
2009年6月26日(金)18:30/新国立中劇場
指揮/外山雄三
東京交響楽団
演出/坂田藤十郎
美術/前田剛
照明/沢田祐二
衣装/宮永晃久
<Bキャスト>
桂/小濱妙美
夜叉王/黒田博
源左金吾頼家/村上敏明
楓/薗田真木子
春彦/経種廉彦
下田五郎景安/大野光彦
金窪兵衛尉行親/小野和彦
修禅寺の僧/大久保光哉
軍兵/細岡雅哉/大木太郎/三戸大久
昔、僕が学生でグリークラブに所属していた頃、日本の作曲家による男声合唱曲と云えば、まず清水脩だった。「月光とピエロ」「アイヌのウポポ」「智恵子抄巻末のうた六首」「廟堂頌」等々、実際良く歌ったものだ。当時の僕は男声合唱に首までドップリと漬かっていて、この世にオペラと称される音楽形態の存在する事を、果たして認識していたのかどうか、今となっては茫漠とした記憶の彼方に沈んでいる。その後、僕はオペラを“発見”し、今度はこちらにドップリと漬かり、現在に至る訳である。
若杉芸術監督が去年の「黒船」に続き、今年は「修禅寺物語」を取り上げると知った後、忘れていた我が若かりし日の清水脩への想いが、次第に立ち帰って来た。清水氏が亡くなられて二十年以上の歳月が経ち、氏の歴史的な評価は定まったのか、それとも過去の存在と成り果てたのか。若杉さんは清水脩の音楽の重要性を認識し、「修禅寺物語」をナショナル・シアターで取り上げるべき作品と評価した。だが、先月の「ムツェンスク郡のマクベス夫人」に続き、若杉さんはタクトを取れず、代役が立つ。僕としては若杉さんの「修禅寺物語」への想いを胸に、若い頃親しんだ清水脩の音楽をジックリと味わいたいと思う。
清水脩は大阪の真宗寺院の出身で、幼少の頃は“門前の小僧習わぬ経を読み”、父親の住職は四天王寺舞楽の演奏家でもあったので、声明と雅楽にドップリと浸かる環境にあった。清水は僧職には就かず、当初は音楽も志さず、大阪外国語学校仏語科に進学し、グリークラブで学生指揮者を務め、ドビュッシーやラヴェル、六人組等のフランス音楽に傾倒した。ここで方向転換があり、何年かのサラリーマン生活の後、東本願寺研究生として東京音楽学校選科に在籍、橋本國彦に作曲を師事する。
清水脩が作曲を志した頃、邦楽なんぞは古色蒼然たる過去の遺物、と云う認識の音楽家も沢山居た筈だ。師匠は橋本國彦(♪お菓子の好きなパリ娘〜)でドビュッシーに傾倒となれば、これはハイカラ好きの極みで、幼少時を邦楽に囲まれて育った筈の清水の、その代表作「月光とピエロ」は堀口大學の詩に付された曲で、これもフランス趣味丸出しなのである。
我々グリークラブ育ちは、舞台上で真面目腐って歌う合唱組曲も沢山やったが、それよりも「最上川舟唄」や「そうらん節」等の清水脩の日本民謡の編曲物を、酒呑んで道端で歌う方が(不定期演奏会と称した)日常的な営みだった。あれ等の編曲は日本音楽の旋法に、如何にして西洋和声を接合するかと云う、清水の試みだった。そして出来上がった民謡編曲は、丸っきり西洋音楽そのもので、しかしそれ故にこそ若いコーラス・ボーイ達が、気持ち良くハモリに酔えたのだとは、今にして分かる事なのである。
清水脩はドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」をお手本に、「修禅寺物語」を構想したと自ら語っている。聴けば成程、歌の部分は五音階の日本風朗詠によるレチタティーヴォばかり。でも、オケの方はパーカッションが賑やかで、金管にはチューバまで入れて景気良く吹きまくり、これは日本歌曲をラヴェルがオーケストレーションしたような具合で、「ペレアス」のような静謐な音楽からは程遠い。
和風の旋律に近代和声を接木する、中途半端な合唱曲を量産した清水脩には、後の時代から過渡期の生温い作曲家と見なされても、致し方のない部分はあった。「修禅寺物語」の歌は、同じような旋律が延々と続いて、これも聴いていてそんなに面白い物ではない。だが、それは清水脩が抑揚に乏しい日本語のイントネーションに、歌の旋律を徹底的に寄り添わせた結果であり、日本オペラ黎明期の先駆者として考案した、渾身の実験的手法だったと云える。
そして、それこそが若杉芸術監督の「修禅寺物語」を評価する所以であれば、華麗な旋律を駆使した「黒船」の魅力は充分に認めつつも、あれはメロディ・メーカーとしての山田耕筰の天才が可能にした一代限りの作品であり、現在の日本オペラの礎となったのは、清水脩の実験オペラの方なのだと云う考え方を、僕は全面的に受け入れようと思う。今日の演奏で、歌手はそれぞれの持ち場で頑張ったが、外山の指揮は一貫して生真面目な手堅い物で、ラヴェル風の管弦楽でハジけてみせる事はなかった。「修禅寺物語」を傑作オペラとは全く思わないけれど、若杉芸術監督が曲をどのように解釈し、盛り上げてくれるのか、そこは是非とも聴きたかっただけに、若杉さんの降板が返す返すも惜しまれる。
指揮/外山雄三
東京交響楽団
演出/坂田藤十郎
美術/前田剛
照明/沢田祐二
衣装/宮永晃久
<Bキャスト>
桂/小濱妙美
夜叉王/黒田博
源左金吾頼家/村上敏明
楓/薗田真木子
春彦/経種廉彦
下田五郎景安/大野光彦
金窪兵衛尉行親/小野和彦
修禅寺の僧/大久保光哉
軍兵/細岡雅哉/大木太郎/三戸大久
昔、僕が学生でグリークラブに所属していた頃、日本の作曲家による男声合唱曲と云えば、まず清水脩だった。「月光とピエロ」「アイヌのウポポ」「智恵子抄巻末のうた六首」「廟堂頌」等々、実際良く歌ったものだ。当時の僕は男声合唱に首までドップリと漬かっていて、この世にオペラと称される音楽形態の存在する事を、果たして認識していたのかどうか、今となっては茫漠とした記憶の彼方に沈んでいる。その後、僕はオペラを“発見”し、今度はこちらにドップリと漬かり、現在に至る訳である。
若杉芸術監督が去年の「黒船」に続き、今年は「修禅寺物語」を取り上げると知った後、忘れていた我が若かりし日の清水脩への想いが、次第に立ち帰って来た。清水氏が亡くなられて二十年以上の歳月が経ち、氏の歴史的な評価は定まったのか、それとも過去の存在と成り果てたのか。若杉さんは清水脩の音楽の重要性を認識し、「修禅寺物語」をナショナル・シアターで取り上げるべき作品と評価した。だが、先月の「ムツェンスク郡のマクベス夫人」に続き、若杉さんはタクトを取れず、代役が立つ。僕としては若杉さんの「修禅寺物語」への想いを胸に、若い頃親しんだ清水脩の音楽をジックリと味わいたいと思う。
清水脩は大阪の真宗寺院の出身で、幼少の頃は“門前の小僧習わぬ経を読み”、父親の住職は四天王寺舞楽の演奏家でもあったので、声明と雅楽にドップリと浸かる環境にあった。清水は僧職には就かず、当初は音楽も志さず、大阪外国語学校仏語科に進学し、グリークラブで学生指揮者を務め、ドビュッシーやラヴェル、六人組等のフランス音楽に傾倒した。ここで方向転換があり、何年かのサラリーマン生活の後、東本願寺研究生として東京音楽学校選科に在籍、橋本國彦に作曲を師事する。
清水脩が作曲を志した頃、邦楽なんぞは古色蒼然たる過去の遺物、と云う認識の音楽家も沢山居た筈だ。師匠は橋本國彦(♪お菓子の好きなパリ娘〜)でドビュッシーに傾倒となれば、これはハイカラ好きの極みで、幼少時を邦楽に囲まれて育った筈の清水の、その代表作「月光とピエロ」は堀口大學の詩に付された曲で、これもフランス趣味丸出しなのである。
我々グリークラブ育ちは、舞台上で真面目腐って歌う合唱組曲も沢山やったが、それよりも「最上川舟唄」や「そうらん節」等の清水脩の日本民謡の編曲物を、酒呑んで道端で歌う方が(不定期演奏会と称した)日常的な営みだった。あれ等の編曲は日本音楽の旋法に、如何にして西洋和声を接合するかと云う、清水の試みだった。そして出来上がった民謡編曲は、丸っきり西洋音楽そのもので、しかしそれ故にこそ若いコーラス・ボーイ達が、気持ち良くハモリに酔えたのだとは、今にして分かる事なのである。
清水脩はドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」をお手本に、「修禅寺物語」を構想したと自ら語っている。聴けば成程、歌の部分は五音階の日本風朗詠によるレチタティーヴォばかり。でも、オケの方はパーカッションが賑やかで、金管にはチューバまで入れて景気良く吹きまくり、これは日本歌曲をラヴェルがオーケストレーションしたような具合で、「ペレアス」のような静謐な音楽からは程遠い。
和風の旋律に近代和声を接木する、中途半端な合唱曲を量産した清水脩には、後の時代から過渡期の生温い作曲家と見なされても、致し方のない部分はあった。「修禅寺物語」の歌は、同じような旋律が延々と続いて、これも聴いていてそんなに面白い物ではない。だが、それは清水脩が抑揚に乏しい日本語のイントネーションに、歌の旋律を徹底的に寄り添わせた結果であり、日本オペラ黎明期の先駆者として考案した、渾身の実験的手法だったと云える。
そして、それこそが若杉芸術監督の「修禅寺物語」を評価する所以であれば、華麗な旋律を駆使した「黒船」の魅力は充分に認めつつも、あれはメロディ・メーカーとしての山田耕筰の天才が可能にした一代限りの作品であり、現在の日本オペラの礎となったのは、清水脩の実験オペラの方なのだと云う考え方を、僕は全面的に受け入れようと思う。今日の演奏で、歌手はそれぞれの持ち場で頑張ったが、外山の指揮は一貫して生真面目な手堅い物で、ラヴェル風の管弦楽でハジけてみせる事はなかった。「修禅寺物語」を傑作オペラとは全く思わないけれど、若杉芸術監督が曲をどのように解釈し、盛り上げてくれるのか、そこは是非とも聴きたかっただけに、若杉さんの降板が返す返すも惜しまれる。










