オペラの夜

出掛けたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深める為のブログです。

関西フィルハーモニー管弦楽団第33回ミート・ザ・クラシック

2016-08-26 | モダンオケ
<Meet the Classic Vol.33/敬虔な祈りに満ちた夏の一夜>
2016年8月26日(金)19:00/いずみホール

指揮/藤岡幸夫
ソプラノ/半田美和子
バリトン/池内響
オルガン/片桐聖子
関西フィルハーモニー管弦楽団
関西フィルハーモニー合唱団

ルロイ・アンダーソン「舞踏会の美女」
モーツァルト「アレルヤ」(エクスルターテ・ユビラーテ)K.165
ドニゼッティ「天使のように美しい娘」(ドン・パスクアーレ)
オルフ「天秤棒に心をかけて」(カルミナ・ブラーナ)
ハイドン「農夫は今、喜び勇み」(四季)Hob.XXI-3
グリーグ「ソルヴェイグの歌」(ペール・ギュント)op.23-19
メンデルスゾーン「主よ、もう充分です」(エリア)
ラヴェル「マ・メール・ロワ」組曲
フォーレ「レクイエム」(ジョン・ラター改訂第二稿復元版)op.48


 僕は只もう単純に、フォーレのレクイエムを聴きに来ただけで何も知らなかったが、「ミート・ザ・クラシック」は既に十七年も続いている、関西フィルの名曲コンサート・シリーズだそうである。十七年前、まだ三十代の若手だった藤岡幸夫が、「クラシックをもっと身近なものにしたい」と、始めた企画らしい。でも、今日の客席を見渡すと六分程度しか埋っておらず、良く今まで続いたと云うか、先行きに不安を抱かせる客入りである。

 冒頭のルロイ・アンダーソンは恒例だそうで、名曲コンサートは誠に景気良く始まる。これに僕のようなフリの観客は違和感を覚えるが、その後もゴタゴタと曲を並べた感じで、指揮者のプログラミングの意図は今ひとつ分かり難い。コンサートの前半は、ポピュラー・ソングの部類に入るルロイ・アンダーソンと、マ・メール・ロワ組曲の間に、半田美和子と池内響の歌を三曲づつ挟む構成だが、その選曲に脈絡が見えて来ない。テーマは「敬虔な祈り」だが、音楽的には何だか闇鍋っぽく、要するに指揮者の藤岡の要望と、二人の歌手の唱いたいものとを擦り合わせ、並べただけのようにも思える。

 モーツァルトのモテットとドニゼッティのアリア、或いはオルフの舞台音楽とハイドンのオラトリオと云う取り合わせを、一体どう関連付けるのか、指揮者にジックリ尋ねて見たい処だ。これは詰まる処、フォーレのレクイエムのソロだけでは、わざわざ東京から歌手を呼んでも元は取れないと云う、コストパフォーマンスの問題だろう。だからと云って、聴き易そうな歌を適当に詰め込んで置けみたいな発想で、名曲コンサートをプログラミングするのでは安易に過ぎる。

 僕は半田美和子を細川俊夫「班女」の、日本初演の際に初めて聴いた。レジェーロな声質で、細川のオペラには打って付けだったが、今日歌われたモーツァルトのモテットは、リズムに生気を欠く平板な歌い振りで、折角のアジリタのテクニックも生かせなかった。その半田が「ソルヴェイグの歌」を歌うと、別人のように精彩を放つのだから、歌手と曲の相性は分からないものだ。ノルウェイ語の抑揚に合わせたデュナーミクに、多彩な音色の変化を絡ませて、ロマンティックに細かやな情感を表出して見事だった。

 バリトンの池内響は初めて聴く人だが、紛れも無い美声の持ち主で、前途有為な人材である。ただ、イタリア語とドイツ語の三曲を、如何にも気持ち良さそうに歌い飛ばし、ハイドンにドニゼッティにメンデルスゾーンの、それぞれの時代様式を描き分ける事に思いを致す様子は無く、取り敢えず今後の精進に期待したい。

 休憩後、いよいよメインとなるレクイエム。その最大の眼目は、一般的なプロオケで使われる第三稿では無く、ジョン・ラター校訂の第二稿復元版の使用にある。ラター版の売り物は、フォーレ自筆原典版の復元を目指し、弦楽はヴィオラ以下の十八名とソロ・ヴァイオリンのみで、管楽器もホルンこそ四本と多目だが、後はファゴットとトランペットの二本のみで、オケの総勢三十名足らずと云う小編成にある。それにも関わらずアマチュアの合唱団の方は、恐らく在籍団員を全て舞台に上げたのだろう、八十余名で山台から零れ落ちる多人数である。この大編成はラター版採用の趣旨に反し、指揮者はオケに付いては、いずみホールのキャパに合わせた選択と説明したが、合唱団の人数に付いての言及は無かった。

 藤岡のフォーレ解釈も旧態依然としたもので、サンクトゥスやリベラ・メではパワー全開の小編成オケを、大編成コーラスと張り合わせて景気良く盛り上げ、一体何の為のラター版なのかと、いよいよ分からなくなる。本気でレクイエム原典版に取り組むのなら、ソリストにはボーイ・ソプラノを起用すべきだし、古楽器オーケストラも必須だろう。フォーレの真意を忖度すれば、必然的にそうなるのである。

 まあ、中小オケの名曲コンサートに、そんな高望みをする方が間違っているとは、自分でも良く分かっている。ただ、原典版使用を謳い、作曲者の意図を尊重するみたいな言い方をしながら、従来通りの大編成志向の演奏をするのは、羊頭狗肉と云うものだ。それは指揮者にフォーレへの、リスペクトの無い故であると、そう判断ぜざるを得ないのである。
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