オペラの夜

出かけたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深めるためのブログです。

大阪シンフォニカー交響楽団第139回定期演奏会

2009-10-16 | モダンオケ
<児玉宏のブルックナー>
2009年10月16日(金)19:00/ザ・シンフォニーホール

指揮/児玉宏
ソプラノ/天羽明惠
大阪シンフォニカー交響楽団

R.シュトラウス「Die heiligen drei Könige aus Morgenland op.56-6 東方三博士/
Wiegenlied op.41-1 子守歌/Mein Auge op.37-4 私の眼/
Traum durch die Dämmerung op.29-1 黄昏の夢/Morgen op.27-4 明日の朝」
ブルックナー「交響曲第六番」


 何年振りと云うより、そもそも僕は過去にシンフォニカーの定期を、一度も聴いた事のないような気がする。もしかすると一度位はあるのかも知れないが、この辺りの過去の記憶は曖昧模糊としている。シンフォニカーの場合、定期に声楽入りの大曲を取り上げる機会は極端に少なく、僕が足を運ぶ動機付けに乏しいオケなのは事実だし、オケピットに入る機会も少ないしで、在阪の四つのオーケストラの中で最も疎遠な存在だった。

 七月の「イドメネオ」では、石投げてやろうかと思った児玉だが、今日のリヒャルト.シュトラウスのドイツ・リートでは、惚れ惚れする程に美しい伴奏を聴かせてくれた。コッテリと甘ったるい、口に含むと上顎の擽ったくなる上用饅頭のようなシュトラウスの音楽を、児玉がオケにタップリと歌わせ、シンフォニカーの弦ってこんなに綺麗な音を出せるんだぁ、と何だか驚いてしまう。また今更ではあるが、指揮者と作曲家との相性の重要性も痛感させられる。あんな風に重苦しいモーツァルトを振る指揮者が、シュトラウスをこんなに美しく演奏するのだから。

 天羽明惠のソプラノも素晴らしく甘美だった。張り詰めた糸のように細く引き伸ばす高音から、さらりとポルタメントし、中音域で柔らかくレジェーロな一節をひとくさり歌う。彼女はこの辺りのテクニックを、さすがに自家薬籠中のものとしている。天羽は高音域では響きを高目に、中音域ではやや低目に響かせ、音色を濃醇から淡麗へ変化させる味わい深い表現力で、シュトラウスのリートを聴かせてくれる。僕は実演では一度しか聴いていないが、ミレッラ・フレーニも音楽の内容に合わせて変化する、音色の引き出しを幾つか持っていた。

 天羽さんのシュトラウスと云えば、コロラトゥーラがテンコ盛りの、「ナクソス島のアリアドネ」のツェルビネッタが最高の当たり役だが、今日の彼女は軽やかなレジェーロを振り撒くのではなく、甘美な音楽をタップリ表現する演奏だった。天羽さんも声の成熟度を増し、ツェルビネッタやゾフィーや、「アラベラ」のズデンカ(新国立で若杉さんの指揮だったなぁ…)等の、セカンド・ヒロイン役から脱却を図っているのかも知れない。と云う事は近い将来、天羽さんのマルシャリンやアラベラが実現するのだろうか。いや、これは単なる僕の妄想ですかね。

 今日、選ばれた五曲のリートは、“シェフからのメッセージ”に拠ると「作曲された時間も歌詞の作者も違うこの五つの歌曲の中に、一つのドラマを聴く」との事で、「今回のキーワードは“聖母マリア”」なのだそうである。児玉と天羽は五曲を一体とする演奏を意図したようだが、これは曲間でイチイチ拍手し、ご丁寧にブラボーまで叫ぶヘンな人が居て、意図に沿った効果の揚がらなかったのは残念至極。五曲を歌い終えてアンコールの拍手を受ける天羽が、児玉の手を取って一緒に答礼しようと誘うのだが、児玉は天羽の手を振り解いてしまう。でも、そこは肝っ玉姐御の天羽さん。再度、児玉の手を取って一緒にお辞儀させたし、次に舞台袖から出て来る際には児玉の腕を掴み、引っ張って出て来た。

 休憩後はブルックナー。ブルックナーのシンフォニーなんてホント久し振りだなぁと思うが、でも良く考えると三年前に兵庫芸文で、アーノンクールとウィーン・フィルの五番を聴いているのを忘れていた。昔、まだ大フィルの爺ちゃんが存命の頃は、僕も結構マメにブルックナーを聴きに出掛けたものだ。でも、あの爺ちゃんは相当に気まぐれで、演奏には矢鱈に当たりハズレがあり、気合の入った演奏に出会う確率は、イチローの打率と同程度だったように記憶する。それでもブルックナーはマシな方で、ベートーヴェンなんかは滅多に当たりの出ない、歳末大売出しの福引のようなモンだった。

 大阪シンフォニカーと児玉の組み合わせによるブルックナーのシンフォニーは、今日の六番で五曲目になるらしい。僕もこのコンビの良い評判は聞いていたが、これは噂に違わぬ充実した演奏だった。まず、丁寧にアチェルラントとディミヌェントをを施した弱音が美しいし、このオケとしては精一杯のフォルテッシモでもアンサンブルは崩れず、充分なリハーサルを積んで本番に臨んでいるのが良く分かる。児玉は曲を知的に分析し、全体を見通した設計がキッチリしていて、僕のような不勉強な聴き手にも、音楽の展開が目に見えるような演奏だった。

 ブルックナーではモヤモヤした演奏に名演は無く、そもそも長ったらしいので、明快な解釈がないと聴き手は最後まで集中力を保つのは難しい。大フィルの爺ちゃんは何分にもパイオニアで、他と比べる事をせずに評価されていたかも知れない。児玉のブルックナーは実に立派な物で、シンフォニカーとのコンビは、新たな大阪名物として定着する可能性はあると思う。まあ、オケの技量がアレなのは問題だが、そこは練習量で補うとしても、管楽器の音程の悪いのには、目を瞑って頂くしかないでしょうね。

 ご多聞に漏れず、シンフォニカーも根っから貧乏オケなのか、それとも企業からの寄付金が潤沢で、結構裕福なのか。このオケの経営状況も、部外者には良く分からない処がある。今日はホールへ向かう公園の中で、打楽器奏者との労働争議のチラシを貰ったが、それを読んで、さもありなん等と考えてしまうのは、やはり経営者の人徳の問題なのでしょうか。
ジャンル:
音楽
キーワード
ブルックナー シュトラウス 大阪シンフォニカー ツェルビネッタ アリアドネ ナクソス島 聖母マリア ウィーン・フィル 打楽器奏者 ベートーヴェン
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