
<オペラ物知り講座第5期第4回/この人でこのオペラ!>
2010年3月9日(火)18:30/大阪音楽大学ミレニアムホール
ソプラノ/石橋栄実
ピアノ/岡本佐紀子/西尾麻貴
演出/藪川直子
講師/中村敬一
今夜も雨が降り、駅からホールまで傘を差しトボトボと歩いた。モノローグ・オペラ「声」は、ソプラノによる一人芝居で上演時間は約45分。公開講座なので最初に講師が前説を述べ、その後に本番のオペラ上演がある。字幕を出した上に、演奏後には歌手とピアニストへのインタビューもあり、僕のように予習を一切しない素人にとって、至れり尽くせりの構成である。前説では、オペラの台本を書いたジャン・コクトーの映画「美女と野獣」をDVDで紹介し、その感覚的な映像美に付いて説明した。映像は面白かったが、プーランクとの関連性は乏しいような気もした。
「声」はオペラと云うか歌曲と云うか、捨てられた女が電話に向い、元カレに語り掛けるだけの内容だが、作曲された前世紀50年代当時の電話は交換台に申し込む方式で、これがケータイの御世となった今では、聊か分かり難くなっている。電話は僕の物心付いた頃にはダイヤル式となっていて、コクトーの台本で交換手に文句を付けたり、混線して見ず知らずの人と会話したり、受話器のフックをガチャガチャさせたりする風俗は、古い映画を観て知るしかなかった。取り分け若い学生さん達には、講師による解説の必要な所以である。
前説を終えると歌手とピアニストが登場、一幕の悲劇が始まる。舞台上にはピアノの横に赤いソファが一脚。小道具はピアノの上に睡眠薬を飲む為のコップと、ソファに電話機が置いてある。主役の一人語りなので、元カレの受け答えは観客の想像力に委ねられるが、イマジネーションを喚起する意味でも、ゴテゴテしたセットは必要無いと云うか、歌手は生身の“声”だけで勝負せねばならない曲と思う。
平静を装っていた女性が激情に駆られ、音楽が瞬間的に沸騰する時、石橋栄実は充分な声量を持って、このキメドコロを歌い切る。又、彼女の中音域にはスープレッド系の甘い音色があり、伸ばすフレーズに捨てられた女のコケットリーも漂わせる。但し、ピアニシモの緩徐部分のテンションは低く、しばしば中途半端にフレーズが切れて、女性の元カレへの未練も切り捨てる印象を受ける。一応、フォルテとピアニシモを使い分けるダイナミズムはあるが、遅い部分は更にタップリと歌い、オペラの情感を盛り上げたい。淡々と語るフレーズと、感情の昂ぶるフレーズとの対比は、やや甘いように感じる。
それと、この人はアウフタクトで前拍を入れるように、大きくブレスする癖がある。つまり思い入れが強過ぎ、息せき切ったように歌に入るので、何だかフランス語と云うより日本語の情感を込めているように聴こえてしまう。プーランクはドロドロしたお話に透明な音楽を付けている訳で、声や表現までドロドロにするとぶち壊しになる。勿論、石橋はキチンと言葉を勉強していて、ちゃんとフランス語の歌として聴こえるのだが、音楽の起伏に沿ったデュナーミクは今ひとつ伝わらない。これは本人も言っていたが、「声」と云う曲は発音の正確なだけでは物足りず、プーランク独特の節回しを感じ取り、そこにフランス語を載せて歌わないとサマにならない曲と思う。
このオペラの主役の歌う分量は普通のオペラの三時間分に匹敵し、フランス語を覚えるのは本当に大変で、それが滅多に演奏されない理由と今日の講師は述べていた。しかし、そんな大変な思いをして覚えたフランス語歌詞を、一回こっきりの上演で忘れてしまうのも、また物凄く勿体ない話だ。今日の演奏の物足りない部分は、何回も上演を重ねて熟成を図るしか、解決の方法は無いように思う。本日の主役ソプラノに、これまでプーランクのオペラ上演の経験は無いそうで、そんな人が唐突に「声」に挑戦して成功を収める方が、まず有り得ない話と思う。
それと電話に向かって喋るだけで、立ったり座ったりする以外の所作もなく、大袈裟な演技は不要の筈だが、その辺りの演出はクドいようにも感じた。あくまで元カレを引き留める為の、“声”の演技が要求されるオペラで、手を振り回したりしても効果は揚がらない。強がっていた女が耐え切れず、昨日は睡眠薬を飲んだと告白する場面。ここで女心は折れてしまい、音楽のトーンも微妙に変化するが、その心の揺れを表現するには、クサ過ぎる演技だったかも知れない。
プーランクは楽譜の前書きで、このオペラの主役には若くエレガントな女性が必要で、捨てられて当然みたいなオバサンには歌って欲しくない趣旨を述べているらしい。この意味で石橋栄実さんは、これから何度も「声」を上演する有資格者ではある。又、プーランクは演奏の際にフェルマータとパウゼで、凍り付いたような沈黙の時間を作る事も要請している。要するにモノオペラとは語り芸の一種で、古典落語のように同じ噺を繰り返し高座に掛け、練り上げて行くのが理想と思う。
だから、どう考えても一回切りの上演では、歌う本人も聴く側も満足の行く上演は無理と思う。それと自殺で終わる悲劇の後、素に戻った歌手本人が出て来て色々と喋るのも、興醒めする処ではある。ミレニアムホールは三百席の音楽ホール型大教室で、歌手の演技も良く見えるし、プーランクの繊細な音楽を伝えるのにも打って付けのハコで、もっとオペラ本体に集中する場にして貰えれば、又ここで「声」を観てみたい。そう思わせるのに充分な環境は整っていると思う。
2010年3月9日(火)18:30/大阪音楽大学ミレニアムホール
ソプラノ/石橋栄実
ピアノ/岡本佐紀子/西尾麻貴
演出/藪川直子
講師/中村敬一
今夜も雨が降り、駅からホールまで傘を差しトボトボと歩いた。モノローグ・オペラ「声」は、ソプラノによる一人芝居で上演時間は約45分。公開講座なので最初に講師が前説を述べ、その後に本番のオペラ上演がある。字幕を出した上に、演奏後には歌手とピアニストへのインタビューもあり、僕のように予習を一切しない素人にとって、至れり尽くせりの構成である。前説では、オペラの台本を書いたジャン・コクトーの映画「美女と野獣」をDVDで紹介し、その感覚的な映像美に付いて説明した。映像は面白かったが、プーランクとの関連性は乏しいような気もした。
「声」はオペラと云うか歌曲と云うか、捨てられた女が電話に向い、元カレに語り掛けるだけの内容だが、作曲された前世紀50年代当時の電話は交換台に申し込む方式で、これがケータイの御世となった今では、聊か分かり難くなっている。電話は僕の物心付いた頃にはダイヤル式となっていて、コクトーの台本で交換手に文句を付けたり、混線して見ず知らずの人と会話したり、受話器のフックをガチャガチャさせたりする風俗は、古い映画を観て知るしかなかった。取り分け若い学生さん達には、講師による解説の必要な所以である。
前説を終えると歌手とピアニストが登場、一幕の悲劇が始まる。舞台上にはピアノの横に赤いソファが一脚。小道具はピアノの上に睡眠薬を飲む為のコップと、ソファに電話機が置いてある。主役の一人語りなので、元カレの受け答えは観客の想像力に委ねられるが、イマジネーションを喚起する意味でも、ゴテゴテしたセットは必要無いと云うか、歌手は生身の“声”だけで勝負せねばならない曲と思う。
平静を装っていた女性が激情に駆られ、音楽が瞬間的に沸騰する時、石橋栄実は充分な声量を持って、このキメドコロを歌い切る。又、彼女の中音域にはスープレッド系の甘い音色があり、伸ばすフレーズに捨てられた女のコケットリーも漂わせる。但し、ピアニシモの緩徐部分のテンションは低く、しばしば中途半端にフレーズが切れて、女性の元カレへの未練も切り捨てる印象を受ける。一応、フォルテとピアニシモを使い分けるダイナミズムはあるが、遅い部分は更にタップリと歌い、オペラの情感を盛り上げたい。淡々と語るフレーズと、感情の昂ぶるフレーズとの対比は、やや甘いように感じる。
それと、この人はアウフタクトで前拍を入れるように、大きくブレスする癖がある。つまり思い入れが強過ぎ、息せき切ったように歌に入るので、何だかフランス語と云うより日本語の情感を込めているように聴こえてしまう。プーランクはドロドロしたお話に透明な音楽を付けている訳で、声や表現までドロドロにするとぶち壊しになる。勿論、石橋はキチンと言葉を勉強していて、ちゃんとフランス語の歌として聴こえるのだが、音楽の起伏に沿ったデュナーミクは今ひとつ伝わらない。これは本人も言っていたが、「声」と云う曲は発音の正確なだけでは物足りず、プーランク独特の節回しを感じ取り、そこにフランス語を載せて歌わないとサマにならない曲と思う。
このオペラの主役の歌う分量は普通のオペラの三時間分に匹敵し、フランス語を覚えるのは本当に大変で、それが滅多に演奏されない理由と今日の講師は述べていた。しかし、そんな大変な思いをして覚えたフランス語歌詞を、一回こっきりの上演で忘れてしまうのも、また物凄く勿体ない話だ。今日の演奏の物足りない部分は、何回も上演を重ねて熟成を図るしか、解決の方法は無いように思う。本日の主役ソプラノに、これまでプーランクのオペラ上演の経験は無いそうで、そんな人が唐突に「声」に挑戦して成功を収める方が、まず有り得ない話と思う。
それと電話に向かって喋るだけで、立ったり座ったりする以外の所作もなく、大袈裟な演技は不要の筈だが、その辺りの演出はクドいようにも感じた。あくまで元カレを引き留める為の、“声”の演技が要求されるオペラで、手を振り回したりしても効果は揚がらない。強がっていた女が耐え切れず、昨日は睡眠薬を飲んだと告白する場面。ここで女心は折れてしまい、音楽のトーンも微妙に変化するが、その心の揺れを表現するには、クサ過ぎる演技だったかも知れない。
プーランクは楽譜の前書きで、このオペラの主役には若くエレガントな女性が必要で、捨てられて当然みたいなオバサンには歌って欲しくない趣旨を述べているらしい。この意味で石橋栄実さんは、これから何度も「声」を上演する有資格者ではある。又、プーランクは演奏の際にフェルマータとパウゼで、凍り付いたような沈黙の時間を作る事も要請している。要するにモノオペラとは語り芸の一種で、古典落語のように同じ噺を繰り返し高座に掛け、練り上げて行くのが理想と思う。
だから、どう考えても一回切りの上演では、歌う本人も聴く側も満足の行く上演は無理と思う。それと自殺で終わる悲劇の後、素に戻った歌手本人が出て来て色々と喋るのも、興醒めする処ではある。ミレニアムホールは三百席の音楽ホール型大教室で、歌手の演技も良く見えるし、プーランクの繊細な音楽を伝えるのにも打って付けのハコで、もっとオペラ本体に集中する場にして貰えれば、又ここで「声」を観てみたい。そう思わせるのに充分な環境は整っていると思う。










