オペラの夜

出掛けたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深める為のブログです。

ツィンマーマン「軍人たち」

2008-05-05 | ドイツオペラ
<日本初演/アムステルダム・ネザーランド・オペラ製作>
2008年5月5日(月)14:00/新国立劇場

指揮/若杉弘
東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団

演出/ウィリー・デッカー
再演演出/マイシェ・バルバラ・フンメル
美術・衣裳/ヴォルフガンク・グスマン
照明/フリーデヴァルト・デーゲン
音響/渡邉邦男
振付/キミホ・ハルバート

マリー/ヴィクトリア・ルキアネッツ
シュトルツィウス/クラウディオ・オテッリ
デポルト男爵/ピーター・ホーレ
マリ大尉/黒田博
若い伯爵/高橋淳
ド・ラ・ロッシュ伯爵夫人/森山京子
シャルロッテ/山下牧子
ヴェーゼナー/鹿野由之
祖母/寺谷千枝子
シュトルツィウスの母/村松桂子
従軍牧師アイゼンハルト/泉良平
ピルツェル大尉/小山陽二郎
オディー大尉/小林由樹
フォン・シュパンハイム伯爵/斉木健詞
若い士官/中嶋克彦/布施雅也/倉石真


 ツィンマーマンという作曲家について、僕は具体的なイメージを全く持っていなかったが、今日の日本初演を聴き終え、やはり「軍人たち」は、二十世紀を代表するオペラ作品の一つなのだろう、という感想を抱いた。

 もう十年近く前になるが、やはり若杉の指揮でヴォルフガンク・リームのオペラ、「狂ってゆくレンツ」の日本初演を観た際、これってモロに「ヴォツェック」の焼き直しじゃん、と僕は感じた。リームのオペラの原作は、「ヴォツェック」の台本の原作者でもあるビューヒナーによる、ヤーコプ・レンツをモデルにした短編小説である。そして「軍人たち」は、ヤーコプ・レンツの戯曲を原作にしている。「ヴォツェック」に対するオマージュとして、後の二つのオペラが創作された事情が良く分かるのと共に、若杉芸術監督の「ヴォツェック」以降の、表現主義的な無調オペラに対する思い入れの深さも感じ取れる。

 ケルンでのギーレン指揮による、「軍人たち」初演の63年という年は、50年代のシュトックハウゼンやブーレーズによる、ミュージック・コンクレートの実験の後、60年代のリゲティやクセナキスによる、トーン・クラスターの技法開拓の前なのである。序曲での大編成オーケストラによる強奏は、とんでもない大音量なのだが、クラスターではないので音塊にはならず、個々の木管や弦の音を聴き取れる。四幕で客席後方に配置されたスピーカーから流される電子音楽も効果的で、このオペラには50年代の前衛音楽の集大成の趣がある。

 トランペットやトロンボーンの早いパッセージでの変拍子は見た目にも凄まじく、これを楽譜通りに弾けているのかどうかは、フレーズの切れ目でしか確認する方法はないだろう。つまり、途中でズレても最後の辻褄さえ合わせれば、そんなことは誰にも分からないということだ。若杉芸術監督の指揮も右手で拍を示す動作が主で、左手も入りの指示を出すのみ。音楽の内容を表現するような動作は一切ない、と言っても過言ではない。

 オケのトゥッティによる序奏・間奏・後奏のフォルテッシモを除き、歌入りの場面では小編成の室内楽のような伴奏によって歌手たちは唄う。マリーが物思いに耽る場面はノクターン、軍人たちが議論をし、飲んだくれる場面はトッカータ、シュトルツィウスがデポルトを道連れにして自死する場面はシャコンヌ、という具合にタイトルが付され、他にもリチェルカーレ・カプリッチョ等、音楽のスタイルには古典的な形式が採用されている。

 無機的な旋律は、歌手の情感表現を全く必要としない。声楽技術のみで歌えるというか、テクニックよりも持って生まれた喉の丈夫さで勝負、みたいなところがある。その中ではマリーのルキアネッツが、大変な難役を軽々と歌いこなすのが驚異的。デポルトのホーレはやや分が悪く、ファルセットに逃げたり、声がひっくり返ったりするが、それが左程には気にならない。そもそも、歌が途中でしばしばシュプレッヒェンに変わるので、苦しくなれば歌うのを止めて喋っても、我々聴衆には良く分からないし、演奏のキズにはならないのだと思う。エモーショナルなところの何もない歌は、歌手の技巧の優劣は殆んど問わず、声帯の強靭さの競い合いみたいな中で、マリ大尉の黒田と伯爵夫人の森山が、その喉の筋肉の強さを誇示していた。

 今日の舞台はホモキの「ばらの騎士」、コンヴィチュニーの「アイーダ」に続き、またもや四角いセットの中で展開する。セットの内部は黒板に白墨で描いたような色合いの、ススキかアシのような抽象的な模様に彩られている。舞台に出て来る歌手と助演の衣装は、一般市民がグレー、軍人たちは赤、貴族は黄色に色分けされ、甚だ分かり易く図式化されている。一部に普通のメークの役もあるが、大部分の出演者は白塗りのスキンヘッドで、黒い目張りを付けているのが、僕には昔懐かしい、香港映画のキョンシーのように見えてしまった。

 今日の演出は、情感の盛り上がりのない音楽に対応した抽象的・図式的なもの。再演担当の演出家による群集の処理が見事で、見ていて目まぐるしい程に、コーラスや助演達の個々の動きが徹底されていた。二幕でコーラスが演技をしながら歌い、同時に変拍子でカップをテーブルに打ち付ける場面では、合唱指揮者の三澤の指導力に改めて感心させられた。

 音自体は無闇に複雑だが、均整の取れた単純な構成のオペラなので、音楽の内容は頭に入り易い。難しいことは考えずに、オケと歌手たちの紡ぐ音響に浸っていれば、それが快感となり、娯楽作品として存分に楽しめる。このオペラには充実した音楽がギッシリと詰まっており、生半可なゲンダイ音楽では決してない。一つの時代を象徴するオペラとして、長く後世に伝えるべき作品だとは思うが、次の時代に傑作オペラが輩出すれば忘れられても致し方のない、時代的な制約に縛られた作品なのだとも思う。ともあれ、数々の困難を乗り越え、ツィンマーマンの真摯な音楽を我々聴衆に届けてくれた、若杉芸術監督に感謝。

 写真は休憩中のロビーでお見かけした飯守泰次郎さんです。ご協力ありがとうございました。
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3 コメント

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Unknown (kappamethod)
2008-05-15 23:20:43
ツィンマーマンは絶対行こうと思っていたのですが、GWが好きという因果な仕事の関係で、断念しました。こうやってあらためてご感想を拝見し、全く悔やまれる思いです。いつみれることやら。
ツィンマーマンの曲はオーケストラ曲も莫大音量な曲があったかと記憶しております。
音圧とフレーズの切れ目で音楽を構築していくいわば理系的すぎる表現音楽はなかなか大衆けしないと思うのですが、そのようなことは横においてもとにかく観たかったという思いでいっぱいです。
評ありがとうございます。
ご挨拶 (ウルズラ)
2008-05-16 21:44:55
こんにちは、はじめまして。
トラックバック、どうもありがとうございます。

『軍人たち』は、以前の演奏会形式には行けなかったので、生で聴くのは初めてでした。本来、「戦争もの」「娼婦もの」は得意ではないのですが(あ、トラヴィアータだけは別です・・笑)、今回は感じ入るところがありました。ルキアネッツの力かも知れませんね。
ウルズラさん (Pilgrim)
2008-05-17 13:45:18
 初めまして。こちらこそ、コメント・TBありがとうございます。
 赤い服の軍人たちの振付が、作品の意図する風刺を捉えていた、というご意見に同感です。ルキアネッツも素晴らしかった。
 スコアには三面のフィルム上映が指定されているようですが、これを省いたのも正解でしょう。ゲンダイ音楽って、そういうところから古めかしくなるのだと思います。

 河童メソッドさん、コメント四連発ありがとうございます。
 いっぱいケチ付けながらも、「レディ・マクベス」と「ソルジャー」と「ビアッジョ・ア・ランス」を、立て続けに観て楽しめる、結構な御世でございます。
 若杉さんが辞めたら、「軍人たち」の再演は難しいでしょう。でも、あれを録音で聴いても内容の半分も伝わらない。実演でも幕切れの軍靴と怒声、スピーカーから遠い席での効果は今ひとつだったようで、今回ばかりは天井桟敷が勝ち組でした。

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