しかも矢鱈に短いので、久し振りのコンチェルトの楽しみに手頃な曲だ。
ピアノの児玉麻里は、目鼻立ちの整った別嬪さんのように美しい音で、とても綺麗なレガートを駆使するだけでなく、この曲に必要なリズムの正確さにも欠けていない。もう少しデュナーミクを粒立て、ロマンティックな情感を出せれば良いとも思うが、三楽章のトライアングルとの掛け合いで、軽やかにおどけて見せるセンスもあり、筋の通った立派な演奏を聴かせてくれる。沼尻と京響の伴奏も威勢の良いが、こちらも濃厚なロマンティシズムは漂わず、専らリズムの快感を強調する演奏だった。
休憩後はお目当ての「ファウスト・シンフォニー」。この曲でも沼尻は景気の良いフォルテシモで、外面的に華やかな音楽を充全に表現する。但し、一楽章のピアニシモのユニゾンでは、弦楽のピタリと揃わず濃厚な雰囲気に欠け、テンポもやや速過ぎと感じる。それと京響は木管に達者な奏者の揃っているので、もっとタップリと吹かせて上げたかった。でも、二楽章冒頭の弦と木管に拠る、室内楽風の絡み合いではソリストに存分に唱わせ、奏者の歌心を引き出したと思う。
パウゼを入れてアザトくやると映える曲で、沼尻はリタルダントも効果的に使い、上手に聴かせてくれるが、その指揮は例の如くの大振りで、トゥッティのピアニシモには、もう少し抑えた表現力の欲しい処。賑やかな音楽で、しかもノリの良い三楽章は沼尻に打って付けで、ピアノ・コンチェルトと同じくスケルツォ楽章になると、指揮者は水を得た魚のようだった。
そして男声合唱入りの四楽章。びわ湖ホール声楽アンサンブルの男声正規メンバーは八名だが、今日はソリストに一人取られ、五名のトラを入れた12名のコーラスとなる。当初この楽章は器楽曲だったが、後にリストは追加で声楽パートを書き加えているらしい。この曲の三楽章までは、それぞれファウストとグレートヒェンとメフィストフェレスを人物描写する、交響詩を三つ並べたような形態で、四楽章はシンフォニーらしく景気良く終わらせるフィナーレとして機能させる為、リストはベートーヴェンの第九風にしたのかも知れない。
その男声合唱はソツなく美しく、必要にして充分な出来だったが、テノール・ソロの二塚の歌が今ひとつ。この人には音程を下の方から探るクセのあり、高音部をズリ上げて歌うのが甚だしく聴き辛い。ここでスカッと声を出して貰わない事には、この華やかなフィナーレも不完全燃焼でスッキリ終われず、やや残念に感じた。
終演後に沼尻がマイクを持ち、トランペット次席の年度末での退団を客席に告げ、その菊本さんに花束が贈呈された。オケ定期での、このようなセレモニーは団員の定年退職の場合の多いが、今日は若い奏者がN響首席に栄転との事で、菊本さんは満面の笑みで花束を受け取っておられた。写真はロビーでお見送りされる、その菊本和明さんです。ご協力ありがとうございました。











演奏会ではなかなか聴くことができない
曲ですよね。
児玉さんのピアノ聴きたかったです。
児玉さんのピアニズムも、何だか新鮮な気持ちで聴けました。