オペラの夜

出掛けたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深める為のブログです。

ブリテン「戦争レクイエム」op.66

2009-08-27 | モダンオケ
<サイトウ・キネン・フェスティバル松本2009>
2009年8月27日(木)19:00/長野県松本文化会館

指揮/小澤征爾
ソプラノ/クリスティン・ゴーキー
テノール/アンソニー・ディーン・グリフィー
バリトン/ジェイムズ・ウェストマン
サイトウ・キネン・オーケストラ
東京オペラシンガーズ
栗友会合唱団
SKF松本合唱団
SKF松本児童合唱団


 昨日のサントリーホールで「班女」を観た後は、どうせ寝るだけなので歌舞伎町のカプセル・ホテルに宿泊。翌朝は早起きして、JR新宿駅地下「ベルク」でモーニング食ってから中央線快速に乗り、青春18切符で松本に向かう。松本駅に降り立つと毎年の事ながら、駅前はサイトウ・キネンの歓迎ムードに彩られて、今年もここに来たんだなぁ、と云う感慨を抱く。まずは毎年訪れている酒屋さんに立ち寄る。偶々、営業に来ておられた、松本市内の造り酒屋の蔵元さんに試飲させて頂き、そこの「アルプス正宗」と云うお酒と、推薦して頂いた塩尻の「美寿々」の、それぞれ無濾過生原酒の四合瓶を購入する。何れも今日初めて知る銘柄だった。

 松本は湧き水の豊富な街で、市内の至る所にある泉水に地元の人達が車で来ては、せっせとポリタンクに水を汲んでいる。全国的に有名な銘柄はないが、松本には良い酒を地道に醸している、小さな造り酒屋が幾つもあるらしい。松本は蕎麦が名物だが、考えてみれば蕎麦も日本酒も良質の水を必要とする訳で、なるほど良い水の湧く土地柄らしく、松本は酒も食も充実している。殆んどの観光客はご存知ないが、ここは暮らし良い街なのだと改めて実感した。でも、僕がペットボトルに湧き水を詰めていると、通り掛かった観光のオバチャン達は、「あら、井戸水なのね」とは言うが、「あたしは過敏だから」とか言って見向きもしない。その五~六人のグループから、一人だけ柄杓で汲んで飲んだのは居たが、そいつも「なんだ、冷たくないのね」と、ツマラナそうに言っていた。

 この一年はアニヴァーサリーでもないのに、何だか良く分からないがブリテンの当たり年で、関西では「カーリュウ・リヴァー」「ルクレツィアの陵辱」「真夏の夜の夢」と、三本のオペラを観る機会があった。今年のサイトウ・キネンもブリテンだが、オペラは一服(小澤のブリテンは「ピーター・グライズム」を観たが、あれは素晴らしい上演だった)と云う事で、声楽大曲“戦レク”の公演と相成った。ただ、この演目は全く不人気の様子。会場玄関には「当日券発売中」の札が掲げてあって、これはサイトウ・キネンで小澤の振るコンサートとしては、前代未聞の事かも知れない。

 でも、僕も他人の事をとやかくは言えない。ブリテンにこのような声楽入り大曲のある事は薄々承知していたが、実際に“戦レク”を聴くのは今日が初めて。でも僕の場合、予習とかは一切しない。こんな風にブログ記事にして復習する方が、余程身に付くと云う考え方で居るからだが、単純に面倒臭いと云う理由の方が大きいようにも思う。ヨソ様のブログを拝見すると、皆さんマジメに予習されているが、僕の場合は開場後のロビーで振る舞いの塩尻ワインを呑みながら、購入したパンフレットを読むだけ。ここは開き直って、未知の音楽に予備知識無しで接する、清冽な楽しみを強調するしかないか。

 「ウォー・レクイエム」は第二次世界大戦中にドイツ軍のコヴェントリー空爆で破壊された、聖ミカエル大聖堂が62年に再建された際、落成の献堂式で演奏する為に作曲された。旧聖堂は新しく建設されたカテドラルの隣りに、広島ドームのように廃墟のまま保存され、戦争の惨禍の象徴となっているらしい。曲に使用されているテキストは、ラテン語典礼文「Missa pro Defunctis(死者のためのミサ)」と、第一次世界大戦に出征し25歳で戦死した英国の詩人ウィルフレッド・オーウェンの反戦詩とを、交互に歌う形で構成されている。ソプラノ歌手と混声及び児童合唱は大編成オケ伴奏でレクイエム典礼文を唱い、オーウェンの詩の方は、テノールとバリトンの二人の歌手が室内オケ伴奏で唱う。

 開演前、例によってオケのメンバーと共に舞台に出て来た小澤が、一昨日亡くなったエドワード・ケネディ上院議員の為に黙祷しようと提案する。俺その人の事知らんし関係ないんだけど、と思ったのだが、他の皆さんは実に素直にお立ちになる。京都での音楽塾コンサートでも感じたのだが、小澤征爾と云う人物は如何にも不世出のカリスマ指揮者らしい、つくづく一人合点な人だと僕は思う。

 「ウォー・レクイエム」の二つのオケは、二人の指揮者が分担して振る場合もあるようで、小澤はロストロポーヴィチと組んで、小編成の方を担当した事があるらしい。今日は小澤が両方を振るので、指揮台の周りに11名の室内オケが陣取り(ホルンはラデク・バボラク、フルートは工藤重典、パーカッションはライナー・ゼーガス、コンマスは山口裕之…)、それを更に取り囲むように三管編成の巨大オーケストラが舞台上を埋め尽くす。何故か指揮台は置くのだが、小澤は今日も暗譜。

 大編成オケによるピアニッシモで曲は始まり、そこへ矢張り大所帯の合唱団が「レクイエム・エテルナム…」と呟くように入って来る。このコーラスの極小音量は、百二十名を動員して初めて可能になる響きで、このピアニッシモを実現する為に、この人数を必要とする事を納得させる、頭数の威力を如何なく発揮する、分厚いピアニッシモだった。

 大人のコーラスに続き、児童合唱の46名がオルガン付きで歌い出す。声が聴こえて来るのは二階席の最後方、天井に接する位置の壁の内側から。子供達の居るのは、恐らく設備管理の為の空間だろうが、これはヨーロッパの大聖堂に設けられた合唱隊席のようなベスト・ポジションで、まさしく天井から天使の声が降り注ぐような効果があった。でも、僕はブリテンの声楽曲の記事では何度も同じ事を言っているが、やはり楽譜には“Boy's choir”と指定されている訳だし、これはボーイ・ソプラノで聴きたい処ではある。

 オーウェンの詩は、ドイツ兵の立場から第一次世界大戦を描いた、レマルクの「西部戦線異状なし」に対し、英国側から戦争の悲惨を訴えた、反戦文学の双璧とも云うべき作品。これを唱う二人の男声歌手は戦場で殺し合った、それぞれ英国兵とドイツ兵で、既に戦死して土の下でブツブツ言い合っている設定らしい。天使の歌声の直ぐ後にテノールの唱う歌詞は、「家畜のように死ぬ兵士を悼む鐘の音は、大砲の恐ろしい怒りのみ。彼等にとっては祈りも弔鐘も、嘲りに過ぎない」と、暗鬱の極み。神にも見放された戦場を這いずり回る兵隊達にすれば、職業宗教家の司る教会のミサは、余りにも空々しく感じられるのだろう。それとも、これは戦場に直接介入して来ない、神への愚痴なのだろうか。

 これを歌うグリフィーは、キャラクター・テノールの声質で、芝居気タップリの歌い振り。テノールの歌をアカペラ・コーラスが引き取り、再びピアニッシモで、「キリエ・エレイソン(主よ哀れみ給え)、クリステ・エレイソン(キリストよ哀れみ給え)」を唱え、オケのベルの印象的な音と共に、一曲目を何処か不安定な長調の和音で締め括る。

 二曲目の「ディエス・イレ(怒りの日)」では、オケの金管部隊がブカブカと景気良く吹きまくった後、高音の伸びる美声のウェストマンが登場する。この人は実直で端正な歌を唱うバリトンで、濃い目のキャラを演ずるテノールとは好対照だった。ソプラノ・ソロは聖母マリアのイメージで、舞台奥の合唱席最上段の中央に、「魔笛」の夜の女王か、「トゥーランドット」のお姫様の玉座みたいな席に座らされ、声を客席に届けると云う意味では不利な立ち位置なのだが、ゴーキーは荒っぽい程の強い声で、“最後の審判”に於ける神の厳しさを強調する。

 ブリテンはロシア人ソプラノのガリーナ・ヴィシネフスカヤの声をイメージして、このソロ・パートを作曲したらしい。ブリテンがガリーナに、おまえさんは英語で歌えるのか?と訊ね、英語では歌えないがラテン語なら歌えると云う返事だったので、ソプラノとコーラスはレクイエム・ミサ典礼文を、男声ソロ二人は英語詩で歌う事に決めたのだと云う。こんな偶然から、この曲の独特なテキストの形式をブリテンが思い付いたと云うのも、何だか興味深い話と思う。

 日本人が葬式や法事で接するお経に対する感覚と、西洋人にとってのラテン語典礼とを比較すると、我々の方がチンプンカンプンの度合いは高いように思う。例えば「法華経」や「般若心経」に付いて、その大意すら掴んでいない人の方が、我が国では圧倒的なマジョリティーだろう。勿論、僕も仏典の意味なんて全く知らないが、耶蘇の宗教曲の方は日常的に聴く機会を持ち、ミサ通常文の意味ならば大体の処は承知しているし、欧米人の一般的な認識もそんな処ではないかと思われる。まあ、彼我の古典言語への理解度の深浅に付いて、僕には確定的な事は何も言えないが、何れにせよブリテンが戦場で殺し合った兵隊達の為の鎮魂曲を作るに当たり、抹香臭いラテン語典礼文に抵抗を感じたであろう事は、容易に想像が付く。

 “戦レク”のクライマックスは、二曲目の「ディエス・イレ」の中間部と、終曲の「リベラ・メ(我を救い給え)」の前半部分にあり、例によって小澤が持ち前のカリスマで、コーラスとオケを熱く盛り上げる。でも、何分にも曲の内容がアレなので、単純に美しい音楽に酔うと云う訳にも行かない。「オフェルトリウム(奉献唱)」では旧約聖書にある、神への生贄に息子のイサクを捧げようとしたアブラハムを天使が諌め、代わりに羊を捧げると云う挿話を、老人が天使の忠告を無視して息子を殺し、ヨーロッパの人口の半分を一人づつ殺戮すると改変したオーウェンの詩を、テノールとバリトンが掛け合いで歌うのである。

 終曲の前、短い「アニュス・デイ(神の子羊)」では、テノール・ソロが全曲中ワン・フレーズだけ、「ドナ・ノービス・パーチェム(我らに平安を与え給え)」と、ラテン語の聖句を唱える。小澤が「リベラ・メ」で激しいカタルシスを作った後、全曲中で最も感動的なフレーズ、二人の兵士による、「Let us sleep now(さあ、眠ろう)」の、美しいデュエットが始まる。この二重唱には胸を衝かれた。続く全曲の終結部で、始めてオケとコーラスとソリストがトゥッティで演奏し、やがて印象的なベルの音と共に、アカペラ・コーラスが“アーメン”を、一曲目と同じく解決したのかしないのか良く分からない長調の和音でフェルマータして、全曲を締め括る。この何処か不安定なエンディングは、近い将来に戦争の無い世界の実現する事を、ブリテンは心から信じてはいないからだと、僕は勝手に解釈した。

 小澤曰く、「個人的には音楽として、これがブリテンの最高傑作だと思っています。『戦争レクイエム』は音楽として、大変深いのです。メンデルスゾーンの『エリア』にも同じようなものを感じます」との事である。今年はオペラがないので、サイトウ・キネンはパスしようかと思ったのだが、今日は曲が終わっても小澤がタクトを降ろすまで拍手は起こらず(僕は拍手するな、と念じていた)、深い感動の余韻を味わえて、来て良かったと心から思えるコンサートとなった。
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7 コメント

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トラバ・・・ありがとうございました。 (liuring)
2009-09-20 22:03:27
私は合唱をやっていたのでこの曲を、それも小澤さんの指揮で聴けたらどんなに感激かと思ってました。
が・・・、当て込んだ応募に外れて、敵わぬ夢と消えました~!(笑

事前の予備知識ナシで・・・しかし、こんなに詳細に解説されて、感心しました。
どうもありがとうございました。。。(感謝
この曲も、松本も、大好きになりました (romani)
2009-09-21 17:56:20
こんばんは。

私も同じコンサートに行っていました。
初めてこの曲の真価を理解できたように思います。

小澤さんには、なんとかずっと元気でタクトをとり続けてほしいと思います。
松本の街も初めて行きましたが、いい街ですね。一目ぼれしてしまいました(笑)
来年もできることなら、松本でサイトウキネンを聴きたいと思います。
おはようございます。 (ピルグリム)
2009-09-23 06:54:22
 liuringさん。初めまして、コメントありがとうございます。

 今回の上演には公募合唱団も出ていたので、お近くなら出ちゃう
と云う選択肢もあったのですが、首都圏からでは無理ですよね。

 僕の場合、知りもしない事を理路整然と語り、
人を煙に巻くのが得意なのです。

 romaniさん。コメント、TB返しありがとうございます。

 松本には“街”の良さがありますが、少し足を伸ばせば
自然の豊富なのも、サイトウ・キネンの大きな魅力ですね。
野歩きして美術館を訪ねるのも、僕の楽しみの一つで、
お勧めは穂高の碌山美術館と、安曇野ちひろ美術館です。
松本、よいところですね (フェリーチェ)
2009-09-26 10:49:08
こんにちは!合唱、かなりの練習量で本番を迎えられたようですばらしかったです。
松本、いいですよね。昨年は松本市内のみでしたが今回は霧が峰、戸隠、志賀高原方面まで足を伸ばしました。人は温かいし、食べ物はおいしいし、来年の公演が今から楽しみです。
トラックバックに入れさせていただきました (tomari)
2009-09-26 23:25:34
実は、トラックバックという意味がわからず、先ほど、編集画面を見ておりましたら、こちらのサイトが登録されていましたので、記事を読ませていただきました。
戦争レクイエム、行かれたのですね。
本当に、感動的でした…今でも、思い出すと胸が熱くなります。
私のサイトにトラックバットとして加えさせていただきました。
よろしかったら、また私のブログにも遊びにいらしてくださいませ。
やっぱり (ばもくん)
2009-09-27 22:28:21
こんばんは!
今年のサイトウキネンでは、Bプロに行きましたが、この戦レクにも行くか本当に迷いました。
音楽の知識ナシの自分にはまだ早すぎだと言い聞かせ、断念。(本当はお金の問題が大きいですが)
しかし、気になっていたので、オペラの夜さんの感想が聞けてよかったです。しかし、難しいそうだぁ。

小澤がタクトを下ろすまで・・・は、自分もいつも思います!
特に、小澤さんの演奏会では、興奮し過ぎたお客さんがいち早く拍手してしまう傾向があるようですので・・・(自分もその1人)
今回拍手が起きなかったと言うことは、演奏の興奮より戦レクの内容がしっかり伝わったと言うことでしょうか。

長くなってしまい申し訳ありません。
コメントありがとうございます。 (Pilgrim)
2009-09-28 22:09:01
 フェリーチェさん、こんばんは。
 昔から小澤はコーラスのクオリティには拘っていましたが、
今回のプロ・アマ混成の大合唱団もハイ・レベルで、そうでないと
曲の本質を表現出来ないのでしょうね。
 松本は東西南北どちらに向かっても風光明媚で、何度行っても飽きません。

 tomariさん、初めまして。わざわざご挨拶頂き、恐縮に思います。
 小澤の言うように“戦レク”が大傑作なのかどうか、僕には良く判りません。
ただ、あの曲に込められたブリテンの深い思い入れには、胸を打たれました。

 ばもくんさん、毎度おこしやす。“戦レク”、難しくないです。
>演奏の興奮より戦レクの内容がしっかり伝わったと言うことでしょうか。
 全く仰る通りです。
 ばもくんもご承知の通り、小澤は無闇に煽るだけの演奏になる場合も多いのですが
“戦レク”では、この曲の真価を伝えようとする姿勢が明確で、これはあの日
会場に居た観客全員が感じた事と思います。

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