オペラの夜

出掛けたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深める為のブログです。

モーツァルト「フィガロの結婚」K.492

2013-06-30 | モーツァルト
<スイス・バーゼル歌劇場初来日公演>
2013年6月30日(日)15:00/びわ湖ホール

指揮/ジュリアーノ・ベッタ
チェンバロ/イリーナ・クラスノフスカ
バーゼル・シンフォニエッタ
テアター・バーゼル合唱団

演出/エルマー・ゲールデン
美術/シルヴィア・メルロ/ウルフ・シュテングル
照明/へルマン・ミュンツァー
衣裳/リディア・キルヒライトナー

フィガロ/エフゲニー・アレクシエフ
スザンナ/マヤ・ボーグ
伯爵夫人ロジーナ/カルメラ・レミージョ
アルマヴィーヴァ伯爵/クリストファー・ボルダック
ケルビーノ/フランツィスカ・ゴットヴァルト 
バルバリーナ/ローレンス・ギロ
医師バルトロ/アンドリュー・マーフィー
女中頭マルチェリーナ/ジェラルディン・キャシディ
音楽教師バジリオ/カール・ハインツ・ブラント
公証人クルツィオ/ヤツク・クロスニツキ
庭師アントニオ/マルティン・バウマイスター


 昨年末に「コジ・ファン・トゥッテ」を共同制作した、スイスのテアター・バーゼルが遥々びわ湖ホールへやって来た。バーゼル芸術監督に拠る「コジ」演出は、アクチュアルに刺激的で面白く、僕は今回の「フィガロ」も楽しみにしていた。開演前のホールに入ると既に幕は上がり、巨大なアニメ・キャラの描かれた、一幕のポップなセットを見せている。これから始まる上演への期待を高めるが、これはどうやらセットのデカ過ぎて舞台からハミ出し、幕を降ろせないようだ。その為、舞台転換は大きな黒い幔幕で隠し行われた。

 指揮者は拍手に答礼した後、舞台に歌手が出て来るのを待ち、やおら序曲を始める。序曲の演奏の間は、部屋にベッドを持ち込もうとするフィガロの演技が続く。スザンナも出て来て、ベッドを部屋に押し込んだ処で序曲を終え、フィガロの歌い出す段取りとなる。舞台設定はロサンゼルスの豪邸内との事で、装置も衣装も現代風だが、演出家のドラマ解釈は全くオーソドックスなもので、これは所謂“読み替え”演出ではない。「フィガロ」のお話しとは詰まる処、男女間の愛情と性欲を巡る艶笑譚で、本能の赴くままに行動する伯爵とケルビーノに対し、これを迎え撃つスザンナと伯爵夫人との攻防戦でもある。

 例えば僕には、男の側からアプローチすると云うより、伯爵夫人の方がケルビーノを誘惑しているように見えるし、三幕冒頭の伯爵のアリアには妄想として、スザンナとフィガロや伯爵夫人とケルビーノが、舞台上で睦み合うシーンを作っている。この舞台には特に新奇なアイデアは無いが、観客には演出家の各場面に即した読み取りを、見極める楽しみがある。但し、紙ヒコーキを沢山飛ばしたり、バスタブに着衣のまま入ったりする演出は意図不明で、これは恐らく単なるハッタリと思う。

 それと読み替えしないのなら、設定を現代アメリカに移す理由が分らなくなる。これを忖度するに現代に於けるモツオペは、既に時代的な制約から解き放たれ、アクチュアルな演劇として普遍的な価値を持つに至った、と云った処だろうか。演出家はモツだからと云って、今時ロココ調の鬘を歌手に被せる等、古臭いしミットモナイと考えているのかも知れない。ヨーロッパのオペラ演出の最先端は、そこまで突き抜けているように思う。

 キャストは専ら、演技面と歌唱面のアンサンブル優先で選ばれているようで、名の知れた歌手はレミージョ一人だが、彼女も全体のアンサンブルの一員として扱われている。そう思って観れば、みんな演技は達者なもので、このメンバーには同じ面子で興行を打つ、旅回り一座のような趣きがある。だが、これを敷衍して言えば、歌唱のレヴェルは皆ソコソコと云う事にもなる。

 ブルガリア人のフィガロはやや重目のマジメ過ぎる声で、もう少し諧謔味も欲しい処。スイス人のスザンナは音の立ち上げからスピントの位置まで、声の響きのポジションをズリ上げている。この唱い方では清潔なフレージングを作れず、もう少し細い声で長いフレーズを保ちたいし、そもそもスザンナを歌うソプラノには、もっとリリックな声の望まれる。アメリカ人の伯爵はモーツァルトに相応しい、声とスタイルとで聴かせてくれたが、フィガロと声質が被って今ひとつ対照性に欠ける。只まあ、この二人は若くてイケメンなので、女性客は喜ぶだろうと思う。

 このメンバーに立ち混ざると、やはりレミージョの実力は一頭地を抜いている。三幕のアリアをジックリと聴かせる、やはりこの方は本物のプリマと思う。但し、他の歌手と比べると声質も歌い回しも濃厚に聴こえ、全体のアンサンブルからは浮き気味となっている。ドイツ人のケルビーノには例のアリアに変奏を付けたり、長目のパウゼを入れたりする独特な解釈がある。そう云えばチェンバロ奏者もレチタティーヴォの間に、突如「ラプソディ・イン・ブルー」やら、「ローエングリン」やらの旋律を挟んだりしていた。

 バルバリーナはキレイな声のソプラノで、スザンナと役を入れ替えても違和感は無いし、これはマルチェリーナとケルビーノにも当て嵌まりそうだ。バルトロは板に付いた演技で、トボケた良い味を出す、なかなかの役者っぷり。こう云う人を見付けるのも、芝居見物のお楽しみの内だろう。何れにせよアンサンブル重視の配役は、脇役の充実に満足は出来ても、肝心の主役に物足りなさを残す結果を招いていた。

 序曲の細かい音型もピッタリ揃わず、オケの機能性を高いとは云い難いが、必要にして充分な能力は備えている。コンクール上がりの若い指揮者には、リズムを強調するパワフルな解釈があり、ここぞと見極めた局面では思い切りテンポを落とす、今時珍しいコッテリしたモーツァルトを聴かせる。まあ、泥臭いとまでは言わないけれど、凡そ洗練とは程遠く、これは矢張りスイスの山奥のオペラハウスの演奏との感想を抱く。演出は現代風でも、演奏はピリオド様式を一切取り込まず、時代の趨勢を無視している。三十年ほど前に戻ったような演奏と、時代の先端を行く演出との取り合わせは、現在のヨーロッパ・オペラ事情の混沌を表しているのかも知れない。

 尖った演出のオペラ公演では、若い観客の増える傾向はあるように思う。今日も何時も通り、爺さん婆さんの屯すびわ湖ホールのロビーだが、お洒落な服装の若者もチラホラ見掛ける。やはり若い人の多いのは華やかで良いよなぁと、取り合えず自分は棚に上げて思う次第であります。
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バーゼル歌劇場「フィガロの結婚」(2013/6/28) (音楽の都)
2013年6月28日(金)18:30東京文化会館 スイス・バーゼル歌劇場モーツァ