オペラの夜

出かけたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深めるためのブログです。

加悦谷高校合唱部第44回定期演奏会

2010-12-18 | 高校合唱
2010年12月18日(土)13:30/宮津会館

指揮/成毛敦
ピアノ/乕田倫子
京都府立加悦谷高校合唱部

ムソルグスキー/甲田潤編曲「展覧会の絵」(抜粋5曲)
鈴木輝昭「都の春」(獅子の子幻想)
嘉門達夫「替え歌メドレー/小市民」
ヨゼフ・シュトラウス「かじ屋のポルカ」
梅原司平「生命の歌」
小倉朗「ほたるこい」(東北地方のわらべうた)
中島みゆき「ファイト!」
ヘンデル/加賀清孝編曲「Hallelujah!」(メサイア)
西脇久夫編曲「空とぶうさぎ」
三善晃編曲「夕焼小焼」(唱歌の四季)


 今年もJR福知山線から北近畿タンゴ鉄道を乗り継ぎ、日本海側の宮津市まで、加悦高合唱部の定演を聴きに出掛けた。天候にも恵まれ、電車は時刻通りに宮津駅へ到着する。やはり冬の山陰地方で、カラリと晴れ渡るとは行かない、曇りがちで薄日の射す天気。でも、折角の遠出だし、チラホラ雪の降っている位が風情のあって良いと、都会の人間は勝手な事を考える。天橋立を望む海辺にある会場に着き、チケットを購入してプログラムを受け取る。今年の一年生は三人のみで定演メンバーは14名と、昨年より更に減ってしまった。

 コンサート冒頭は「展覧会の絵」。皆様ご存知の通り、ムソルグスキーのピアノ曲だが、ラヴェル編曲の管弦楽版の頻繁に演奏される、所謂ひとつの泰西名曲である。ピアノ独奏曲に日本語歌詞を付けて合唱に編曲する発想は、ラヴェル版の存在が前提だろうが、それでも一体どんなアレンジなのか想像も付かず、妙な好奇心を唆られる。冒頭の「プロムナード」ではコーラスがピアノ伴奏に重ね、例のトランペットの旋律を歌うだけで、これは如何にも芸が無い。その後は第6曲の「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミイレ」で、コーラスをオブリガード風に扱い、第9曲の「鶏の足の上の小屋」は対位法的に処理されて、ソコソコ楽しく聴ける。しかし、今時こんな古色蒼然とした編曲物を引っ張り出す、成毛教諭の頑固さには感心する。

 次のコンクール曲は、この作曲者には珍しい民話的な内容の語りの曲で、比較的に技術的な難易度は低く、部員数の激減した加悦谷の身の丈に合った選曲と思う。アルトの昨年の主力は卒業したようで、しかもパート内部で声のバラけて上声部を支え切れず、やや安定感を欠く、重心の高いハーモニーになってしまう。でも、ソプラノに軽目の声でスピントする技術のあって、純正な透明感のあるのは例年通り。

 ただ、例年通りでなかったのは、次の愛唱曲の演奏に13名のOGの投入された事。勿論、14名の現役では力不足の歴然として、OGを入れて過去の加悦谷に近い演奏を届けようとする、その善意は理解出来るが、遠来の一聴衆としては、今年の現役生徒の直向きな歌声を、もっとジックリ聴かせて欲しかった。でも、OGの入ると往年の重低音アルトの再現となり、鋭くスピントするソプラノも、このアルトの支えのあってこそだったと、懐かしい思いで聴かせて貰う。昔は加悦谷の他にも、山形西高校と云う名門校もあって、それこそド迫力のアルトで聴かせたが、最近は上手いけれども薄味の女声合唱ばかりになったと、おじさんは懐古に耽るのであった。

 嘉門達夫でもフレージングの音楽的な意味を追求する、顧問教諭の姿勢は一貫していて、ギャグ・ソングに対応しないのも例年通りだが、今年は簡単な振りも入れて、少なくとも会場の雰囲気は和らげていた。生徒が成毛先生に悪戯した挿話の紹介もあって、ネタで看護婦姿のOGらしき女性も登場したが、これは曲間ではなく冒頭にするべきだったかと思う。毎年演奏している「生命の歌」は、例年以上に力の入っていたように思うし、「ほたるこい」でのソット・ヴォーチェも美しかった。中島みゆきは、メゾピアノの音量でパート・ソロのバラけるのは気になったが、フォルテシモでは綺麗に纏まって、僕は不覚にも涙腺の緩んでしまう。

 次に毎年の恒例で、卒業する三年生部員が一人ひとり、部活の三年間を振り返ってコメントを述べる。加悦高合唱部の練習の厳しいとの評判は、この近隣に鳴り響いていて、娘がコーラス部に入るとなれば、ご両親にもそれ相応の覚悟は必要で、この場で生徒が三年間の感謝の言葉を述べるのは、とても大切な事と思う。これも昔は十名以上の卒業生の居て、最後には一曲歌い、相当な時間を費やしていた。それが今年の三年生は、メゾが一人にアルトが三人の計四名でパタパタと済んでしまうし、彼女達だけではハモる事も出来ず、誠にアッサリしたセレモニーとなっている。僕もお陰様で、一本早い電車で帰れるようにもなりました。

 休憩後は50名のOGが動員され、華やかにハレルヤ・コーラスの歌われる。成毛教諭のフレージングを厳しく律し、縦をビシリと揃える手法はバロック演奏に打って付けで、そこから音楽を盛り上げる手腕も見事なもの。「空とぶうさぎ」と「夕焼小焼」は全く異なる曲だが、指揮者の歌わせ方は同じ。まず縦横を揃えた上で、そこから最初に決められた通りではない、本番のコンサートでしか出せない生命力を、音楽に吹き込んでいる。成毛先生は自分達を試すように、全く異なる曲想で振ってみせたと云う、混声時代のOBの思い出話に、僕は深く頷いた。

 エンディングは14名の現役生徒で「マイ・ウェイ」。一・二年生のみで四名のソプラノが、今年も元気に最後のハイCを歌い切り、コンサートを締め括ってくれた。僕が加悦谷のコンサートを訪れるのも、今回が最後となる可能性の有り、ここで少し昔語り等してみたい。

 僕が初めて加悦谷高校合唱部を聴いたのは、今から27年も前の話、合唱連盟と朝日新聞の主催するコンクール関西予選だった。この年の加悦谷は女声66名で、自由曲に高田三郎「心の四季」を取り上げていた。所属していた合唱サークルへの招待状をセシめ、本当に何の気なしに出掛けたのだが、この時の加悦谷の演奏からは圧倒的な印象を受けた。まあ兎に角、倍音の響き渡る声が凄い。舞台から押し寄せる音圧に、座席の背に押し付けられるような気さえした。これだけの声の技術のあれば、音楽性もヘッタクレも無いレヴェルで、他に大して上手な学校のある訳でもない団栗の背比べの中、僕は加悦谷をダントツと思ったが、いざ成績の発表されると六位の銀賞で、こりゃまたナンジャラホイと思ったものだ。

 表彰式も終えてロビーに出ると、壁に審査員の付けた個別の順位表の張り出され、どれどれと覗き込むと、この年の合唱連盟関係者以外の唯一の審査員だった、三善晃が加悦谷を一位に付けていた。ああ成程、やっぱりそう云う事ね、と僕は得心した。僕の居た社会人の合唱サークルもコンクールに出場していたが、あれ程の高度な声楽技術を有する加悦谷を評価出来ない、こんな音痴みたいな審査員を揃えた予選に、出る意味無いよなぁと思ったものだ。今日の予選に加悦谷より、上手な学校の五つもあったなんて、笑い話にもならんと思った。

 一位に付けてくれたからでも無かろうが、翌年の加悦谷は三善晃の「のら犬ドジ」から“ないてる…”を選曲し、更に圧倒的な演奏を聴かせる。あの頃の加悦谷の演奏には、最初から最後まで息を詰めて聴き入って終う、凄まじい程の迫力のあって、70名を超える大人数での演奏に、僕は文字通り震撼させられた。選曲に関して試行錯誤していた成毛教諭が、内面の音楽性とコンクールでの成果との折り合いを、三善晃に見出したのだと思う。但しと云うか、勿論と云うべきか、この年も翌年の「狐のうた」からの“醜聞による”の演奏でも、加悦谷は全国大会への代表に選ばれる事はなかった。

 僕は合唱界とは縁の切れているのでアケスケに言うが、関西予選のコンクールは審査員の耳の悪いだけではなく、権力志向の打算とシガラミから成り立っていて、そのような鬱陶しい人間関係とは距離を置く、当時の成毛教諭はコンクールで冷遇されていたと思う。しかし、僕のような部外者が客観的に聴けば、既に加悦谷に全国上位の実力の備わっているのは明白だった。次の年、加悦谷は前年度から新設された40名以下の人数制限のある部門に、やはり三善晃の「狐のうた」から“訓戒による”でエントリーする。人数制限の無い部門には、大所帯の伝統校の揃ってシガラミもキツいが、新設の少人数部門にはコップの中の権力闘争から縁遠い学校の多く、狙い目だったと云える。

 その86年の関西予選での演奏、70名超えから40名まで減らし、迫力も減るのかと思っていたが、やはり加悦谷は変わらない圧倒的な演奏を披露した。と云うか、突き刺さるようにスピントする声の迫力はそのままで、少人数で音色の透明度は高まり、演奏の純度は上がった印象を受けた。ともあれ、この年の加悦谷は目出度く代表に選ばれ、全国大会初出場を果す。

 そして四国・松山は愛媛県民会館での全国大会、ここでも加悦谷の演奏の与えるインパクトは強烈で、全ての演奏を聴き終えた僕は、まあ賞なんて他人の決める事で分からんが、でも加悦谷も良いとこまで行くかも、と思っていた。あれだけの透明な音色を実現するには、パート内部のピッチを厳密に揃えねばならず、しかもその音色を保ったまま、フル・ヴォリュームのフォルテシモで鋭くスピントするのは、途轍もなく高度な声楽技術で、その背後にある練習の質と量を考えると、何だか空恐ろしくなる程だった。

 成績発表で一番後ろの席に座った僕は、前方に陣取った加悦谷の生徒の中に男子も居るのを見て、加悦谷って普段は混声合唱なんだと、この時に初めて知った。少人数部門の成績発表で初っ端に、「金賞は京都府立…」と読み上げられると、僕はへぇ加悦谷が金賞かぁと思ったが、続いて「加悦谷高校合唱部!」と告げられても、加悦谷の生徒達は静まり返ったまま。はて?何で黙ってるんだと思い、そちらに目を遣ると、生徒達の完全に固まったままの後姿を見て取れる。何時になったら解凍するのかと思う程、あれは長かったすね。彼等は五拍位は冷凍状態だった気がする。その後の狂喜乱舞はお約束通りだが、この頃の少人数部門に出される金賞は一校のみ、つまり金賞イコール全国一位で、生徒が初出場での金賞を信じられないのも、当然と云えば当然だった。

 僕は大騒ぎする加悦谷の生徒達を見ながら、これでヘンな風に低かった関西連盟の加悦谷に対する評価も、今日からマトモになる筈と思った。事実、この年から加悦谷は全国大会へ連続出場して金賞を取り続け、でも何年かすると成毛教諭の息切れして、どうも最近の加悦谷はテンション低いよなぁと思っていたら、予選で落っこちてしまった。この時の涙を堪えて俯く生徒達に対し、サバサバした様子の成毛先生も印象に残っている。その後のコンクールの成績は出たり入ったりで、加悦谷の演奏には好悪の分かれる部分もあり、でも絶対的な技術のみを考えれば、一貫して浮き沈みは無かったと断言出来る。

 この間、加悦谷の部員数は減り続けていたようだが、コンクールの人数制限が32名に減らされた事もあり、実際に何人の部員の居るのか、部外者には良く分からなかった。僕の初めて定演を訪れたのは七年前だが、この時のメンバーは既に35名で、その後も順調に合唱部員は漸減し、本日の定演を迎えるに至る。

 これまで我が国の厚生年金の老齢給付は、60歳から特別支給されていたが、今現在は一律65歳支給への統一に向け、順次繰り下げ支給されている。例えば07年度に60歳を迎えた47年生まれの男性には、経過的措置として報酬比例部分のみが支給され、64歳から基礎年金部分を合わせた、満額の厚生年金が特別支給される。この説明で分かる人には分かるが、分からない人には更にクドクドと説明の必要で、でも別に誰から頼まれた訳でなし、以下省略する。

 学校教員の共済年金も制度としては同じで、だから定年を迎えても満額の年金を貰えない今時の先生は、60歳以降も嘱託として勤務する場合が多い。成毛先生も既に定年を過ぎ、やはり引き継ぎ加悦谷高校に勤務されているが、来年度は64歳で満額の年金受給の資格を得る筈。まだ発表されていないが、どうやら今年度限りで後進に道を譲られるようで、今回の定演を最後とされる可能性が高い。まあ、これが僕の誤解なら、来年も加悦谷の定演を聴きに行く積もりで居りますけれども。
ジャンル:
音楽
キーワード
展覧会の絵 ムソルグスキー サミュエル 場の雰囲気 マイ・ウェイ ピアノ独奏曲 メゾピアノ わらべうた 替え歌メドレー シュトラウス
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7 コメント

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Unknown (dai)
2011-01-25 22:07:44
こんなに人数が減ってしまったんですね。
訓戒が印象に残っていますよ。
バリトンソロのはずなのに
女声がやっていましたから…
バリトン・ソロ (Pilgrim)
2011-01-27 20:53:09
 全日本ではOBの男声がソロを務めていましたが、
Nコンでは外部招聘に制限のあって、現役生徒の
ソロになったようです。
有難うございました (creammama)
2011-04-14 01:33:16
ピルグリム 様
第44回定期演奏会に遠路お越し頂き誠に有難うございました! また、お逢いでき大変光栄でした。
昔のコンクールを鮮明に記憶されている事に驚いています。私は記事のど真ん中[心の四季]で2年生…この年に女声三部に編成になり挑んだコンクールでした。翌年の[のら犬ドジ]では、3年生として80名近い部員を纏める指揮者をしており、コンクール直前にアキレス腱を切る大怪我をし、松葉杖をついてステージに立ちました。そのコンクールまで見ていらしたのを知り感服です。貴殿様が言われるところの審査員のなんたるかは全くその通りで?必死で練習に向かう生徒達を見てきた当方としては審査員の権力、個人の好き嫌いで判断されることに純粋無垢な高校生を巻き込んでほしくは無かったです。無論、教育者でもなく音楽の分からないがトップに居る訳ですから問題外ですが…。この3月で恩師も退職となりました。これまでご愛顧を賜り有難うございました…OGが後継者となり仕切り直して合唱部は今後も邁進して参ります。同じ様にはいかないでしょうが、また今後も温かく見守って頂きますよう宜しくお願い申し上げます。
昔のコンクール (ピルグリム)
2011-04-16 23:03:28
 こちらこそ有難うございました。

 僕は83年のコンクール関西予選で、始めて高校生の合唱の素晴しさを知りました。
あの頃は全てが新鮮で、加悦谷の演奏も深く印象に刻まれています。
あれから幾星霜、あの時の感激を舞台で歌われた方に語れる日の
来るとは、誠に感慨深いものがあります。

 ブログを読んで下さる方と、直にお会いするのは気恥ずかしく
「マエストロ日記」のO山先生からも逃げ回っており、まだcreammamaさんで
お二人目です。あの際に、僕が「うちのブログは評判悪くて」と申し上げても
否定して下さらなかったので、やっぱり加悦高関係者にも色々と
意見のあるのだろうなぁ、と思い知らされました。

 セブンさんにも、よろしくお伝え下さいませ。
Unknown (レン)
2011-09-25 22:53:27
はじめまして、いきなり過去の記事にコメントして申し訳ありません。全く別地方の人間なので、加悦谷の歴史について興味深く読ませて頂きました。彼らがAグループにエントリーしたのはそのような背景があったからなのですね。たしか「印刷屋の親爺や、今も君臨する某大企業の元営業マン等の親分」は京都の方でしたよね?それでも、か、それ故に色んなしがらみがあるのでしょうか…
昔のお話 (Pilgrim)
2011-09-28 06:25:22
 こちらこそ始めまして。

 僕は純然たる部外者なので、本当のところ何があったのかは知りません。
印刷屋さんは亡くなり、成毛先生も退かれ、全ては茫漠たる昔話になりました。

 それでも無明の闇を進む、凡夫の日常は続きますが
それは僕にとって最早、遠い世界の出来事です。
有難う御座います。 (レン)
2011-09-28 13:30:35
ピルグリム様有難う御座います。
成毛先生本当に退かれたんですね。とても寂しいです。
「今は昔…」ですかね。

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